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めぐみちゃんとでぇと
第参拾八話 やってみせますっ!

 めぐみちゃんと公くんは、仲良く並んで帰り道を歩いていました。
 めぐみちゃんは頬を染めて、俯いてゆっくり歩いています。公くんはそんなめぐみちゃんに歩調をあわせています。
「美樹原さん」
「はっ、はいっ!」
 緊張しているせいか、思わず声を上げてしまうめぐみちゃん。そんなめぐみちゃんに苦笑しながら、公くんは訊ねました。
「美樹原さんは、帰ったらいつも何をしてるの?」
「あの、ムクの世話とか、宿題とか……」
 “ムク”という名を聞いた瞬間、公くんの顔に殺気が走りましたが、俯いていためぐみちゃんは幸いにしてそれには気付きませんでした。
(ど、どうしよう。公さんにつまらない娘と思われちゃったかも……)
「そうなんだ。美樹原さんって本当に動物が好きなんだね」
 上がり症で口べたなめぐみちゃんのことを思いやって、公くんはめぐみちゃんの得意な分野に話を振ります。
 めぐみちゃんの顔がほころびます。
「は、はい、そうなんです」
「どんな動物が特に好きなの?」
 更に訊ねる公くん。めぐみちゃんは少し考えましたが、にこっと笑って答えました。
「ムクです」

