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めぐみちゃんとでぇと
第七拾弐話 あの馬鹿ったれ

「さて、と」
先生はそう呟きながら、ドアの鍵を閉めました。そして振り返ります。
「虹野さん、話ってなにかしら?」
「あ、あの、どうして鍵を閉めるんですか?」
思わず後ずさりながら、沙希ちゃんは聞き返しました。
「え? ああ、これね。邪魔が入らないようによ」
先生、笑みが妖しいです。そのまま、ゆっくりと沙希ちゃんに近づきます。
「で、相談って何かしら?」
「あ、あの、その……、や、やっぱり……」
「なぁに? ここまで来て、『やっぱりいいです』なんて通じないわよぉ」
そう言いながら、先生はずいっと沙希ちゃんに迫ります。
「あ、でも、その……きゃっ」
じりじりと後退していた沙希ちゃん、何時の間にか後ろにベッドがあることに気がつかなかったのです。そのままベッドに倒れ込んでしまいました。
さすがは先生。ちゃんと追い込んでいたんですね。
慌てて起き上がろうとする沙希ちゃんの肩をぐわしっと掴むと、先生は沙希ちゃんの瞳を見つめて、低音でささやきました。
「そんなに逃げないで。私の子猫ちゃん」
「あたし、子猫なんかじゃないですぅ」
うるうるする沙希ちゃん。先生は内心で舌打ちしました。
(うーん、残念。その気がある娘なら、これで落ちるんだけどなぁ。虹野さんはその気はまったくなし、かぁ。でも、こないだの如月さんのときは結構その気になってたのにねぇ)
「ま、冗談はそれくらいにしておこっか」
先生は体を起こすと、沙希ちゃんをベッドから引っ張り起こしました。
沙希ちゃんはほっと胸をなで下ろすと、やっと本題に入るのでした。
その頃、望ちゃんと彩子ちゃんは中庭に来ていました。
「ワァオ。これが望の花壇ね」
「バ、バカ! 照れるじゃないか!」
慌てて左右を見ながら、顔を赤くする望ちゃんです。
彩子ちゃんはその肩を叩きながら笑いました。
「照れない、照れない。ま、確かに望のイメージじゃないかもしれないけどねぇ」
「ほっとけ」
望ちゃんは腕を組んでむくれました。それから彩子ちゃんに訊ねます。
「それにしても、片桐さんの方こそ、どうしたんだよ。急に花のことを聞きたいだなんてさぁ」
「ちょっと、絵を描きたくなったのよねぇ。ほら、ピピッとこのあたりにインスピレーションが湧いたのよ」
彩子ちゃんはそう言いながら、こめかみのあたりを指して見せます。
望ちゃんは肩を竦めました。
「そういうのって、あたしにはよくわかんないけど、まぁ花のことだったら何でも聞いてくれよ」
「頼りにしておりますわよぉ」
彩子ちゃんは望ちゃんを拝みました。望ちゃんも照れくさそうではありますが、まんざらでもないようです。
「紐緒さんの検査を受けたわけだ」
「はい。それで、その、あたしの身体、大丈夫かなって思って……」
そう呟いて、沙希ちゃんはうつむきました。
「だって、あたしの身体は公くんにあげるまでは清いままでいたいんだもの、ってこと?」
「せっ、せんせぇっ!!」
思わず沙希ちゃん、悲鳴のような声を上げてしまいました。おやおや、お顔がトマトですねぇ。
そんな沙希ちゃんの頭をかいぐりかいぐりしながら、先生は微笑みました。
「もう、可愛いんだからこの娘は。よしわかった。先生がチェックしてあげましょう」
「ほんとですか?」
パッと表情を輝かせて、沙希ちゃんは先生に聞き返しました。先生は優しくうなずきます。
「もちろん、秘密は守るわよ。さぁ、それじゃまず脱いで」
「……へ?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする沙希ちゃん。
先生は、机の中から聴診器を出しながら、もう一度言いました。
「診察するから脱ぎなさい」
