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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんの初デート(後編)

5月4日。国民の休日。
「あ! 主人くん! こっちこっち!!」
あたしは手を振った。それを見つけて走ってくる主人くん。
「ごめんごめん、遅れちゃって……」
「5分の遅刻だぞ」
あたし、ちょっと睨んでみせる。主人くん、慌てて謝るの。
「ホントにごめん。目覚ましが鳴らなくって……」
「いーよ。許してあげるね」
くすっと笑いながらあたしは言った。
大きく息をつく主人くん。
「よかったぁ。あ、とにかく中に入ろう」
「そうね」
入り口で立ち話も何だしね。
あたし達は並んでゲートをくぐった。
……あら? 今誰かの視線を感じたような気がしたけど……。気のせいよね、きっと。
主人くん、なんとなくうきうきしてるみたい。ちょっとは気晴らしになってるのかな?
だったら嬉しいな。
「あ、虹野さん。観覧車に乗らない?」
「観覧車? いいわよ」
あたしは大きく頷いた。
大きな観覧車が、ゆっくりと回転している。
「さ、乗ろうよ」
あたしは先にゴンドラに乗り込んだ。後から主人くんが入ってきて、係りの人がドアを閉める。
バタン
そして、ゆっくりとゴンドラは上がってゆく。
1周30分の小さな旅行。
だんだんと、下の風景が小さくなっていく。
「うわぁ、すごいね。こんなに高いの」
「虹野さん、観覧車って乗らないの?」
「そうね。やっぱり最近はあまり遊園地なんて来なかったから……」
「どうして?」
「だって、一人で来るところでもないし、女の子同士だったらお買い物には行くけれど、こんな所には来ないでしょ?」
あたしが言うと、主人くん、頭を掻いた。
「そうかぁ。俺、女の子と一緒にどこかに行くなんて初めてだから、よくわかんなかったけど、遊園地って、それじゃ結構よかった?」
「そうねぇ、久しぶりだから、結構面白いね」
あたしは、窓の外を見た。
「あ、ほら! 主人くん、きらめき高校が見えるわ!」
「ほんとう……」
「ね、あんなに小さく……」
あたしは主人くんの方に向き直った。
あれ、主人くん、どうしてあたしを見てるの?
「……主人くん?」
「あ、ご、ごめん」
慌てて、主人くん、脇を向いちゃった。
「……その、虹野さんって……、かわいいなって……」
「え……?」
あたし、思わず立ち上がっちゃった。
「主人くん、あの……」
ガタン
突然、ゴンドラが大きく揺れた。
「きゃあっ!」
「わっ!」
あたし、バランスを崩して主人くんの方に倒れこんじゃった。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
何だか、すごく懐かしい音がしている……。
何の音かしら……。
「に、虹野さん……」
声が聞こえて、あたしははっと我に返った。
あたし、主人くんの胸に耳を押し当ててたの。
「ごっ、ごめんなさい!」
あたしはとびすさった。そして、気がついたの。
「……もしかして、止まってるの?」
「……みたい」
観覧車が止まっちゃってるの。
「ど、どうしよう……」
「……うーん」
主人くん、頭を掻いた。
「虹野さん、とにかく騒いだってどうしようもないし、落ちつこうよ」
「う、うん。……でも……」
もしかして、このまま止まったままだったら……。
それより、壊れちゃってここから落ちちゃったら……。
あたし、窓から下を見てみた。うわぁぁ。20メートルはありそうだよ。
こんな所から落ちたら……、間違いなく……。
「ぬ、主人くん……、あたし……、怖い……」
あたし、思わず自分の肩を抱いてうずくまっちゃった。
と、
ふわっ
あたしの肩に何か掛けられた。あ、主人くんのジャケット?
