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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんのメリークリスマス(後編)

カランカラン
『Mute』の入り口にかかってるカウベルが、いつもよりもちょっと乱暴に鳴ったの。
ひなちゃんが来たのかな? と思ってあたしが振り返ったと同時に、目の前で紙テープが飛んだ。
ポンポンッ!
「キャ! だ、誰よぉ!」
「正月仮面! 明けましておめでとうございますっ!!」
……。
あたし、目が点。
「きゃはは。沙希ぃ、ノリ悪いぞぉ。山本山のノリ、なんちゃって。きゃははは」
「ごめんごめん。こいつ酔っぱらっちまってさぁ」
ひなちゃんの後ろから早乙女くんが顔を出したの。
「おや、沙希ちゃんだけかと思えば公もいるじゃん」
「いちゃ悪いかよ?」
「んなことねぇけどさ」
「なんか示し合わせて待ち合わせって感じ?」
そう言ってけらけら笑うひなちゃん。かと思ったら、ふらっとあたしにもたれかかってくる。
「あう。気持ち悪ぅ……」
「きゃ! ひなちゃん、しっかり!」
「朝日奈さん、どうしたんだよ?」
主人くんが早乙女くんに聞いたら、早乙女くん肩を竦めて言ったの。
「ああ。何のことはねぇんだけどさ、こいつカクテルとジュースを間違えて飲んだみたいなんだ」
「あにいってんだかぁ。あたしはあちがえてないんだもん。……うぷ」
ひなちゃん、ろれつ回ってないよぉ。……って、ちょっと待って! ここで吐いちゃだめぇ!
「もちょっと我慢して! こっちこっち!!」
あたし、慌ててひなちゃんをおトイレに引っ張っていったの。
バタン
「ひなちゃん、ホントに大丈夫?」
「う。だいぶん楽になった……」
まだ足元がふらふらしてるひなちゃんを支えて、あたしはおトイレから出てきたの。
「沙希ぃ、いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束でしょ?」
「お、出てきたか未成年」
その声に顔を上げたら、何時の間にか館林先生がカウンター席に座ってあたし達の方を眺めてたの。
「先生!」
「や、やばぁ」
慌ててこそこそ逃げ出そうとするひなちゃんに、先生はにこにこしながら声をかけたの。
「飲酒は停学一週間ってとこかなぁ」
「せ、せんせぇ!!」
ひなちゃん、慌ててカウンターに駆け寄ろうとして、ふらっとよろめく。
「ひなちゃん、危ない!」
あたしは、慌ててひなちゃんを支えると先生に向き直ったの。
「先生、すいません」
「あら、沙希ちゃんが謝ることなんてないんだけど、どうしてもって言うなら、そうねぇ、体で払ってもらいましょうか?」
先生はカウンター席から降りて、あたし達に近づいてきた。
「せ、先生?」
「うふ、うふ、うふふふ」
先生は、ひなちゃんを抱えて身動きできないあたしのあごに手をかけて、くいっと自分の方を向かせた。
緑色の大きな瞳であたしの顔を覗き込む。
「沙希ちゃん、可愛い……」
「先生、あの、その……」
「やめんかぁ!」
スパァン
「おうっ!」
いきなり先生は後頭部を白いものではたかれた。……ハリセン?
ま、舞お姉さん?
先生は振り向くと、慌てて両手をぶんぶん振ったの。
「冗談! 冗談だから落ち着いて。ね!」
「落ち着いてるわよ」
そう言いながら、舞お姉さんはそのハリセンをカウンターの内側にひょいと入れて、ため息を吐いたの。
「それにしても晴海、まだその癖抜けてなかったの?」
「いいじゃないの。あたしは美少年と美少女に命をかけてるんですから」
「……はいはい」
そう言うと、舞お姉さんはひなちゃんを覗き込んだ。
「夕子ちゃん、奥で休んだほうがいいんじゃない?」
「あう……、そーする」
ひなちゃん、弱々しく素直にうなずいて、舞お姉さんにすがり付いた。
「超ダサァ」
「まぁまぁ。お酒なんてそのうち嫌になるほど飲まされるんだから」
そう言いながら、舞お姉さんはひなちゃんを奥に連れていったの。
それをぽーっと見送ってたら、不意に後ろから耳にふっと息を吹きかけられた。
「さーきちゃん」
「きゃ!!」
「お、沙希ちゃんは耳が敏感、と。主人くん、チェックしときなさいよ」
「な、なんの話ですか!?」
あやや。あたしと主人くんの声がきれいにはもっちゃった。とっさに顔を見合わせて、あたし達は慌ててそっぽを向いた。
「と、とにかく、何ですか先生?」
「それなんだけど、何か悩みがあるわね?」
不意に先生はあたしに言ったの。
「え!?」
「カウンセリングもあたしのお仕事のうちだから、気が向いたらいつでも声掛けてね」
先生はパチンとウィンクしたの。
……先生に相談したほうがいいのかなぁ。前に清川さんと服部くんのことがあったときにも、何だかんだ言ってまとめちゃったんだし。
「あの、先生……」
「ちょっと待ってね」
あたしが話そうとしたとき、先生は不意に振り返ったの。
「早乙女くん。そんなことしてたら、例のアレ、あげないわよ」
「は、はいぃぃ」
早乙女くんが何時の間にか先生の後ろの席に座ってメモを広げてたの。あたしぜんぜん気がつかなかったのに……。
それにしても、例のアレってなんだろ?
