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めぐみちゃんとでぇと
第弐拾伍話 私の方が先に約束したのよ

 放課後、室内プールで溺れてしまった望ちゃんを助けるために、制服のまま水に飛び込んだ公くん。濡れネズミの公くんに、保健室の先生は保健室で暖まって行くように言いました。
 その言葉に従って保健室にやってきた公くん。ドアに手をかけたところで、中から聞き慣れた声が聞こえてきたのでした。
「片桐さん。ハッキリいうけれど、公くんは私の恋人なの!」

 話は、少し戻ります。

 キーンコーンカーンコーン 授業の終わりを告げる鐘の音が高らかに鳴り響きました。
 委員長の詩織ちゃんは号令をかけます。
「起立、礼!」
 次の瞬間、教室の雰囲気は一気に緩みます。帰る生徒、部活に行く生徒と様々なのもいつもの通りですね。
「さて、と」
 詩織ちゃんは独り言を呟きながら、くるりと後ろを振り返って、眉をひそめました。
 好雄くんの隣の席は、まるで最初から誰もいなかったように綺麗に片づいています。
「おっかしいな」
 首を傾げて、詩織ちゃんは立ち上がりました。そして好雄くんに近づきます。
「早乙女くん……」
「……」
 好雄くんは返事をしません。いつもならすぐに反応するのに、今日は一体どうしたのでしょうか?
 詩織ちゃんはもう一度、今度は少し強めに呼んでみました。
「早乙女くん!」
「……あ? 藤崎さん、俺のこと呼んだ?」
 やっと気づいたようですね。
 でも、いつもの好雄くんとは雰囲気が違います。詩織ちゃんは戸惑いながらも訊ねました。
「ねぇ、こ……主人くん知らない?」
「さぁ」
 それだけ言うと、好雄くんは鞄を掴みました。
「俺、もう帰るから」
「あ、うん。ありがとう」
 答える詩織ちゃんを後目に、好雄くんは鞄を肩にかつぎ上げて、教室から出ていきました。
 なんとなくそれを見送っていた詩織ちゃんは、不意にはっとします。
「そうだ、いっけない。公くんを捜さなくっちゃね!」
 それから小首を傾げて考え込むと、詩織ちゃんは教室を出ていきました。
 廊下を歩きながら、詩織ちゃんは考え込んでいます。
「公くん、何処に行っちゃったのかな? まさか、また紐緒さんに誘拐されたんじゃ……、ううん、きっと違うわよね。とすると……」
 不意に、詩織ちゃんはかぁっと赤くなってその場に立ち止まりました。
(もしかして、公くん、保健の先生に聞きに行ったのかな? その、アレのこと……。やだやだ、私ったら何を考えてるの? ……でも、昨日は紐緒さんが来なかったらあのままいっちゃってたのかも知れないし、公くんって私のこと大事に想っててくれてるから、きっとそういうときの心構えとかそういうのを聞きに行ったのかも。そういうことってお父さんやお母さんにも聞きづらいし、友達なんてとても聞けないし、やっぱり保健の先生よね……。やだやだぁ、もう公くんってばエッチなんだからぁ、もう)
 赤くなった頬を両手で挟んでやんやんと首を振っている詩織ちゃんを、通りかかった未緒ちゃんは思わず遠巻きにして見守ってしまうのでした。
(藤崎さん、保健室に連れていった方がいいんでしょうか?)
 さて一方、仲直りしためぐみちゃんと見晴ちゃんは鞄を持って一緒に教室を出て来ました。
「じゃ、今日も行こうよ」
「あ、はい」
「決まりね! 今日もいっぱいユーカリの葉っぱを買い込んでおかないと。最近コアラちゃんよく食べるから」
「そうなんですか? ムクも最近いっぱい食べてくれるから、私嬉しくって」
「わかるわかる。いっぱい食べてくれると嬉しいんだよね」
 なごやかな会話をしながら歩いていますと、不意に横あいからのんびりとした口調で声がかかりました。
「あらぁ、館林さん、ではありませんか。こんにちわ。ごきげん、いかがでしょうか?」
「あ、古式さん! ちょうどよかったぁ」
 見晴ちゃんは鞄を開けると、綺麗にたたんだハンカチを出しました。
「はい、これ返します。昨日はありがとうございました」
「これはご丁寧に、ありがとうございます」
 ゆかりちゃんは一礼してハンカチを受け取りました。それから訊ねます。
「あのぉ、大変失礼とは存じますが……」
「はい?」
 聞き返す見晴ちゃんに、ゆかりちゃんはいつものような笑みを浮かべたままで訊ねました。
「お隣の方は、なんと、おっしゃるのでしょうか?」
「あ、こっちは美樹原愛ちゃん。愛ちゃん、こっちが……」
「知ってます」
 めぐみちゃんは呟きました。
(古式ゆかりさん。……公さんとデートした人……)
「失礼します」
 保健室のドアをノックして声をかけると、未緒ちゃんはドアを開けました。そして、振り返ります。
「藤崎さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。だからそんなに引っ張らなくても……。第一私……」
「だめですよ。無理をすると良く無いってことは、私、身に染みて良くわかってますから」
 未緒ちゃんは、詩織ちゃんを保健室に引っぱり込みました。そして、中を見回します。
「先生はいらっしゃいませんか?」
 誰も返事をしません。未緒ちゃんは肩をすくめました。
「先生はお留守みたいですね」
「ほら、大丈夫だってば、如月さん」
