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めぐみちゃんとでぇと
第参拾参話 ちょっと、話がある
「お願い、私もう、どうなってもいいの!!」
そう叫びながら、詩織ちゃんは勝馬くんに抱きついていました。
「ふ、藤崎……」
勝馬くんも、詩織ちゃんを抱きしめ返しかけました。その背中に回そうとした手がぴたりと止まります。
(……そう、だったよな)
心の中でそう呟くと、勝馬くんは、手を詩織ちゃんの肩に置いて、自分から引き離します。
「……藤崎、何があったんだよ?」
詩織ちゃんは、勝馬くんの顔をじっと見つめていました。その唇が微かに動きます。
「……どうして?」
「え?」
思わず聞き返す勝馬くん。
詩織ちゃんは、もう一度呟きます。
「どうして……私じゃ駄目なの?」
「どうしてって、それは……」
答えかけて、勝馬くんは気が付きます。詩織ちゃんが質問しているのは、勝馬くんではないことに。
詩織ちゃんの視線は、宙をさまよっていたのです。
その瞬間、勝馬くんの心の中に、何かがこみ上げてきました。思わず、詩織ちゃんを抱きしめかけて、また手を止めます。
(お、俺は何をしようとしてるんだ? あの時、決めたはずだろう? でも、こんな藤崎を放っておくなんて……)
苦悩する勝馬くんでした。
と。
「勝馬、いる?」
元気のいい声とともに、ドアが開きました。
「な、奈津江!?」
「今日は何処に遊びに行っていたわけ? ……え?」
奈津江ちゃんは、玄関で凍り付いたように立ち止まりました。
「……詩織がどうしてここにいるわけ?」
「奈津江、ちょっと!」
勝馬くんは、奈津江ちゃんの肩を叩いて、アパートのドアの外に出ました。奈津江ちゃんもその後に従います。
「……ってわけなんだ」
「はぁ……」
奈津江ちゃんは勝馬くんの説明を聞いて、頭を掻きました。
「今度は詩織かぁ。なかなかややっこしいわねぇ」
「今度はって、何かあったのか?」
聞き返す勝馬くんに、奈津江ちゃんは手短に優美ちゃんの話をしました。
「ははぁ、それで早乙女の奴、いつもと違ってたのか」
「何、早乙女くん、勝馬と一緒にいたの? それじゃ、虹野さんが学校を走り回っても見つからないはずだわ」
奈津江ちゃんは肩をすくめます。
勝馬くんはポンと手を打ちました。
「それより、藤崎さんを何とかしないと」
「わかったわ。あたしに任せて」
奈津江ちゃんはそう言うと、部屋の中に入ってドアを閉めました。
勝馬くんははっと気づきます。
「ちょ、ちょっと待て! 俺はどうなるんだよ!!」
「うっさいわね! 女の子には女の子の話があるの。しばらくどこかに行ってなさい!」
ドア越しに奈津江ちゃんの声が聞こえました。勝馬くんは思わず呟きます。
「……そりゃないだろ、おい!」
奈津江ちゃんは詩織ちゃんの前に座ります。
「詩織……」
「……」
詩織ちゃんは、無言です。自分で自分を抱きしめるように腕を交差させて、座っています。
奈津江ちゃんはほうっとため息を付きました。そして立ち上がります。
「お茶煎れるわね」
「……」
コトン
ちゃぶ台に湯飲みを置くと、奈津江ちゃんは自分の湯飲みからお茶を飲みました。そして、詩織ちゃんに言います。
「とりあえず、飲みなさいよ」
「……」
奈津江ちゃんはお茶を置くと、ちゃぶ台に頬杖を付いて、詩織ちゃんを眺めました。
(とりあえず、何があったのかな。それがわからないとどうしようもないわよね。……まぁ、詩織がこんなになってるってことは、あれね、きっと)
詩織ちゃんは黙りこくっています。そんな詩織ちゃんに奈津江ちゃんはぼそっと囁きました。
「やっぱり、主人くんね」
ぴくん。
詩織ちゃんの全身が、その言葉を耳にしただけで動きました。
奈津江ちゃんは言葉を続けました。
「主人くんも浮気者よね。一体何人の娘と付き合う気なのかしら。おおかた詩織のこともただの……」
「やめて!!」
詩織ちゃんは両耳を塞いで激しく頭を振りました。その弾みに、ヘアバンドが解けて、髪の毛がふわりと広がります。
「もう、公くんなんて知らない! 如月さんでも片桐さんでも、かってにデートすればいいのよ!!」
そう叫んで、詩織ちゃんはその場に倒れ伏しました。セーラー服の肩が細かく震えて、くぐもった嗚咽が漏れてきます。
「……詩織……」
奈津江ちゃんは、詩織ちゃんの肩に手をかけて、あやすように軽く揺すります。泣いてる女の子の世話は、恵ちゃんで慣れてしまったようですね。
「泣きなさいよ。好きなだけね」
