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めぐみちゃんとでぇと
第参話 いやなの……

 放課後、既に公くんとゆかりちゃんがデートの約束をしたことは学校中の噂になっていました。
「へぇ、あの公がデートだって」
「それも、相手はよりによってあのお嬢様だろ?」
「どんな手練手管をつかってくどいたんだ?」
「噂じゃ、世間知らずのお嬢様を公がたぶらかしたらしいぜ」
 そんな話から始まって、ちょっとここには書けないような噂まで、いろいろと流れていました。
 その噂に心を揺らす乙女がここに一人。
(公さん、昨日まで私を追いかけていたのに……。でも、これでもう私が追いかけられることもなくなったのね)
 めぐみちゃんは、「主人公と古式ゆかり婚約おめでとう」という噂を聞いて、ほっと胸をなで下ろしたのでした。

 夜。
 めぐみちゃんは、寝るときは、可愛らしいリボンのついたパステルピンクのネグリジェです。そして、等身大ブタさんの縫いぐるみ、ぷーたんと一緒に寝るのです。残念ながら、ムクちゃんはベッドのそばにあるバスケットの中で寝ることになっています。
 ごろんと寝返りを打つと、めぐみちゃんは呟きました。
「眠れない……」
 むっくりと起き上がると、そっとムクのバスケットを覗き込みます。
 クゥーン ムクはよく眠っています。きっと、優しいご主人様を夢の中でも守っているのでしょう。
 めぐみちゃんは、ムクを起こさないようにそっと窓に近寄って、外を見ます。
 外はちょうど満月です。
 その丸いお月さまをみつめながら、めぐみちゃんはもの思いに耽るのでした。
(……明日は、明日こそは……。ムクに“ワンちゃん大好き生タイプドックフード”を買ってあげなくっちゃ……)
 さて、翌日。今日も詩織ちゃんは学校を休んでいます。
 というわけで、めぐみちゃんは一人で下校しようとしていました。
 昇降口から左右を見回します。
 公くんの姿は見えません。めぐみちゃんはほっと胸をなで下ろしました。
「よかった。今のうちに帰らなくちゃ」
 しかし、好事魔多し。ちょうど校門のところにさしかかったとき、後ろからすごい勢いで誰かが走ってきます。
「めぐみちゃぁぁぁぁん!!」
「え? きゃぁーっ!!」
 公くんが、まっしぐらにめぐみちゃんに駆け寄ってきます。いつもなら雄々しくそれを迎撃してくれる詩織ちゃんは今日もいません。
 思わず立ちすくむめぐみちゃん。それを見て、公くんはチャンスとみたか、更にスピードを上げました。
「めぐみちゃぁぁぁん!!」
「はぁぁっ!!」
 どぐわっしゃぁぁ!!
 いきなり、後ろから何者かに吹き飛ばされて、公くんはめぐみちゃんの横を転がっていきました。
 めぐみちゃんは目をぱちくりとさせました。そして、視線を公くんを突き飛ばした主に向けます。
「晶の力身に付けた、『ごめんなさい、今度から遠慮なくぶつかるね!』の館林見晴でぇす!!」
 見晴ちゃんです。めぐみちゃんとは実は同じクラスという噂が一部にあります。
 せっかくぴしっと名乗ったのですが、公くんは門柱に激突して気絶していたので、全然気がつきませんでした。もっとも、見晴ちゃんも公くんのことは気にしていませんでしたから、おあいこですね。
「やっほー、愛ちゃん。今から帰るの?」
「あ、はい」
「そうなんだ。あ、そうだ。帰りにペット屋さんに寄る? 私、ユーカリの葉を買わなくちゃいけないから」
 見晴ちゃんはにっこりと笑って言いました。めぐみちゃんも頷きます。
「そうですね。私も……」
「それじゃ、行こう!」
「あ、あの……」
「なぁに?」
「い、いえ、なんでも、ないです……」
 おててつないでペットショップに行くのはちょっと恥ずかしいけど、言い出せないシャイなめぐみちゃんでした。
 ムクは大喜びで、めぐみちゃんの買って帰ってきた“ワンちゃん大好き生タイプドックフード”を食べています。
 めぐみちゃんはにこにこしながら、ムクの頭を撫でています。
「ムク、どう? おいしい?」
 ワンワン!!
 ムクは尻尾を振りながら答えました。きっと、これでムクのめぐみちゃんへの忠誠心はますます高くなったことでしょう。
 と。
 トルルル、トルルル
 電話のベルが鳴りました。
「あら? なにかしら。ムクは食べていていいのよ」
 めぐみちゃんは電話をとりました。
「はい、美樹原です……。あ、詩織ちゃん?」
「もしもし……ゴホゴホ」
 詩織ちゃんはベッドに横になったまま、PHSに向かって話しています。まだ熱があるのか、顔がちょっと赤いですね。
 受話器からは、めぐみちゃんの声がしてきます。
