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めぐみちゃんとでぇと
第七拾壱話 その甘い囁きで

公くんは未緒ちゃんと並んで、歩道を歩いています。ちょっと見には、仲のいいカップルに見えないこともないですね。
二人は、たわいない話を、時折笑い声も交えながら話しています。このくらいウィットに富んだ会話を交わせるのは、きらめき高校でもそうはいないでしょう。
「……って、好雄が言うもんだからさ、俺は言ってやったんだよ。『おまえさ、そんなことできるのは、紐緒さんくらいなもんだぜ』ってね」
「まぁ、主人さんったら」
未緒ちゃんはくすっと笑いました。それから、公くんの顔を見ました。
「……俺の顔に何か付いてる?」
「え? あ、いえ、別に」
公くんの声に我に返ると、未緒ちゃんは明後日の方を見ながら、からかうような声音で言いました。
「主人さんってお話がうまいんですねって、感心していたんです」
「そ、そう?」
思わず照れてしまう公くんです。何て言っても、誉めてくれた方の未緒ちゃんは、文化祭の弁論大会で優勝したほどの話術の持ち主ですものね。
未緒ちゃんは照れる公くんを見て、くすっと笑いました。
「その甘い囁きで、今までどれくらいの女の子を騙してきたんですか?」
「え?」
思わぬ言葉に、公くんその場に立ち止まりました。
未緒ちゃんも数歩行きすぎてから、振り返ります。
その表情には、笑みはありませんでした。
「如月さん?」
「……ごめんなさい。でも、主人さんって、ハッキリと言わないとわかってもらえないってわかりましたから」
そう言うと、未緒ちゃんは眼鏡をそれとなく直しました。そして、言葉を継ぎます。
「もちろん、主人さんにそんな気はないんでしょう。だから、何度でも繰り返されてしまうんだと思いますから」
「あ、あの……」
「でも、……いい加減に気付いてください。私達の気持ちにも!」
未緒ちゃんはそう叫ぶと、くるっと振り向いて駆け出しました。
公くんは、その場に立ち尽くしていました。
「……如月さん……」
角を曲がって、公くんの姿が見えなくなってから、未緒ちゃんは立ち止まりました。そして、壁に手を突いて、荒い息を付きます。
(言って……しまいました……。もう、おしまいですね……)
視界がだんだんと暗くなって行きます。そして、不意に未緒ちゃんの平衡感覚がかき消えたように感じられました。
そのまま、未緒ちゃんはずるずると道に倒れました。意識が遠くなっていく中、最後に微かに、未緒ちゃんは自分の名前を呼ぶ声を聞いたような、そんな気がしました。
「それにしても、あの館林先生の妹とはねぇ」
喫茶店『Mute』を出て、帰る方向が違う見晴ちゃんと別れ、好雄くん、夕子ちゃん、優美ちゃんの3人は歩道を歩いていました。
好雄くんは、夕子ちゃんに視線を向けます。
「朝日奈、どうして教えてくれなかったんだよ」
「いいじゃん、そんなこと」
夕子ちゃんは肩をすくめました。
「でもよ……」
「あーうっさい!」
いきなり、夕子ちゃんは怒鳴りました。びっくりして目を白黒させる優美ちゃん。
好雄くんは、メモをポケットにしまいました。
「訳ありってことか。わかったよ」
「……ごめん」
夕子ちゃんはそう言うと、俯きました。
「……あの娘、可哀想な娘なんだ……」
さて、こちらは伝説の樹の下です。
めぐみちゃんとゆかりちゃんは、伝説の樹の下で仲良く並んで座っています。
めぐみちゃんは、お昼休みの一件をゆかりちゃんにお話しし終わりました。そして、最後にポツリと漏らします。
「私、信じられないんです。詩織ちゃんがあんなこと、言うなんて……」
「あんなこと、ですか?」
ゆかりちゃんは聞き返しました。めぐみちゃんは頷きます。
「うん……」
首を傾げるゆかりちゃん。
「美樹原さん、よろしければ、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか? わたくしには、何があんなことなのか、良くわかりませんが……」
「ご、ごめんなさい。そうですよね」
めぐみちゃんは赤くなると、説明しました。
「詩織ちゃんと公さんは幼なじみですよね? きらめき高校に入って、初めて公さんと出逢った私達と違って、詩織ちゃんは小さい頃からずっと公さんと一緒に過ごしてきてるんです」
