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めぐみちゃんとでぇと
第拾参話 一緒に歌いましょうね

「ううーん」
 公くんは、映画館から出ると、大きく伸びをしました。
 映画を見ている間に、もうすっかり辺りは暗くなってしまっています。
「どうか、されましたか?」
 ゆかりちゃんが、にっこりと笑いながら訊ねました。
「え? あ、その、ちょっと身体が強ばっちゃって」
 公くんはどぎまぎしながら答えました。
(ど、どうしたんだ、俺は。妙にドキドキしてるぞ)
「そうなんですか。それは大変ですねぇ」
 ゆかりちゃんは、ほっぺたに指をちょんと当てて考え込みました。ピンク色のウェーブの掛かった髪がさらりと揺れます。
 ドキン 公くんの心臓が高鳴りました。
(わ。ど、どうしちまったんだ、俺は?)
「そうですねぇ。何処かで休んで行かれた方が、よろしいのかも知れませんねぇ」
 ゆかりちゃんがそう呟くと同時に、公くんの脳裏にはピンク色の派手な看板の乱立する通りの光景がばっと広がります。
「ゆ、ゆかりちゃん!?」
「わたくし、ちょうどいいところを知っておりますので、そこに参りましょう」
 ゆかりちゃんはにっこりと笑いながら、歩き出しました。
(ゆ、ゆかりちゃんって、以外と大胆だったのね……。それとも、古式家ではデートした相手とはちゃんと行くところまで行かないといけないってしきたりがあるとか。
なんて羨ましい家なんだ!!)
 公くん、思わず拳を握り締め、叫びました。
「いやっほぉう!!」
「……?」
 ゆかりちゃんは振り返って小首を傾げました。
「公さん、どうかなさいましたか?」
「あ、いえいえ。さあさあ行きましょう行きましょう! いざハライソへ!」
「は、はぁ……。こちらですのよ」
 ゆかりちゃんは公くんの前に立って歩き出しました。その後ろから、息を荒げながら付いていく公くん。ほとんど美女と野獣ですね。

