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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんのセカンドデート(後編)

困ったなぁ。
あたし、頭を抱えながら、廊下を歩いてた。
声かけるっていったって、そんなの恥ずかしいし。それに、主人くんの音楽の趣味なんて知らないし……。
藤崎さんの幼なじみだから、やっぱりクラシックな人じゃないのかな?
うーん。どうしよう……。
「いよっ!」
「ひゃん!」
び、びっくりしたぁ。
後ろからいきなり声をかけられて、あたし思わず飛び上がっちゃった。弾みで、持っていたチケットがヒラヒラと廊下に落ちる。
「おっと」
床に落ちる寸前に、それを掴む手。
「落ちましたよ、沙希姫」
「さ、早乙女くん……」
「へぇ、ファイヤーボマーかぁ。虹野さんは相変わらずロックが趣味、と」
早乙女くん、いきなり手帳を出して、何か書き込んでる。あれがひなちゃんの頭痛の種、いわゆる早乙女メモなのよね。
「あ、はい」
早乙女くん、チケットを返してくれた。
「で、ペアって事は、やっぱり誰かと一緒に?」
「う……。そ、それは……」
そうだ! 早乙女くんなら知ってるかもしれないな。
「あ、あの、早乙女くん」
「なんだい?」
「早乙女くんって、口は堅いよね?」
「当然。愛の伝道師早乙女好雄、口が堅くなくちゃ、こんな事やってられないぜ」
早乙女くん、口の前でチャックを引くしぐさをして見せた。
よ、よーし。
「あっ、あの、聞きたいんだけど……」
「俺のことなら嬉しいな」
「あ、違うわよ。主人くんのこと」
「なぁんだ。がっかり」
早乙女くん、がっくりとうなだれながら手帳を引っぱり出した。器用ね。
「公の何を知りたいの? あ、音楽の趣味だね」
「う、うん……」
「ええっとね、あいつ、音楽は……。ああ、あったあった」
ごくり
思わずつばを飲み込んで、あたしは早乙女くんのセリフを待った。
「クラシック……」
「ええーっ!?」
「……は、嫌い」
「……ば、莫迦ぁ。びっくりするじゃないの」
「あはは。そうだね、ロックとかニューミュージックが好みだな、あいつ」
「ロック好きなの?」
「ああ。ちなみに、ファイヤーボマーは、チケットを取り損なったってこの間ぼやいてたよなぁ」
「やったぁ!」
あたし、思わず早乙女くんに抱きついてた。はっと我にかえって、慌てて離れる。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いえいえ、役得ですから」
早乙女くんは笑って言った。結構、いい人よね、早乙女くんって。やっぱりひなちゃん、見る目あるなぁ。
「じゃね」
早乙女くんはそう言うと、どこかに歩いていった。
これからどうしようか。今から部活に出るのも、なんか変だよね。
主人くんを誘うのは、明日にしようかな。
……ダメ、ダメよ、沙希。
根性が足りないわっ!!
自分に言い聞かせながら、グラウンドに向かう。
サッカー部のみんなは、いつもみたいに練習してる。
あ。
ころころっとサッカーボールが足下に転がってきた。
「ごめ……、あれ? マネージャー」
主人くんっ!
あたし、どきっとした。あれ?
ドキドキが、止まらない。
「どうしたの、今日は……」
「あ、あの、ぬ、主人くん、そ、その……」
「おーい、どうした、主人!?」
「は、はい!」
先輩の声に答えてから、主人くんはあたしに言った。
「調子が悪いんなら、早く帰った方がいいよ。監督には俺が言っておくから」
「え? ちが……」
「無理しないの。顔、真っ赤だし、熱があるんじゃないのかい?」
主人くんはそう言うと、駆け戻っていっちゃった。
あたし、結局そのまま帰っちゃった。
で、翌日は土曜日。授業は午前中でおしまい。
授業が終わってから、あたしは決心して主人くんのクラスに行ったの。
ドアのところからひょいっと覗き込む。
どうか、まだ帰っていませんように……。
いた!
