喫茶店『Mute』へ
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「あのう、藤崎さん。わたくし、そろそろ帰宅しようと思いますので、失礼します」
《続く》
「帰らないで。言ったでしょう? 私、あなたに話があるの。公くんのことで」
静かな、それでいて厳しい声です。でも、その声の中に何か微妙なものを感じたのは、気のせいなのでしょうか?
とにかく、ここから逃げる事は出来そうにありません。
わたくしは覚悟を決めて、座りなおしました。
どんな言葉でも、甘んじて受けましょう。
たとえ、それが、「二度と私たちの前に現れるな」という言葉であっても。
そんなわたくしの覚悟を知ってか知らずか、藤崎さんはわたくしの目を見て、おっしゃいます。
「昼休み、私たちを見てたんでしょ?」
わたくし、体操服の裾をぎゅっと握り締めました。
「……ごめんなさい」
「ううん。謝ることなんてない。謝ることなんて……」
藤崎さんの言葉が、細かいふるえを帯びているのに、わたくしは気づきました。
どうして……でしょうか?
まるで、泣き出しそうなのを必死に押さえているような、そんな感じを受けます。
藤崎さんは、軽く頭を振って顔にかかった髪を払うと、言葉を続けました。
「放課後になってすぐ、早乙女くんが公くんを呼び出したの、知ってる?」
わたくしは、かぶりを振りました。
「わたくしは、クラブが始まりましてすぐにこちらに来て、それからずっとここにおりましたから……」
「そうなんだ……。とにかくね、早乙女くん、テニス部の練習している最中の公くんを呼び出して、一緒に屋上に行ったの。私、音楽室でフルートの練習してたんだけど、窓から二人が見えて……、特に、早乙女くんなんだか普通じゃなかったみたいだから、二人を追いかけたの」
藤崎さんは目を閉じ、その場の情景を思い出している様子でした。
「早乙女くん、屋上に上がるなり公くんを殴ったの。そして言ったわ。古式さんを傷つけて、どういうつもりだって」
「……」
早乙女さん、どうしてわたくしのために、そんなことを……?
「お前は、二人とも優しくして、それでいいのかもしれないが、影で二人がどれくらい傷ついているのか考えたことはあるのかって。それでね、こうも言ったわ。おまえがそんな態度をとり続けるんなら、俺にも考えがある。古式さんは俺がもらうって」
「そ、そんな……」
そんなこと言われましても、わたくし困ってしまいます。
確かに早乙女さんはわたくしが新須さんの所から逃げ出すのに随分ご尽力いただいたと公さんから伺っておりますが、それだけで、全然親しくもありませんのに、突然もらうなどと言われましても……。
「そう言われて、公くん切れちゃって、早乙女くんを殴り返したの」
あ、さっきの早乙女さん、頬を腫らしてたんですね。
「それまで、私びっくりしちゃってて、足がすくんでしまって、見てただけだったんだけど、このままじゃ二人とも大喧嘩になっちゃいそうだったから、止めようと思って出ていったの。でも……」
不意に、藤崎さんの目から、光るものが落ちました。
「ちょうどその時、公くんは言ったの。詩織は、ただの幼なじみだ。俺が好きなのは古式さんなんだって」
……え?
藤崎さん、今、何を……?
光るものが、藤崎さんの膝におかれたフルートに当たり弾けます。
「私、ふられちゃった」
わたくし、何も言えませんでした。
藤崎さんは俯いて、言葉を続けられました。
「公くんって、とってもいい人なの。……こんなこと、古式さんに言うまでもないことだとは……思うけど……。公くんは、私が初めて好きになった人……だから……、幸せになってほしいから……私……わた……」
その後は言葉になりません。藤崎さんは両手で顔を覆ってしまいました。
わたくし、なんと言葉をかければよいものか……。
そこで、わたくしは、はっと気づきました。
言葉なんてもの、必要ありません。藤崎さんには、もっとわかってもらえる方法があるんですもの。
わたくしは鞄から白南風を出し、そっと口を当てました。
そう。藤崎さんは音楽をなさる方ですもの。わたくしの想いは、白南風にのせて伝わるはずです。
不確かな言葉よりもはっきりと……。
わたくしは奏で終わりますと藤崎さんの方に視線を送りました。
よかったですわ。
藤崎さんはすっかり落ちつかれましたようです。
「巧いわねぇ。なんていう曲?」
「曲の名前は、わたくしも知りません。お母さまが教えてくださった曲ですから」
わたくしは答えました。
藤崎さんはにこっと笑いました。
「ありがとう、古式さん。あなたなら公くんのこと安心して任せられる。そんな気がするわ」
「……藤崎さん」
「あのね、私思うんだ。その人の演奏を聴けば、その人がわかるって」
やはり、藤崎さんはわたくしが思ったとおりの方でした。
「古式さんの曲を聴いて、わかったわ。古式さんって……」
藤崎さんは、そこで言葉を切ってわたくしを見ました。
「なんでしょうか?」
「……ううん。なんでもないの」
そう言って、藤崎さんは悪戯っぽく笑われました。
「……そうですか? それならそれで構いませんが。それより、一つお願いがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「なぁに?」
「藤崎さんの演奏も聴かせていただきたいのですが、どうでしょうか?」
「え? それは……ちょっと恥ずかしいし……。まだ始めてそんなに経ってないし……」
「でも、いつかは皆さんにお聴かせになられるのでしょう?」
わたくしがそう申しますと、藤崎さんは肩をすくめました。
「わかったわ。でも、笑っちゃ厭よ」
「そんなこと、いたしませんよ」
「じゃ、やるわよ」
藤崎さんはフルートを構えました。
金色のフルートから流れ出すメロディを聴いて、わたくしはびっくりしてしまいました。
そのメロディは、わたくしが先ほど白南風で奏でたものなのです。
藤崎さん、たった一度聴いただけで、もう……。
フルートが最後の音を奏で終わりました。
藤崎さんはフルートをそっと口から離すと、頭を下げました。
「お粗末でした」
「凄いですねぇ」
わたくし、感心してしまいました。
藤崎さんって本当にすごい方ですねぇ。
どうして、公さんはこの方ではなくわたくしを選ばれたのでしょうか?
そんなことを考えておりますと、藤崎さんがおっしゃいました。
「古式さん、これからも、お友達でいましょうね」
「……違いますよ、藤崎さん。これからも、ではありません。わたくしたち、今知り合ったんですから。本当の意味で」
「そうね」
藤崎さんはわたくしの手をぎゅっと握りました。
「これからよろしくね。ゆかりさん」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。詩織さん」
わたくしたちは、微笑みあいました。
心から。