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めぐみちゃんとでぇと
第六拾伍話 パラダイスへレッツゴー!

 月曜日。いつもと変わらない朝です。
「ふわぁ」
 公くんは大きく欠伸をしながら、玄関を閉めました。
 それとほとんど同時に、お隣のドアが開いて、詩織ちゃんがお家の人に挨拶をしながら出て来ます。
「行ってきます!」
 二人は、同時に相手に気がついたみたいですね。
「あ……」
「し、詩織……、その、おはよう」
 おやおや、二人とも真っ赤になってしどろもどろですね。
 まぁ、昨日の今日ですものね。
 詩織ちゃん、両手でお顔を挟んで俯いちゃっています。
(や、やだ、どうしよう。公くんの顔、まともに見られなくなっちゃった。ううん、詩織。もう私は昨日までの私じゃないの。だって、私と公くんは名実ともに……。や、やだ、私ったら……)
(俺、昨日本当に、詩織と、その……、しちゃったんだよな? 嘘じゃないよな?)
 公くん、思わず自分の唇をそっと撫でてしまいました。
 詩織ちゃん、顔を上げます。
「こっ、公くん!」
「は、はいっ!」
 思わずキオツケの姿勢になってしまう公くん。そんな公くんをみて、詩織ちゃんはくすっと笑いました。
(変わらないんだ。大人になったって)
「ど、どうしたんだよ、詩織?」
 聞き返す公くんに、詩織ちゃんは目を閉じて、静かに首を振ります。
「ううん。なんでもないの。それより、早く行きましょう。遅刻しちゃうわよ」
「そうだな」
 公くんも頷きました。そして、二人は歩き出します。きらめき高校に向かって。

