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めぐみちゃんとでぇと
第参拾伍話 楽しかった……

 時間は流れて放課後と相成りました。

 ピッ!
「ほらそこ! マークが甘いわよ!!」
 体育館では今日も奈津江ちゃんがバスケ部の練習の指揮を執っています。
 と、その奈津江ちゃんに後ろから声がかけられました。
「私も……練習したいんだけど、いいかな?」
「え?」
 奈津江ちゃんが振り返ると、詩織ちゃんが練習着に着替えて立っていました。
 詩織ちゃんは、夏からは受験勉強に専念したいと言って、選手からは引退していたはずです。
 でも、奈津江ちゃんは頷きました。
「オッケイ、それじゃそっちに入って」
「うん。ありがと」
 詩織ちゃんはにこっと笑いました。そしてコートを見回して、怪訝そうな表情を浮かべます。
「奈津江ちゃん、優美ちゃんが見えないけど……」
「ま、ちょっとね」
 奈津江ちゃんはウィンクしました。詩織ちゃんは、ははぁと頷いて、ノートに何かか書き込んでいる恵ちゃんの方をちらっと見ました。
「そういうことね」
「そ。詩織、気まぐれで来たんなら、後悔するわよぉ」
「え?」
「じゃ、リバウンド100回!!」
「きゃぁ!」
「あ~、やっぱりここにいたぁ」
 その声に、グラウンドを見おろす土手に寝転がっていた淳くんは、顔を上に向けました。
 制服姿の優美ちゃんが土手の上に立って、淳くんを見おろしています。
「よ、優美ちゃん」
 淳くんは軽く手を挙げて、起きあがりかけて止まりました。
「?」
 無邪気に見おろす優美ちゃん。
(うーん。やっぱ色気のないお子さまぱんつだな)
 苦笑して、淳くんは立ち上がります。
 優美ちゃんはとてとてっと土手を駆け下りてきました。そして、ぺこりと頭を下げます。
「戎谷先輩、ごめんなさいっ!」
「何が?」
「あのね、やっぱり朝日奈先輩をデートに誘うの、やめてくらさい」
 優美ちゃんはきっぱり言いました。
「おいおい、いきなりなんだよ」
 淳くんは肩をすくめると、優美ちゃんに言いました。
「立ち話も何だし、座れよ」
「うん」
 淳くんと優美ちゃんは並んで座りました。
「……でね、優美、鞠川先輩に怒られちゃったんです」
「鞠川らしいな」
 淳くんは笑いました。
 優美ちゃんは淳くんに言いました。
「だからね、こないだのことはなしにしよ。ね?」
「……」
 淳くんは悪戯っぽい笑みを浮かべました。
「いや、俺は朝日奈とデートするよ」
「!!」
 優美ちゃんは眼を大きく見開きました。
「だ、だって、もうデートする必要ないんだよ! 優美がもういいって……」
「ああ、優美ちゃんとは関係ない。俺がデートしたいんだから」
 淳くんはそう言うと、泣きそうになっている優美ちゃんの鼻の頭をつつきました。
「だから、優美ちゃんが泣くこと無いんだって」
「でも、でも……、いやだよぉ、戎谷先輩と十一夜先輩が別れるなんてぇ!」
「こらこら、そこまで飛躍するなよ」
 苦笑する淳くん。優美ちゃんの頭を撫でます。
「鞠川にも言われたんだろう? 他人の恋愛には干渉するなって」
「う、うん。でも……」
「これは、俺の問題だ。そうだろ?」
「だけどぉ……」
 なおも言葉を続けようとする優美ちゃんを制するように、淳くんは立ち上がりました。
「さぁて、朝日奈に会ってくるか」
「!!」
 優美ちゃんも立ち上がりました。その茶色の瞳が、決意の色に染まります。
「どうしても、れすか?」
「え?」
「どうしても、朝日奈先輩とデートするんれすか?」
「ああ」
「ならっ!」
 優美ちゃんは飛びすさって間合いを取ると、身構えます。
「優美を倒していってくらさい!」
「おいおい……」
 さてその頃。
 夕子ちゃんが鞄を持って廊下を歩いていると、後ろから好雄くんが追いかけてきました。
「おい、朝日奈!」
「……」
 無視してさっさと歩く夕子ちゃん。好雄くんはその前に回り込みます。
「待てよってば!」
「……」
 夕子ちゃんは視線を上げて好雄くんを見ます。
