喫茶店『Mute』へ
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「アイ・ハブ・ア・リトル・クエスチョン。ちょっと、聞きたいんだけど」
その日、あたしも彩ちゃんも部活がなくて、ひなちゃんと『Mute』で他愛のないおしゃべりをしてたんだけど。
突然、彩ちゃんがあたし達に聞いたの。
「なに?」
「あのさ、沙希と夕子って、どうやって知り合ったの?」
「あたしと、沙希ぃ?」
「イエス、そうよ。だって、沙希と夕子って全然タイプが違うじゃないの」
「そっかな?」
ひなちゃんは首を傾げた。
あたしは頬杖をついて考え込んだ。
「確かぁ……中2のクラス替えで同じクラスになったのよねぇ」
「やっほー! 朝日奈夕子でーす!」
出席番号順の自己紹介。一番最初に立ち上がった赤毛のショートカットの女の子は、いきなり手を挙げると、叫んだの。
みんな、目を丸くしちゃった。
「……ってわけで、勉強はちょろっと苦手だけど、遊ぶことならもうばっちしって感じかな? じゃ、みんな。今年1年、なかよくしよーね!」
自己紹介が終わるとまばらな拍手。
「みんな、ノリ悪いなぁ、もう」
その娘は、ぷくっと膨れてそのまま座っちゃった。
お昼休み。
あたしがお弁当を広げてると、不意に前から話しかけられたの。
「ねぇねぇ、それ手作りのおべんとー?」
あたしが顔を上げると、朝日奈さんが覗き込んでた。
「え? ええ、そうだけど……」
「あ、この卵焼き、おいしそー。一つ貰うね!」
「あっ!」
あたしが止める間もなく、朝日奈さんは卵焼きをひとつ拾い上げて、ぱくっと頬張った。
「ちょ、ちょっと……」
「うーん。ちょろっとしょっぱいね」
「え?」
朝日奈さんはそれだけいうと、歩き出す。
「あの、朝日奈さん?」
「ごちそーさん。んじゃねー!」
それだけいうと、彼女はそのまま、教室を飛び出していったの。
あたしは、卵焼きを摘んでみたの。
そう言われないとあたしにはわかんなかったけど、確かにちょっと塩がききすぎてたの。
あたし、思わず彼女の出ていった方を見たわ。
「も、もしかして、朝日奈さんって、伝説の食通!?」
家に帰って、あたしは真っ直ぐ台所に行ったの。
お弁当箱を洗いながらも、思い出すのはあの言葉。
悔しい。
キュッ
水道の蛇口を止めると、あたしは、ぴしっと指を突きつけた。
「見ていなさいよ、朝日奈夕子! 絶対に美味しいって言わせてみせるわ!」
「……沙希、湯沸かし器に向かって何を言ってるの?」
「あ」
振り向いたら、スーパーの袋を抱えたお母さんが呆れた顔であたしを見てたの。
「お母さん、卵買ってきてる?」
「そりゃ買ってきてますけれど……」
「よーし。明日こそはっ!」
あたしは包丁を握って、叫んだの。
「明日こそは美味しいと言わせてみせるわよ!」
お母さんは、もう何も言ってくれなかった。
翌日の昼休み。
あたしがお弁当を広げてたら、昨日と同じように朝日奈さんが歩いてきたの。
こいこい。今日の卵焼きはもう、ばっちりなんだから。
そんなあたしの思いもつゆ知らず、彼女は昨日と同じように手を伸ばしてくる。
「え?」
パクッ
むしゃむしゃ、ごくん。
「うーん。ちょっと甘いんじゃないのかなっ? このミートボールは。んじゃねっ!」
あ……。
朝日奈さんは、また走って教室から出て行っちゃった。
ミートボールを取るとは思わなかったわ。
さすが、伝説の食通。
負けられないわ!
その翌日。
今日は、全部のおかずに力を入れたんだもの。完璧よ!
今日こそ、美味しいって言わせてみせるわ!
あたしは満を持して、その時が来るのを待っていたの。
キーン、コーン
4時間目の終わりを告げる鐘が鳴ったの。
いよいよだわ!
鞄の中から、お弁当箱を出して開く。
ガタン
朝日奈さんが立ち上がった。こっちに来るわ。
さぁ、いらっしゃい。今日の備えは万全なのよ!