「そういうことに、なりますよねぇ」
ゆかりちゃんは、ほっぺたに指を当てて、少し考え込みながら頷きました。
不意に、伝説の樹が風にざわめきます。
そのざわめきを聞きながら、めぐみちゃんは言いました。
「詩織ちゃんがその月日を持ち出したら、誰も何も言えなくなっちゃいます。だから……」
「藤崎さんは、大変なんですねぇ」
ゆかりちゃんはしみじみと呟きました。
「……え?」
「そう、思いませんか?」
じっと、めぐみちゃんの目を見つめるゆかりちゃん。
「わたくしは、主人さんと幼なじみということは、藤崎さんにとって足枷になっているのではないかと思っております。そう、藤崎さんにとって、お勉強ができること、運動が出来ること、可愛らしくていらっしゃること、すべてが足枷になっていらっしゃるように……」
「……足枷、ですか?」
めぐみちゃんは、思わぬ事を言われて目をぱちくりとさせました。
「ありがとうございました」
魅羅さんは深々とお辞儀をして、保健室を出ていきました。
それを見送ってから、先生は一息付くと、大きく伸びをしました。それから中庭を眺めます。
「……もう、いないかぁ」
見晴ちゃんの姿はとっくにありません。先生は肩をすくめると、窓に近寄って大きく開け放ちます。
冷たい風が吹き込んできました。
その風を顔に受けて、先生は呟きます。
「……いつまでも、ってわけにはいかなさそうね。ねぇ、見晴」
と、ノックの音がしました。先生はぺちんと自分の頬を軽く叩くと、振り返ります。
「どうぞ!」
「ハァイ、ドクター」
陽気な声を上げながら、彩子ちゃんが入ってきました。そして振り返ります。
「ワッツドゥーイング? 何やってるのよ、望」
「いや、あたしは……」
「いいから、レッツカミング!」
そう言いながら、彩子ちゃんは望ちゃんを引っぱり込みました。
「あら、清川さん」
「や、やぁ」
先週、望ちゃんは先生に公くんへの思いを打ち明けてしまったのです。それで照れくさいんですね。今もちょっと不機嫌そうな、それでいて照れくさそうな複雑な表情を浮かべています。
もちろん、海千山千の先生は、望ちゃんの気持ちなんてお見通しみたいです。笑いながら近づいてくると、訊ねました。
「で、愛しの彼に思いはもう打ち明け……」
ビッタァン
「ななななな、何を言ってるんだよ、先生ってばぁ。あは、あははははは」
慌てて先生の口を塞ぎながら、望ちゃんは笑い声をあげました。
彩子はそんな望を笑みを浮かべながら見ていました。
(もー、望や沙希みたいな体育会系純情一直線の娘って、からかうと面白いのよねぇ〜)
と、そこにその沙希ちゃんがやってきました。
「すいません、ちょっと……。あら、片桐さんに、清川さん? ……何してるの?」
言われて、慌てて望ちゃんは先生を解放しました。
「な、なんでもないよ。虹野さんはどうしたのさ?」
「あたしは、先生にちょっと用事があって……」
「あら、私に? そうなんだ、沙希ちゃんもとうとうその道に目覚めたね。先生嬉しいわぁ」
先生はにっこり笑いながら両手を広げました。
「さぁ、いらっしゃい子猫ちゃん」
「あ、いえ、そうじゃなくって……」
沙希ちゃんはひきつった笑みを顔に張り付かせながら後ずさりました。
「あら、残念。とっても気持ちいいのに」
「つ、謹んでご遠慮します」
後頭部に大きな汗を浮かべながら、沙希ちゃんはひきつったまま答えました。
先生は訊ねました。
「それじゃ、何の用なの?」
(なんとなく、さっきに較べて声が冷たいな)
望ちゃんはそう思いましたが、声に出して言うことは避けました。賢明ですね。
沙希ちゃんはちらっと彩子ちゃん達に視線をやりました。先生はふむと頷くと、彩子ちゃんに小さくゴメンという仕草をして見せました。
彩子ちゃんはそれに頷くと、肩をすくめました。
「仕方ない。沙希はドクターのお気に入りだもんね〜」
「だからぁ、そういう誤解を招くような言い方しないでよぉ」
沙希ちゃんが訴えますが、彩子ちゃんは「はいはい、皆まで言わずともわかっておるわ」という感じで沙希ちゃんの肩をぽんと叩くと、望ちゃんに言いました。
「じゃあ、望。先に中庭のチェックを済ませるわよ」
「ん、わかった」
