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めぐみちゃんとでぇと
第伍拾弐話 見晴さんの意地悪

「なかなかいい香りね」
 保健室では、先生がうっとりとコーヒーの香りを楽しんでいました。
「はい。私の家から持ってきた、ブラジルから直輸入したモカ・ブレンドですから。お口に合えばいいんですが」
 先生の前には、きらめき高校の生徒なら知らぬ人はいないという有名人が座っています。
 先生は、くすっと笑いました。
「それにしても、大変ね。家訓とは言っても……」
「先生にはいろいろとお世話になってますから」
 曖昧な笑みを浮かべて、その人……伊集院レイ“くん”は、立ち上がります。
「まぁ、仕方ないわよ。あ、これ読む?」
 こちらは屈託のない笑みで、先生は本立てに挟んであった薄い本を取って、レイくんに差し出します。
 何気なく受け取って、レイくんはぴしっと凍り付きました。
「こ、これは……」
「『公くんレイ様シリーズ最新刊、いけない初詣・縄はダメ』よ(はぁと)」
「あ、あのですね……」
 後頭部に大汗をかいて、レイくんはそれを開きました。
「こ、こんなものを……。ふむふむ……」
 と。
 いきなりノックもなしにドアがばぁんと開けられました。
「うわっ!」
 思わず飛び上がり、レイくんは振り返りました。
「なななな、なにかね庶民の君たちはっ!?」
「せんせー!! 急患れす!」
 飛び込んできたのは優美ちゃんでした。慌てふためくレイくんには目もくれずに先生に駆け寄ります。
 おや、その背中に誰か背負ってますねぇ。
「あら、藤崎さんじゃない……」
 軽い調子で言いかけて、先生は眉をひそめました。
「どうしたの、藤崎さん! 返事できる!?」
「は、はい……」
 荒い息をつきながら、詩織ちゃんはか細い声で答えました。その額には、びっしりと汗が浮かんでいます。
「とにかく、そっちの診察用ベッドに寝かせて。伊集院くん、手伝ってあげて」
 そう言いながら、先生は手早く診察器具の用意をはじめました。
「は、はいれす」
「判った」
 そのただならぬ様子に、優美ちゃんとレイくんは詩織ちゃんをベッドに寝かせます。
 先生は、レイくんの方を見ました。
「今から診察するから、ごめんなさいね」
「……ああ」
 頷いて、レイくんは保健室から出ました。そして、ドアを閉めます。
 保健室からは優美ちゃんの悲痛な声が聞こえてきます。
「藤崎先輩、しっかりしてくらさい! 傷は浅いれす!!」
 レイくんはドアに寄り掛かって、呟きました。
「そうだな、ボクは男、だからな……」
 そして、少し頬を赤らめて、持っていた小冊子を開いて読みふけるのでした。
「す、すごい。こんなことまで……」