 さてその頃。
 朝練で一足早く学校に着いた沙希ちゃん、練習が終わって校舎に入ろうと下駄箱のところにさしかかって、足を止めました。
「あら、清川さん。どうしたの?」
 その声に、望ちゃんが困ったような泣き笑いの顔を沙希ちゃんに向けました。
「ああ、虹野さん。これ、見てくれよ」
「え? あらら……」
 望ちゃんの靴箱の中には、白やピンクの封筒が溢れんばかりに詰め込まれています。
 沙希ちゃんは望ちゃんの顔を見ました。
「これってもしかして……?」
「ラブレター、みたいだ。それもみんな女の子から……。まったく」
 望ちゃん、肩をすくめました。
 沙希ちゃん慌てて言います。
「でも、人気あって良いじゃない」
「虹野さん。それって、フォローになってないよ。あたしはね、あたしはノーマルなんだ!」
 思わず叫ぶ望ちゃんでした。
「あ、ゆかりちゃん!」
 通学路を歩くゆかりちゃんは、後ろから呼び止められて振り向きました。
「あら、これは館林さんではありませんか。御機嫌如何でございますか?」
「おはよ、ゆかりちゃん。にへへへへ」
 見晴ちゃんはにたにたと笑いながら言いました。その笑顔に、思わず周りの人が離れます。
 そんな見晴ちゃんにも、ゆかりちゃんは動じません。さすがですね。
「随分と、朝から機嫌がよろしいようですねぇ。何かありましたのですか?」
「え? やっぱりわかっちゃうんだ。にへへへ」
 見晴ちゃんはそう言ってまた笑いました。もう顔面崩壊状態ですね。
「実はねぇ……。にへへ。やーん、恥ずかしいぃぃ」
「あらあら」
 手を振り回しながら走り去っていく見晴ちゃんを暖かく見送るゆかりちゃんでした。
「楽しそうですねぇ」
「うぎゃー」
 おやおや。見晴ちゃんの行く手にいた運の悪い男子生徒たちがはねとばされて宙に舞っていますねぇ。
 さすがは見晴ちゃん。八極拳を極めただけのことはあるようです。
「あ! いけない」
 不意に詩織ちゃんは立ち止まりました。
「どうしたの?」
 聞き返す公くんに、詩織ちゃんは恥ずかしそうに言いました。
「ごめんなさい。私、忘れ物しちゃった」
「忘れ物?」
「うん。取りに帰らなくちゃ。公くん、先に行っててくれるかな?」
「ああ、わかったよ。気を付けてね」
 公くんがそう言うと、詩織ちゃんぽぉーっとしてしまいました。
(きゃあきゃあ、公くんが気を付けてねって! これって、君はもう僕のものなんだからってことなの? まぁ、公くんって大胆なんだからぁ、もう。でも、いいの。だって私はもう公くんのものなんだからぁ。やーん、私ったら)
「……あの、詩織さん? 忘れ物を取りに帰るのでは?」
 その詩織ちゃんの肩をちょんちょんとつついて、公くんが言いました。はっと我に返る詩織ちゃん。
「そうだったわ。じゃ、公くん、学校でね!」
 そのまま駆け戻っていく詩織ちゃん。公くん、首を捻ります。
「しかし、あの詩織が忘れ物とはなぁ……」
 詩織ちゃん、通学路を全速で逆走します。
「やだぁ! 鞄忘れちゃったぁ!」
 そう言われてみれば、鞄を持っていません。詩織ちゃん、お茶目ですね。
 こういうわけで、公くんは一人で通学路を歩いておりました。
 と、不意に後ろから声がかけられます。
「あ、あの、おはようございます」
「え? あ、美樹原さん。おはよ」
 めぐみちゃんは、俯きました。
 公くんは笑いながら言います。
「昨日はどうも」
「え? あ、はい」
 昨日のtTSのライブ会場で、大声を張り上げて公くんとお話ししていたことを思い出して、めぐみちゃんはますます俯いてしまいました。
(やだ、恥ずかしい……。公さん、私のこと、大声を張り上げてはしたない娘って思ったんじゃないかしら)
 公くんは、そんなめぐみちゃんを訝しげに見るのでした。
(どうしたんだろう? 美樹原さん下ばっかり見て……)
「あっ、あのっ!」
 不意にめぐみちゃんは顔を上げて公くんに言いました。
「なんだい?」
「わっ、私、その……」
 めぐみちゃんはそこまで言ったところで、不意に目を丸くしました。
 公くんの後ろに、めぐみちゃんにも見覚えのある軽自動車が止まっています。イギリス製のミニクーパー。
 その窓からプラカードが突き出されていたのです。
 そこには大きな文字でこう書いてありました。
“がんばれみきはら”
(先生……。はいっ!)
 めぐみちゃんは頷くと、頬を赤らめながらも公くんに言いました。
「あ、あの、主人さん。今度の日曜日、空いていますか?」
「え?」
 公くん、少し考えました。
(今のところ何もないよな? 詩織とも約束はしてないし)
 一通りスケジュールを頭の中で検索して、公くんは答えました。
「空いてるけど……」
「そ、それじゃ、その、あの、こ、こ……」
「ころんすたらし?」
 聞き返す公くん。めぐみちゃんは慌てて首を振りました。
「ち、違います」
 そりゃそうでしょうね。しかし、“ころんすたらし”って何なんでしょう?
 ともかく、訳のわからないボケでも効果があったみたいです。めぐみちゃんはぎゅっと拳を握って言いました。
「こんど、プラネタリウムに行きませんか?」
「プラネタリウムかぁ。いいね」
 公くん頷きました。めぐみちゃん、喜びます。
「よかったぁ。断られるかと思っちゃった」
「そんな事するわけないじゃないか」
 そう言って笑う公くんです。
「そ、そうですよね。主人さん、優しいですから」
 めぐみちゃんはそう言うと、また俯きました。
「優しすぎるから……」
「え?」
「な、なんでもないです。それじゃ」
 そう言って、めぐみちゃんはすたたっと走って行きました。それを見送る公くん。
「なんだろ?」
 先生は、ハンドルに顎を付けて、ミニクーパーのフロントガラス越しに、駆け去るめぐみちゃんを見て、ほっと息をつきました。
「まぁ、いい線まで行ったってことでよしとしましょうか。見晴もあれくらい出来ればねぇ……なんて、無理か。さぁて、お仕事お仕事」
 苦笑して、先生はエンジンをかけました。と、不意にその窓ガラスがコンコンと叩かれました。
 そっちを見ると、未緒ちゃんがのぞき込んでいました。
 先生はレバーを回して窓を開けると、挨拶します。
「おはよう、如月さん」
「おはようございます、先生。お呼び止めしてすみません」
「何かしら? あ、ごめんなさい。まだ原稿は上がってないのよ」
「いえ、その話じゃなくて……」
 その未緒ちゃんの様子に、先生は助手席のドアロックを外しました。
「乗りなさいな」
「あ、はい」
 頷いて、未緒ちゃんは車の後ろを回って助手席のドアを開けました。
「そうかぁ、虹野さんと喧嘩しちゃったか」
「はい」
 未緒ちゃんは唇をかみました。
「どうしてあんな事を言ってしまったのか……」
「単刀直入に聞くわ」
 先生は、ハンドルに顎を乗せて、前の方を見ながら未緒ちゃんに聞きました。
「主人くんと虹野さんとどっちが好き?」
「え? そ、それは……、どちらとも……」
「それじゃ、自分は好き?」
「……え?」
 聞き返す未緒ちゃんに、先生は初めて未緒ちゃんの方を見て笑いかけます。
「何をするよりも、まず最初に自分を好きにならなくちゃダメよ」
「自分を……好きに……?」
「そ。自分が嫌いだとね、どんな行動をとってもそれが正しいと思えなくなっちゃうわ。そして後悔しちゃう。悩んじゃう。それじゃいけないと先生は思うのよ」
「……でも……」
「如月さんは如月さんよ。虹野さんでも藤崎さんでも片桐さんでもないわ。そうでしょう?」
 先生はそう言うと、未緒ちゃんのお顔をすうっと撫でます。
「まぁ、いきなり自分を好きになれって言っても難しいかも知れないけれど。あ、そうだわ。私があなたに自分の身体の魅力について教えてあげましょうか?」
 そう言う先生の目、ちょっと危ないですね。
 未緒ちゃんはひきつった笑みを浮かべながら、後ずさりしました。
「あ、あの、いえ、それは、遠慮します」
「まぁまぁ、遠慮せずに」
 狭い助手席、未緒ちゃんは追いつめられてしまいました。必死になって時計を指します。
「もう時間が……」
「あらもうこんな時間? じゃあ、放課後保健室にいらっしゃい。じっくりたっぷり教えてあげるわよ」
 ウィンクすると、先生は前に向き直りました。
「シートベルトして」
「あ? で、でも……」
「今からだと、歩いては間に合わないわ。それに、だからって走ったりしたら、あなた学校にたどり着けないわよ」
「……すみません」
 素直に未緒ちゃんはシートベルトを締めました。先生はにっこりと頷くと、車を発進させます。
「よーし、今日は午前半休してどこかで休憩していきましょう!」
「せ、先生っ!!」
「うふふふふふ。そぉれぇ、私とあなたのパラダイスへレッツゴー! これぞスピリチア・パラダイスゥ!!」
 ミニクーパーは、猛烈な勢いで走って行ってしまいました。
 未緒ちゃんは無事に学校にたどり着けるのでしょうか?

《続く》

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