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めぐみちゃんとでぇと
第伍拾九話 恋する乙女は無敵です

「あ、そうそう! 忘れてたけど、ゆかりちゃん、明日ダイブに行くんだって」
 デモ版詩織ちゃんこと見晴ちゃんは先生に言いました。
「ダイブ? 何処の海に行くの?」
 先生は、育毛ブラシで見晴ちゃんの髪をとかしながら訊ねました。
 ゆかりちゃん、小首を傾げます。
「いいえ。海には行きませんよ」
「?」
 先生と見晴ちゃんは顔を見合わせました。それから、めぐみちゃんに視線を向けますが、めぐみちゃんもサッパリわからないって顔をしています。
 先生は改めて訊ねました。
「それじゃ、何処に行くの?」
「はい。繁華街の入り口に朝日奈さんと4時半に待ち合わせしておりますのよ。そこから先は朝日奈さんが御案内くださるとかで」
 にっこりと笑うゆかりちゃん。
 先生はポンと手を打ちます。
「あ! わかったわ。買いに行くんでしょ、バイ……」
 びったん 見晴ちゃん、振り向きざまに先生の口を手で塞ぎました。
「お゛ね゛え゛ち゛ゃ゛ん゛」
「もがもが」
 じたばたする先生。
 ゆかりちゃんはそんな二人を見て、微笑みました。
「本当に、仲がよろしいのですねぇ」
「そ、そうですね」
 頷きながら、めぐみちゃんはふと思うのでした。
(……最近、私、すごく影が薄いです……シクシク)

