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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんの初デート(前編)


 そろそろ5月になろうかっていう頃。いわゆるGWが目前まで迫ってきて、みんなそこはかとなく浮かれてる感じ。
 今日は、職員会議とかで先生が来られないからって、サッカー部の練習はお休みなの。
 最近、すっかり放課後は練習ってリズムが身体に染みついちゃってたから、なんだか妙な感じ。
 どうしようかな?
 あ、そうだ!
 久しぶりに『Mute』に行ってみようっと。きっと、ひなちゃんあそこでだべってるわ。

 あれ?
 『Mute』のドアの前で、マスターが女の人と何か立ち話してる。
 綺麗な人……。って、後ろ姿しか見えないんだけど、でも長い黒髪がすごく綺麗。ああいうのをみどりの黒髪っていうんだろうなぁ。
「それじゃ、先輩。今日はありがとうございました」
「ああ。また、気が向いたら寄ってくれよ」
「はい」
 その人は丁寧に一礼して、踵を返そうとしたの。そこにマスターが声をかける。
「さっきの話、よかったら考えてみてくれないかな?」
「……はい」
 その女の人はもう一度頭を下げて、そのまま歩いていったの。わ、前から見ても綺麗な人。
 それを見送ってたマスターが、あたしに気づいた。
「あ、沙希ちゃんじゃないか。久しぶり」
「はい。お久しぶりです。あの……」
 気になるけど、やっぱり聞いちゃいけないかな?
 あたしがちょっとためらってると、マスターは笑った。
「ああ、あの娘は大学の時の後輩でね。それより、夕子なら来てるよ」
 あたしは、マスターに続いてドアをくぐったの。
 思った通り、ひなちゃんはいたの。でも、その隣に知らない男子生徒がいたのよ。
 邪魔しちゃ悪いかなって思ったとき、ドアについているカウベルがカランカランって鳴っちゃって、2人ともこっちを見たの。
「あ、沙希ぃ。めずらしーね。最近来なかったじゃん」
 ひなちゃんは相変わらず人なつっこく手を小さく振ってる。
 あ、隣の男の人、立ち上がった。ヤダ、近づいてくるよ。
 彼は、入り口で立ち止まってるあたしの前に来ると、大げさにお辞儀した。
「始めまして。俺は1年C組の戎谷淳っていうんだ。以後よろしく」
「戎谷、くん? あ、あたしは……」
「知ってるよ。1年E組、運動部のアイドル虹野沙希さん」
 彼はにこっと笑った。
「やだぁ、アイドルだなんて、そんな……」
「照れなくてもいいさ。気は優しくてかわいらしいし、よく気がつくし。付き合ってる人はいないの?」
「え? そ、そんな人いませんよぉ」
「へぇ。じゃ、立候補しようかなオレーッ!」
 不意に戎谷くんは悲鳴を上げた。あ、ひなちゃんが後ろから耳を引っ張ったんだ。
 ひなちゃんはその姿勢のままで言う。
「気を付けなよぉ、沙希ぃ。こいつってば女の子に手が早いんだからぁ」
「そんなことは……」
「無いって言えるのかぁ? このこのこのぉ」
「いたたた、ごめんなさい」
 そんな2人のやりとりを聞いてて、あたし思わず吹き出しちゃった。
 あたし達は奥のボックス席に座った。マスターがコーヒーを持ってきてくれる。
「はい、いつものブレンド」
「ありがとう、マスター。今度、あのカルパッチョの作り方、教えてね」
「いいよ。それじゃ、ごゆっくり」
 マスターはお盆を持ってカウンターの中に戻ってった。戎谷くんがあたしに聞く。
「沙希ちゃんって料理、得意なの?」
「そんなんじゃない……」
「ちょー得意!」
 言いかけたあたしを遮ってひなちゃんが、自分の事みたいに自慢するの。
「ちょっと、ひなちゃん。あたし、そんなに上手じゃないのに……」
「あ・の・ね。そーゆーの、ちょー嫌みってんだぞ。ホントにおいしいんだからねぇ、沙希の料理って」
「ふーん。今度ご相伴に預かりたいねぇ」
「え、えーっと。そうそう、ひなちゃんと戎谷くんって、お友達?」
 あたしが聞いたら、2人は顔を見合わせてぷっと吹き出した。
「あははは、俺と朝日奈がぁ?」
「沙希、それさいっこーのジョークじゃん。キャハハハ」
「え? え?」
 わけがわかんなくって、2人の顔を見比べるあたし。
 やっと笑い納めたひなちゃんが説明した。
「あのね、こいつが先に声をかけてきたんだけどね」
「こいつはないだろ、おい。そっちこそ散々金出させやがって」
 ははぁ。ひなちゃん、ナンパされたと見せかけて、人のお金で遊び回ったわねぇ。ホントに懲りないんだから。
「ひなちゃん……」
 あたし、ひなちゃんをじとーっと睨んだ。慌ててひなちゃんが手を振る。
「だって、こいつしつこいんだもーん」
「それにしたって! 中学のとき襲われそうになったの忘れちゃったわけじゃないでしょ!」
「おいおい、俺はジェントルマンだぜ」
