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めぐみちゃんとでぇと
第伍拾四話 ご想像にお任せします

「あ。いたいた。捜したよぉ」
 鞄を持って教室を出たところで、詩織ちゃんは声をかけられて、「え?」と振り返りました。
 夕子ちゃんが駆け寄ってきます。
「あら、朝日奈さん。どうしたの?」
 普段あまりお付き合いはありませんが、名前くらいは知ってます。詩織ちゃんは夕子ちゃんの方に向き直りました。
 夕子ちゃんは詩織ちゃんに話しかけました。
「ちょっと話があるんだけどさ、いいかな?」
「え? 私に?」
 思わず自分を指さす詩織ちゃんに、夕子ちゃんは屈託なく笑いかけました。
「いいじゃん。今日主人くんもお休みなんだしぃ」
「ちょ、ちょっと。どうしてそこで公くんが出てくるのよ」
 ちょっと赤くなった詩織ちゃん。可愛いですね。

「え? 私が?」
 夕子ちゃんに連れてこられた音楽室で、詩織ちゃんは淳くんと弾くんに事情を説明されて、困った顔をしました。
「久我くんには文化祭の時の恩もあるから、協力したいのはやまやまなんだけど……」
「やっぱ、ダメかぁ」
 ため息混じりに肩を落とす淳くん。
 と、夕子ちゃんがちょいちょいと詩織ちゃんを招きます。
「ちょっと耳貸して」
「え?」
 言われて耳を夕子ちゃんに近づける詩織ちゃん。夕子ちゃん、そんな詩織ちゃんのうなじにふぅっと息を吹きかけました。
「あん」
「ま、詩織ちゃんったら、び・ん・か・ん。主人くんに鍛えられたのかなぁ?」
「……私、帰るね」
「あーっ!! チョイ待ち!!」
 踵を返して帰ろうとした詩織ちゃんにしがみついて、夕子ちゃんは引き留めました。
「今度はマジマジ」
「んもう。それで、何なの?」
 夕子ちゃんは詩織ちゃんに囁きはじめました。その傍らでは、好雄くんがメモを開いて何か書き込んでいます。
「藤崎さんはうなじに感じるところがある、と。チェックだチェック」
 さて、その頃。
「館林さん、お気を確かに!」
 肩を揺さぶられて、見晴ちゃんははっと我に返りました。
「あ、あれ? 私、どうしちゃったの?」
「よかったですわ。元に戻られましたのですね」
 その声に見晴ちゃんが顔を上げてみると、ゆかりちゃんがにこにこしています。
「古式さん? あ、あれ?」
「まぁ、お立ちくださいませ。あちらでお茶などいかがですか?」
「あ、うん」
 そう言われて、見晴ちゃんは立ち上がりました。
「では、こちらにどうぞ」
 そう言って歩き出したゆかりちゃんに、テニスルックの男の子が笑いながら声をかけました。
「ごゆっくり、姉さん。こっちはこっちでやっとくからさ」
「将さん、ありがとうございます。後はよろしくお願いしますね」
(姉さん?)
 見晴ちゃんはきょろきょろと二人を見比べました。
「さ、こちらですよ」
「あ、待ってよぉ!」
「♪にっじゅうよじかん、Working!」
 部室長屋の前にある洗い場では、沙希ちゃんが楽しげに歌いながら、部員のユニフォームをお洗濯しています。
 パンッとユニフォームを引っ張ってしわを伸ばすと、ハンガーに掛けて、うんうんと頷きます。
「よし、綺麗になったね」
「虹野先輩っ!」
 不意に呼びかけられて沙希ちゃんが振り返ると、優美ちゃんが立っていました。
「あら、優美ちゃん。どうしたの?」
 聞き返す沙希ちゃんに、優美ちゃんはぴっと指を突きつけました。
「優美、負けませんよ!」
「え?」
「絶対に、虹野先輩よりも美味しいお弁当作ってみせるんだ!」
 そう叫ぶ優美ちゃんのほっぺたを、つつっと一筋の涙が流れ落ちました。
「!?」
「それだけれす!」
 優美ちゃんは制服の袖で涙をぐいっと拭うと、そのまま走って行こうとしました。
「待って!」
 沙希ちゃん、優美ちゃんの腕を掴みました。
「優美ちゃん、どうしたの?」
「……虹野、せんぱ……い」
 優美ちゃんは、くしゃっと顔を歪めました。そして、沙希ちゃんに抱きついて、大声で泣き出したのでした。
「ふえぇぇーん」
 最初はびっくりした沙希ちゃんでしたが、にこっと笑うと、泣きじゃくる優美ちゃんの頭をゆっくりと撫でて上げるのでした。
「……ってとこかな」
 夕子ちゃんの長い耳打ちが終わって、詩織ちゃんは考え込みました。
「……そうかなぁ……」
「もう絶対バッチグーよ」
 拳を握って力説する夕子ちゃん。
