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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん仲直りできてよかったね


「あっ、あの……」
「に、虹野さん、その……」
 あたし達、同時にしゃべりかけて、また口ごもっちゃった。
 主人くん、ぎゅっと口を結んで、不意にあたしの前まで歩いてくる。
「ぬ……、主人くん?」
「ごめんっ!」
 主人くん、いきなり床に土下座して、頭を下げたの。
 あたし、びっくりしちゃって、どうしたらいいのか……。
「俺、虹野さんを傷つけるようなことしちゃって……。嫌われたって当然だよね」
「そんな……。そんなことない!」
 あたしは、その場に膝をついた。そして、主人くんの肩を掴んで、顔を上げさせたの。
「虹野……さん?」
「あたしが悪いの。だって、電話するのが遅れたのは、あたしのせいなんだもの」
「え……」
「あたしが、あたし……」
 あたし、胸がいっぱいになっちゃって、それ以上言葉が出なかった。
 でも、これだけは言わなくっちゃ。
「……主人くん、ごめんなさい」
「……虹野さん……、俺……」
 主人くんが静かに言う。
「虹野さんに嫌われたと思ってた……」
「ううん。そんなこと……。あたしこそ、主人くんに嫌われちゃったって思ってて、それが……」
 あ、やだ。
 涙が出て来ちゃった。どうしてなのかな?
「それが……寂しくって、哀しくって……」
「……虹野さん、あの、あのさ、泣かないで……」
 おろおろしながら主人くんが言う。
「ううん……。今は泣かせて欲しいの。だって、哀しい涙じゃないんだもの。……暖かい涙なんだもの……」
 そう。涙って、哀しいときだけじゃない。嬉しくたって出てくるんだよね。

