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めぐみちゃんとでぇと
第弐拾壱話 これが、一目惚れなんだって
「ったく、戎谷の奴め。朝日奈も朝日奈だぜ、ほいほい誘いになんか乗りやがって」
家に帰ってきた好雄くん、少々ごきげん斜めのようです。
制服のままベッドに寝ころんで、天井を見つめながらなにやらぶつぶつと言っていますね。
と、いきなり好雄くんの部屋のドアが開きました。
「おにーちゃん!! 電話だってばぁ!!」
好雄くんの妹の優美ちゃんです。おや、お風呂上がりでしょうか? いつもポニーテイルに結い上げている髪はしっとりと濡れて肩のあたりにまとわりついています。トレーナー姿で肩の辺りにはタオルを巻いていますね。
優美ちゃんは好雄くんにぽいっとコードレスを放り投げました。好雄くん、慌てて受け取ります。
「うわっち! おまえなぁ!!」
「ほら、電話電話!」
「あ、そっか。もしもし、早乙女ですが……」
好雄くんは電話に話しかけます。と、スグにその声はがっくりと落ち込みました。
「何だ、公か」
「なんだはないだろう? それよりさ、助けて欲しいんだよ、愛の伝道師様」
「片桐さんのことか?」
好雄くんは溜息混じりに言いました。受話器の向こうの公くんの声が弾みます。
「そう、それそれ。ちょっと訳ありでさぁ……」
「おまえ、学習するって言葉、知ってるか?」
「う……。まぁ、そう言わずに……」
「どっちかを断れ。今回はそれしかねぇぞ」
「いや、でもまたスライドって手は……」
「無・駄・だ」
好雄くんは短く区切って言いました。
「あの藤崎さんにそんなもの通用するか。それはおまえもわかってるだろう?」
「う……」
絶句する公くん。前回の詩織ちゃんとゆかりちゃんのスライドデートのとき、家の前で待ち伏せされた苦い思い出がよみがえります。
「……それしかないのかなぁ……」
「ああ。それに伝えるのは早いほうがいい。明日にしろ、明日に」
「え? そ、そんな急に……」
「じゃな」
「あ、おい、ちょっとよし……」
ピッ
好雄くんは、ボタンを押して電話を切ると、ほうっとため息をつきました。
「ねぇ、お兄ちゃん。今の、主人先輩だよね」
「わぁっ! おまえいたのか!?」
優美ちゃんが、ベッドの下にしゃがみこんで、好雄くんを見上げています。
シャンプーの香りが、濡れた髪から漂ってきます。
「そ、そうだけど……」
「ねぇ、お兄ちゃん。主人先輩って……」
そう言いかけて、優美ちゃんは顔を赤らめて俯きました。
「……や、やっぱりいいよ。それじゃ、電話戻してくるね」
優美ちゃんは立ち上がると、コードレスを取って、部屋から出ていきました。好雄くんは、少し考えてメモを開きました。
「好雄、おい! ……だめかぁ」
公くんは電話を切ると、部屋の真ん中に座り込んで考え始めました。
「詩織と片桐さんとどっちを選ぶか……。うーん、だめだぁ、どっちも選べねぇぇ!! おお、神よ! 何故私にこんな試練をお与えになるのですかぁ!?」
部屋の中をごろごろと転がる公くん。
自業自得ですよねぇ。
と。
トルルル、トルルル
不意に柔らかな音が鳴りました。公くんはごろごろと転がって受話器を掴んで取ります。
「はい、主人です」
「あ、こ、公くん?」
「詩織?」
公くんは起き上がって窓から隣の家を見ました。
正面に見える窓から、詩織ちゃんが手を振っているのが見えます。
「どうしたの?」
「え? あ、その、なんとなく……」
公くんのお部屋を見てたら、公くんがのたうち回ってるので、心配になって電話してしまったものの、どう話していいかわからないシャイな詩織ちゃんでした。
(だ、だって、男の子のお部屋を覗いてたなんて、恥ずかしいし……。あ、べつに覗こうと思ったわけじゃなくて、なんとなく見たら、カーテンが開いてて、その、ね)
内心で言い訳しながら、受話器に話しかけます。
「公くん、なにか悩み事があるんじゃないかなって思って……。その、学校でも何となくいつもと違ってたし……」
(詩織、ナイスなフォローよ!)