「で、でも……」
「ほれほれ脱ぎなさい」
先生、楽しそうですねぇ。
「異常なし、と。よかったわねぇ、沙希ちゃん。どこから見てもバリバリぶっちぎりの清純な女の子よ」
先生はクリップボードから顔を上げて、ブラウスのボタンを留めている沙希ちゃんに言いました。
「そ、そうですか? ……よかったぁ」
最後の言葉を小声で呟く沙希ちゃん。
地獄耳の先生は、その言葉を聞き逃しませんでしたが、何も言いませんでした。
(いーわよねぇ、やっぱり若い子の肌はピチピチしてて)
どうやらすっかり満足しているようです。しかし、妖しい先生ですねぇ。
先生は窓の外を見ました。もう暗くなっています。
「あら、もうこんな時間かぁ。虹野さん、送って行くわよ」
先生は白衣を脱いでロッカーを開けながら沙希ちゃんに言いました。
「こ、ここは?」
未緒ちゃんは目を開けると、あたりを見回しました。そして、はっとすると、恐る恐る枕元の棚の方を見ます。
そこには、怪しい生き物はいませんでした。未緒ちゃんは、ほっと一息つくと、改めてあたりを見回します。
と、不意にドアが開きました。
「あ、如月さん。気がついたんですね?」
「……館林さん?」
見晴ちゃんは、えへへーと笑いました。
未緒ちゃんはベッドから起き上がりながら訊ねました。
「ここはどこですか?」
「私の家よ」
そう言いながら、見晴ちゃんはベッドの端に腰を下ろしました。
「館林さんの家、ですか?」
「うん。あのね、私が帰ろうとしてたら、目の前で如月さんが倒れてたの。私、びっくりしたんだけど、とにかくそのままにもしておけないから、如月さんを担いで帰ってきたんだよ」
「私を担いで、ですか?」
未緒ちゃんは目を丸くして、自分よりさらに一回り小さな見晴ちゃんの身体を見回しました。
見晴ちゃんはくすくす笑いました。
ここだけの話、八極拳を極めた見晴ちゃんにとっては、未緒ちゃんを担いで帰ることなんて、あまり大した事じゃなかったんですよね。
「とにかく、ありがとうございました」
未緒ちゃんはそう言って立ち上がりました。見晴ちゃんはそんな未緒ちゃんを引き止めます。
「もうちょっとゆっくりしていったら? もう少ししたら、晴海姉ぇも帰ってくるし、そうしたら夕御飯にするからさぁ」
「!」
晴海さんの名前を聞いた瞬間、未緒ちゃんは立ち上がりました。そしてあたふたと見晴ちゃんに言います。
「今日はありがとうございました。このお礼はいずれ。それじゃさようなら」
「え? ええ?」
見晴ちゃんが目を白黒させている間に、未緒ちゃんはささっとお部屋から出ていってしまいました。
トルルル、トルルル、トルッ
「はい、早乙女れす」
優美ちゃんの声が受話器の向こうから聞こえました。公くんは、いつもと変わらない明るい優美ちゃんの声に何となくホッとしながら、公くんは言います。
「あ、優美ちゃん? 俺、主人」
「あぁー、先輩れすかぁ? 優美、嬉しいなぁ」
「いや、ゴメン。好雄呼んでほしいんだけど……」
「ええー? 優美じゃないんですかぁ?」
「ゴメン。優美ちゃんとはこんどゆっくり、ね」
「うん。それでいいれすよ。わぁい、楽しみだなぁ」
「……あの、優美ちゃん?」
「あ、ごめんなさい。お兄ちゃんれすね? ちょっと待っててくらさい。おにーちゃん! 電話ぁ!!」
しばらくして、好雄くんが電話に出て来ました。
「もしもし、あなたの早乙女好雄ですよぉ」
「俺はいらん」
「……なんだ、公か。何の用だ?」
好雄くんの口調が豹変します。いつも思うんですが、優美ちゃんも誰からの電話か、ちゃんと好雄くんに教えてあげたらいいんですけどねぇ。
それはさておき、公くんは好雄くんに訊ねました。
「いや、ちょっと女の子のことでな」
「女の子のことなら俺に任せてくれよ。で、何を聞きたいんだ?」
「それがさぁ……」
