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めぐみちゃんとでぇと
第七拾伍話 優美の完敗れす

「おはよー」
「おっす!」
 元気よく挨拶を交わす友達同士。
 いつもと変わらない、3年A組の朝の一コマです。
 好雄くんはドアを開けると、教室を見渡しました。
「なんだよ、公の奴来てねーのかよ」
「おはよ、早乙女くん」
 後ろから声をかけられて、好雄くんは振り返りました。
「おや、誰かと思えばC組の鞠川の姐御」
「誰が姐御よ、誰が?」
 奈津江ちゃんはそう言うと、くるっと振り返りました。
「そこ、笑うなっ!」
「笑ってねぇよ」
 奈津江ちゃんの後ろにいた勝馬くんは、肩を竦めました。奈津江ちゃんは好雄くんに向き直ります。
「それより、詩織来てる?」
「いや、俺も来たばっかりなんだけど……」
 好雄くんは、詩織ちゃんの席の方を見ました。奇麗に片付いていますね。
「鞄もかかってねぇし、来てねぇんじゃないかな。ま、最近藤崎さん、遅めに来てるみたいだしなぁ」
「そうなのか? へぇ、真面目な藤崎にしちゃ珍しいなぁ」
 奈津江ちゃんの後ろで、勝馬くんが意外という顔をしています。好雄くんは笑いました。
「ま、誰かさんがもっと早く家を出てれば、そんなこともないんだろうけどな」
「あ、納得」
 勝馬くんは、公くんの席の方に視線を向けてうなずきました。
 奈津江ちゃんは、ちらっと腕時計を見て、好雄くんに言いました。
「しかたないわねぇ。じゃあ、詩織が来たら、後であたしのところに来てほしいって伝えてくれる?」
「ああ、いいぜ」
 好雄くんは気軽にうなずくと、教室に入って行きました。

 キーンコーンカーンコーン
 鐘が鳴り、1時間目が終わりました。
 好雄くんは先生が教室を出て行くのを見送ってから、おもむろに立ち上がりました。
「とうとう来なかったな。二人とも。C組に行って知らせないといかんなぁ」
 と、教室の後ろのドアが開いて、夕子ちゃんが飛び込んできました。
「ヨッシー! ちょっとちょっと!!」
「なんだよ、朝日奈」
 好雄くんは手招きする夕子ちゃんに訊ねました。
「いいから、ちょっと来ぃよぉ」
「はいはい」
 仕方なく、好雄くんは夕子ちゃんに駆け寄りました。
「で、なんだ?」
 訊ねる好雄くんに、夕子ちゃんは教室を見回してから言いました。
「やっぱ、来てないんだ。主人くんと藤崎さんって」
「ああ。……って、どうして知ってるんだお前?」
 好雄くんもびっくりです。さすが情報の速さでは好雄くんをしのぐと噂されるだけのことはありますね。
「それは、女の子の秘密よ。それよかさぁ、噂じゃ主人くんが藤崎さんに刺されたっていってんだけど、どう思う?」
「う……。否定はできねぇなぁ。あの朴念仁は」
 昨日の電話のこともあって、好雄くんは考え込みました。
 夕子ちゃん、鋭く突っ込みます。
「なんかあったん?」
「いや、昨日公の奴から電話があったんだけどな、あいつ、どうも未だに自分の状況に気がついてないみたいなんだ」
「マジ? あっきれたぁ」
 夕子ちゃんは天を仰ぎました。
「鈍感もここまで行くと、いっそ罪よねぇ。もう主人くんってばチョベリバって感じ」
 口をとがらせる夕子ちゃんに、好雄くんは苦笑しました。
「チョベリバねぇ」
「あによぉ。ま、いっかぁ。それじゃ、放課後ね!」
「放課後?」
「モチ! 主人くん家に様子を見に行くにきまってるっしょ?」
 夕子ちゃんはウィンクすると、「じゃっあねぇー」と駆け去って行きました。
 それを見送りながら、好雄くんは肩をすくめました。
「まったく、朝日奈もこういうことになると張り切るからなぁ。……なんて、人の事は言えねぇか」
 ぽりぽりとほっぺたを掻く好雄くん。実は夕子ちゃんに言われるまでもなく、帰りに公くんの家に寄っていこうと思っていたのでした。
 さて、きらめき高校の誇る情報通の双璧の威力でしょうか。お昼休みになる頃には、すっかり噂は学校中に広まってしまっていました。
 でも、人の噂には妙にうとい娘もいるものなんです。
 そんな娘が、A組にやってきたのは、お昼休みに入ってから3分後でした。
「うふふ。お弁当作り続けて5年間、今日のは最高の出来なんだもん! 主人くん、喜んでくれるかな? もしかしたら……えへ、えへ、えへへへ」
 お弁当を抱きしめて、沙希ちゃんしばらくうっとりとしていました。やがて、はっと我に返ります。
「あ、いけないいけない。えっと……」
 教室を見回しますが、当然公くんの姿はありません。がっくりと肩を落とす沙希ちゃん。
「いないんだぁ……。もう購買のパンを買いに行っちゃったのかなぁ。それとも、食堂のスペシャル日替わりAランチを食べに行っちゃったのかなぁ?」
「あれぇ? 虹野先輩じゃないれすか?」
 そんな沙希ちゃんに後ろから声がかけられました。
 振り返ると、優美ちゃんが手を腰の後ろで組んで立っています。
「こんにちわぁ!」
「あ、優美ちゃん。どうしたの?」
 訊ねる沙希ちゃんに、優美ちゃんは直接答えないで、教室をひょいっとのぞき込みました。
「お兄ちゃんいないなぁ……」
「あら、早乙女くんに会いに来たんだぁ」
「そうなんれす」
 優美ちゃんは頷きました。沙希ちゃんはにこっと笑います。
「ホントに仲がいいよね、早乙女くんと優美ちゃんって」
「ええ? そんなことないれすよぉ。お兄ちゃんってもうどうしようもないんだからぁ」
 おおやだって感じで優美ちゃんは首を振ります。
「ぶぇっくしぃぃ!!」
 食堂で定食をかっ込んでいた好雄くんは、不意に大きなくしゃみをしました。
「ひゃぁぁ! な、なにすんのよぉっ!!」
 前に座っていた夕子ちゃんに、好雄くんの口の中に入っていたものが、ものの見事にひっかかっていました。さしもの反射神経を誇る夕子ちゃんでも避ける暇もなかったようですね。
「す、すまん」
「超さいてぇ! もう超むかぁって感じ!」
 夕子ちゃんは憤然と立ち上がると、すたすたと歩き出しました。
「お、おい、朝日奈……」
 おそるおそる声をかけた好雄くんに、夕子ちゃんはくるっと振り向くと、一言言い放ちました。
「後で、ロッ○リアだかんね!」
「……はい」
 再び憤然とトイレの方に歩いていく夕子ちゃんを見送りながら、好雄くんは鼻を掻きました。
「誰か噂してっかなぁ?」
「優美はぁ、主人先輩が休んだって聞いたから、お兄ちゃんにちょっと聞きに来ただけれすよぉ」
「え? 主人くんお休みなの?」
 思わず聞き返す沙希ちゃんを、優美ちゃんは意外そうに見ました。
 ちなみに、優美ちゃんと沙希ちゃんは、背の高さはほとんど一緒なんですね。優美ちゃんはいつもポニーテイルに髪を結い上げていますから、こうして同じ所にいると、沙希ちゃんの方が背が低く見えてしまいます。
「虹野先輩、聞いてないんれすか?」
「え?」
「噂だと、主人先輩、藤崎先輩に毒を飲まされて全治1カ月って言ってましたよぉ」
「ええーっ!?」
 沙希ちゃん、思わずお弁当を取り落としかけて、慌てて袋を掴みました。
 優美ちゃんは肩をすくめます。
「優美も信じてないれすよぉ。でも、ちょっと気になるから、お兄ちゃんに確認してみようと思ったんれす。でも、いないから帰ります」
 そう言って帰ろうとした優美ちゃんを沙希ちゃんは呼び止めました。
「ちょっと待って、優美ちゃん」
「何れすか?」
 振り返った優美ちゃんに、沙希ちゃんは手にした袋を掲げて見せました。
「お昼まだだったら、このお弁当、食べてくれないかな? 残っちゃっても困るし、それに食べてくれそうな人って、いないから」
 沙希ちゃんのお弁当なら、万難を排しても食べたいって人は大勢いると思うんですけれどもね。

