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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん、やっぱり……


 放課後。
 あたしはいつものように、サッカー部の部室のドアを開けた。
「あ……」
 まだ、誰もいないと思ってた部室の中には、主人くんがいたの。
「や、虹野さん」
「ご、ごめんね!」
 あたしは、ドアをバタンと閉めた。だって……、誰もいないって思ってたのに、よりによって主人くんがいるんだもの。
 ふぅ。
 ドアにもたれ掛かりながら、ため息。
 どうして、こんな事になっちゃったんだろ。
 顔見るだけでも、気まずいなんて……。
 嫌よ……、そんなの……。
 あ……。
 突然、ドアが開いた。背中をもたれさせてたあたし、そのまま、倒れかかる。
 ふわっとした浮遊感が、一瞬襲い掛かってくる。
「きゃっ」
「おっと」
 ドシン
 落ちついた声がして、あたしの身体は床には倒れなかった。
 え? 主人くん?
 主人くんがあたしの身体を押さえて……、ううん、背中から抱き留めてくれてるの?
「ご、ごめん、虹野さん」
「あっ、きゃっ!」
 あたしは慌てて主人くんから離れたの。
「ごめんなさい、主人くん」
「い、いや。まさか、ドアにもたれてるなんて気がつかなかったから……」
 そのまま、黙っちゃう主人くん。
 そうよね。嫌いな娘と話なんかしたくないものね。
「主人くん、練習、がんばってね」
 あたしはそのまま、主人くんの脇をすり抜けて部室の中に入ったの。主人くん、もう着替えてたから、きっと練習に出ようとして、部室のドアを開けたんだよね。
 後ろ手にドアを閉める。
「ちょっ、にじ……」
 バタン
 ドアの閉まる音が、やけに大きく聞こえた……。