公くんは、今日の詩織ちゃんのこと、そして未緒ちゃんのことを話しました。
最初のうちは軽い突っ込み混じりに聞いていた好雄くん、途中から相槌を打つだけになっていましたが、公くんの話が終わると、ため息を付きました。
「そっかぁ……」
「そっかぁって、それだけか?」
「他にどう言えってんだよ」
好雄くんは、ポケットから手帳を出して、ページをめくりました。
受話器の向こうから公くんの声がしてきます。
「だから、この危機を脱する方法とか、何かないのかなって」
「危機、ねぇ」
ちらっと、居間で録画しておいたアニメを見ている優美ちゃんを見て、好雄くんは首を振りました。
それから訊ねます。
「この際だから聞くけどさ……、公よぉ、おまえ誰が好きなんだ?」
「え?」
「頼むから、みんな好きだよなんてくだんねー返事するなよな」
先に言われてしまい、そう言って逃げようとしていた公くんは口をぱくぱくさせました。
「……」
「どうなんだ?」
情け無用に返事を迫る好雄くんに、公くんは答えました。
「……わかんねーよ。自分でもわかんねーんだよ。誰が一番好きなのか」
「ほほ〜」
半分馬鹿にしたような好雄くんの口調に、公くんはかっとしました。
「確かに、ここに入学してきたときは、詩織と恋人になりたい、なんて思ってたさ。でも、お弁当作ってきてくれる虹野さんは優しいし、美樹原さんなんてちいちゃくって守ってあげなくちゃって思うし、静かな中にも一本ピシッと筋の通ってる如月さんも素敵だし、優美ちゃんの無邪気な明るさがいいなって思うことだってあるし、それに、それに……」
「あのなぁ……」
確かにわからんではないけどよぉ、と心の中では付け加えながらも、好雄くんは言葉を続けます。
「今まではそれでも許されてきたよ。だけどな、それはみんなに余裕があったからなんだぜ」
「余裕?」
「ああ。たとえば藤崎さんが、おまえが美樹原さんと腕組んで歩いていたところを目撃したとしよう。今までだったら、『あら、メグ、ずいぶん進歩したじゃない』と藤崎さんは喜んだはずだ。だがな、卒業まであと数ヶ月。卒業したらもう離れ離れになっちまうかもしれないっていう今になったら、いくら藤崎さんでも心穏やかじゃないぜ。『このままだと、メグに公くんをずっと持っていかれたままになっちゃうかもしれない』なんて考えてもおかしくはないだろうが」
「ちょ、ちょっと待てよ」
公くんは、好雄くんの弁舌を遮ると、聞き返しました。
「それじゃ、まるで詩織が俺のことを好きみたいじゃないか」
「……」
さしもの好雄くんも、その答えには思わず呆然としてしまいました。
「もしもし、好雄? どうしたんだ?」
「……公、おまえって偉大な奴かも知れねぇなぁ。でなきゃただの唐変木だ」
「は?」
「ちょっと俺にも考える時間をくれよ。そうだな、明日学校で話し合おう」
「お、おう」
好雄くんは、受話器を置くと深々とため息をつきました。
「あの、馬鹿ったれ」
公くんは、コードレスのスイッチを切ると、隣の家の窓に視線を走らせました。
いつもなら、カーテンごしに柔らかいピンク色の光が漏れてくるのですが、その日は真っ暗なままです。
「詩織のやつ、まだ帰って来てないのかなぁ」
そう呟きながら、公くんは自分の部屋のカーテンを閉めました。
本当に唐変木ですねぇ。
その、詩織ちゃんのお部屋の中。
真っ暗な室内。そのベッドの上に、詩織ちゃんは座り込んだままでした。
まだ、制服のままです。
詩織ちゃんの唇から、不意に呟きがもれました。
「違う。あれは公くんじゃない。だって、公くんがあんなこと、言うはずないんだもの。私の公くんは、きっとどこかで私の助けを待ってるんだわ……」
《続く》

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