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めぐみちゃんとでぇと
第参拾壱話 行くところ……ないの

 パパーッ
 大きなクラクションを鳴らして、トラックが走り抜けていきました。
 運転手が叫びます。
「バッキャロー! 死にてぇのか!?」
 そんな叫び声にも関心を示さないで、詩織ちゃんは歩いています。その瞳からは、いつもの快活な光が失われてしまっています。
 そんな詩織ちゃんを放って置いてくれるほど、夜の街は優しくなんかありませんでした。数人の男達がふらふら歩く詩織ちゃんに狙いを付けていたのです。
「おい、あの娘、いいんじゃないか?」
「なんだかぼーっとしてるしな」
「なかなか可愛いジャン、こりゃいただきだな」
 そう言いながら、下品な笑みを浮かべ、男達は詩織ちゃんに近づいていきます。

 パタン
 夕子ちゃんは自分の家のドアを閉めて、ふと思いました。
(「ただいま」って、いつから言わなくなっちゃったんだろ……)
 今日もやっぱり、両親はお仕事からまだ帰ってきていません。
 ぶんぶんと頭を振ると、夕子ちゃんは自分の部屋に飛び込みました。そして、乱暴に制服を脱ぎ捨てます。
(……なんか、今日は色々あったっけなぁ……)
 下着姿になって、ちょっとぼーっとそんなことを考えていた夕子ちゃん、不意にくしゃみします。
「……っくしょん。誰か噂してんのかなぁ……。ま、いっかぁ。シャワーでも浴びようっと」
 そのまま、夕子ちゃんはすたすたとバスルームに向かって歩いていきました。
「……そんなことがあったんだぁ……」
 彩子ちゃんと沙希ちゃんは並んで通学路を歩いていました。道すがら、彩子ちゃんは今日の顛末を沙希ちゃんに話したのです。
「……公くん、未緒ちゃんを選んだんだぁ……」
 沙希ちゃんはがっくりとうなだれました。
「イエス」
 彩子ちゃんは簡潔に答えました。それから、頭の後ろで手を組みました。
「確かに公くんが選んだんだけどね~。でも、そりゃないって感じよねぇ」
「……」
「沙希?」
 彩子ちゃんが横を見ると、沙希ちゃんは俯いて立ち止まっていました。
「ワッツハペン、どうしたの、沙希?」
「……あ、あたし……帰るね」
 そのまま走って帰ろうとした沙希ちゃんの腕を、彩子ちゃんは咄嗟に掴みました。
「沙希、駄目よ」
「……」
「あたしは、ちゃんと話したじゃない。沙希も話してくれなくちゃ。ね?」
 彩子ちゃんはウィンクしました。
 その彩子ちゃんを見つめる沙希ちゃんの瞳から、大粒の涙が転がり落ちます。
「あ……彩子ちゃん……。うえぇぇん」
「ドンクライ、泣かないの」
 彩子ちゃんは沙希ちゃんを抱きしめました。
「だって、だってぇ……」
「あー、よしよし」
 彩子ちゃんの胸に顔を埋めて泣きじゃくる沙希ちゃんをあやすように、彩子ちゃんは沙希ちゃんの背中をポンポンと叩くのでした。
「こ、こいつ、強ぇ!」
「逃げろっ!」
 這々の体で逃げ出していく男達に、好雄くんが中指を立てます。
「一昨日来やがれい! こちとら、むしゃくしゃしてんだからなぁっ!」
「良く言うぜ、何もしなかったくせに」
 勝馬くんは苦笑すると、制服をポンポンと叩いて埃を落とします。それから振り返りました。
「大丈夫か、藤崎」
「……」
 詩織ちゃんはぼんやりとした視線を勝馬くんと好雄くんに向けました。
 好雄くんが笑いかけました。
「しかし、危なかったよなぁ」
 公園で別れる夕子ちゃんとゆかりちゃんを見送った好雄くん、不意に立ち上がると勝馬くんに言いました。
「芹澤、ちょっとつきあえ」
「?」
「いいから来い」
 そう言うとずんずん歩き出す好雄くんに、慌てて追いすがると勝馬くんは訊ねます。
「何処に行くんだよ」
「駅前のゲーセン」