「なんか用?」
「いや、だから……」
「用がないなら、どいてよね、この変態」
「へ……」
 絶句する好雄くん。その脇をすり抜けようとする夕子ちゃん。
 はっと気づいて、好雄くんはその腕を掴みました。
「ちょっと……」
 きっと好雄くんを睨み付ける夕子ちゃん。その瞳に涙が溜まっているのを見て、好雄くんは慌てます。
「ま、待てよ、朝日奈……」
「あたし、誰にも見せたこと無かったんだから……」
「……え?」
「バカァッ!」
 小さく叫ぶと、夕子ちゃんはそのまま走って行ってしまいました。呆然とそれを見送る好雄くん。
 実は走ろうにも走れなかったんですけれどね。
「……畜生、愛の伝道師の俺ともあろう者が、思い出しちまったぜ……」
 男って、哀しいですね。
 さて一方、渦中の男である公くんは、図書室にやってきました。
 未緒ちゃんはいつものように文芸部の活動の一環で読書をしています。
 そんな未緒ちゃんに、公くんは声をかけます。
「如月さん?」
「は?」
 本の世界にトリップしていた未緒ちゃんは、自分を呼ぶ声に顔を上げました。隣を見ます。
 そこには、公くんが座っていました。
(主人さん!? どうして、いつの間に? もしかして、また本に熱中してしまって気が付かなかったのでしょうか? ああ、なんてことを!)
 慌てて未緒ちゃんは立ち上がります。
「ごっ、ごめんなさい! ……ああっ」
 ほら、急に立ち上がったりするから。
 未緒ちゃんは立ち眩みを起こしてよろけました。そのまま倒れかけます。
「危ない!」
 素早く立ち上がった公くん、未緒ちゃんの華奢な身体を支えます。
「あ、……ありがとう、ございます」
 未緒ちゃんはお礼を言うと、はっとして赤くなります。
 気が付くと、公くんの腕をぎゅっと掴んでいたのです。
(ああ、私ったら主人さんに何てことを……)
「いや、それはいいんだけど……。話を聞いて……」
 そこまで言いかけて、公くんは辺りの視線に気づきました。未緒ちゃんの肩を抱くようにして言いました。
「ちょっと、外で話したいんだけど、いい?」
「は、はい!」
 思わず直立不動になってお返事する未緒ちゃんでした。
 未緒ちゃんと公くんを見送って、文芸部員の一人が隣の人に話しかけます。
「おい、今の見たか?」
「あれ、あの主人公だろ?」
「とうとう部長も奴の毒牙にかかってしまったのかぁぁ」
「泣くなよ、おまえ」
「俺は認めん、断じて認めんぞぉぉ!!」
「そうだ! か弱い部長をお守りするのが我ら文芸部員のつとめ!」
「よし、今日我らが為すべきことは!?」
『肉弾幸なり!!』
 ……かなり危ないですね。
 それはさておき、公くんと未緒ちゃんは廊下を歩いていました。
 やがて、不意に公くんは立ち止まりました。未緒ちゃんもそれにあわせて立ち止まります。
 公くんは未緒ちゃんに言いました。
「電話じゃなんだから、ここで言うけど……」
 え? という表情をする未緒ちゃん。
 その未緒ちゃんに、公くんは告げます。
「あれから色々考えたけど、やっぱり君とはデートできない」
「!!」
 未緒ちゃんは眼鏡の奥の眼を大きく見開きました。そのまま後ずさります。
 トン その背中が壁に当たりました。
「ぬ、主人さん……今、何て……」
「ごめん」
 公くんは頭を下げました。
「でも、俺……」
「やっぱり……」
「え?」
 未緒ちゃんの呟きに、公くんは顔を上げました。
 未緒ちゃんはにこっと笑いました。
「いいんです。一時だけでも……夢が見られて、楽しかった……」
 と、未緒ちゃんの碧の瞳から、涙がすっと流れ落ちました。
「……如月さん……」
「ご、ごめんなさい。……ありが……とう」
 そう言うと、未緒ちゃんは駆け出しました。
「きさら……ぎ……さん」
 公くんは手を伸ばしかけ、そして止めました。床に視線を落として、呟きます。
「……これで、いいのか? これで……」

《続く》

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