 パコォン
「あっ!」
 ゆかりちゃんの打った球が、見晴ちゃんとめぐみちゃんのちょうど中間に落ちました。
 審判のみゆきちゃんがさっとゆかりちゃんの方に手を向けます。
「ゲームセット! ウォンバイ古式ゆかり」
「あちゃー、また負けちゃった」
 見晴ちゃんは天を仰ぎました。それからネットに駆け寄ると、ゆかりちゃんと握手します。
「でも、昨日よりはマシになったよね」
「第1セット3−0、第2セット3−0、第3セット3−0。ストレートじゃないですか」
 笑いながら審判台から降りてきたみゆきちゃんが言いました。見晴ちゃん、ぺちんと額を叩きます。
「きっついなぁ、みゆきちゃんは」
「あらぁ、連尺さんとお知り合いですか?」
 ゆかりちゃんが訊ねました。見晴ちゃんは頷きます。
「だって、みゆきちゃんは美鈴のクラスメートだもん。ねぇ?」
「はい、そうなんです」
 みゆきちゃんは頷きました。そのみゆきちゃんの耳に口を寄せると、見晴ちゃんは囁きました。
「そういえば、彼とは上手く行ってるのぉ?」
「なっ!」
 ポンと真っ赤になるみゆきちゃん、見晴ちゃんに聞き返します。
「ど、どうして知ってるんですか!?」
「美鈴に聞いたもん」
 見晴ちゃんはにたぁっと笑いました。
「で、どうなの?」
「将くんとは何でもありませんっ!」
 大声で言ってから、みゆきちゃんははっと口に手を当てました。
「あ、あの、だから……」
「まぁ。連尺さんは、将さんが好きだったのですか? お似合いだと思いますよ」
 ゆかりちゃんはにっこりと笑いました。みゆきちゃんはおろおろします。
「だ、だから、そうじゃなくて、その……。見晴さんの意地悪」
「まぁまぁ」
 見晴ちゃんは笑いました。と、その見晴ちゃんに後ろから忍び寄る影があります。
 見晴ちゃんとよく似た色の髪を、前髪だけ残して左右にひっつめて、可愛らしいお団子にしている女の子です。
 その娘は悪戯っぽく笑うと、見晴ちゃんに後ろから囁きます。
「藤崎さんのお腹には、もう主人さんの子供が……」
 ピキィン
 瞬時に固まる見晴ちゃん。
 みゆきちゃんはその娘を見て声を上げました。
「みっちゃんじゃない」
「3月14日、ホワイトデー生まれの身長151センチ、スリーサイズは勘弁ね。いつも明るく元気な娘、館林美鈴只今参上! みんな、みっちゃんって呼んでね!」
 ぴしっと指を額に当ててポーズを取る女の子、見晴ちゃんの妹の2年C組、館林美鈴ちゃんです。
「ところで……いいの?」
 みゆきちゃんは美鈴ちゃんに尋ねました。
「え? 何が?」
「だって……」
 おずおずと指す先には、真っ白になった見晴ちゃんが。
「いいのいいの。水でもかければ元に戻るわよ」
 笑って美鈴ちゃんはみゆきちゃんの肩をぽんぽん叩きました。
 その頃、中庭では、3人の女の子がお弁当を囲んでいました。
 プラスチックのフォークを口にくわえて、沙希ちゃんは訊ねました。
「ねぇ、本当にこれでいいのかな、片桐さん」
「ノンノン。アーヤって呼んでほしいな」
 と、こちらはサンドイッチをぱくつきながら答える彩子ちゃんです。
「まぁ、このアヤコ・カタギリ・プロデュースの作戦なら大丈夫。変な噂なんてのは、逆手に取っちゃえばいいのよ」
「そうかなぁ? 如月さんはどう?」
「私は、別に構いませんよ」
 こちらは笑いながら答える未緒ちゃん。
「虹野さんのお弁当は美味しいですし」
「あ、ホント? 嬉しいな」
 にこにこ笑う沙希ちゃん。やっぱり誉められると嬉しいみたいですね。
 未緒ちゃんは、卵焼きを食べながら言いました。
「ええ。この卵焼きにしても、柔らかい歯ごたえ、噛むと口の中に広がる芳醇な出汁、これは……!」
 眼鏡の奥で目を見開く未緒ちゃん。
「卵に何か隠し味を入れていますね!? この微かに舌を刺すようなこの味は、ずばりフレンチ・ビネガーと見ましたが?」
「そう! 良くわかったね!」
 沙希ちゃん、思わず未緒ちゃんの手を取ってぶんぶん振りました。
「わかってくれるなんて思わなかったな! 如月さんってお料理詳しいんだ」
「私なんてまだまだですよ」
 笑いながら答える未緒ちゃん。その脇で、彩子ちゃんは複雑な笑みを浮かべていました。
「うーむ、如月未緒侮り難し、ねぇ」
 そして、沙希ちゃんはこっそりと、胸の奥で呟くのでした。
(でも、どうせなら、公くんに食べて欲しかったな……)
「……っくしゅん!」
 自宅で寝込む公くん、不意にくしゃみをしました。
 脇にいたお母さんが笑います。
「誰かに噂されてるな?」
「そんなこと無いって」
 公くん、苦笑します。少しはお腹の調子も良くなったみたいですね。
 その頃、保健室では。
「とりあえず大丈夫よ。この薬を飲ませたから」
 先生は優美ちゃんに茶色の薬瓶を見せました。
「何の薬なんれすか?」
「これ? 万能胃腸薬よ」
「何にでも効くの? そんなお薬、優美も欲しいな。あ、でもまさか……」
「なぁに?」
「それって、噂のY−Specialって奴れすか?」
 思わず後ずさりする優美ちゃんに、先生は苦笑しました。
「違うわよ。ほら」
 先生は、ぱかっと蓋を開けました。途端に優美ちゃん、顔をしかめます。
「何の薬かわかりましたれす」
「わかった? まぁ、とりあえずこれを飲ませておけば大丈夫よ」
 笑う先生。でも、本当にそれで良いんでしょうか?
 公くんのお母さんは、公くんに笑いかけました。
「まぁた。この女泣かせがぁ。最近色々手を出してるみたいじゃない」
「やめてくれよ……っくしゅん」
 もう一度くしゃみして、公くん鼻を掻きます。
「あれ? ……っくしゅん、くしゅん、くしゅん」
「……止まらなくなったわねぇ?」
 面白そうに公くんを見るお母さんです。
 そして保健室の奥のベッドでは……。
「うーん……。公くん、公くん、公くぅん……」
 うなされている詩織ちゃんでした。

《続く》

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