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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんのお弁当

2学期が始まってしばらくしたある日。
『Mute』でひなちゃんや彩ちゃんとお茶を飲みながら雑談してたら、不意にひなちゃんが言ったの。
「そう言えばさぁ、沙希、2学期になったらお弁当作るって言ってたっしょ?」
「え?」
あたしがきょとんとしてたら、ひなちゃんはあたしの脇腹を肘でぐりぐりとつつくの。
「ほら、1学期の終わり頃さぁ……」
「あ……」
思い出した。
ちょうど1学期の終わり頃、あたし、ちょっと色々あって、主人くんやひなちゃんと気まずくなっちゃったことがあったの。
結局、あたしの勘違いってことで済んだんだけど、ちょうどその時、藤崎さんが主人くんにお弁当を作ってきたの。後で藤崎さん本人は「練習よ。本当に作ってあげたい人は、ほかにいるんだもの」って笑ってたけど。
でも、何故かあたし、妙に気になっちゃって……。
で、A組の教室を覗いてるところをひなちゃんに見つかっちゃったのよね。ひなちゃんってば、「これは、沙希も対抗して、2学期からはお弁当を作って行くしかないね」って言ってたのよね。
……確か、そうだったよね?
「でも、あのあと主人くんとも仲直りできたんだし、藤崎さんのお弁当は、そんなに深い意味があるってわけでもなかったんだし……」
「甘い! イッツスイートよ!」
「夕子、発音おかしいわよ」
横から彩ちゃんが突っ込むけど、それは無視してひなちゃんはあたしに言ったの。
「たとえ藤崎さんがそうでもさ、他に主人くんを狙ってる娘はいるんだぞ。そんな娘に取られちゃったらどーすんのさ!」
……他に主人くんを狙ってる娘……かぁ。
うーん。
腕を組んで考え込んでるあたしの肩を、ひなちゃんは一転軽い調子でポンと叩いたの。
「よーし、こうしよう。沙希のことだからさぁ、「このお弁当、あなたのために心を込めて作ってきたの。食べてくれない?」なんて言えないだろうし」
「なっ!」
あたし、真っ赤になって立ち上がっちゃった。
「ひなちゃん! あたしと主人くんはそんな関係じゃないんだってば! 単なるサッカー部員とマネージャーってだけで……」
「はいはい、そーしときましょー」
ひなちゃん、手をひらひら振ってる。あーん、全然信じてないなぁ?
「だから……」
「こう言って誘えばいいじゃん。「お弁当、ちょっと作り過ぎちゃって余らせちゃったの。よかったら食べてくれないかな?」って」
「だからぁ……」
「よし、決定! んじゃ、報告待ってんからね。あ、かっちゃん! ブルーベリーババロアね!」
「おいおい、あれはもう売り切れだぜ」
「そんなぁ」
マスターとひなちゃんの声を聞き流しながら、あたしは考え込んでたの。
確かに主人くんのことが気にならないって言ったら嘘になっちゃうかもしれないけど、でもお弁当作っていってあげたりして、変な噂になっちゃったりしたら、主人くんにも迷惑だろうし……。
「沙希」
「え?」
顔を上げたら、彩ちゃんがぴっとウィンクしたの。
「Take it easy! 気楽に行こうよ。ね?」
そうよね。そんなに考えることないよね。差し入れって考えれば、ほら、マネージャーが差し入れ持って行くことなんて、よくあることだもんね。
うん、別に問題はなし、と。
あ。
あたしは、マスターと言い合いしているひなちゃんの背中をつついた。
「ちょっと、ひなちゃん」
「ん? 何?」
「今度は、賭けてないんでしょうね?」
ピピピピッ・ピ………
アラームを止めると、あたしはベッドから勢いよく起き上がる。
時間は……午前6時。
そっと台所に降りてく。お父さんお母さん、まだ寝てるから、起こさないようにそっと。
台所では、タイマーでセットしておいた炊飯ジャーが湯気をたてている。
さあ、始めましょう。
まずはフライパンをコンロにかけて暖めるの。
その間に冷蔵庫から卵と夕べの残りのシャケを出す。
暖まったフライパンに卵を割って落として、手早く混ぜる。塩と砂糖をひとつまみ入れて、また混ぜる。薄く広げて、くるくるっと巻いてまず一つ。
それをお皿に移して、ウィンナーを焼く。
ウィンナーをしっかりじっくり火が通るように焼くのには以外に時間がかかるから、隙をみてレタスとプチトマトを出して洗っておく。
もう一つのコンロに、油の入ったお鍋をかけて、火を付ける。それを横目で見ながら、冷凍室から冷凍食品を出す。今日のはイカのフライ。
パチパチっとはぜる音がしたらウィンナーの焼き上がり。これもお皿に乗せておく。
フライのかけらをお鍋に入れてみる。じゅっと音がして、浮き上がってくるならいい頃。イカフライを凍ったまま入れる。このとき一度に入れたら油の温度が下がっちゃうから、一つずつゆっくりと。
ピッ
炊飯ジャーが炊きあがりを知らせてくれる。
とりあえずそれは放って置いて、あたしはイカフライに専念する。……4つでいいかな?