「ねぇねぇ、よっしー!」
 夕子ちゃんは、不意に通りの反対側に視線を止めて、先に歩いていた好雄くんをよびました。
「ん? どした?」
「ほらほら、あれあれ」
「お、公と古式さんじゃねぇか。ってことは藤崎さんとはうまくごまかせたんだな。チェックだチェック」
 早速手帳を出して何やら書き始める好雄くん。その好雄くんに、夕子ちゃんは不意に聞きます。
「ねぇ、よっしー」
「ん?」
「その手帳、あたしの事も書いてあんの?」
「朝日奈のこと? まさかぁ」
 好雄くんは笑って手帳をパタンと閉じました。
 夕子ちゃんはぷっと膨れました。
「なーんか差別って感じぃ」
「いや、だって……」
「前に言ってたじゃん。その手帳ってば、美少女のデータが満載された、俺の宝だーって」
「そんなこと言ったっけ?」
「言った言った。ほらぁ、入学式の時さぁ」
「ああ、あの朝か」
 好雄くんは笑って歩き出しました。慌てて夕子ちゃんは好雄くんを追いかけます。
「ちょい待ちぃ! 逃げるか!!」
「……夕子のデータは、俺の頭の中にメモしてあるから、手帳に書く必要なんてないんだよ」
 前を向いて、両手をポケットに突っ込んだまま、好雄くんは独り言のように呟きました。
「……え? そ、それって……」
 夕子ちゃんの顔が、かぁーっと赤くなりました。
「ま、まぁ、なんだ、おまえのデータなんてあってもさ、その、なんだぁ」
 好雄くんがぽりぽりと頭を掻いて、言葉に詰まっていると、不意に背中がばしぃんと叩かれました。
「痛ってぇー!!」
「ほら、はやくゲーセン行こ! 新しいゲームが入荷したって!!」
 夕子ちゃんはそのまま駆け出しました。好雄くんは苦笑して、その後を追いかけます。
「待てよ、こらぁ!」
「へっへーだ」
 雑踏の中を、二人は仲良く駆け抜けて行きました。
「……あの、ゆかりちゃん?」
「はい、なんでしょうか?」
「休める所って、ここ?」
「はい、そうですよ」
「……そうなんだ」
 公くんは、辺りを見回しました。
 落ちついた、和風の佇まいの店内。中央には獅子脅しまで付いています。
 割烹着姿の女の人が、お茶をお盆に載せて来ました。
「ご注文は何にしましょう?」
「白玉あずきをお願いします。公さんは何になさいます?」
「……抹茶フロート」
 純和風喫茶『白糸』の奥の座敷で向かい合わせに座るゆかりちゃんと公くんでした。
「甘くておいしいですねぇ」
 練り餡の掛かった白玉を上品に食べながら、ゆかりちゃんは微笑みました。
「そう?」
「はい、とても」
「それはよかった。あはは」
 公くんは、緑色のフロートをスプーンですくって口に含みました。
 ゆかりちゃんは、そんな公くんを見て、不意にぽっと頬を赤く染めました。そのまま、もじもじしながら訊ねます。
「あ、あの、公さん」
「はい?」
「この後のお時間は、よろしいでしょうか?」
「えっと……」
 公くんは時計を見ました。午後7時。
「俺はいいけど……」
「それなら、カラオケに、参りませんか?」
「……はい?」
 思わず聞き返してしまう公くん。頭の中で、ゆかりちゃんとカラオケが一瞬結びつかなかったからです。
「ゆかりちゃん、カラオケに行ったことあるの?」
「実は、公さんはカラオケが好きだと早乙女さんに伺いまして……」
 ゆかりちゃんはすこし俯いて言いました。
「好雄から?」
「はい。わたくし、それまでカラオケなど行ったことがありませんでしたので、早乙女さんにお願いして何度か連れて行っていただいて、練習して参りました」
「そうなんだ……」
「あの、ですから、よろしければ……」
 ゆかりちゃんは、俯いて頬を赤らめながら、言いました。
 公くんは頷いて、ゆかりちゃんの手を取りました。
「公さん?」
「いいよ。行こう、カラオケ」
「はい。嬉しいです」
 ゆかりちゃんはにこっと笑いました。
 ドキン
 また心臓が大きく高鳴る公くんでした。
(ゆかりちゃんって……こんなに可愛かったっけ……?)
 さて、詩織ちゃんは家に帰ってくると、るんるん気分で自分の部屋のベッドに突っ伏してました。
 不意に枕を抱きしめてくくくっと笑ったり、ベッドの上をごろごろ転がったりしているあたり、かなり危ない人のようです。
 と、詩織ちゃんの部屋がノックされました。
「詩織、入るわよ」
「あ、お母さん?」
 慌てて詩織ちゃんはベッドから起き上がりました。
 お母さんは、部屋に入って来ると、目を丸くしました。
「どうしたの、これ?」
 詩織ちゃんがごろごろしてたので、部屋の中はさんさんたる有様になっています。
「あ、ごめんなさい。すぐに片づけるわ」
「それよりも、お客さんなんだけど……。この有様じゃ、詩織の部屋にお通しするわけにもいかないわね」
「お客さん? 私に?」
「そうよ。さっきから下で呼んでたんだけど、全然返事ないから」
 お母さんは肩をすくめました。詩織ちゃんはぺろっと舌を出しました。
「ごめんなさい。それより、お客さんって誰? まさか公くん?」
「どうして公くんがお客さんなのよ」
 呆れたようにお母さんは肩をすくめました。
「詩織のお友達の、美樹原さんよ」
「……メグ……」
 その瞬間、詩織ちゃんの上気していた顔が、一転してすうっと白くなりました。
「……詩織?」
「……あ、ご、ごめんなさい。そうね、居間で待っててもらってくれるかな? 私、ちょっと髪を整えるから」
「そう? わかったわ」
 いきなり様子の変わった娘をいぶかしげに見ながら、お母さんは詩織ちゃんの部屋から出ていきました。
 詩織ちゃんは、鏡の前で、乱れた髪を手早くセットし直しながら呟きました。
「……メグ、どうして来たのかしら……」
 さてさてその頃、公くんとゆかりちゃんはカラオケで熱唱していたのでした。
「公さん、『銀座の恋の物語』って、歌えますか?」
「おう、まかせとけって」
「よかったです。それでは、一緒に歌いましょうね」
「……デュエット曲って合唱じゃないんだけど、まぁいいか」
 ゆかりちゃんは、画面を見ながらマイクを握って歌っています。カクテルライトに照らされたその横顔に、公くんは一瞬目を奪われました。
(可愛い……)
「公さんのパートですよ」
「え、あ!」
 いつの間にか自分のパートになっていました。慌てて公くんは歌います。
 歌いながらも、いろいろと考えてしまう公くんでした。
(なんだか、すごく大人っぽいよなぁ、今日のゆかりちゃん。はっ! もしかして、若いカップルが密室で二人っきりってことは、これはゆかりちゃんの方から誘ってきているのでは? とすると、やっぱりここはそのまま押し倒して……。おお、ちょうどいいソファがあるではないか!!)
 曲が終わりました。
 ゆかりちゃんは本をめくります。
「次は何を、歌いましょうねぇ」
「……ゆかり」
 不意に公くんは、ゆかりちゃんの顎に手をかけて、自分の方に向かせました。
「……公さん」
 ゆかりちゃんは目を丸く見開いていました。
 その瞳がゆっくりと、閉ざされました。
(こ、これは、覚悟完了の証! もはや必勝は当然の仕儀なり!)
 公くんの目は、柔らかそうなその唇に釘付けになっています。
 一つ大きく息を吸い、そして公くんは……。

《続く》

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