「素人療法は良くないです」
 未緒ちゃんはそう言うと、とりあえず詩織ちゃんを椅子に座らせました。
 と、その時、不意に保健室のドアが開きました。
「ハァイ、ドクター。ちょっとバンドエイド無いかしら。カッターで切っちゃって……」
 声と一緒に入ってきた娘は、詩織ちゃんを見て立ち止まりました。そして、詩織ちゃんも彼女を見て椅子から立ち上がりました。
「片桐さん……」
「……」
 ピシッと空気が張りつめました。
 未緒ちゃんは二人を見比べています。
(藤崎さんと片桐さん、なにかあったんでしょうか?)
 図書室に閉じこもりがちで世間の噂に少々疎い未緒ちゃんでした。
「あ、夕子ちゃん!」
 のたぁーっと廊下を歩いていた夕子ちゃんは、その声に振り返りました。
「なんだぁ、沙希かぁ」
「なんだ、じゃないでしょう? ……夕子ちゃん、大丈夫?」
 気のない返事にちょっとムッとした沙希ちゃんでしたが、夕子ちゃんの様子がいつもと違うので、すぐに心配そうな顔で訊ねます。
 夕子ちゃんはひらひらと手を振りました。
「じょぶじょぶ」
「そっかなぁ? そうは見えないんだけど……」
「んなこと無いよぉ。それよっかさ、沙希、今日部活は?」
「ん、朝練にでたから……」
「休みなんだ」
 夕子ちゃんは沙希ちゃんの手をぐいっと引っ張りました。
「それじゃあさ、帰りにマック行かない?」
「ええー?」
 沙希ちゃんは思わず声を上げました。夕子ちゃんは口を尖らせます。
「あによぉ、その反応。なんかやーな感じぃ」
「そ、そんなことないんだけど……」
「それとも、ロッ○リアにする?」
「マック行きましょ、マックマック。あーたのしーね!」
 沙希ちゃんは夕子ちゃんの手を逆にぐいぐいと引っ張りながら歩き出しました。
 そんな二人を、好雄くんは曲がり角の陰からじっと見ていました。
 と、その肩がポンと叩かれます。
「よう、やっぱり気になるのか?」
「わっ! え、戎谷!?」
 そこに立っていたのは淳くんでした。好雄くんは慌てて言います。
「べ、別に俺は朝日奈を見てたわけじゃないぞ。その、なんだ、ちょっと調査をだな……。あ、もう行かないといかん。美少女達がこの愛の伝道師早乙女好雄を待っているのだ! さらばだ、また逢おう!」
 好雄くんは一方的にそう言うと、そのまますたたたっと夕子ちゃん達とは反対方向に駆け出していってしまいました。
 それを見送りながら、淳くんは苦笑します。
「ったく、素直じゃないよなぁ。それにしても、酷なこと頼んでくるよなぁ……。朝日奈と好雄の事を心配するよりも、自分のことの方が大変だろうに……。ま、いっか」
 淳くんは口笛を吹きながら、歩き出しました。それから、ほっぺたをちょっと触って顔をしかめます。
「……にしても、恵も、人の話聞いてから怒れよなぁ。ま、そこが可愛いんだけどな」
 淳くんのほっぺたには、引っかいたような傷が付いていました。いつもの好雄くんだったら速攻で突っ込んでいたところでしょう。やっぱり好雄くん、いつもと違うようです。
 奇妙な沈黙を破ったのは詩織ちゃんの方でした。机の上にあったお徳用バンドエイドの箱を、彩子ちゃんに差し出します。
「はい、バンドエイド」
「サンクス、ありがとう」
 彩子ちゃんはバンドエイドを一枚抜き取って、指にくるっと巻き付けました。それから詩織ちゃんに向き直ります。
「今のは敵に味噌を送ったってやつね?」
「……塩です」
 未緒ちゃんがぽそっと呟きましたが、二人ともそれを無視しました。
 詩織ちゃんはにっこりと笑います。
「さぁ、どうかしら? ところで、片桐さん。お時間、いいかな?」
「オッケイ、いいわよ」
 彩子ちゃんはうなずくと、そばにあったパイプ椅子に座りました。詩織ちゃんも元の椅子に座ります。
 二人は視線を合わせて、何となくタイミングを計っているようでしたが、やがて詩織ちゃんが言いました。
「私の方が先に約束したのよ」
「そう?」
 彩子ちゃんはあっさりと言います。
 むきになったように、詩織ちゃんは言葉を継ぎました。
「だって、日曜日のデートのときに、もう約束してたんだもの。来週の日曜日にもデートしようねって」
「ノンノン」
 彩子ちゃんはちっちっと指を振りました。そして言います。
「デート中に次のデートの約束をすることは無効であるって、東方不敗師匠も言ってるわ」
「……誰、それ?」
 思わず聞き返す詩織ちゃんです。
 未緒ちゃんはポツリと呟きました。
「マスターアジアはそんなこと言ったことありませんよ」
 どうして未緒ちゃんはそんなことを知ってるんでしょうね?
 それはさておき、彩子ちゃんは肩をすくめました。
「オッケイ、それは置いておきましょう。でもね、藤崎さん」
「何?」
「あなたは重大なことを見落としているわね。確かにあなたの方が約束したのは早かったかもしれないわ。でも、主人くんは私のデートのアポイントをアクセプトしたのよ。このことが何を意味しているのか、ドゥーユーアンダースタン?」
「……?」
 詩織ちゃんは彩子ちゃんの思わぬ質問に首を傾げました。
 彩子ちゃんはさらりと答えました。
「ザッツリーゾン、そのわけはね、主人くんがあなたとのデートをフォゲット、忘れていたからよ。つまりね、あなたとデートするって事は主人くんの記憶にも残らないようなつまらないことだって事ね」