 戎谷くんが口を挟んだ。
「あ、ごめんなさい。あなたがそうだって言うわけじゃなくって……」
「まぁ、忘れよ、忘れよ」
 ひなちゃんはお得意のセリフで誤魔化した。ん、もう。そういうのは巧いんだからぁ。
「それよりさ、沙希ちゃん。今度俺とデートしない?」
 戎谷くんが唐突に言った。
「え? デート?」
「そう。ちょうど、もうすぐゴールデンウィークじゃん。映画でも見に行かない?」
「でも……、あたし、デートってしたことないしぃ……」
 ひなちゃんと戎谷くんが顔を見合わせて、同時に叫んだ。
「ええーっ!?」
「沙希ぃ、からかってないでしょうね?」
「ホントよ。あたしってかわいくないしぃ」
 バキィ
 ひなちゃんの手元で、何だか凄い音がしたの。
「……ひなちゃん、どうしたの?」
「ティースプーンが折れちゃった。あはは。と、とにかくそれじゃ、こいつとデートさせるわけにもいかないなぁ」
「どういう意味だよ、それは」
 戎谷くんがひなちゃんに聞き返す。ひなちゃんはちっちっちっと指を振った。
「当たり前っしょ。誰が親友を狼の前に放り出しますか」
「狼だなんて、淳ちゃん泣いちゃう」
「勝手に泣いてなさいっ。よし」
 ひなちゃんがどんと胸を打った。そしてけほけほとせき込む。
「ちょ、ちょっと、ひなちゃん」
「いたた。みぞおちに入っちゃった。とにかくね、あたしに任せときぃ! 沙希のファーストデートはちゃんとコーディネートすっから」
「あん、そんなことしなくてもいーよぉ」
「ダメダメ。あのね、今時の女の子はね、男の子の3人や4人、ちゃちゃっとあしらえないとダメなんだぞ」
「そ、そうなの?」
「そうそう」
 ひなちゃんはにぃっと笑った。隣で戎谷くんが何とも言えない顔してる。
 次の日は、サッカー部の練習があったの。
 あたしは、いつものようにマネージャーのお仕事。部室で資料をかたずけてた。
 カチャ
 ドアが開いた音がして、あたしは顔を上げた。
「あ、主人くん。どうしたの?」
「に、虹野さん……」
 どうしたのかな? なんだか緊張してるみたい。
「あの、その……。や、やっぱりいいよ。じゃ」
 そのまま主人くん、出て行っちゃった。どうしちゃったんだろう? へんなの。
 あ、もしかして!
 あたしはボールペンを置いて立ち上がった。ドアを開ける。
 主人くんは走って練習に戻ろうとしてた。
「主人くん!」
「えっ!?」
 振り向いて立ち止まる主人くん。
 あたしは駆け寄った。
「もしかして、主人くん……」
「にっ、虹野さん……」
 やっぱり、そうなんだ。
 ごめんね、あたし、気づいてあげられなくて……。これじゃ、失格だよね。
「主人くん、どこを怪我したの?」
「は?」
「え? 違うの?」
 そ、そうよね。どこも怪我してないのは、見ただけでわかるもん。
 あ、そうか、きっと、スランプで悩んでるのね。
「主人くん。悩んでるときは、人に話してみた方がいいわよ」
「そ、そう?」
「うん。どんな悩みだって、努力と根性で、なんとかなるものだって!」
「うーん。やっぱり、いいよ」
「そう? あ、でも、話したくなったら、いつでも教えてね」
「じゃ」
 彼は走って戻っていったの。
 そう、これよ! 青春よねっ!
 数日後の日曜日。
「沙希、電話よ!」
「え? はーい」
 あたしは読んでた「徹底攻略! 丼もののすべて」を置いて、下に降りていったの。
 お母さんがにこにこ笑いながらあたしに受話器を渡す。
「ど、どうしたの? お母さん」
「な〜んでもないわ。おほほほほ、ごゆっくりね」
 そのまま、笑いながら戻っていくお母さん。変なの。
 あたしは受話器を持ち直した。
「もしもし、お電話変わりました。沙希ですけど」
「あ、虹野さん? 俺、主人」
「主人くん? 何の用?」
「あのさ、5月の4日、空いてるかな?」
 唐突に主人くんはそう切り出してきたの。えっと、明明後日よね。
 あ、もしかして、悩みを打ち明けてくれる気になったのかな?
 マネージャーとしては断れないわよね。そういうことは。
 あたしはカレンダーをめくったの。
「ええっとね。うん、空いてるわよ」
「それじゃ、ディスティニーランドに行かない?」
 ディスティニーランドって、電車で二つ先にある遊園地よね。でも、どうして遊園地なんだろ? ……あ、そうか。きっと、気を紛らわしたいのね。
「うん。いいわよ」
「ホント!? じゃ、ディスティニーランドの前に10時、でいい?」
「ええ」
「じゃ、そういうことで」
 ピッ
 電話が切れた。あたし、受話器を胸に抱いて、じーんとしてた。
 だって、悩みを打ち明けてもらえるってことは、マネージャーとして認められたって事じゃない。
 あたしもいよいよ、一人前のマネージャーなのねっ!!

《続く》

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