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めぐみちゃんとでぇと
第参拾六話 泣いちゃ、だめだよ

(私、私……やっぱり……)
未緒ちゃんは泣きながら走っています。ほら、走る時はちゃんと前に気を付けないと……。
ドシン
「きゃっ!」
ほら、前から来た人にぶつかってしまいました。
倒れかかった未緒ちゃんを咄嗟にその人は支えます。
「おっと、ごめん。……どうしたの?」
「ごめんなさい!」
未緒ちゃん、それだけ言うと、そのまま走って行ってしまいました。
それを見送るのは、勝馬くんです。
「今の、確か文芸部の如月さん……だよな? どうしたんだろう?」
少し考えて、勝馬くんはその後を追いかけました。
さて、その頃、グラウンドの土手では。
「何を莫迦なことを……」
淳くんは苦笑して優美ちゃんの肩に手をかけようとしました。その瞬間、優美ちゃんの小柄な身体が電光のように動きます。
「ええーい! キーロックだ!」
「いててて!」
優美ちゃんは淳くんの腕をがっちりと決めています、いくら淳くんでもこれにはかないません。
「わぁー、優美ちゃん! ロープロープ!」
「あ、はい」
思わず緩めてしまう素直な優美ちゃん。淳くんは飛び起きると、脱兎のごとく逃げ出します。
「ああーっ、戎谷先輩ずるぅい!!」
追いかける優美ちゃん。淳くんとは普段からの鍛え方が違います。あっという間に追いつきかけました。
淳くん、咄嗟に叫びます。
「あ! 主人だ!!」
「そんなのになんか騙されませんよぉ……」
不意に優美ちゃんは立ち止まりました。淳くん、少し行きすぎてからそれに気付きます。
「?」
優美ちゃんの視線を追って目を走らせる淳くん。
廊下の窓越しに、男の子と女の子が話をしているのが見えます。
淳くんは呟きました。
「主人と……片桐……」
「……ごめん」
公くんはもう一度頭を下げました。
彩子ちゃんは微かに笑みを浮かべて首を振りました。
「ノンノン。もういいのよ」
「でも、俺が……」
なおも言おうとする公くんを制して、彩子ちゃんは言いました。
「如月さんが待ってるんでしょう?」
「……は?」
公くんは思わず聞き返しました。
「……片桐さん、どうして如月さんが出てくるの?」
(如月さんが電話してきたのを片桐さんが知ってるわけないのに……)
彩子ちゃんは腕を組みました。
「何言ってるのよ。あなたが選んだんでしょう? ミーと藤崎さんを前にして、『俺は如月さんとデートするんだぁー』ってシャウトしてたくせに」
「……なんですって?」
公くん、目がうつろになっています。
「誰がそんなことを?」
「あなたがあたしの目の前ではっきり言ったじゃない」
「……」
がくりと公くんは膝を付きます。
「俺……、如月さんとデートの約束をしてたのか……」
「ちょっと、主人くん? 今更何を……」
「ごめん!」
公くんは立ち上がると、彩子ちゃんをその場に残して廊下を爆走していきました。
取り残された彩子ちゃん、きょとんとしています。
「ホワット、なんなの、一体?」
公くんは廊下をひたすら走ります。
(なんてこった! 如月さんのデートの約束を俺はもう受けてたのか!? それじゃ、話は別だぞ! ……ちょっと待て!)