「よし、今日の練習はここまで」
 午後6時半。集まったみんなに、明石キャプテンが声を掛ける。
 みんなは、一斉に一礼する。
「ありがとうございました!!」
「よし。1年はグランド整備をしてから上がれよ。解散」
 みんなが、わらわらと部室に戻ってくるの。
「みなさん、お疲れさまでした。どうぞ!」
 あたしは、用意して置いたスポーツドリンクのポットを一人一人に渡していく。
「うーん、美味い!」
「汗かいた後のこれは、最高だなぁ」
「マネージャーがいてくれてよかった。ううっ」
「泣くな、留萌。みっともないぞ」
「いやぁ、虹野さんのドリンク、最高っす」
「やだなぁ、そんなことないですよぉ」
 先輩達に配り終わってから、あたしはグラウンドの方に視線を向けた。
 みんな、黙々とローラーを引いて、グラウンドをならしてる。
 今の一年生は5人。主人くんが最初に入ってくれて、それから6月の試合で勝ったあとに、森くんと江藤くんと大山くんと山内くんが入ってきてくれたの。
 4人とも、中学までサッカーしてたって言ってた。きらめき高校のサッカー部は弱そうだからって入らなかったんだけど、試合を見て気を変えたって、みんな言って た。
 そういう意味じゃ、主人くんが勧誘したんだよね。
「あの……」
「きゃっ」
 突然後ろから話しかけられて、あたし思わず飛び上がっちゃった。
「なっ、なにかしら?」
 振り向くと、男子生徒が一人。わぁ、背の高い人。主人くんより高いよ。
「サッカー部のマネージャーの虹野さんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
「俺、1年の前田重治っていうんだけど、自分で言うのも何だけど、根性だったら負けないつもりです。サッカー部に入って国立競技場を目指そうと思うんですけど……」
 あ、入部希望者なんだぁ!
「サッカー部に入ってくれるの!? ありがとう!」
 あたしは、前田くんの手をぎゅっと握った。それから慌てて言う。
「ちょっと待っててね。まだキャプテンいると思うから」
「は、はい」
 あたしは、部室のドアをノックした。
「明石キャプテン、まだいますか?」
「んー?」
 キャプテンがドアを開ける。あたしは、前田くんを前に押し出しながら言った。
「入部希望者です!」
「じゃ、明日から一緒にがんばろうね!」
「ありがと。じゃ、今日はこれで」
 前田くんはそう言って帰っていった。
 キャプテンや先輩達ももう帰っちゃったし、あたしもそろそろ帰ろうかな。
 あたしは、一つ名前の増えた名簿をロッカーにしまうと、鍵を掛けた。
「虹野さん!」
「え」
 主人くんが、部室の入り口に立ってる。
 どうして?
 あたしは、びっくりしちゃった。だって、もう帰ったと思ってたし……。
「主人くん……」
「あ、あのさ、日曜日の電話だけど……」
 ……もしかして、主人くん……。
 イヤ。そんなの、直接聞きたくなんかないもの!
「あたし、帰るねっ!」
 あたしは、鞄を掴んで、主人くんの脇をすり抜けた。
「あっ、あの……」
 主人くんが、引き留めかけるけど……。でも、聞きたくないもの。
「ごめん! あたし、用事あるから!」
 あたしは、叫ぶようにそう言って、そのまま駆け出してた。
 はぁ、はぁ、はぁ。
 暑いよぉ……。
 こんなに暑いのに、全力疾走しちゃったから、汗だらだらになっちゃった。
 あーん。気持ちが悪いよぉ。下着の中までべたべたになってるし……。
 早く帰ってシャワーを浴びたいな。
 そうしようっと。
「ただいまぁ〜」
 家のドアを開けて、挨拶したけど、返事がなかったの。
 おかしいなと思って、台所に行ってみたら、書き置きが残ってた。
『今日はお父さんと出かけてきます 夕食は自分でつくって食べてね 母より』
 まぁ、いいか。楽しんできてね、お父さん、お母さん。
 あたしは、2階に駆け上がると、制服を脱いだ。そのまま、また駆け下りてバスルームに飛び込む。
 着ている物を全部脱いで、篭にまとめて放り込んじゃう。
 キュッと蛇口をひねると、冷たい水が降ってくる。気持ちいいな。
 温度を上げて、ぬるいくらいにしてから、ボディソープを使って身体を綺麗に洗うの。
 ん〜。
 バスタオルを身体に巻き付けて、部屋に戻る。
 ドライヤーのスイッチを入れて、髪を乾かしてたら、電話のベルが鳴ったの。
「んもう」
 小さく呟いて、ベッドから立ち上がる。
 今度、お父さんに親子電話買おうって言ってみようっと。
 心に決めながら、1階に降りて電話を取る。
「はい、虹野です」
「あ、沙希? あたしあたしぃ」
「あら、ひなちゃん? 何かあったの?」
「あのさ、戎谷にちゃんと言ってやったの?」
「え? まだだけど……」
「まだ? ってことは、やっぱ止めるんだね?」
 しまったぁ。誘導尋問だったのね。ひなちゃんってばちょこざいなことをぉ。
「そ、それはまだ、決めてないのよ」
「あっそ。じゃ、今断ってよ」
「い、今?」
「はい、戎谷ちゃん! 沙希よ。話があるって」
 ええーっ!? 今一緒なの!?
 ちょ、ちょっと待ってよぉ!
「あ、もしもし、戎谷だけど」
「え、戎谷くん? あ、あの……」
「まさか、断るなんて言わないよね」
「あ、あの……」
「断られるなんて、俺、悲しくなっちゃうよ」
 あ……。
 あたし、主人くんに嫌われて、すごく悲しくなっちゃったもの。
 戎谷くんも、同じ思いをするのかな。
 そんな思い、させたくないよね。
「……いいよ」
 あたし、ぽつっと言った。
「オッケイだね。よっし!」
「ええーっ!?」
 後ろで、ひなちゃんの声が聞こえた。
「戎谷ぃ、ちょい、かしてぇ!」
「お。おい」
「ちょっと、沙希!!」
 ひなちゃんが向こうで叫ぶ。
「甘いこと言わないのよぉ!」
「だって……。悲しい思いをさせたくないんだもの……」
「……沙希、あんた……」
「じゃ、ね。おやすみなさい」
 チン
 あたしは、受話器を置いた。

《続く》

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