 今日も、やっぱり暑いのよねぇ。
 その日の部活が終わって、いろんな雑務が終わった頃には7時近くなってたの。
 夏の長い日は、まだ落ちて無くて、蝉の声がうるさく響いてる。ほら、きらめき高校って木が多いもんね。
 蝉時雨、かぁ。
「虹野さん!」
 声がかけられて、あたしはそっちの方を見たの。
 大きな木の下に主人くんが座って、手を振ってる。
 あたしはそっちに駆け寄った。
「主人くん、どうしたの? もうとっくに帰ったと思ってたのに……」
「いやぁ、疲れたから、ここで休んでたんだよ」
 主人くんは照れくさそうに頭を掻くと、大きな木の幹にトンと手を当てて、立ち上がった。
 あ!
「この樹、なのかな?」
「え?」
「伝説の樹……」
 あたしは、その樹を見上げた。
 間違いないわ。この樹よ!
「きらめき高校に伝わる伝説……。卒業の日、校庭の外れにある古い大きな樹の下で、女の子から告白して生まれたカップルは永遠に幸せになれる……」
「虹野さんも知ってたのか……。虹野さんは信じてる?」
「……う、うん」
 あたしは樹を見上げた。
「……あたしね、伝説にすがるのはイヤだな。それまでがどうあれ、卒業の日にこの樹の下で告白したら、それだけで結ばれるなんて、そんなむしのいい話なんて、無いよね。でも……」
「でも?」
「でもね、あたし思うんだ。この学校で一生懸命に頑張った娘だけに、この樹が最後に力を貸してくれるんじゃないかなって」
「……ふーん」
「だから、あたし一生懸命に頑張ろうと思うんだ。どんなことだって、一生懸命に頑張ったら何とかなると思うの……」
 あたしは樹を見上げて、呟いた。
 あたし達は、しばらくそこに佇んでいたの。
 主人くんとあたしは、並んで歩道を歩いてる。
 何だかこうしてると、恋人同士みたいに見えるね。
 あ!
 あたしは、主人くんに訊ねた。
「主人くん、聞いていい?」
「なに?」
「そもそも、日曜日はなんで電話かけてきたの?」
「あ……、そ、それはさぁ……」
 主人くんは頭を掻くと、前を見たまま言ったの。
「もうすぐ夏休みだろ? 良かったら、一緒にどこかに行きたいなって思って……」
「え? そ、それって……、デート?」
 こくりと頷くと、主人くんはあたしを見た。
「ダメ、かな?」
「ええーっと、えーっと、い、いつがいいの、主人くんは?」
 あたし、もううろたえちゃって。だって、お昼に戎谷くんのデートを断っちゃったばっかりなのよ。
「そーだねぇ……。あ、24日は? 夏休みの初日」
「え? ごめんなさい、その日はひなちゃんと出かけるの」
「そっかぁ。じゃ、その次の日曜は? 31日」
「31日? それくらいなら大丈夫だとは思うんだけど……」
「けどって、何かあるの?」
「ううん。いいわよ、その日で」
「やったぜ」
 主人くん、嬉しそうにパチンと指を鳴らした。それから手を挙げる。
「じゃ、俺こっちだから」
「あ、そうなんだぁ。じゃ……。あ、主人くん!!」
「え?」
 帰りかけてた主人くん、振り返った。
「あの、……。お休みなさい」
「……? おやすみ」
 聞けないわよね。主人くんが気になってる女の子って誰、なんて……。
 木曜日。
 今日もとっても暑いのよねぇ。
 でも、あたしは元気いっぱい。だって、やっと主人くんともひなちゃんとも元通りの仲になれたんだものね。
 今日はさしたることもなく、あっという間にお昼休み。
 あたしはまた、主人くんのクラスにやってきたの。
 後ろのドアからそっと覗いてみた。
 やっぱり、今日も主人くん、藤崎さんとお弁当食べてる。
 ……なんで、こんなに気になるのかな?
 自分でもよくわかんないんだけど、何となく気になって……。
「ほぉー、そういうわけですかぁ」
「ひゃっ!」
 びっくりして振り向いた。
「ひ、ひ、ひなちゃん!?」
「やっほ」
 ひなちゃんがにかっと笑う。
「やっほじゃなくって! いつから見てたの!?」
「昼休みに入ってから今まで。だって、沙希がこそこそ出てくのが見えたんだもんね。これは面白そうだってつけてきたの」
 ……あたし、今ほど自分が鈍いのを悔やんだことはないわ。
 あたしが痛恨の極みにいる間にも、ひなちゃんは主人くんと藤崎さんを覗き見てた。
「なーるほどぉ。沙希としては心穏やかじゃいられないわけだぁ」
「べ、べつにそんなわけじゃ……」
「隠すな隠すな。ホントに沙希ってうぶなんだからぁ。可愛い可愛い」
 ひなちゃんが頭をぽんぽん叩く。何よぉ、あたしより3カ月早く産まれただけじゃないのぉ。身長も3センチしか変わらないしぃ、スリーサイズは……。でっ、でも、あたしはこれからだもんね。
「よし、この朝日奈夕子ちゃんが必勝策を授けてあげましょう」
「な、なによ」
 でも、結局乗ってしまう自分が恨めしい……。
「沙希は料理が得意なんだから、これはもう取るべき策は一つしかないわ。沙希もお弁当を作るのよ!」
「あたしが、主人くんにお弁当を?」
「そそ。手作りのお弁当ほど、男心を破壊するアイテムはないのよ」
「じゃ、どうしてひなちゃんは作らないの?」
「あう……。こ、この際あたしはどーでもいいの。それよか沙希の事!」
 上手く逃げたわね、ひなちゃん。
 あ、でも……。
「あたしがお弁当作っても、藤崎さんも作ってきたら、どうすればいいのよ」
「プラン1。主人くんに食べ較べてもらう」
「だめよ、そんなの! ……お料理に優劣なんて無いんだから」
 あたしは、最後はそっと呟いた。ひなちゃんは呆れたように肩をすくめる。
「沙希は料理になるとポリシー持ってるかんねぇ。じゃ、プラン2でいこー」
「プラン2?」
「そ。藤崎さんに直接交渉するの。明日から主人くんのお弁当はあたしが作るから、藤崎さんは作ってこないで下さいって」
「そっ、そんなこと出来るわけ無いじゃない!」
 あたし、思わず大声あげちゃった。慌てて口を押さえて、今度は小声で言う。
「あたし、主人くんの恋人でも何でもないのに……」
「ふーん。ま、沙希がそう言うんならそうなんでしょうね」
「なによぉ。気になる言い方ね」
「じゃ、プラン3、このままほっとく」
「う゛……」
 なんだか、それもいやだなぁ。
「まぁ、今日明日で1学期のお昼休みは終わりだし。土曜は終業式だけだから、午前中で終わるもんね。後のことは2学期になって考えればいっか」
「そっ、そうよね」
 あたしは頷くと、立ち上がった。
「お昼ご飯、食べようか」
「そーね。今日はパスタにしよっか」
「……ひなちゃん。今日はおごりじゃないのよ」
 食堂で、ひなちゃんは明太子スパゲティを食べながらあたしに聞いた。
「で、主人くんとはデートするんしょ?」
「う、うん……」
 あたしは昨日の話をしたの。
「で、31日にしようって……」
「場所は?」
「え? あ、決めてなかった……」
「んもう、しょうがないなぁ。7月の31日……っと」
 ひなちゃんは手帳を出してめくり始めた。あは、まるで早乙女くんみたい。でも、そう言ったらひなちゃん怒るだろうな。
「映画は……モンキーパイソン。こりゃパスよね。ムードもへったくれも無いもん。コンサートはぁ……KOKOかぁ。アイドルは論外ね。……とすると、海かプールがいいかな? こう暑いと、遊園地も中央公園もパスしたいもんねぇ」
「海か、プール?」
「そそ。たまには沙希の方からアタックしてみたら?」
「……海か……プールかぁ」
 あたしは頬杖ついて、考え込んだ。

《続く》

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