急ブレーキをかけて止まる公くん。顎に手を当てて考え込みます。
(だからって、さっきのは無かったことにしよう。やっぱり君とデートするよ、なんて言うのか? いや、それは如月さんさらにを傷つけるだけじゃないのか? 俺は、
俺は……)
「俺は一体どうすればいいんだ!? 教えてくれタイガージョー!!」
思わず叫ぶ公くんでした。
廊下の突き当たりで、未緒ちゃんは立ち止まりました。行き止まりの壁に手を突いて、その場にうずくまります。
その瞳から流れ落ちる涙が、眼鏡を伝って床に落ちます。
「うっ……、ひっく……」
微かな嗚咽が聞こえてきます。
あとからあとから涙はあふれて止まりません。
(いっそ、私の身体も溶けて流れてしまったらいいのに……)
「……如月さん?」
遠慮がちな声が聞こえました。未緒ちゃんはびくっとして振り返りました。
勝馬くんが心配そうに屈み込んでいます。
「大丈夫?」
その瞬間、未緒ちゃんはその場に倒れかかりました。慌てて勝馬くんは未緒ちゃんを支えて顔をのぞき込みます。
「如月さん!? 如月さん!!」
その声が次第に遠くなっていくのを、未緒ちゃんは他人事のように感じていました。
「貧血ね」
未緒ちゃんをベッドに寝かせながら、保健室の先生は言いました。そしてため息を付きます。
「しかし、最近多いわねぇ」
「え?」
聞き返す勝馬くんに、先生は苦笑しながら答えました。
「泣きながら貧血起こす女の子よ」
「はぁ……」
「さて、と……」
先生は、机から一冊のノートを取って、ぱらぱらとめくります。
「如月未緒、如月未緒っと……。あったあった。ええと、藤崎詩織か虹野沙希かぁ……。この場合は虹野さんの方がいいかしらね」
保健室の先生の極秘ノート、通称館林ノートには、校内のありとあらゆる交友関係が克明に記されているという噂です。その情報の正確さは、あの好雄メモに匹敵するとまで言われています。
「?」
首を傾げる勝馬くんに先生はノートをパタンと閉じて言いました。
「ちょっと虹野さんを呼んできて欲しいの。たぶんサッカーグラウンドにいると思うから」
「虹野さん?」
勝馬くんは微かに顔をひきつらせながら聞き返しました。昔サッカー部に勧誘された事があってから、虹野さんのことは何となく苦手のようです。
先生はそんな勝馬くんの事情の事なんて知らんぷりで急かします。
「ほら、早く早く」
「でも、今はサッカー部も部活中じゃないんですか?」
「如月さんが倒れたって聞けば飛んでくるわよ。ほらほらぁ」
「わかりましたよ」
肩をすくめて保健室を出ていく勝馬くんでした。
さて、その頃。
公くんはすっくと立ち上がりました。
(こうしてても仕方ない。とりあえず詩織に逢って、きちんと言おう。日曜日は詩織とデートしようって)
と、
「あ、あの……」
後ろからか細い声が聞こえました。公くんは振り向きます。
「美樹原さん?」
めぐみちゃんは、両手を組んで、俯いていましたが、不意に顔を上げました。
「あっ、あのっ、主人さん!」
「は、はい!」
思わず直立不動になる公くん。
そんな公くんに、めぐみちゃんは勇気を振り絞って言うのでした。
「あの、よ、よかったら、その、……一緒に帰りませんか!?」
それだけ言うと、また真っ赤になって俯いてしまうめぐみちゃん。
そんなめぐみちゃんを見ながら思いを巡らす公くん。
(愛ちゃんがここまで言うなんて、すごい勇気がいったんだろうなぁ。ここは男としてはその勇気に誠意を持って答えなければならないだろう)
「いいよ、一緒に帰ろう」
公くんは笑って答えました。めぐみちゃんも緊張していたお顔をほころばせました。
「よかったぁ。断られるかと思ってドキドキしちゃった」
「そんなことするわけないだろ?」
そう言うと、公くんは鞄をかつぎ上げました。
「じゃ、帰ろうか?」
(詩織には、夜にでも電話すればいいか)
そう考える公くんでした。
並んで廊下を歩いていく二人。そんな二人を曲がり角の陰からじっと見つめながら、見晴ちゃんは呟くのでした。
「……よかったね、愛ちゃん……」
笑顔の見晴ちゃんのほっぺたを、光るものが転がり落ちていきます。
「……あれ? 嬉しいはずなのに、どうして涙が……」
見晴ちゃんは、目を手の甲で拭いました。
「泣いちゃ、だめだよ。……泣いちゃだめだよ、見晴。だって、愛ちゃんが幸せなんだよ。だから、泣いたりしちゃ……泣いたりしちゃ……だめなんだよ……」
その場にじっと立ち尽くす見晴ちゃん。その足下には、小さな水たまりがいつしか出来ていました。
《続く》

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