 沙希ちゃんと優美ちゃんは中庭にやってきました。
 早速優美ちゃんはお弁当箱の蓋に手をかけ、思わずごくりと唾を飲みます。
(これが、虹弁って言われてる虹野先輩のお弁当れすね。でも、優美の方が美味しいんだもん)
「ささ、どうぞどうぞ」
 そんな優美ちゃんの心中を知ってか知らずか、沙希ちゃんは笑顔で優美ちゃんにお弁当を勧めます。
 優美ちゃんは蓋を開けました。
(ふーん。見た目はあんまり優美のと変わらんないよぉ)
 心の中でそう呟きながら、目でお箸を探す優美ちゃん。その目の前に、沙希ちゃんがお箸を、柄を優美ちゃんに向けて差し出します。
「はい、どうぞ」
「あ、どうもれす」
 お箸を受け取ると、優美ちゃんは、とりあえず鶏の空揚げを一つつまみました。
 一噛み、二噛み、ごっくん。
「美味しいれす!」
 思わず声を上げてしまう優美ちゃんでした。
「よかったぁ。今日のは衣をパン粉じゃなくて、食パンをおろして作った粉でやってみたのよ」
「え?」
 優美ちゃんは沙希ちゃんをまじまじと見ました。
「優美ちゃん、どうかしたの?」
「……なんれもないれす」
(言えないよぉ。優美のお弁当の空揚げ、レンジでチンするやつだなんてぇ……)
 心の中で泣きながら、美味しいお弁当を食べる優美ちゃんでした。
 カルチャーショックを受けながら、一通り食べ終わった優美ちゃん、最後に添えられていたパセリも、ちゃんとむしゃむしゃと食べます。
「このパセリもなんだか風味がありますれすね」
「あ、それ、家で育てたパセリなのよ」
 ガガーン
 優美ちゃんはその場にがっくりと両手を尽きました。
「……優美の完敗れす」
 沙希ちゃんは、そんな優美ちゃんにかまわず、辺りを見回していました。
「……今、未緒ちゃんがいたような気がしたんだけど……」

《続く》

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