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めぐみちゃんとでぇと
第伍拾話 もうすこし、いろよ
「……で、優美ね、朝日奈先輩の顔見たら何も言えなくて……グスン」
優美ちゃんは奈津江ちゃんに説明して、また鼻を啜りました。
「もう、お兄ちゃんと朝日奈先輩、このまま別れちゃうのかな?」
「うーん」
奈津江ちゃんと勝馬くんは顔を見合わせました。
それから、奈津江ちゃんは優美ちゃんに言います。
「こればっかりは……ねぇ。あたし達が下手に手を出すと余計にこじれちゃうかもしれないし……」
「間違いなくこじれるな」
断定する勝馬くん。
「ちょっと、勝馬!」
「ふぇ、そんなぁぁ。そんなのヤダよぉぉ」
またびええーんと泣き出す優美ちゃん。奈津江ちゃんは思いきり勝馬くんの腕をつねってから、優美ちゃんをあやしにかかります。
「よしよし。優美ちゃんが思うほど簡単に壊れるような仲じゃないって」
そう言って、また何か言おうとした勝馬くんを睨む奈津江ちゃん。
勝馬くんは、口にチャックをかけておくことにしました。
めぐみちゃんは、お話ししているうちに涙ぐんでいました。
「主人さん、昨日『詩織とはなんでもないよ』って言ってたのに……、それなのに、あんなことって……」
「まぁ、そうだったんですか。それは大変でしたねぇ」
ゆかりちゃんはにこにこしながら頷きます。その隣では、見晴ちゃんが石化していました。
(そんなぁ……。藤崎さんと主人さんの仲がそこまで進展してたなんて……、嘘よ、誰か嘘だって言って。お願いよぉぉ、お月さまぁ。るるるー)
「もう、もう詩織ちゃんも主人さんも信じられない。私、私……」
「美樹原さん」
ゆかりちゃんは、めぐみちゃんに言いました。その口調が、今までと微妙に違うのに気付いためぐみちゃん、顔を上げます。
いつもは糸のように細めているゆかりちゃんの目が、そのとき大きく見開かれていました。葡萄色の瞳が、めぐみちゃんの薄茶色の瞳を映します。
ゆかりちゃんは、静かに言いました。
「軽々しく、人を信じないなんて言わないでいただけないでしょうか?」
「……古式さん……」
「美樹原さんは、藤崎さんや主人さんのことを、信じていたわけでしょう? ですから、裏切られたと思っていらっしゃるのですね。ですが……」
ゆかりちゃんは、一旦言葉を切ってめぐみちゃんを見つめました。
「一度信じたら、何処までも信じてさしあげる。それが本当の親友というものではないのでしょうか?」
「本当の……親友?」
「わたくしは、そう思っております」
そう言ってから、ゆかりちゃんは目を細めて微笑みました。
「出すぎたことを申しまして、お気に障られたらごめんなさい」
「……いいえ」
めぐみちゃんは首を振りました。そして、微かに微笑みました。
「……そうですね」
と、ドアをノックして、めぐみちゃんのお母さんが顔を出しました。
「愛、電話よ。主人さんとおっしゃる方から」
「主人さんから?」
思わず聞き返して、めぐみちゃんはゆかりちゃんをちらっと見ました。
ゆかりちゃんはにっこり笑って頷きます。
それを見てから、めぐみちゃんはお母さんに言いました。
「すぐ行きます」
「もしもし、美樹原です」
「あ、美樹原さん? 俺、主人公だけど……」
「あ、はい」
公くんは息を整えてから、受話器に向かって言いました。
「あのさ、俺の言うことを聞いて欲しいんだけど……」
「……はい」
「あの、今日のことだけど、あれは全部俺のせいなんだよ。俺がたまたま見舞いに行って、ちょっと悪ふざけしてたところに美樹原さんが来たんで、その、美樹原さんが思ってるような事なんかじゃないんだよ」
「主人さん……」
「だから、詩織は全然悪くないんだ。俺がそれで嫌われるのならそれでもいいけど、詩織には……」
「あの……」
公くんの必死の弁明を遮って、めぐみちゃんは言いました。
「美樹原愛は救われました」
「……はい?」
思わず聞き返す公くん。
めぐみちゃんは微笑みながら、そっと告げます。
「お休みなさい、主人さん」
「あ、お休み」
プツッ
電話が切れて、公くんは唖然としたまま受話器を持って立ち尽くしていました。
「……美樹原さんといい、詩織といい、どうしてみんな訳の分からないこと言うんだよぉ……」
その頃、好雄くんはアドレスブックをめくりながら、電話機の前に陣取っていました。
「もしもし……。あ、鞠川さんのお宅ですか? わたし、鞠川さんの同級の早乙女好雄と申しますが、鞠川さんはご在宅でしょうか? え? あ、いないんですか。それでは結構です。夜分遅く、どうも失礼しました」
ピッ
電話を切ると、好雄くんはアドレスブックをぱらぱらめくりました。
「あと、優美の行きそうなところは……。まさか、あいつの……。まさかなぁ……」
そう呟くと、アドレスブックを閉じる好雄くん。
「何処に行ったんだよ、優美……。まさか!?」
好雄くん、電話を掴みなおして、短縮の1番を押します。
トルルル、トルルル、トル……ピッ
「はい、朝日奈です」
「あ、俺、好雄」
「……」
「そっちに優美が行ってないか?」
受話器の向こうで黙り込む夕子ちゃんの様子には拘泥せずに、好雄くんは訊ねました。
「……来てない」
