喫茶店『Mute』へ
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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃん、すっとばす(中編)

「失礼します」
あたしは一礼して、職員室から出た。
「あ、来た来た。沙希、帰ろっ」
ひなちゃんが鞄を抱えて、駆け寄ってくる。
「あら? ひなちゃん、待っててくれたの?」
「そそ。『Mute』寄っていこうよ」
あたしは腕時計を見て頷いた。
「いいよ」
「超ラッキー!」
「た・だ・し」
ひなちゃんに、ちゃんと言っておく。
「今日はおごらないからね」
「ああーん、沙希のいけずぅ」
「ふーんだ」
カランカラン
「いらっしゃい。おや、夕子に沙希ちゃんか」
「こんにちわ」
「かっちゃん、おひさ」
きらめき高校から歩いて10分くらいの所にある喫茶店『Mute』。マスターはひなちゃんの従兄なんだって。
ここのケーキがとっても美味しいのよ。あたし、今度教えてもらうんだ。
「そうそう」
店の中がコーヒーのいい香りに包まれる頃、マスターが不意に言ったの。
「沙希ちゃん、昨日他校の生徒が来てたよ」
「他校? でも、何であたしに?」
「いや、サッカー部のマネージャーのことを聞いてたからさ……」
マスターが言い終わらないうちに、喫茶店のドアが乱暴に開けられた。ドアについているカウベルがガランガランと音を立てる。
男子生徒が数人、入ってきた。ブレザーの制服は、きらめき高校じゃないわ。
そして、襟の校章に入った「大」の文字。間違いない。あれは大門高校の……。
その人達は、真っ直ぐあたし達の方に、ううん、あたしの方に来たの。
「きらめき高校サッカー部のマネージャー、虹野沙希さんですね」
「は、はい、そうですけど」
「自分たちは、大門高校応援団のものです。再来週、我が校のサッカー部がそちらと練習試合をすること、ご存じですね」
「え、ええ」
あたしは頷いた。
「そのことで、少しお話しがあるんですが、ちょっと来ていただけませんか? お手間は取らせませんから」
「ちょっとぉ。手間を取らせないんなら、ここでもいーじゃん」
ひなちゃんが割り込んだけど、向こうの人はそれを無視してあたしを見てる。
こ、怖いけど、別にどうかされちゃうなんて事は、無いわよね。
あたしは頷いた。
「わかりました」
「ちょ、ちょっと、沙希ぃ」
ひなちゃんが袖を引っ張るけど、でもあたしはサッカー部のマネージャーだもんね。
「ひなちゃんは、ここで待っててね」
あたしは、鞄を持って立ち上がった。
公園に入ると、応援団の人たちは、あたしの方に向き直った。
「そ、それで、用件はなんですか?」
あたしは訊ねた。
「率直に言って、君たちのサッカー部は、我々の敵じゃないと思うが、念を押しておこうと思ってね」
「念を、押す?」
「ああ。我が校は伝統あるスポーツ校だ。勝とうとすることは無駄なことだ。それだけを言っておこう」
「無駄?」
「そうだとも。彼我の戦力差は歴然としている。何でも、ぽっと出の1年生をレギュラーにしなければならないそうじゃないか。そんなチームが我がチームに勝てるはずがない」
「その通り。たしか、11人しかいないんだったよな。それじゃ、誰か独りが怪我しただけで、もう試合放棄しかないわけだな」
どうして……どうしてそんなこと言われなきゃならないの?
あたし、悔しくって、涙が滲んできた。
「あたし達は、負けないわ」
あたしはきっぱり言った。
「絶対に勝つもの」
「絶対、か。それじゃ、負けたら?」
「え?」
「そうだなぁ。負けたら、俺達の言いなりになってもらうってのはどうだ?」
「そ、そんな……」
あたし、絶句しちゃった。だって……。
と、応援団の一人が、仲間に言った。
「おい、無理言うなよ。そんな約束できるわけないだろう? 勝てるはず無いんだから」
「ああ、それもそうか。アハハ」
……それが、向こうの手だって、わかってた。でも……。
あたし、賀茂先生の言葉を思い出してた。
信じてるからね、主人くん、みんな……。
「いいわ、それで」
あたしは静かに言った。
カラァン
「マスター、ただいま。……。あれ?」
店の中を見回したけど、ひなちゃんがいないの。
「ひなちゃん、帰っちゃったのかな?」
「ああ、夕子なら、沙希ちゃんが出ていったあと、すぐに出て行ったっきりだぜ」
マスターはそう答えると、あたしの前にチーズケーキを乗せたお皿を置いたの。
「これは、俺のおごり。で、大丈夫だったかい?」
「あ、うん。大した話じゃないわ」
そうよね。マスターにまで心配かけるわけにはいかないもんね。
あたしは、すっかり冷めちゃったブレンドを飲み干したの。
その翌日だった。
学校の帰りに、ゴールキーパーに選ばれてた富山先輩が、階段から落ちて怪我をしちゃったのは。
「すまん……」
三角巾で右腕を肩から吊った、痛々しい姿で富山先輩はみんなの前に頭を下げた。
「こんな時にドジふみやがって」
キャプテンは苦笑して、それからみんなの方を見回したの。
「富山がこの有様じゃ、試合はできないよな。残念だけど、今回はキャンセルってことにしよう」
「え!」
あたし、思わず声を上げちゃった。みんなが一斉にあたしを見る。
「どうしたの、マネージャー」
「あ、あの……。実は……昨日……」
あたしが話し終わると、すごい騒ぎになっちゃったの。
「畜生、あいつら!」
「寄りによってマネージャーに目を付けるったぁ、ふてぇやつらだ」
「今からでも、大門高校に乗り込んでやる!」
富山先輩も、顔を赤くして怒ってる。
「こうなったら、俺は出るぜ! 怪我なんて構うもんかよ!!」
「だめっ!」
「止めるな、マネージャー!!」
「……キーパーがいればいいんですね」
騒ぎの中、一人何か考え込んでいた主人くんが、不意にぼそっと呟いた。
「主人くん?」
「何か、心当たりがあるのか?」
キャプテンが訊ねた。主人くん、頭をかきながら頷いた。
「あると言えばあるような……」
「なんだよ、ハッキリしろ」
「ちょっと、行ってきます」
主人くん、そのまま部室から出ていった。
あ、もしかして!