「虹野さんと主人さんが仲良さそうにしているのを見て、私、虹野さんが羨ましくて、つい……、虹野さんに意地悪してしまったんです」
 未緒ちゃんは静かに言葉を続けました。
「如月さん……、そんな……」
「ごめんなさい、虹野さん。私、これじゃ友達失格ですね」
 にこっと笑う未緒ちゃん。でも、その笑いはとても寂しげでした。
 沙希ちゃん、ぶんぶんと首を振ります。
「そんなことない! そんなことないよ!」
「……虹野さん、優しいから」
 そう言うと、未緒ちゃんは自分の腕を掴んでいる沙希ちゃんの手を、ゆっくり外します。
「優しすぎますよ、虹野さんは……」
「……如月さん」
「それじゃ」
 軽く一礼して、未緒ちゃんは歩き出しました。沙希ちゃん、その場に立ち尽くして、未緒ちゃんの背中を見送ることしかできなかったのです。
 あみあみあみ ゆかりちゃんは、手際よく見晴ちゃんの髪を編み上げていきます。
 先生は感心してその手つきを見つめました。
「うまいものねぇ。見晴の25倍はうまいわ」
「わたくし、編み物などたしなんでおりますから」
 そう言うと、ゆかりちゃんは編み上がったお下げをくるっと輪っかにして、髪飾りで止めます。
「はい、できあがりましたよ」
 見晴ちゃん、コアラの髪型の復活です。
「ありがと!」
 見晴ちゃんは振り向くと、ゆかりちゃんの手を握ってぶんぶんと振り回しました。
「あらあらあら」
「あ!!」
 不意に見晴ちゃん、その手を止めると訊ねます。
「もしかして、ライブに行くんじゃないの? 明日って」
「……」
 一瞬間をおいて、ゆかりちゃんは頷きました。
「ああ、そういえばそうだったのかも知れませんねぇ」
「なんだぁ、ライブか……」
 一拍開けて、見晴ちゃんと先生とめぐみちゃんは顔を見合わせました。
「ライブぅ!?」
「は?」
 きょとんとするゆかりちゃん。
 先生は、机の上に立ててある本の中から一冊抜いてきました。
「ぴあ、きらめき市版! えっと、ライブハウスは……」
 ぱらぱらめくる先生の後ろに見晴ちゃんとめぐみちゃんが立って、その中をのぞき込みます。
「あったあった。『マックス』は休み、『ミケル』は……これは違う。『アンテナ』は……tTS!?」
「tTSって、主人さんのバンド? あの文化祭の?」
 見晴ちゃん、聞き返しました。
 ゆかりちゃんは首を振ります。
「いいえ。残念ながら、今回は主人さんと伊集院さんは参加されないんだそうですよ」
「そうなんだぁ。がっかりだなぁ」
 見晴ちゃんは肩を落としました。そしてめぐみちゃんに訊ねました。
「でも、明日はどうせ暇だから見に行ってみようかな。愛ちゃんはどうする?」
「あ、あの……、詩織ちゃんは?」
 めぐみちゃんは訊ねました。ゆかりちゃんはほっぺたに人差し指を当てて考え込みます。
「藤崎さんが参加されるかどうかは聞いておりませんが……」
「そうですか……」
 少し躊躇いましたが、めぐみちゃんは頷きました。
「行きます」
「ちぇー。明日は私ゃ教育委員会で会議だからなぁ」
 残念そうに肩をすくめる先生。見晴ちゃんは呟きます。
「日頃の行いが……」
「そこ、何か言った!?」
 きっと睨み付ける先生に、見晴ちゃんは慌てて答えました。
「何でもありません、美しいお姉さまは私の誇りですぅ!」
「よし」
 にっこり笑った先生、立ち上がりました。
「じゃ、今日はこれくらいで店閉めるかな。みんな、私の車で送ってあげるわよ」
 どうでもいいけれど、店ってなんでしょうね?
 さて、その頃音楽室では。
「さすが藤崎さん。昨日の今日で3曲完璧じゃないか」
 望ちゃんはピックをスタンドに刺しながら笑顔を向けました。
 でも、詩織ちゃんの表情は何だか冴えませんね。
「どうしたんだい?」
 めざとくそれに気付いた望ちゃんは、詩織ちゃんに近寄りました。
「うん……」
 詩織ちゃんは顔を上げました。
「ねぇ、本当に3曲だけでいいの? 私が演奏るのって」
「でも、それ以上はいくら藤崎だって無理だろ?」
 勝馬くんは、ペグを回してギターのチューニングをしながら言いました。
 ちなみにペグっていうのは、ギターの一番上についている、弦を張る強さを調整するものです。
「でも……。ね、本当は何曲やるの?」
「一応、15曲は用意してあるけど……。時間から見て出来るのは10曲ってところかな?」
 弾くんが進行表を見ながら答えました。
 詩織ちゃんは頷くと、言いました。
「スコア、貸してくれない?」
 結局、みんなが音楽室を出たのは、午後の9時過ぎでした。
「それじゃ、俺が清川さん送っていくよ」
 家が同じ方向の弾くんがそう言うと、勝馬くんは詩織ちゃんの方を見ました。
「とすると、俺は藤崎かな?」
「よろしくね、勝馬くん」
「しくしく。淳ちゃん寂しいの」
 淳くんは一人泣くのでした。
 勝馬くんと詩織ちゃんは並んで夜道を歩きます。
 頭上には星がきらめいています。
「うまくいくといいね、明日」
「そうだな……」
 と、不意に詩織ちゃんが立ち止まりました。
 一瞬気付かなかった勝馬くん、数歩歩いてから振り返りました。
「どうしたんだい?」
「……芹澤くん。まだ、お礼言ってなかったね。この前の」
「え? ああ、あれか」
 勝馬くんは笑いました。
「別にいいよ。俺も奈津江も気にしてないし。で、その後主人とはうまくいってるの?」
「やだ、もう。芹澤くんったら」
 詩織ちゃんは頬を染めました。勝馬くんは苦笑します。
「はいはい、ごちそうさま」
「でも、公くんいつになったら食べてくれるのかな? もう十分食べ頃だと思うんだけどな……」
「は?」
「ううん、なんでもないの」
 詩織ちゃんは慌てて手を振ると、先に歩き出しました。
「早く帰りましょう! ね!」
「……やれやれ。恋する乙女は無敵ですってか?」
 小声で呟くと、勝馬くんは詩織ちゃんの後を歩き出すのでした。

《続く》

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