無愛想に答える声を聞いて、好雄くんはがっくりと肩を落とします。
「そっか。じゃ、切るぞ」
「チョイ待ち! 優美ちゃんがどうしたん?」
「帰って来ねぇんだよ」
「マジ? あっちゃぁ、あのせいかな?」
「何か心当たりがあるのか!?」
思わず受話器を掴み直して叫ぶように訊ねる好雄くん。
夕子ちゃんは頬に指を当てます。
「あのさ、公園を出たとこで、優美ちゃんに捕まったんよ。だけど、そこで別れたよ」
「そっか……。行き先に心当たりはねぇか?」
「あたしにあるくらいの心当たりは、もう捜してんでしょ?」
そう言うと、夕子ちゃんは考え込みました。
「もしかしたら、ゲーセンかどっか行ったのかな?」
「繁華街か!? よし、サンキュー、朝日奈!」
そのまま受話器を置こうとする好雄くん。
そのとき、夕子ちゃんは叫んでいました。
「チョイ待ち! あたしも行くよ!!」
「ごめん!」
駅前の時計の下で好雄くんが待っていると、自転車に乗って夕子ちゃんが走って来ました。
「遅くなっちゃった!」
「まず、スポットから行くぜ」
夕子ちゃんには答えずに、好雄くんは足早に歩き出します。夕子ちゃん、ちょっと頬を膨らましながらも、自転車を押してその後を追いかけます。
「よっしー、ちょっと待ってよ!」
「好雄くんと朝日奈さんのことは、きっと大丈夫だって」
ポンポンとあやすように優美ちゃんの背中を叩きながら、奈津江ちゃんは言いました。
「もう5年以上付き合ってるんでしょう?」
「そうれすけど……」
まだグスングスンと鼻を啜りながら、優美ちゃんは奈津江ちゃんの顔を見上げました。
「でも、でも……」
「それにね、酷な事言うみたいだけど、これくらいで別れちゃうようなカップルなら、優美ちゃんが何もしなくても、遅かれ早かれ別れちゃってるわよ」
「……そうなんれすか?」
聞き返す優美ちゃんに、奈津江ちゃんは頷きます。
「そうよ」
「それに、そんな心配することもないみたいだぜ」
奈津江ちゃんに口止めされて、する事もなく窓から外を見ていた勝馬くんが不意に言いました。
「え?」
思わず聞き返す二人に、勝馬くんは親指でちょいちょいと下を指します。
奈津江ちゃん達は、窓に駆け寄りました。
下を歩いているのは、好雄くんと夕子ちゃんでした。
「ホントにここにいるのか?」
「だって、繁華街にはいなかったっしょ? それに大体の所はよっしーが電話で捜したんだし。そしたらもうここしかないじゃん」
「確かにここは捜してなかったけどよ。でもまさか……」
優美ちゃんは、ガラッと窓を開けると大声で叫びました。
「お兄ちゃん! 朝日奈先輩!」
「優美!!」
好雄くんは窓を見上げました。
「やっほー!」
「な、なにがやっほーだ、この莫迦! さっさと降りてこい!」
「へへー」
優美ちゃんは笑いました。その頭をポンと勝馬くんが叩きます。
「よかったね、優美ちゃん」
「迷惑かけたな、芹澤、鞠川さん」
「いいって」
勝馬くんは笑うと、手を振りました。
「んじゃな。優美ちゃん、あまり好雄に迷惑かけるなよ」
「うん、そうする」
優美ちゃんは頷きました。そして、歩きだそうとして振り返ります。
「ほら、お兄ちゃん、朝日奈先輩。行くよ」
「ったく」
好雄くんは溜息混じりに歩き出しました。そして、夕子ちゃんも苦笑しながら、自転車を押してその後に続きます。
3人を見送ってから、奈津江ちゃんはふぅとため息をつきました。
「毎日毎日、大変だわ。ホント。それじゃね、勝馬」
「もう帰るのか?」
「うん。疲れちゃったし……」
その時、勝馬くんは自分でも思ってもみなかった事を口に出していました。
「もうすこしいろよ、奈津江」
そして、奈津江ちゃんも自分でも信じられないような返事をしていたのです。
「……そうね。そうするわ」
二人はお互いに驚いた顔を見合わせ、そしてくすっと笑いました。
優美ちゃんが先にさっさと歩き、そしてその後を好雄くんと夕子ちゃんが並んで歩く、という順番で、3人は帰り道を歩いていました。
やがて、夕子ちゃんが立ち止まります。
「それじゃ、あたしこっちだから」
「お、そうか。すまんな、付き合わせちまって」
好雄くんは笑って答えました。
と、突然、夕子ちゃんは真顔で言いました。
「ごめんね、よっしー」
「え?」
「公園でのことよ」
「あ……」
好雄くんははっとします。
「朝日奈……」
「あのさ、あたし……あれから考えたんだけど、やっぱ、何て言うかぁ……」
「?」
夕子ちゃんは自転車にまたがると、ペダルをぐいっと踏みました。そして言います。
「好雄くんって、友達よね」
「そっか……」
改めて言われて、肩を落とす好雄くん。その好雄くんの耳元を、夕子ちゃんの笑みの含まれた声が通りすぎていきました。
「まだ、ね」
「え?」
聞き返そうとしたときには、夕子ちゃんの自転車は走り出していました。微かに声が聞こえます。
「じゃ、またねー、よっしー!」
「……そっか」
ぐっと拳を握って、好雄くんは頷きました。
その横っ腹に肘を叩き込みながら、優美ちゃんは笑いました。
「お兄ちゃん、嬉しいのはわかるけどぉ、道の真ん中でにやけるのはやめてよぉ」
《続く》

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