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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんプールだサービスだ


 水曜日。
 教室に入ろうとしたあたしに、早乙女くんが声をかけてきた。
「や。おはよう、虹野さん」
「あら、早乙女くん。おはよう」
「ちょっと……聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
 早乙女くん、すばやく辺りを見回しながら言った。
 うーん。早乙女くんにはちょっと借りもあるし……。
「いいわよ。鞄置いてくるから、ちょっと待っててね」
 誰もいない物理科室前まで来て、早乙女くんはメモを出した。
「ところで、戎谷とデートするって噂はホントなのかい?」
「どうして知ってるのよ?」
「ソースリストは漏らせないんだ。悪しからず」
 早乙女くんは口の前でチャックをかける仕草をした。
 でも、たぶんひなちゃんから聞いたんだろうな。
 あたしは、肩をすくめた。
「ホントの話よ」
「ふーん。で、どこに行くの?」
「まだ、決まってないけど……」
「まだ、未定……っと。なるほどねぇ」
 メモに書き込む早乙女くん。
 あ、そうだ。早乙女くんに聞いてみようかな。
「ねぇ、早乙女くん。聞きたいことが……」
 キーン・コーン
「あ、やべ。予鈴だ。虹野さん、それはまた、昼休みにでも、ね。それじゃ愛の伝道師早乙女好雄をお忘れ無く!」
 早乙女くん、しゅたっと走って行っちゃった。ふーん、結構足早いんだね。
 サッカー部に入ってくれないかなぁ。
 あ、いけない! あたしも早く戻らないと!
 ひなちゃんが来たのは、授業が始まって5分後だった。これで破竹の55回目の遅刻ね。
 それでも、最初の頃は廊下をずだだーって走っていくのが窓から見えたんだけど、最近はもう堂々としてて、走ったりしなくなっちゃった。
 妙に悪びれてないところがひなちゃんだよね。
 そろそろかな?
「みんな、今日もいい天気だねぇ〜〜!」
 遠くからかすかにひなちゃんの声が聞こえてきて、それから笑い声が続いてきたの。I組名物、ひなちゃんの朝のご挨拶ってやつね。
 あ、先生の声が聞こえる。
「そうか。そんなに日光浴したいのなら、廊下に立っててもいいぞ。オプションに水入りのバケツをつけてやろう」
 ワハハハハ
 あたし、時々友達選ぶの間違えたかなって、思わないでもないのよね。
 で、そのひなちゃんが、1時間目が終わるとあたしの所にバケツを持ったまますっ飛んできたの。
「沙希!」
「な、なに?」
「なにじゃないっしょ! なんであんにゃろの誘い受けちゃったのよ!」
「だって……」
「だってもへちまもローカルバスもないの! あのね……」
 ひなちゃんは、あたしの前の席にどっかりと座ると、言った。
「昨日、『悲しい思いはさせたくない』って言ってたよね?」
「そうよ」
「沙希、お義理でデートされたって、嬉しくもなんともないのよ」
 そう言ったときのひなちゃんの口調、いつものひなちゃんとちょっと違ってたの。
 ……そういう経験があるのかな?
「それに、何だかここ何日か、沙希ってちょっと普通じゃないみたいだよ」
「普通じゃない、かなぁ」
「うん。なにかあったん?」
 ひなちゃんは頬杖をついて、あたしに訊ねた。
 ……どうしよう。
 でも、親友だもんね、ひなちゃん。
 あたし、日曜日の事をひなちゃんに話したの。
「それで、月曜日にあたしにつっかかったんだ。なーる」
「ごめんね、ひなちゃん。八つ当たりみたいな事しちゃって」
 あたしは神妙にぺこりと頭を下げた。
 ひなちゃんは腕組みして何事か考えてたけど、不意に立ち上がった。
「ひなちゃん?」
「もう2時間目が始まるっしょ? お勉強、お勉強」
 そう言いながら、ひなちゃん自分のクラスに戻って行っちゃった。
 ぶ、不気味だなぁ、ひなちゃんが「お勉強」なんて呟いてるのは。
 なんてひなちゃんに言ったら、また喧嘩になりそだけど。
 2時間目の休み時間。
 I組に行ってみたけど、ひなちゃんは鐘が鳴ると同時に教室を飛び出して行っちゃったって話で、いなかった。どこに行ったのかな?
 あたしは、大人しく次の時間の用意を……。あ、体育だ!
 水泳だものね。楽しみだなぁ。
 今週の水泳授業は自由時間になってるの。1時間の間、プールで遊んでてもいいってわけ。
