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めぐみちゃんとでぇと
第参拾話 本気だったみたい

 ゆかりちゃんと夕子ちゃんは並んで歩いていました。
 やがて、不意に夕子ちゃんが立ち止まって、ゆかりちゃんの方に向き直ります。
「ゆかり、話があるんなら言ったらいいっしょ」
 いつもよりも少しきつめの言い方をする夕子ちゃんに、ゆかりちゃんはにこっと笑いかけました。
「朝日奈さんこそ、なにかお話があるのではありませんか?」
「ないわよっ!」
 そう言うと、夕子ちゃんはぷいっとそっぽを向きました。そして、ちらっとゆかりちゃんを見ます。
 ゆかりちゃんは気を悪くしたような風もなく、にこにこしています。
 夕子ちゃんはほうっと息をついて、向き直りました。
「わぁーった。あんたにゃ負けるわ」
「そうですか?」
 小首を傾げるゆかりちゃんでした。

「待てよ! おい、早乙女!」
「なんだよ、芹澤」
 後ろからの声に、好雄くんは振り返りました。
 勝馬くんは、好雄くんに追いつくと、訊ねました。
「何をそんなにいらいらしてるんだ?」
「関係ねぇよ。いくら愛の伝道師でも、虫の居所の悪い時だってあらぁ」
「そっか? ……あれ? 朝日奈さんじゃないか?」
 不意に勝馬くんは視線を斜め前に向けなおします。
「その手に乗るかよ」
 ぷいっと横を向く好雄くん。
「マジだって。ほら、あの公園」
「え?」
 言われて好雄くんが視線を向けると、公園のベンチに知っている顔が並んで座っています。
「古式さんと……朝日奈?」
「……なんか、あたしらしくないよね」
 夕子ちゃんは、空を見上げながら呟きました。
「こんなにうじうじしてるなんてさぁ。……わかってんだけど……」
「よろしいのでは、ありませんか?」
 ゆかりちゃんは不意に言いました。
「え?」
「戎谷さんと一日お付き合いしても、よろしいのではないでしょうか?」
 繰り返すゆかりちゃん。夕子ちゃんは思わずゆかりちゃんの方に向き直ります。
「ちょ、ちょっと、ゆかり……。マジで言ってる?」
「はい」
 ゆかりちゃんはにこにこと笑っています。
「でも、それってさぁ……」
「それとも、朝日奈さんは、戎谷さんとお付き合いすると不都合なことがあるのでしょうか?」
「そ、そんなのないよ、あたしは!」
 思わず言ってしまう夕子ちゃん、相変わらずいじっぱりですね。
 さてその頃。
 校門から一人の女の子がふらふらと出て来ました。
 目はぼんやりと虚ろで、何かぶつぶつと呟いています。
「……信じない。私の公くんがそんなこと言うはず無いんだもの……」
 詩織ちゃんです。どうやら、公くんの言葉が繊細なハートにクリティカルヒットしてしまったようですね。
 詩織ちゃんは、そのままとぼとぼと歩いていきます。それも、お家のある方向とは反対の方向に向かって。
(もう帰れない……。私にはもう帰るところなんか何処にもないんだわ……)
 心の中でそう呟きながら、詩織ちゃんは歩いていきます。行く宛もなく……。
「あーん、もう! 早乙女くん何処にもいないじゃないの!!」
 校内中を走り回っていい加減疲れ切った沙希ちゃんは、廊下で叫びました。
 と、ガラガラッとドアが開いて、女の子が顔を出します。
「なんだ、沙希じゃないの。ワッツ、何を叫んでるの?」
「あ、彩子ちゃん」
 そう思ってみてみると、そこは美術部室の前でした。沙希ちゃんはかっと赤くなりました。
「も、もしかして、みんないるの?」
「ノンノン。あたしだけよ」
「……よかったぁ」
 ほっと胸をなで下ろす沙希ちゃんでした。
(変な噂が立って、公くんの耳に入ったりしたら大変だもんね。気を付けなくちゃ)
 そんな沙希ちゃんを、彩子ちゃんは手招きしました。
「沙希、暇ならちょっと寄っていかない?」
「え? でも、いいの?」
「ドンマイ、気にしないでいいのよ」
 彩子ちゃんはウィンクしました。沙希ちゃんは頷きました。
「それじゃ、ちょっとお邪魔しちゃおうかな」
 美術部室の中は、テレピン油の独特の臭いがしていました。
「今日は美術部はお休みなの?」
 沙希ちゃんが訊ねると、彩子ちゃんは肩をすくめました。
「イエス、そうよ」
「だったら、彩子ちゃんはどうして?」
「ん……」
 彩子ちゃんは窓からグラウンドの方を見おろしながら、呟きました。
「……なんとなく、ここに来ちゃうのよ。嬉しいときとか、寂しいときとか、悲しいときとか……」
「……彩子ちゃん……」
 沙希ちゃんははっとして、彩子ちゃんの横顔を見つめました。
「……何か、あったの?」
「沙希、昨日の話、覚えてるでしょう?」
 彩子ちゃんは沙希ちゃんに訊ねました。沙希ちゃんはこくりと頷きました。
「屋上でした話でしょう? 覚えてるわ」
「あたしね、シリアス……本気だったみたい」
「……!」
 沙希ちゃんははっとしました。昨日、彩子ちゃんと屋上でかわした会話が沙希ちゃんの脳裏に甦ります。