「ごめんなさい。あたしも、ちょっと」
あたしはみんなに一礼して、部室から飛び出した。
「主人くん! 主人くんってば!!」
「あ、虹野さん」
あたしは中庭で主人くんに追いついた。息を整えてから、言う。
「多分、体育館じゃないかしら」
「あ、わかってた? 俺が誰を捜してるか」
「もちろんよ。人捜し、と言えばあの人でしょ? でも、男の子のことまで知ってるのかなぁ?」
「まぁ、聞いてみるさ」
主人くんはそう言うと、体育館に向かった。あたしもその後を追っかけた。
体育館にはいると、ちょうど演劇部が練習をしてたの。
ステージの上で男子生徒が台詞を言ってる。
「あちらの部屋に日本人形を用意しております……」
「ダメ! もっといやらしく聞こえるように」
「は、はい」
「あれぇ? 公くん、どうしたの、こんな所に」
あたし達がステージを思わず見てると、脇から声が聞こえたの。
そっちを見ると、レオタード姿の藤崎さんが汗をタオルで拭きながら近寄ってきた。
「あら、虹野さんも。もしかして、演劇部に入るの?」
「ううん。あたしはサッカー部のマネージャー一筋なの。……主人くん?」
「え? あ、いや、なはは」
もう、主人くんったら、藤崎さんのレオタード姿見て、鼻の下伸ばしてるんだもん。
でも、悔しいけど、藤崎さんプロポーションいいもんね。
あこがれちゃうなぁ……。
「ちょ、ちょっと、二人とも、何見てるの?」
藤崎さんが胸を手で隠すようにして後ずさって、あたしは我に返った。
「あ、違う違う。藤崎さんを見に来たんじゃなくって」
あたしはまだでれっとしてる主人くんの足を踏んずけた。
「痛てて。あ、そうそう。詩織、好雄見なかった?」
「早乙女くん? ええっとね、確かその辺りにいたと思うんだけど……、あ、あそこにいるわよ」
藤崎さんの指さす先に、女生徒と何か話してる早乙女くんがいた。
「お、好雄!!」
主人くんが叫びながら駆け寄っていく。後を追いかけようとしたあたしに、藤崎さんが言った。
「虹野さん、がんばってね」
「うん。ありがとう」
あたしは頷いて、主人くんの後を追いかけたの。
あたしが追いついたとき、主人くんは早乙女くんともう話してた。
「ゴールキーパー?」
「ああ、誰か心当たりないか?」
「おいおい。俺は愛の伝道師で、人材派遣センターじゃないんだぜ」
「そこをなんとか。この通り」
主人くんは手を合わせて頭を下げた。あたしも後ろから言う。
「早乙女くん、あたしからもお願い」
「うーん。虹野さんにそこまで言われると、断れないなぁ」
早乙女くんは苦笑して、頷いた。
「今度だけだぞ。それから公、あの約束忘れるなよ」
「わかったわかった」
主人くん、頷いた。一体何の約束したのかな?
「主人くん、約束って?」
あたしが訊ねると、何故か主人くん、慌ててるみたい。
「さて、これで手は打ったし、俺は練習に戻るよ。んじゃ!」
そう言って、すたたっと走っていく主人くん。な、なんだか気になるなぁ。
「早乙女くん……」
「おっと。俺は秘密は漏らさない主義なんだ……」
「あ〜、いたいた! 捜しちゃったじゃん!」
聞き慣れた声がしたかと思うと、ひなちゃんが駆け寄ってきた。
「あ、ひなちゃん」
「あれ? 沙希、どうしてこんなところにいるわけ? 部活は?」
「う、うん、部活の最中なんだけど……」
「じゃ、さっさと戻るべし。よっしー、ちょっと耳貸して」
「利子は高いぜ」
「バカ言ってないでさぁ、あのね……」
ひなちゃん、なにか早乙女くんに囁きはじめちゃった。ちょっとお邪魔かもね。
「それじゃ、あたしは練習に戻るから」
あたしは、そう言って体育館から出ていったの。
だけど、それからどんどん日はたっていくのに、早乙女くんは誰も紹介してくれないの。
そして、とうとう試合の日になっちゃった。
試合場所は、きらめき高校サッカーグラウンド。
朝から、大勢の人が応援に来てくれたんだけど……。
部室は重っ苦しい雰囲気に包まれてた。だって、一人足りないままなんだもん。
「どうする? 試合開始まで、あと15分しか無いぞ」
キャプテンは公くんに訊ねた。
「それは……」
「やっぱり、こうなったら俺が……」
富山先輩が三角巾をはずしかけたとき、不意にドアの所で声がしたの。
「すんません。きらめき高校サッカー部っちゅうんは、ここでいいんすか?」
《続く》

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