 シャーッ
 体育館の女子更衣室備え付けのシャワールーム。昔はここを覗く不届きな男子生徒が後を絶ちませんでしたが、一昨年紐緒さんが300kwのルビーレーザーと連動したセキュリティシステムを備え付けて、それを知らなかった当時の野球部員が失明しかけるという騒ぎ以来、男子禁制の乙女の園となったのでした。
 今、そこでは練習が終わったバスケ部の女の子達が汗を洗い流しているところでした。
 キュッ
 奈津江ちゃんは、栓をひねると、シャワーの流れにその健康的な肢体をさらしました。
「ふぅ。生き返るわねぇ……」
 と、お隣でシャワーを使う音がします。奈津江ちゃんは仕切りごしに話しかけました。
「で、どうしたの? 詩織」
「うん……」
 詩織ちゃんは、熱い奔流に身を浸しながら、ぼんやりとした返事をします。
 奈津江ちゃんは汗を流しながら言いました。
「無理には聞かないけど。でも、話した方が楽になるわよ」
「……あのね……」
 詩織ちゃんは話し始めました。めぐみちゃんとのことを。
 全てを話し終わってから、詩織ちゃんはポツリとつけ加えました。
「……やっぱり、未練がましいのかな……。先週如月さんにも言われたのに……」
「うーん」
 奈津江ちゃんは、シャンプーで髪を泡立てながら答えました。
「難しいわね。私の時は、恵が勝馬から離れてったから、友達のままでいられたんだけど……。そうなっちゃうとね……。あたしも、あくまでも恵が勝馬と付き合うんだって言い続けてたらどうなってたかわかんないし……ね」
「奈津江ちゃん……」
「詩織、もね」
 奈津江ちゃんは、シャンプーの泡を流しながら苦笑しました。勝馬くんを巡ってこの3人は一時三角関係と騒がれたこともあったのは、皆さんも周知のとおりです。
「……ごめんね、奈津江ちゃん……」
「もういいってば」
 奈津江ちゃんは笑って答えると、キュッとシャワーを止めます。そして、仕切りに引っかけておいたスポーツタオルを取ると、髪をごしごしと拭き始めます。
「それよりも、美樹原さんのことよねぇ……。やっぱりここは、詩織も主人くんを見習って美樹原さんを追いかけ回すしかないかもね」
「公くんみたいに?」
「そ。今にして考えてみたら、主人くんも結構すごいのよね。あれだけみんなの噂になっても、そんなことは見向きもせずに美樹原さんに……」
「でも、その割には私や古式さんとデートの約束したりしてたんだけどね」
 詩織ちゃんは苦笑気味に言うと、長い髪をざっと振りました。お湯の飛沫が蛍光灯に反射してきらめきます。
「だけど、それしかないのかなぁ……」
「あるいはこのまま友達付き合いをやめちゃうとか」
「奈津江ちゃん!」
 詩織ちゃんの声音に、「おおこわ」と肩をすくめて、奈津江ちゃんは人差し指を立てました。
「もう一つは、詩織が主人くんをきっぱりと諦める……」
 スパァァン
 小気味良い音がして、奈津江ちゃんは鼻を押さえてその場にうずくまります。
「ひ、ひほりぃ、ほほにほんなのほっへはのほぉ(し、詩織ぃ、どこにそんなの持ってたのよ)」
 鼻を押さえているせいで、奈津江ちゃんの声が聞き取りにくくなっています。
 詩織ちゃんは、右手に持っているものを一振りして水飛沫を落としました。
「心配しないで、耐水ペーパー製だから濡れても大丈夫よ」
「いや、あたしが言ってるのは……」
「うふふふ、この手触り、もう最高〜」
 詩織ちゃん、それに頬ずりしながらにまぁっと妖しい笑みを浮かべました。奈津江ちゃんは肩をすくめました。
「こりゃあかんわ」
「先生! どういうことなんですか!?」
 こちらは保健室。沙希ちゃんはベッドからこちらが見えないことを確認してから、小声で先生に食って掛かりました。
「なぁに、虹野さん?」
「どうしてあたしが如月さんに人工呼吸しなくちゃいけないんですか? 如月さん溺れたってわけじゃないでしょう?」
「ちっちっち」
 先生は指を振りました。そして、腕を組みます。
「愚かな。さてはあなた、人工呼吸の本当の意味を勘違いしてるんじゃないの?」
「……本当の意味ですか? だって……」
 沙希ちゃんの言葉を遮るように、先生はきっぱりきっぱりと言いきりました。
「たしかに、人工呼吸は単に自発呼吸が出来なくなった人に対してそれを促すために行うものでしかなくなってるわ。虹野さんが勘違いするのも無理はないわ」
 そこで一旦言葉を切ると先生は沙希ちゃんをきっと見つめます。
「だがっ!! だがしかしっ!!」
「!」
 その奇妙な迫力に思わず居住まいを正してしまう沙希ちゃんに、先生は言い放ちます。
「本来、人工呼吸というものはすなわち献身。己の呼吸すべき空気を分け与えてまで相手に生きてもらおうという、すなわち己の魂を賭けた献身の事なのよ! 今、如月さんの魂は傷ついているわ。それを少しでも癒す、それには己の魂を賭けること。そのもっとも美しい形がすなわち人工呼吸なのよ!!」
 沙希ちゃんは、思わず二、三歩よろめいてさがりました。
「そ、そうですね……、確かに先生の言うとおりです。私が間違っていました!」
「ふっ。わかればそれでいいのよ」
 先生はにっこりと笑いました。
「で、でも、私、その……」
「んー、どうしたぁ、にじのぉ?」
 先生は沙希ちゃんの顔をのぞき込みました。
 沙希ちゃんは俯くと、真っ赤になって小声で言いました。
「あ、あたし、まだ……なんです」
「なんだぁ、赤飯前?」
「違います! ちゃんと……あ、そうじゃなくて……」
 沙希ちゃんはさらに真っ赤になると、ぼそぼそと言いました。
「キスしたこと、ないんです……」
「なぁんだ、そんなこと」
 先生はそう言うと、沙希ちゃんの顎に手を当てました。
「え?」
「にじのさぁん、かわいいわ……」
 沙希ちゃんは、ぴくりと身を強ばらせました。そして……。
 ここは科学部室。今日も今日とて結奈さんは何やら実験しています。
 遠大な計画を持っている結奈さん、そういつも公くんの分析ばっかりやってるわけではないようですね。
 真面目なお顔で、試験管にスポイトを突っ込んで、なにか垂らしています。
「ここで、テトラヒトロドキシンを2cc……っと」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!」
「わっ」
 ガシャァン 不意に響きわたった悲鳴に、思わず試験管を取り落としてしまった結奈さんは、悪態をつきながら、屈み込みました。
「まったく、驚くじゃないの」
 そう呟くと、結奈さんは屈み込んで、試験管の欠片を拾い集めます。
 と。
「あ痛っ」
 不意に結奈さんは指を引っ込めて押さえました。その指から真っ赤な血が流れます。
 結奈さんは舌打ちしました。
「ドジね、私も……」
 体を起こして机の上を見回して、もう一度舌打ち。
「バンドエイド、切らしてたかしら」
 とりあえず、机の上にあった手術用の糸で指を縛ると、結奈さんはさっさと保健室に向かって歩き出しました。
 先生は、ぺろりと唇を舐めると、その場にぺたりと座り込んでしまった沙希ちゃんを見おろしました。
「これで文句はないでしょ?」
 沙希ちゃん、虚ろな目つきでぶつぶつと呟いています。
「あたしの、あたしのファースト……がぁ……、そんなぁ……」
「人工呼吸だってば」
 笑う先生。
「……あああー」
 沙希ちゃんはそのまま頭を抱えてしまいました。が、不意にすっくと立ち上がります。
「……やります」
「お?」
「こうなったら、ヤケよっ! やってみせますっ!!」
「よーし、その意気だっ!!」
 ばっと扇子を広げて応援する先生。ご丁寧に扇子には日の丸が描いてあります。
 沙希ちゃんは、つかつかとベッドに近づきました。そして、間仕切りを開きます。
 ベッドから半身を起こした未緒ちゃんは、今の騒ぎにも無関心のようで、じっと毛布を掴んでいます。
 そんな未緒ちゃんを見ると、沙希ちゃんはきゅんと胸が痛くなるのを感じます。
(如月さん。あたしがいま、元気をあげるね!!)
 ゴクリ 生唾を飲み込んで、沙希ちゃんはベッドサイドの椅子に腰掛けました。
 ドキドキドキ 心臓が大きく鳴っています。
 大きく深呼吸して、沙希ちゃんは未緒ちゃんの肩にそっと手を置きました。
「虹野……さん?」

《続く》

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