「主人くん……」
「心配いらないよ。必ず、助かる」
主人くん、微笑みながら言ったの。
あたし、何故かその微笑みを見て安心したの。なんていうか、この人といれば、大丈夫だって。
「……主人くん……、隣に座っていい?」
思い切って聞いてみた。主人くんは頷くと、ちょっと横に身体をずらした。
「どうぞ」
「う、うん」
あたしは、主人くんの隣に座った。そして、その顔を見上げる。
「主人くんは、怖くないの?」
「うん。虹野さんの顔見てるから」
さらっと言う主人くん。
「え? や、やだ、もう。おだてたって何も出ないわよ」
と、
ガクン
ゴンドラが揺れて、動き出したの。
「ふぅ、助かったね、主人くん」
「う、うん」
ガチャ
ゴンドラのドアを開けて、係りの人がすまなさそうな顔を出す。
「申し訳ありませんでした。大丈夫でしたか?」
「ええ。主人くん、出ましょ」
「え、ああ」
「……早く出ないと、もう一周しちゃうよ」
「じ、実は、安心したとたん、腰が抜けちゃって……」
主人くん、照れたような笑いを浮かべたの。
もう、だらしないなぁ。
「じゃ、また学校で!」
「うん」
あたし達は遊園地のゲートの前で別れようとしてた。
あ、そうだ! あたし、まだ主人くんの悩みを聞いてないよ!
あたしは慌てて主人くんを呼び止めた。
「主人くん!」
「え? どうしたの?」
「あのね、主人くん。なにか相談したいことがあるんじゃないの?」
「え? 別にないけど……」
「……ええーっ!?」
あたし、思わず主人くんに詰め寄っちゃった。
「じゃあ、今日はいったいどうしてあたしをこんな所に連れてきたの?」
「どうしてって、デートのつもり……だったんだけど……」
「デ、デート!?」
う、そ……。
これが、デートなの!? あたしの初めてのデート、だったの!?
そんなのって、そんなのって……。
「そんなのって、ないよっ!!」
あたし、主人くんに向かって叫んでた。
「に、虹野さん?」
「……帰る……」
あたし、ポツッと言って、主人くんに背中を向けた。これ以上、ここにいたら、主人くんに何を言い出すか、わからなかったから……。
カランカラン
「いらっしゃい……、なんだ、沙希ちゃんか」
あたしが『Mute』のドアを開けると、マスターがカウンターの向こうから声をかけてくれた。
「あ、マスター……」
「どうしたんだい? いつもの明るさ1000Wの沙希ちゃんらしくないぞ。はい」
マスターは、熱いおしぼりを出してくれた。あたし、それで顔を拭いた。
「ありがと、マスター」
「何かあったの? 俺でよけりゃ、相談に乗るよ」
「うん……」
あたし、おしぼりを弄びながら、マスターに今日のことを話してた。
「……ふぅん。つまり、沙希ちゃんは、初めてのデートが自分が知らないうちに終わっちゃったのが悔しいんだね」
「そう、なのかな?」
自分でもどうして怒っちゃったのか、よくわかんなかった。あたしは、ストローをくわえながら曖昧に頷いた。あ、マスターがレモンスカッシュをつくってくれたの。
「初めてのデートの前の晩っていえば、どきどきして眠れなかったりするし、それに持ってる服をあーでもないこーでもないって選んで、結局新しい服を買いに行っちゃったりする。そういう、なんていうのかな、ときめきを感じたかったわけだね。やっぱり初めてのデートの前ってのは二度とない特別なものだし」
「マスター、経験あるの?」
「まぁね。これでも結構女の子とは付き合ってたからね」
不器用にウィンクするマスター。ふふ、ウィンクなら彩ちゃんの方がずっと上手ね。
そういえば、この間お店の前で話してた女の人、マスターは大学の後輩って言ってたなぁ……。あの人も、なのかな?
マスターが言葉を続けた。
「でもさ、それはこれからだって出来る事じゃないかな。2回目のデートが1回目よりもつまらないっていうのは、それはそれで悲しいことだと思うけどね」
「……なんだか、説得力があるね、マスターの言葉って」
「ま、伊達に沙希ちゃんより長生きしてないって」
「うん」
あたしはレモンスカッシュを飲み干して立ち上がった。
「学校で主人くんに逢ったら、謝ります」
「それがいい……。いや、学校まで待たなくてもいいみたいだ」
「え?」
あたしはマスターの視線を追って振り向いた。
ドアの所に主人くんがいた。
「主人くん!」
「やっぱりここにいたんだ、虹野さん」
主人くんの所に駆け寄って、あたしは頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
あとで確かめたところ……。
やっぱり、このデートをセッティングしたのはひなちゃんだったの。
主人くんをたきつけて……。
でも、こうも言ってた。
「主人くん、沙希のこと結構気になってるらしいからね」
あれって本当なのかなぁ。
でも……。あのデートから、主人くんのことが、何となく気にはなってるの。
気がついたら、主人くんを目で追いかけたりしてて……。
これって、恋、かな?
まさか、ね……。
《続く》

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