 きらめき高校のプールは、屋内プールになっているの。何となく、すごいでしょ? だから、本当はオールシーズン泳げるんだけど、やっぱり水泳の授業は夏場だけみたい。それ以外のシーズンは、水泳部の人以外は泳いじゃいけないんだって。
 あたしは、机の脇に吊ってあった、水着を入れたバッグを取ると、プールの更衣室に向かったの。
 更衣室に入ると、前の時間泳いでたクラスの人が、まだ着替えをしてたの。
 あ!
 あたし、足が止まっちゃった。
 ちょうどそのとき、プールに通じてる方のドアから、藤崎さんが入ってきたの。あたしに気がついて、にこっと笑いかける。
「あら、虹野さん。こんにちわ」
「こっ、こんにちわ。今日も暑いねっ」
 びっくりしちゃって、変な挨拶しちゃった。
 藤崎さんは、「そうね」っていうと、白いゴム帽をぱっと脱いで、髪留めを外す。
 長い髪がさらっと広がる。うわぁ……、綺麗……。
「長い髪、綺麗ね……」
 思わずそう呟くと、藤崎さんはタオルで拭きながら照れたように笑った。
「そんなこと無いのよ。手入れもちょっと面倒だしね。虹野さんみたいな短い髪の方がいいなぁって思うときもあるのよ。でも……」
「でも?」
「……うふふ。内緒」
 今度は悪戯っぽく笑う藤崎さん。
 なんだか、大人っぽいなぁ。あたしには、とっても真似できない……。
 そんなことを思っているうちに、藤崎さんは水着を脱いで、下着をつけてた。
 日に焼けてない、真っ白な肌。羨ましいな。
 あたしなんか、腕は真っ黒に焼けちゃってるもの。
「あ、そうだ。虹野さん」
「はっ、はい?」
 不意に藤崎さんが話しかけてきたの。あたし、我に返って、返事をした。
「なに?」
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど……。ブラのホック、とめてくれないかな? 髪の毛が引っかかっちゃいそうなの」
「あ、うん。いいわよ」
 あたしが、藤崎さんの後ろに回ると、藤崎さんは髪の毛をかきあげた。白い綺麗なうなじが露になる。
 パチン
「はい、いいわよ」
「ありがとう。そうだ」
 藤崎さんはブラウスに袖を通しながら、言った。
「日曜の電話のこと、公くんに謝ってもらった?」
「え?」
 どうして、主人くんがあたしに謝るの?
 あたしがきょとんとした顔をしているのを見て、藤崎さんは顔をしかめた。
「それじゃ、謝ってないのね。公くんったら、もう」
「あ、あの、藤崎さん。それってどういうことなの? どうして、主人くんがあたしに謝るの?」
「はぁ?」
 今度は、藤崎さんが目を丸くした。
「どうしてって、だって……。あ、いけない! もう次の授業が始まっちゃうね。それじゃ、虹野さん。また、あとでね」
 藤崎さんはスカートをあげると、そのバッグに水着を畳んで入れて、そのまま更衣室から走って出て行っちゃった。
 いったい、どうして主人くんが……?
 あ、あたしも着替えなくちゃ!
 慌ててセーラー服を脱ぐと、乱暴にロッカーに突っ込んだ。
 授業が始まって、あたしはプールでぼーっと浮いてた。
 と、
「沙希、見ーっつけたぁ!!」
「え?」
 飛び込み台の上で、ひなちゃんが手を振ってる。そういえば、今日は時間割の都合でI組も一緒だって先生が言ってたような……。
「ひなちゃん? あーっっ!」
「いっくよぉーっ!」
 ひなちゃんは、あたしめがけてジャンプしてきた。
 ドボォン
 派手に水飛沫が上がる。
「きゃ、も、もう、ひなちゃんったら……」
「うふふ……、ゲホ、ゲホゲホッ」
 むせるひなちゃん。飛び込んだときに鼻から水が入ったのね。もう、後先考えないんだから。
「あー、むせちゃった」
 あたしとひなちゃんは、プールサイドに腰掛けて、足を水につけながらパチャパチャやってた。
「そうそう。沙希、あたし、主人くんと話してきたよ」
「主人くんと!?」
「うん。主人くん、随分しょげてたぞ。沙希に嫌われたって」
 ひなちゃんはにぃーっと笑った。
 え? 逆でしょ?
 あたしが主人くんに嫌われてるんでしょ?
「ま、放課後にでも、ちゃんとお話ししなさいよ。二人でね」
 ひなちゃんはあたしの背中をどんと叩いた。
 あ、わきゃっ。
 ドボォン
 バランスを崩して、あたしは顔からプールに突っ込んだ。

《続く》

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