 詩織ちゃんは淳くんの方に視線を向けました。
「とりあえず、やるかどうかはわからないけど、譜面だけ貸してくれないかな」
「お、そうこなくっちゃ。やるのは3曲だけだからさ」
 淳くんは笑顔で詩織ちゃんにスコア(譜面のことですね)を渡しました。
 それを受け取りながら、詩織ちゃんは訊ねました。
「でも、芹澤くんがギターで、戎谷くんがサックスで、久我くんがドラムで、キーボードがいるのはわかったけど、ベースは?」
「ま、それは大丈夫ってことで」
 淳くんと弾くんは、顔を見合わせて笑いました。
 不思議そうな顔をしながらも、詩織ちゃんは鞄に譜面をしまい込みました。
「それじゃ、やるかどうか、今夜中に電話するね」
「おお、藤崎から電話をもらえるなんて淳くんラッキー」
「……んもう、ばか」
 詩織ちゃんは苦笑気味に言うと、「それじゃ」と挨拶して、音楽室を出ていきました。
 優美ちゃんと沙希ちゃんは、グラウンドを見おろす土手に並んで座っていました。
 沙希ちゃんは優美ちゃんの話を聞き終わって、軽く頷きます。
「……そうなんだ」
「詩織先輩も倒れちゃうし、優美、やっぱりお料理の才能なんか無いのかなぁ」
 青空を見上げながら、優美ちゃんは溜息混じりに呟きました。
 沙希ちゃんはゆっくりとかぶりを振ります。
「お料理に才能なんかいらないと思うな」
「……え?」
 弾かれたように、優美ちゃんは沙希ちゃんを見ました。
 さぁっと、この季節には相応しくないそよ風が、二人の髪を撫でていきます。
「お料理に必要なのは、才能なんかじゃない。本当に必要なのは、食べてくれる人に対する愛情だと思うわ」
「それじゃ、優美は……」
(主人先輩を愛してないっていうんれすか?)
 優美ちゃん、さすがにちょっと恥ずかしくて、質問の後半は言葉に出せませんでした。
 でも、沙希ちゃんにはわかってるみたいですね。にっこり笑って優美ちゃんを見ます。
「優美ちゃん、勘違いしちゃ駄目なのよ。お弁当を作るってことが大事なんじゃないの。お弁当を食べてもらって、その人にもっとがんばってもらうっていうのが大事なんだから」
「がんばって……もらう……」
 優美ちゃんは呟きました。
「そう。お弁当はね、自分のための物じゃなくて、食べてくれる人のための物なのよ」
 そう言ってから、沙希ちゃんは照れたように笑いました。
「あは、柄にもないこと言っちゃったな。偉そうにしてごめんね、優美ちゃん」
「ううん。勉強になりましたれす」
 優美ちゃんは立ち上がってぺこりと頭を下げました。
 沙希ちゃんも立ち上がると、優美ちゃんに右手を差し出しました。
「それじゃ、改めて。これからも頑張ろうね!」
「うん」
 二人はがっちりと握手しました。こういうところ、二人とも体育会系なのかも知れませんね。
「ただいま」
 詩織ちゃんはお家に帰ってくると、自分のお部屋の窓から、お向かいの家の窓をじっと見つめて呟きました。
「……公くん、どうしよう……。朝日奈さんはあんなこと言ってたけど……」
 と。
 トルルルル、トルルルル
 電話が鳴りました。
(はっ!? まさか、公くん!? ……そんなわけ、ないわよね)
 詩織ちゃんは苦笑しながら受話器を取りました。
「はい、藤崎です」
「あ、藤崎さんのお宅ですか? 私、稀城ともうしますが、詩織さんはいらっしゃいますか?」
 詩織ちゃんはびっくりして、思わず受話器を落としそうになりました。そして、懐かしいお友達の名前を呼びます。
「……香恋ちゃん? 私、詩織よ」
「あ、やっぱり詩織ちゃんだったんだ」
 受話器を通して、嬉しそうな、懐かしい声が聞こえました。
「やだ。びっくりして涙出ちゃった。まだブタペストよね?」
 詩織ちゃんは涙を拭きながら訊ねました。
「うん。ちょっとアルバム見てたら懐かしくなっちゃって」
「もしもし、でも相手が違うんじゃないの? 水野くんにかけてあげたほうが……」
「ううん。龍くんとはね、研修が終わるまでは……」
「あ。ごめんね、変なこと言っちゃって」
 慌てて詩織ちゃんは謝りました。
「ううん、いいの。詩織ちゃんの方はどうなの? 主人くんとうまくいってる?」
「ま、まぁ、ご想像にお任せします」
 詩織ちゃんはちょっと赤くなりました。

《続く》

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