男の子達と何か話してる。
ど、どうやって呼び出そう……。
と。
「あら、虹野さん。どうしたの?」
「え? あ、藤崎さん」
後ろから声をかけられて振り向くと、廊下に藤崎さんが立ってた。にこにこしながら聞く。
「あ、公くんに用事なの?」
「う、うん……」
「そう。じゃ、呼んできてあげるわね」
「あ……」
藤崎さんは、そのまま教室の中に入って行っちゃった。主人くんの後ろから何か話しかけて、こっちを指している。
主人くんが来たっ!
「や、虹野さん。何か用?」
「う、うん、あのね……」
言いかけて、主人くんと話してた男の子達が興味津々にこっちを見てるのに気がついた。
「ち、ちょっと来て……」
あたし、主人くんを引っ張っていった。
図書室まで引っ張ってくると、あたしは向き直った。
「ぬ、ぬ、主人くん、あ、あのっ……。ごめん、ちょっと待って……」
あたしは大きく深呼吸して、何度も練習したセリフを言う。
「あのっ、にっ、日曜日、空いてる? 」
「日曜日って、明日?」
あ、そうなるよね……、あはは。
「うっ、うん、そう」
「空いてるよ」
「そ、そう? あ、あのね、このチケットが手に入ったの。良かったら一緒に見に行かない?」
あたしは、主人くんにチケットを渡した。
主人くんは、それを見るなり、目を輝かせた。
「ファイヤーボマー!? すっげぇ。よく手に入ったね。行きたかったんだ、これ!」
「じゃ、じゃあ……」
「行く! 雨が降ろうと、槍が降ろうと、行かせていただきます!」
主人くん、あたしを拝むみたいにして言った。
よかったぁ。でも、ちょっと複雑な気分。
このチケットを渡したのが、片桐さんでも、主人くん、同じように言ったのかな?
いけない、いけない。今は、そんなこと考えないようにしなくっちゃ。
あたしは、笑顔になって言ったの。
「よかったぁ……」
夜。
あたしはベッドの上一杯に洋服を広げてた。
明日、何を着ていけばいいのかなぁ。
主人くんって、可愛いのが好きかな? あ、でも、ロックコンサートにフリフリの着て行くわけにもいかないし。
じゃ、スポーティーなのがいいかな? だけど、あんまり目立たないよねぇ。
あーん。あの時、お鍋買わないで服を買っておけばよかったよぉ。
あ、そうだ。髪の毛もちゃんと整えないといけないし……。
ちゃんと身体も洗っておかないと、何があるのかわかんないし……。
何があるの?
や、やだ。何考えてるのかしら、あたし……。
主人くんは、そんなことする人じゃないわよねぇ。
で、でも……。
う、うわぁ、すごい想像しちゃったよぉ。ど、どーしよう。
……い、いけない、いけない。服を選んでるのよね、あたしは。
えーっと、えーっとぉ……。
えへっ。
そして、日曜日。
雨……。
バシャバシャバシャ
水たまりの水を跳ね上げながら、あたしは走ってた。
あーん、遅れちゃったよぉ。
それもこれも、雨がいけないのよ。昨日選んでおいた赤いローヒールもこんなんじゃ履いてけないし、髪もなかなか乾かないんだもの。
「あ、虹野さん!」
コンサート会場の「きらめきドリームホール」の前で主人くんが手を振る代わりに傘を高く上げた。
あたしは駆け寄った。
「ごっ、ごめんなさい、遅れちゃって。待った?」
「ううん。俺も今来たところ」
嘘つき。
公くんの周りだけ、地面が濡れてないじゃない。ずっと、待ってたんだね。
「あ、早く行かないと、開場だよ。グッズ買うんでしょ?」
「そうね。パンフと、あとはキーホルダーだけだけどね」
そんな会話をしながら、肩を並べて会場に入っていくあたし達。
傘から滑り落ちた雨粒が、会場のライトを浴びて、一瞬虹色にきらめいた。
《続く》

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