喫茶店『Mute』へ
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2、3回ボールをついて、感触を確かめると、俺はボールを放り上げ、ラケットをたたきつけた。
ポォーン
いい響きを残して、ボールは向こうのコートに吸い込まれた。
「よしっ!」
テニス部に入部してから早1カ月半。基礎練習も終わり、なんとか他の部員達についていけるようになっていた。
ゆかりちゃんとも、だいぶん親しく話もできるように……と言いたいところだが、どうも最近、彼女は俺を避けているような、そんな気がする。
気のせいだとは思うのだが……。
よし、今日の帰り、誘ってみるか。
俺は練習が終わると、着替えて校門の所で彼女を待っていた。
他の部活帰りの生徒たちがあらかた校門を出終わってから、ゆかりちゃんがでてくるのはいつものことだ。
「おーい、ゆかりちゃん」
「……あら、公さん」
ゆかりちゃんはこっちを見て、にっこりと微笑んだ。くぅー、いいなぁ、この笑顔。
「あのさ、一緒に帰らない?」
「え? ……はい、よろしいですよ」
何だ? 今の一瞬の間は?
まぁ、いいか。承知してくれたんだもんな。
俺は学生鞄を背中にかつぎ上げて言った。
「じゃ、帰ろうぜ」
「そういえばさ……」
「はい?」
ゆかりちゃんは俺の方を見上げた。
「もうすぐ、ゆかりちゃんの誕生日だろ?」
「はぁ……、そういえば、そうでしたねぇ。すっかり、わすれておりました」
おいおい。普通、自分の誕生日を忘れるかぁ?
でも、そこんとこがゆかりちゃんらしいよなぁ。
「なにか、欲しいものある? そんなに高いものはプレゼントできないけどさ」
あー、何言ってんだろ、俺。ゆかりちゃんは古式不動産の社長令嬢だぜ。俺みたいな一般家庭の学生が贈れるようなプレゼントで、ゆかりちゃんが満足するわけないだろうに。
「そうですわねぇ」
ゆかりちゃんは頬に手を当てて考えていたが、不意に言った。
「ケサランパサラン」
「え?」
「ケサランパサランが欲しいですわ」
そう言うと、彼女はころころ笑った。
「う、うん。努力するよ」
とりあえず、そう答える俺だった。ところで、なんなんだ、そのけらけらなんとかって?
「でも、嬉しいですわ」
「え?」
「公さんがわたくしに贈り物をくださろうなんて。そのお気持ちだけで、わたくしは本当に嬉しいです」
「……ゆかりちゃん」
いつの間にか、俺達はその場に立ち止まっていた。
ゆかりちゃんは、俺の正面に立ち、心持ち上を向いていた。俺の方が身長が十センチほど高いからだけど。
「公……さん」
「な、なに?」
「あの、わたくし……、わたくし……」
ゴーッ
トラックが脇の道を走り抜けた。ゆかりちゃんの口から漏れた言葉をさらって……。
「え? なんて言ったの? よく聞こえなかったんだけど……」
「それは……、秘密です」
ゆかりちゃんはくすっと笑い、そして駆け出した。
まるで風と戯れるように。
俺は、半ば呆然としたまま、その後ろ姿を見送っていた。
翌日。
ゆかりちゃんは学校を休んだ。
どうしたんだろう。昨日はあんなに元気そうだったのに。
急に熱でも出たんだろうか?
そんなことを考えていると、突然後ろから肩を叩かれた。
振り向くと、好雄が立っていた。
「お、どうした?」
「ちょっと、話がある」
好雄は、始めて見るような怖い顔をしていた。
「おい、俺は……」
「いいから、ついてこい」
そう言うと、好雄はさっさと歩き始めた。
なんだってんだ、いったい?
《続く》