喫茶店『Mute』へ
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「は? お見合い、ですか?」
《続く》
わたくし、お父さまの言った言葉がよくわからなくて、もう一度聞き返しました。
「あなた、それはどういうことでしょうか?」
お母さまがお父さまに尋ねられます。
夕食の席で、突然そんなこと言われましても、わたくし、どうお答えして良いものやら。
「うむ、実はなぁ……」
お父さま、困ったような、怒ったような、複雑なお顔をなさってらっしゃいます。
そのお父さまの話を聞いておりますうちに、やっとお話がわかってきました。
つまり、お父さまのお仕事の関係のある会社の社長の息子さんがわたくしに興味を持っていらっしゃって、一度お逢いしたいと、こうおっしゃっておられるのですね。
お母さまがわたくしに向き直りました。
「ゆかりは、どうなのです?」
「そうですね。お逢いしてもかまいませんよ」
一度、お逢いするくらいなら、わたくしは構わないと思いますけれど。
ところが、わたくしがそう言いますと、お父さまは顔色をお変えになりました。
「ほ、本気か、ゆかり!」
「ええ」
「あの、若造のことはもういいのか?」
「若造……?」
わたくし、首を傾げました。
お父さまは一人で納得されたようにうなずかれます。
「そうか、わかった。あの若造はどうやらゆかりには釣り合わない奴だったようだな」
「はぁ?」
「まあ、ゆかりがそう言うなら仕方あるまい。先方にはそう伝えるからな」
あ、お逢いしてもよろしいと伝えるのですね。
「はい、よろしいですよ」
わたくしは答えますと、分葱の添えられた冷や奴をいただきます。
あ、おいしいですわ。
翌朝。
わたくしが学校に向かおうと家を出ますと、玄関先に見慣れない自動車が止まっておりました。
と、そのドアが開きまして、一人の殿方が出てきました。大学生くらいでしょうか? まだお若い方ですわね。白いスーツを着こなしてらっしゃいます。
「おはようございます、ゆかりさん」
その殿方はわたくしに頭を下げました。
「はい。おはようございます。……失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
「あ、これは申し遅れました。私は新須三郎と申します。いやぁ、私との婚約を承知してくださって、まことに光栄の至りです」
「……はぁ?」
「早速ですが、記者会見をせねばなりませんので、来ていただきたいのです」
「あ、あのぉ、わたくし、今から学校に……」
「なぁに、もう学校なんて行く必要はありません。どうぞ」
そう言うのにあわせて、自動車の後ろのドアが開きました。
まぁ、珍しいですわね。
わたくし、どうなっているのか見たくなりまして、のぞき込みました。
と、先ほどの殿方が、不意に後ろからわたくしの背をトンと押されました。
「あらぁ」
その弾みによろめいてしまって、気がつきますと、自動車の後部座席に座っております。
パタム
わたくしがびっくりしている間に、ドアが閉まってしまいました。
その方は、運転席に乗り込まれますと、わたくしに一声かけました。
「じゃ、行きますよ!」
ドルルルル
自動車はバックして道路に出ると、そのまま走り出します。
わたくしがちらっと後ろを振り返りますと、裸足のまま外に飛び出されたお父さまがちらっと見えたのですが、すぐに自動車が角を曲がってしまい、見えなくなりました。
わたくしは向き直って言いました。
「あのぉ、困ります。わたくし、学校に行かなければ」
「ははは。恥ずかしがり屋さんですね。ゆかりさんは。何も心配することは要りませんよ。万事任せて置いてください」
困りました。この方、わたくしの話を聞いてくれません。
どうすればいいのでしょうか、公さん……。
あらぁ、どうしていま、公さんの顔が浮かんだのでしょうか?
そう思っておりますうちにも、自動車は走り続けております。
わたくしはもう一度尋ねました。
「あのぉ、どちらへ向かってらっしゃいますのでしょうか?」
「ああ、軽井沢の私の別荘です。そこに記者連中を待たせてありますので」
そうおっしゃいながら、ハンドルを切ってらっしゃいます。
わたくしにできることは、ただ窓の外を眺めることだけでした……。
キィッ
4時間ほどたちまして、やっと新須さんは車を停めました。
目の前には綺麗な、大きなお家があります。
「さぁ、ゆかりさん。つきましたよ。もう、記者連中も来てるはずだ」
新須さんはそう言いながら、車から降りると、後ろのドアを開けました。
わたくしは、いつもぼーっとしていると言われておりますが、そんなわたくしにも、このまま車から降りてしまったら大変なことになることは判りました。
失礼にならないように、言葉を選びながら、わたくしは言いました。
「新須さん、わたくしは家に帰りたいのですが……」
「ハハハハハ」
不意に、新須さんは笑い声を上げられました。その顔つきが今までと違っています。それまでの優しげな笑みではなく、そう、まるで……。
「ゆかりさん、残念だが、君には選択する権利はないんだよ」
「……どういうこと、ですか?」
「僕は、君のお父さんの過去の秘密を握っている」
「……?」
突然何を言い出したのか、わたくしにはよく判りませんでした。
新須さんは大げさに両手を広げますと、言葉を続けられました。
「僕の意向次第で、君のお父さんは刑務所に行くことになるんだ。そうなれば、君のお母さんだって困るだろう?」
そう言いながら、新須さんは笑っています。
その時、わたくしはわかりました。
この方は、わたくしを脅迫しているのですね。
「わたくし……」
「そうならないで済ませるのは簡単だ。今日の記者会見で、あなたは僕の隣に座っていればいい。何も言う必要もない。ただ、じっと座っていれば、ね」
「……」
「さぁ、どうする? 総ては君次第だよ」
にやにやと笑ったまま、新須さんはおっしゃいました。
わたくしは……、わたくしは……。
「……あなたの言うとおりにすれば、お父さまは……」
「勿論。約束は守るさ」
新須さんは大げさに肩をすくめて見せました。
わたくしは、ゆっくりと頷きました。
「……わかりました。あなたの仰るとおりにいたします」