自画自賛するおちゃめな詩織ちゃんです。
一方、公くんはドキリとしていました。
(す、鋭い! さすが詩織だ。……とはいえ、詩織に相談できるわけないしなぁ……はぁ)
思わず肩を落として溜め息つく公くんでした。それを窓越しに見て、詩織ちゃんは慌てます。
「こ、公くん。その、何でも相談してくれていいのよ。そりゃ男の子には男の子にしかわからない悩みってあると思うんだけど、でも、その、わ、私公くんの力になりたいから……。だって、だって私……」
「あ、ありがとう、詩織」
公くんは無理矢理に笑顔を作って、言いました。
(え? ありがとう? 公くんがお礼言ってくれたんだ! やっぱり電話してよかった……)
受話器を握り締めてじーんと感慨に浸る詩織ちゃん。
「もしもし、もしもーし? 詩織さーん? 聞いてる?」
「あ、はい。その、公くんの心配事は私の心配事だから。だって私達もう他人じゃないもんね」
「は?」
「そ、それじゃ、おやすみなさい!!」
そう言うと、詩織ちゃんは電話を切りました。そして、壁にもたれ掛かってぽーっとしています。
(言っちゃった……。今夜の私、ちょっとダ・イ・タ・ン、だったかな。えへへ)
一方の公くんは受話器をじっと見つめています。
「詩織ぃ、なにがおまえを変えたんだ?」
全然わかってないようですねぇ。
さて、その頃。
見晴ちゃんは、いつものように部屋に来ていた目つきの悪いコアラに喋りかけていました。
「私ね、わかんなくなっちゃった」
コアラは、そんな見晴ちゃんに背中を向けて、ユーカリの葉っぱをはむはむと食べています。
「……んもう、真面目に聞いてよ」
見晴ちゃんはコアラを掴んで自分の方に向けなおしました。それから、切々と語りかけます。
「主人さんと初めて逢ったのは、入学式の日の朝だったんだぁ。掲示板の前で、真剣にクラス分けの紙を見てた、その横顔を見たとき、こう胸がきゅんとしたの。スグに気が付いたんだ。これが、一目惚れなんだって。あ、ひとめぼれってお米じゃないからね」
見晴ちゃんは窓から外を見ました。蒼い月が辺りを照らしています。
「それから、いろんな事があったんだぁ……。私ね、ずっと主人さんのこと、影から見つめる事しかできなかった。そりゃ、なんども勇気を出そうと思ったんだ……。でも、いつも、主人さんの前に出ると、どうしようもなく緊張しちゃって、自分で何を言ってるのかわかんなくなっちゃって……。きゃ、もう、やんやん」
見晴ちゃん、コアラを抱きしめて振り回しています。しかし、そんな状況でもユーカリをむしゃむしゃと食べ続けるこのコアラもただ者ではないかも知れませんね。
不意に見晴ちゃんはため息を付きました。それから、コアラに話しかけます。
「私……、どうしてうまく人とつき合えないのかな……。今日も、愛ちゃんにひどいことしちゃったんだ……」
一人と一匹を月の光が包み込み、夜は更けていきます。
翌日。
公くんはげっそりとやつれて、目の下に隈をつくって家を出て来ました。
「いってきます」
声にも全然張りがありませんね。まるで一睡もしていないようです。
(あ、出て来たわ! でも、待っていたって悟られたらちょっと恥ずかしいな。あくまでも偶然を装うのよ。そう、たまたまなんだもの)
詩織ちゃんはドアの隙間から公くんの姿を見つけると、一度ドアを閉じて、それから開きます。
「行って来まぁす」
「……何をやってるんだ、詩織は?」
リビングルームでパンを食べながら、詩織のお父さんは呆れたように言いました。
「30分も玄関で何やら外の様子を伺ってるし」
「あら、気づいてなかったんですか、あなた?」
詩織ちゃんのお母さんはおかしそうに笑いました。
「詩織だって女の子ですよ」
「は?」
怪訝そうな顔をするお父さんに、お母さんは言いました。
「紅茶のお代わり、いります?」
「ふむ、貰おうか」
「おっはよう、公くん!」
詩織ちゃんはさりげなさを装って、公くんの背中をポンと叩きました。それから、用意して置いた説明に入ります。
「偶然ね、朝から一緒になれるなんて。これはきっと、神様も私達のことを見守っててくれてるんだわ!」
「あー? 詩織かぁ?」
公くんはゆっくりと振り向きました。その顔を見て、詩織ちゃんは小さな悲鳴を上げます。
「きゃ! ど、どうしちゃったの?」
「な、なんでもないよ」
うふふふ、と公くんは笑います。
(も、もしかして、男の子の生理現象ってやつ? でも、そんな事って私知らないし……。確かに2日目は辛いんだけど、でもこんなにげっそりしちゃうことってなかったな。って、わっ、私のことはどうでもいいのよ。問題は公くんの……。はっ、そういえば昨日悩みがあるって言ってたわよね。そのせいなの?)
詩織ちゃんはおずおずと訊ねます。
「公くん、悩みのせい?」
「う……」
図星を突かれた公くん、そのまま黙り込みます。
詩織ちゃんは公くんの前に回り込むと、両手を組んで公くんをうるうると見つめます。
「公くん、私はいつでも公くんの味方だからね」
(詩織……。うぉぉ、だめだぁ! そんな目で俺を見ないでくれぇぇ!!)
公くんはやにわに走り出しました。
「こ、公くん!?」
「俺は、俺は、詩織の愛を受け取る資格なんて無い最低な奴なんだぁぁ!!」
そう叫んで、公くんは走り去っていきました。詩織ちゃんは呆然として、その後ろ姿を見送るのでした。
その頬を、一筋の涙が流れ落ちるのでした。
「……公くん……。私じゃ、力になれないの……?」
《続く》

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