コンロの火を止めてから、おもむろに炊飯ジャーのふたを開ける。とたんにもわっと蒸気があたしの顔を包み込み、ご飯の香りが胸一杯に広がる。
日本人でよかったね。
おへらでご飯を軽くかき混ぜ、底の方にお焦げがないのを確認する。よかったぁ。
あたしはお弁当箱を出す。そしてまずご飯を詰め、その上にほぐしたシャケを乗せる。
主人くん、どれくらい食べるのかな? お父さんより少し多めにしておけばいいのかな?
まぁ、これくらいかな?
おかずを別の箱に詰める。卵とレタスとプチトマト、ウィンナー、イカのフライ。あ、そういえばミートボールがあったっけ。あれも入れちゃおうっと。
あたしは別のお鍋に水を満たしてコンロにかけると、冷蔵庫を開けた。
あったあった。お湯で3分あっためるだけ!
ついでにパイナップルのカンズメを出して、お湯が沸くまでそれを開ける。中のパイナップルを食べやすく切ると、小さなタッパーを出してそれに詰める。
湯気の出てるミートボールを入れて、出来上がり。
あとは、水筒にウーロン茶を詰めて……、準備よし。
主人くん、喜んでくれるかな?
な、なにを考えてるのかしら、あたし。
そうよ、別に主人くんとあたしは、単なるサッカー部員とサッカー部のマネージャーで、それだけなんだもんね。
そうよ、それだけなのよ!
「あら、沙希、おはよう」
「あ、お母さん」
台所にお母さんが入ってきたの。エプロン締めながら、食卓の上に並んでるお弁当箱を見てる。
「ふぅん、そうなのね」
「え? な、何が?」
「沙希も、そういう年頃になったんだなぁってね」
お母さん、笑いながら言ってる。あ、もしかしてばれちゃったのかな?
「な、何のこと?」
「ま、そういうことにしておきましょうか。沙希のほうはもう終わり?」
「うん。そ、それじゃ、あたし学校の用意しないといけないから」
あたしはお弁当箱を抱えて、階段を駆け上がったの。
……よく考えてみたら、なんで隠さないといけないのかな? でも……何となく恥ずかしいような……、変な気分。
ぶんぶんとあたしは頭を振ったの。それから、トレーナーを脱いで制服に着替える。
お昼休み。あたしは、お弁当箱を抱えて、A組に行ってみたの。
……主人くん、いない。
なんとなく、がっかりしたような、ほっとしたような……。
「あら、虹野さん」
「わきゃぁ! ふ、藤崎さん?」
いきなり後ろから話しかけられて、あたし飛び上がっちゃった。心臓がばっくんばっくんいってる。
藤崎さんは、最初きょとんとしてたけど、あたしの抱えてるものをみて、ははんと頷いたの。
「公くんね」
「え? あ、いえ、その、あのですね」
「公くんなら、食堂に行ったけど、今から走っていけば追いつくと思うわよ」
「別に、あたし……」
言い返そうとしたあたしの唇に、藤崎さんはぴたりと指を当てたの。
「?」
「根性よ! ……でしょ?」
あたしの口癖、いつの間に……。
そうよね。
あたしは頷くと駆け出した。そうよ、我が根性不退転よね!
あ!
角を曲がったところで、主人くんの背中が見えたの。
い、行くわよ、沙希!
「主人くん!」
「え? ああ、虹野さん」
主人くんが振り向いたとたん、また心臓がばっくんばっくん鳴りだしたの。
「あ、あの、あのね……」
わぁーん、何て言えば……。あ、そうだ。昨日ひなちゃんが言ってたよね。あれでいけばいいのよね。
自然に、自然に、と。
「あのね、ちょっとお弁当作り過ぎちゃって。よかったら、食べてくれない?」
《続く》

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