 ガガーン

 詩織ちゃんの後ろに大きな文字を書いたプラカードを掲げてしまうお茶目な未緒ちゃんでした。
(だって、やることないんですもの)
 詩織ちゃんはさっきの彩子ちゃんみたいに肩をすくめました。
「甘いわね、片桐さん。スイートテンダイヤモンドよりも甘いわ」
「な、なに?」
 彩子ちゃんは、不意にぞくりとしました。
(なんなの、この自信に満ちた笑みは?)
 そう、詩織ちゃんはにっこりと笑っていたのです。
「公くんにとってはね、思わず忘れちゃうくらい当然のことなのよ。片桐さんはいちいち呼吸しようと思って息をしている? していないでしょう? それと同じなの」
「ホワイ、何故?」
 思わず、彩子ちゃんは椅子から立ち上がって詩織ちゃんに詰め寄りました。
「どうしてそう言い切れるの?」
 詩織ちゃんは彩子ちゃんから目を離さずに答えました。
「片桐さん。ハッキリいうけれど、公くんは私の恋人なの!」

 ガガーン

 さっきのプラカードを、今度は彩子ちゃんの後ろに掲げる未緒ちゃんでした。

 そんな3人は、当の本人が保健室の前でそのセリフを聞いていたなんて知るはずもなかったのです。

《続く》

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