「奈津江ちゃん……」
詩織ちゃんは顔を上げて、涙に濡れた瞳で奈津江ちゃんを見つめました。奈津江ちゃんは頷きます。
詩織ちゃんは、そのまま奈津江ちゃんの膝に顔を埋めて泣きじゃくるのでした。
「少しは落ちついた?」
「くすん……。……うん」
詩織ちゃんはまだ時折しゃくりあげながらも、頷いて、ハンカチを目に当てました。
奈津江ちゃんはそんな詩織ちゃんに言いました。
「詩織は完璧主義だから、何事も完璧でないと気が済まないんでしょうけど、でもね、そうはいかないことだってこの世にはい~っぱいあるのよ」
詩織ちゃんはわずかに顔を上げて、奈津江ちゃんを見ました。
奈津江ちゃんは一本指を立てて言いました。
「いい、詩織。恋愛ってね、自分がいて、相手がいて、それで成り立つのよ」
「……自分がいて、相手がいて……」
オウム返しに繰り返す詩織ちゃんに、奈津江ちゃんは満足げに頷きました。
「そうよ。詩織って、相手にも完璧を求めるでしょ。それは欠点だと、あたしは思うわ」
「そう……なのかな?」
「ええ。自分が相手にとっての理想の恋人であろうとする。それは立派よ。あたしには真似できないくらいね」
くすっと笑う奈津江ちゃん。
「でもね、相手にも自分にとって理想の恋人であることを求めるのは、わがままってものじゃないかしら」
「でも、だって……」
「シャラップ」
反論しようとした詩織ちゃんの唇に指を当てて奈津江ちゃんは言葉を続けます。
「恋愛は物理じゃないのよ。こっちが尽くしたって同じように相手も尽くしてくれるってわけはないの。尽くすときは、それを覚悟して尽くさないとね」
「……奈津江ちゃんは、それでいいの?」
詩織ちゃんは聞き返しました。
奈津江ちゃんは冷えてしまったお茶を啜りました。そして苦笑します。
「偉そうなこと言ったけど、あたしだってね……。でも、そうなりたいなとは思ってるわよ」
「なぁんだ、奈津江ちゃんも……なのね」
二人は顔を見合わせて、くすっと笑いました。
奈津江ちゃんが勝馬くんを閉め出してから30分たった頃、再びドアが開きました。奈津江ちゃんが顔を出します。
「お待たせ、勝馬……。あれ? 勝馬?」
勝馬くんの姿は何処にもありませんでした。奈津江ちゃんは首を傾げました。
「勝馬ってば、何処に行ったのかな……。まさか!?」
不意に奈津江ちゃんは小さく叫びました。そして振り返ります。
「詩織! 一緒に来て!」
「どうしたの?」
聞き返す詩織ちゃんに構わず、奈津江ちゃんは靴を履きます。
「あの莫迦、先走って……。どうしてあたしの周りにはこう先走るのが多いのよ!」
「奈津江ちゃん?」
「行くわよ!」
そのまま走って行く奈津江ちゃんを、詩織ちゃんは首を傾げながらも追いかけるのでした。
「公! お友達よ!」
「へ?」
寝転がって漫画を読んでいた公くんは、お母さんの声で立ち上がりました。
「今頃、誰だろう?」
そう呟きながら、いつもの習慣で窓の外を見る公くん。正面の窓は、真っ暗です。
(あれ? 詩織のやつ、どうしたんだろう?)
玄関まで出て来て、公くんは驚きました。
「芹澤……?」
「ちょっと、話がある」
勝馬くんはそう言うと、そのまま踵を返しました。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「すぐ終わる」
そう言って、そのまま勝馬くんはすたすたと歩いていきます。仕方なく、公くんは靴を履いてその後を追いかけました。
近所の公園まで来て、勝馬くんは振り返りました。
「主人、俺がこんな事出来た義理じゃないけどさ……」
「へ?」
気が付くと、公くんの身体は地面に這い蹲っていました。頬がじんじんとしびれています。
公くんはその姿勢から勝馬くんを見上げました。
「な、何を……」
口の中に生温くてしょっぱいものが溢れてきました。公くんはそれを吐き出して、口元を拭いながら立ち上がりました。
「何を……」
勝馬くんは無言で拳を開きました。そして、公くんに話しかけました。
「藤崎はさ、多分本気だぜ。本気で、おまえが好きなんだ」
「……芹澤、おめぇにそう言われるとは思ってなかったぜ」
公くんはそう言いながら、勝馬くんに歩み寄ります。
「あれだけ詩織を傷つけたおまえから、そんなセリフが聞けるとはな……」
「だから、言うんだよ」
勝馬くんは静かに答えました。
「俺はもう、藤崎が傷つくのは見たくないんだ……」
《続く》

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