ひょいっ
あ、そんな……。
「うーん。このイチゴ、ちょっとすっぱいね。んじゃ!」
そのまま歩き去る朝日奈さん。
あたしは呆然とその後ろ姿を見送っていたの。
ま、負けた……。デザートにまで気を配るのを怠ったあたしの完敗だわ……。
でも、明日こそ!
いつの間にか、窓の外の木々の緑も色を濃くしていった。
でも、朝日奈さんは相変わらず、あたしのお弁当を美味しいとは言ってくれないままで、日々が過ぎていったの。
GW明けの水曜日。
あたしは、お弁当を広げたの。
朝日奈さんがいつもと同じように席を立って、あたしのところに来て……。
そのまま通り過ぎて行っちゃった。
嘘!?
今まで、一日も欠かさずあたしのお弁当をつまみ食いしてたのに。どうしたの?
もしかして、病気なのかしら?
あたしは振り向いた。
いつもなら、走って出ていくのに、今日はゆっくり歩いてる。やっぱりいつもと違うわ。
あたしは、お弁当箱の蓋を閉めると、それを持って立ち上がった。
朝日奈さんは階段を上がっていく。おかしいな。この上には屋上しかないのに。
ぎぃっ
屋上の扉が開く音がしたの。やっぱり屋上に上がったんだ。
でも、なにがあるのかな?
あたしは、足音を殺して、階段を駆け上がったの。
屋上のドアのノブを掴んだとき、声が聞こえたの。
「どうして!?」
今の、朝日奈さんの声?
あたしは、その姿勢のままで動きを止めて、耳を澄ませてた。
「俺、流行ばっかり追いかける、ちゃらちゃらした奴は嫌いなんだよ。第一、俺のことだって遊びなんだろう?」
「そ、そんな……」
「じゃあな、遊び好きなお嬢さん」
あたしは、足音が近づくのに気がついて、とっさに柱の影に隠れたの。
ドアをバタンと開けて、男子生徒が階段を下りていった。あたしには、後ろ姿しか見えなかったけど。
あ。朝日奈さん、どうしたのかな?
あたしは、ドアをそっと開けて、屋上に出たの。
朝日奈さんは、フェンスを掴んで、グラウンドを見下ろしてた。
あたしは、少し近づいて声をかけてみた。
「朝日奈……さん?」
「……見てたんだ……」
くるっとあたしの方に向き直ると、フェンスに背中をぶつけるようにもたれ掛かる。
ガシャン
派手な音がした。
「あの……」
「あはは。ちょーダサ、だよね。振られちゃうなんてさぁ」
「……」
「そりゃ、そーだよね。あたしって、ちゃらちゃらした遊び人だもん」
「そんなことないよ」
あたしがそう言うと、朝日奈さんは身を起こして叫んだ。
「何が判るってのよ! あんたなんかに!」
「……」
「下手な慰めするくらいなら、あっち行ってよ!」
「……判るもの」
あたしは、静かに言った。
「え?」
「朝日奈さん、いつもあたしのお弁当つまんでいくよね。あのね、あたし、上手く言えないんだけど、味が判る朝日奈さんが、そんなうわついた人だなんて思えないの」
「……」
朝日奈さんは、あたしを驚いたような目で見てた。
「なに、それ。バッカみたい」
「バカって……、なによ、もう。心配してあげてるのに」
「誰も心配してくれなんて言ってないわよ」
朝日奈さん、ふいっと横を向いちゃった。
なによ、もう。心配して損しちゃった。
もう、戻ろうっと。
あたしは、振り向きかけて、はっとが気がついたの。
朝日奈さんの肩が細かく震えてるの。
どうしたらいいのかしら。口で慰めても……。
そうだ!
あたしは、お弁当を開いたの。
「朝日奈さん、食べてみてくれない?」
「……なんで……」
「いいから!」
あたしは、朝日奈さんの鼻先にお弁当箱を突きつけた。
朝日奈さんは、卵焼きをつまみ上げると、口に入れた。
「……美味しいじゃん」
「ほんと? 嬉しい……。ありがとう」
「……変なの。……そういえば、名前何ていうんだっけ?」
「虹野、よ。虹野沙希」
「それじゃ、沙希、あしたもよろしくね」
朝日奈さんはにこっと笑ったの。
でも、いつまでも友達だものね、ひなちゃん。
《続く》