「詩織ちゃん、大丈夫?」
「うん、もう大分良くなったわ。ええ、明日からは学校にも行けると思うけど」
 詩織ちゃんはそこまで話すと、声を潜めました。
「ところで、噂に聞いたんだけど、公くんと古式さんが卒業したらすぐに結婚するって本当?」
(詩織ちゃん、どうやって噂なんか聞いたのかな?)
 めぐみちゃんはちょっと不思議になりましたが、素直に答えました。
「うん。私はそう聞いたんだけど……」
 次の瞬間、意味不明の絶叫が受話器の向こうから聞こえて、思わずめぐみちゃんは耳から受話器を遠ざけました。しばらくしてから、おそるおそる耳を近づけてみます。
「もしもし、あの、詩織ちゃん?」
 プツッ。ツーツーツーツー
 電話は切れてしまったようです。めぐみちゃんは首を傾げながら、受話器を元に戻しました。
 ワンワン
 そこに、食べ終わったムクが駆け寄ってきました。めぐみちゃんはムクを抱き上げました。
「おいしかった? ムク」
 ワンワンワン
「そう? よかったぁ」
 めぐみちゃんはムクをぎゅっと抱きしめました。ああっ、幸せそうなムク。
 さて、その頃。詩織ちゃんは……。
「公くんなんて、公くんなんて、公くんなんてぇぇぇ!!」
 黄色いパジャマのままで、部屋の真ん中に仁王立ちして、正面の窓を睨み付けています。そんな怖い顔をしてると、せっかく可愛いのに台無しですよねぇ。
「うーっ」
 ごめんなさい、失言でした。
 翌朝。公くんは上機嫌で好雄君とお話ししていました。
「でさ、それがまたおっかしいの」
「あはは、お前らしい……」
 ふと顔を上げた好雄君は、そのまま凍り付きました。顔からすうっと血の気が引いていきます。
 不思議に思った公くんは、好雄君に訊ねました。
「おい、どうした?」
「あ、そうだ。俺ちょっとトイレ。じゃ」
 そのまま、好雄君は脱兎のごとく駆け出しました。
「おい、好雄! ……変だなぁ」
 首をひねる公くんに、後ろから声が掛かりました。
「公くん……」
「へ?」
 振り返った途端、公くんは椅子から転げ落ちました。
「し、詩織!?」
 確かに詩織ちゃんですが、とてもきらめき高校一の美少女には見えません。ほつれた髪を数本くわえ、うつろな目で公くんを見るそのお顔は妖気を漂わせ、周りに2、3個火の玉を浮かべていそうです。
 詩織ちゃんは、公くんに言いました。
「話があるの」
「は、はい」
 公くんはがくがくと頷くしかありませんでした。
 詩織ちゃんと公くんは屋上に上がってきました。
「で、話って、な、なにかなぁ?」
 公くんはひきつった笑みを浮かべて詩織ちゃんに訊ねました。
 詩織ちゃんはフェンスを背にして公くんをじっと見つめました。
「公くん……」
「え?」
 と、その紅い瞳に涙が浮かびました。
「し、詩織?」
「いや……」
 形のいい、小さな唇から言葉が漏れます。
「いやなの……」
「何が?」
 思わず公くんは聞き返しましたが、詩織ちゃんとは距離があったせいか、その耳には入っていないようです。
 詩織ちゃんは一歩公くんに向かって踏み出しました。
「昨日ね、一晩中考えたの。でも、やっぱり、私、認める事なんて出来そうにないの」
「は、はぁ」
 これはおとなしく聞いていた方が良さそうだと、公くんは判断しました。
 詩織ちゃんはもう一歩踏み出します。
「あのね、私、普通の家の生まれだし、お金持ちでも何でもないの。それは公くんだって知ってるよね」
「ああ」
 頷く公くん。
「でも、私ね、この気持ちだけは古式さんに負けてなんかない。ううん、私は、ずっと、ずっと……。だから、だから私……」
「し、詩織……」
「私……」
 詩織ちゃんは、公くんの直前まで来て、立ち止まりました。そして、公くんの顔を見上げます。
 その瞳から、涙があふれ出して、頬をつうっと伝い、流れ落ちます。
「お願い、公くん。古式さんのことは……」
 トン 詩織ちゃんはそのまま、公くんの胸に自分の顔を埋めました。
「お願い……」
「し、詩織……」
 公くんは、またわけのわからないことを考えていました。
(これはいったいどういうことなんだろう? 俺は何を求められているのだ? やはり、これは屋上だし、据え膳なんだろうか? うーむ、天よ地よ人よ、俺は何をすればいいのだ? 教えてくれタイガージョー!)
 二人は、屋上に通じる扉が少し開いていることになど全く気付いていませんでしたし、そこから一人の少女が二人を覗いていることになど、当然気付いていませんでした。

《続く》

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