望ちゃんは頷くと、彩子ちゃんに続いて保健室を出ていきました。出掛けに沙希ちゃんに言います。
「虹野さん、人生、自棄になったら終わりだぜ」
「ちがーうっ!!」
沙希ちゃんは思わず叫ぶのでした。
「足枷、ですか?」
めぐみちゃんの質問に、ゆかりちゃんはうなずきました。そして、ゆっくりと答えます。
「人様から見て羨ましがられることといいますのは、本人にとっては足枷にしかならない。そういうことは意外と多いのですよ」
こう見えても古式不動産の一人娘で、蝶よ花よと育てられたお嬢さまのゆかりちゃん。実は結構色々と苦労があるのかも知れませんねぇ。
「ですから、美樹原さんから見て、藤崎さんが主人さんと幼なじみということは羨ましく思えるかも知れません。でも、案外と藤崎さん本人にとっては、それはそんなに羨ましがられることじゃないのかも知れませんよ」
「で、でも、それは……」
何か言いかけためぐみちゃん。ゆかりちゃんはそれを視線で制して、空を見上げました。
「美樹原さんも、藤崎さんも、余裕が無くなってるのかも知れませんね」
「……余裕……ですか?」
「はい。余裕が、ない。だから、今までなら何でもなかったような事でも……、過敏に反応してしまう……。違うでしょうか?」
「……そうかも、しれません」
めぐみちゃんは俯いて、呟きました。
「前には、詩織ちゃん、私が公さんとデートするって言っても、励ましてくれました。でも、今は……」
「そして、美樹原さんも、ですね?」
「……」
こくんと頷くめぐみちゃん。
「前だったら、詩織ちゃんと公さんが一緒にいても、ああ、仕方ないよねって思えました。一緒に帰ろうと思ったとき、詩織ちゃんが先に公さんを誘っちゃったことも、何度もありましたけど、いつも、お似合いの二人ですよねって諦められました。でも、でも今は……」
きっと顔を上げると、めぐみちゃんは校舎の方を見つめます。その先には、3年A組の教室があります。
そんなめぐみちゃんを、ゆかりちゃんはいつしか笑みを浮かべて見つめていました。そう、まるで年上の姉が妹の成長に目を細めるように。
「……こ、ここは?」
未緒ちゃんは意識を取り戻すと、辺りを見回しました。
見慣れぬ、天井です。
一瞥したところ、どうやら女の子の部屋のようです。
ぐるりと辺りを見回していた未緒ちゃんは、不意に気配を感じて振り返りました。
ベッドの枕元にある棚の上から、目つきの悪いコアラがじっと未緒ちゃんを見おろしています。
たっぷりと10秒ほど、コアラと未緒ちゃんは見つめ合いました。
それから、おもむろにコアラはにやりと笑いました。
未緒ちゃんはそのままコテンとベッドの上に倒れました。
どうやら、また気を失ってしまったようです。
一方、公くんはというと、自分の部屋に戻ると、お向かいの窓を見ました。
窓にはピンクのカーテンが掛かっています。
「詩織……」
公くんは電話を手にして、短縮の1番を押します。
トルルル、トルルル、トルルル、トルルル、ピッ
「はい、藤崎です。ただいま、留守にしております。留守番電話になっておりますので……」
ピッ
公くんは電話を切ると、呟きました。
「何処に行ったんだ、詩織?」
その詩織ちゃんのお部屋の中。
カーテンが引かれ薄暗いお部屋の中で、詩織ちゃんは制服のまま、ベッドの上で膝小僧を抱えて座っていました。
トントン
ノックの音がして、ドアが開きました。詩織ちゃんのお母さんが顔を出します。
「どうしたの、詩織。電気、つけるわよ」
パチン
小さな音がして、部屋が明るくなります。
お母さんは、詩織ちゃんの横に腰を下ろしました。そして訊ねます。
「詩織、どうしたの?」
「……お母さん」
「ん?」
「……一人に、して」
詩織ちゃんはかすれた声でそう言うと、膝に顔を埋めました。
お母さんは、やれやれという感じで肩をすくめると、立ち上がりました。
「もうすぐ夕御飯だからね。出来たら呼ぶから、降りてらっしゃいよ」
そう言って、お母さんはお部屋から出ていきました。
ドアがパタンと音を立てて閉まりましたが、詩織ちゃんは何の反応も見せず、ベッドにうずくまったままでした。
《続く》

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