 「こう言っちゃなんだけど、あたし、今は主人くんのこと、そんなに大好きってほ どでもないの。だから、確かめてみたいのよ」
 「確かめる……?」
  沙希ちゃんは聞き返しました。彩子ちゃんは頷きます。
 「イエス、そうよ。あたしがどれくらい主人くんのことが好きなのか、確かめてみ たいの」

「本気って……、彩子ちゃん……」
「……」
 彩子ちゃんは黙って頷きました。そして、微かに笑いました。
「でも……」
「でも?」
「あたしね、自分の気持ちに気が付くの、遅いのよ。遅すぎるのよ、いつも!」
 彩子ちゃんは、そのまま、窓枠に顔を伏せました。その肩が微かに震えるのを、沙希ちゃんは見守るだけでした。
(……彩子ちゃん……)
 さてその頃。公くんは一人の可愛らしい女の子と近所の公園の前にいました。
「それじゃ、また明日ね! マイスイートハニー!」
「あ、あの、公さん!」
 未緒ちゃんは真っ赤になりながらも公くんを呼び止めました。
「なんだい?」
 キラァン
 白い歯を光らせながら公くんが振り返ります。
「そ、その……」
(言わないと……。私じゃなくて、藤崎さんか片桐さんかとデートしてあげてくださいって……)
 心の中で呟くと、未緒ちゃんは顔を上げて、ドキリとしました。
 公くんの顔が目の前にあったのです。
「なんだい、未緒」
 ドキン
 未緒ちゃんの心臓が、破れるかと思うくらい高鳴りました。自分の名前を、それもファーストネームをこうして呼んでもらう。そんなシチュエーションは未緒ちゃんが恋愛小説を読んで憧れていたものだったのですから。
「あっ、あの、その……」
「可愛い未緒、日曜、楽しみにしてるよ」
 囁く公くん。未緒ちゃんは真っ赤になって俯いてしまいました。
 蚊の鳴くような声で答えます。
「わ、私も……です」
「ああ。それじゃ、また明日」
 そう言うと、公くんは遠ざかっていきました。
 未緒ちゃんは、その場にしゃがみ込みました。
(幸せって、こういうものなのでしょうか……、なんだか、体中の力が抜けてしまって、立っていられません……)
 そのまま、未緒ちゃんは公くんが自分の家に入っていくのを見送ってしまうのでした。

《続く》

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