「は? 朝日奈を追いかけるんじゃないのか?」
「誰が!」
 そう言い捨てて、好雄くんはずんずんと歩いていきます。勝馬くんは肩をすくめました。
「しょうがない奴だなぁ……」
 それから、時計をちらっと見ます。
「帰るの遅いと、奈津江がうるさいんだけどなぁ……。まぁ付き合いってやつだからしょうがないよなぁ」
 妙に所帯じみている勝馬くんですね。
 そんなわけで繁華街に入っていった二人、通称裏通り(めぐでぇと第14回参照)を足早に通り過ぎようとしていました。
 前から数人の男女がやってくると、二人の脇を通り過ぎて行きました。
 と、不意に勝馬くんが立ち止まります。
「好雄! いまの藤崎じゃなかったか?」
「まさか。藤崎さんがこんなところを、それもあんな連中と歩いてるわけないだろ? きらめき高校のコスプレ女だよ」
 あっさり言う好雄くん。
 勝馬くんは首を振りました。
「いや、いまのは藤崎だった……。なんか様子が変だったぞ。行くぞ、好雄!」
 そのまま駆け戻る勝馬くんを、渋々好雄くんも追いかけるのでした。
 男達の下品な会話が聞こえてきます。
「これから、楽しませてやるよ。朝までな」
「俺、2番目ね」
 男達の肩越しに、彼らに囲まれて歩いている女の子が見えました。
(間違いない、藤崎だ!)
 その瞬間、勝馬くんは地を蹴りました。そのまま男の一人に延髄蹴りを浴びせます。
「ぐげぇっ」
 その男は、後ろからの奇襲に白目をむいてその場に倒れました。
 そして、時間無制限の異種格闘戦が始まったのです。
「でも、どうしたんだよ、藤崎……」
 訊ねようとして、勝馬くんは詩織ちゃんが普通でないのに気づきました。慌てて両肩を掴んで揺さぶります。
「おい、藤崎! しっかりしろ!! もうされたのか!?」
 ここに奈津江ちゃんがいたら「デリカシー無いこと言うなぁ!」と勝馬くんの顔に鉄拳をめり込ませていたところですね。
 詩織ちゃんは、顔を上げました。
「あ……。芹澤……くん」
「ど、どうする、早乙女?」
「とりあえず何処かで休ませた方がいいな。芹澤の家の方が近いだろ?」
「そうだな。藤崎、歩けるか?」
 こくんと頷く詩織ちゃん。勝馬くんはほっと胸をなで下ろして、詩織ちゃんに言いました。
「それじゃ、とりあえず俺の家に来いよ」
 途中で好雄くんは「俺、もう帰るわ」と言って帰ってしまいました。慌てたものの、詩織ちゃんを放り出すわけにも行かず、勝馬くんは詩織ちゃんを自分のアパートに連れていく羽目になりました。
 ドアの鍵を開けると、電気をつけます。
「ま、何にもないけど、上がれよ」
「……うん」
 詩織ちゃんは、居間にあがりました。
 勝馬くんは電話を取ります。
「とりあえず、藤崎の家には連絡しないとな……」
「やめて!」
 勝馬くんの手を、詩織ちゃんは押さえました。
「……藤崎?」
「……私、もう帰れない……帰るところなんて無いのよ!」
 そのままの姿勢で、詩織ちゃんは激しく首を振りました。
「どうしたんだよ、藤崎?」
 とりあえず電話からは手を離して、聞き返す勝馬くん。その勝馬くんに、詩織ちゃんは言いました。
「私……、行くところ……ないの。芹澤くん……」
「藤崎……」
「お願い、私もう、どうなってもいいの!!」
 そう叫ぶと、詩織ちゃんは勝馬くんに抱きついていました。
 見晴ちゃんは、はむはむとユーカリの葉っぱを食べるコアラちゃんに話しかけました。
「ねぇ、コアラちゃん。公さんって、本当に誰が好きなんだと思う? それとも誰も好きじゃないのかなぁ。それなら、私にもまだチャンスあるよね? そうだよね、コアラちゃん……」
 コアラちゃんは、ただ黙って黙々とユーカリの葉っぱを食べ続けるのでした。

《続く》

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