あたしと先生は奥のボックス席に向かい合って座ったの。
「で、どうしたの?」
先生は頬杖ついてあたしの顔を覗き込んだ。
「あの、その、先生……」
どうしよう。でもなんだか……。それに、先生に話してもいいのかなぁ。
黙っちゃったあたしを見て、先生は肩を竦めて、ソファの背もたれにもたれかかったの。
「告白されたのね」
どきぃぃぃぃぃん
「せ、先生!」
「ほらほら、主人くんが見てる見てる」
「ゑ?」
慌てて振り返ると、主人くんはマスターと何か話してて、あたし達のほうは見てなかったの。
「先生!」
向き直って声を上げたら、先生はコーヒーカップを片手にあたしに言ったの。
「で、そのお相手は、大方サッカー部の先輩ってところかな。沙希ちゃんにとっては、今までそんな目で見たこともない人から。当たってる?」
「……」
あたしは黙ってこくんとうなずいたの。
「で、沙希ちゃんはどうしていいのかわかんなくなっちゃった、と」
「あたし……、今までそんなことなんて考えたこともなかったし……。どうしていいのかわかんなくなって」
「そっか。でも、結局は沙希ちゃん」
先生は、コーヒーカップをソーサーに戻して、言ったの。
「あなたが決めることなのよ。あたしも朝日奈さんも主人くんも、アドバイスはできても『こうしろ』って言うことはできないし、しちゃいけないと思うのよ」
「だけど……」
「まぁまぁ」
先生はにこっと笑った。それから、コーヒーを一口飲んで、窓に目をむけた。
「恋愛は奇麗事じゃないわ。みんな傷つかないなんてことはない。きっと、誰かがどこかで泣いてるのよ。それが厭なら、恋愛なんてしちゃいけない。誰も好きになんてなっちゃいけないのよ」
「……」
「でもね、虹野さん。傷つかないで生きていくなんて、つまらないと思わない? ぬるま湯に浸ったような人生なんて、面白くも何ともない。あたしはそう思うわよ」
「ありがとうございましたぁ」
カランカラン
舞お姉さんに見送られて、あたしは『Mute』から出た。
ほうっと吐いた息が真っ白く煙る。
「寒いね」
「え?」
振り返ったら、主人くんも出てきてた。
「……そうね」
「あ、そうだ」
不意に主人くんは、背中のリュックサックを降ろして、中から小さな箱を取り出したの。
「はい、これ虹野さんにあげるよ」
「え?」
あたしがきょとんとして聞き返したら、主人くんは苦笑いしたの。
「いや、ホントは伊集院のとこのクリスマスパーティーのプレゼント交換用に買ったやつなんだけど、必要なくなっちゃったからさ。なんかたらいまわしみたいで悪いけど、よかったらもらってやってくれないかな?」
「本当にいいの?」
「ああ。プレゼントを持って帰るってのも、情けないしね」
「……開けてみていい?」
「どうぞ」
あたしは、包み紙を解いた。その中からは……。
「これ、ティーサーバーじゃない?」
「うん。よかったら使ってやってよ」
そう言うと、主人くんは「じゃ」と言ってそのまま走って行っちゃった。
「あ……」
あたしは、そのティーサーバーをきれいに箱に入れ直すと、バッグの中に仕舞い込んだ。
その箱の上に、白いものが落ちてきた。
「雪?」
空を見上げると、白いかけらがいっぱい落ちてくるのが見えた。
「わぁ……」
あたしは、その場に立ち尽くして、空を見上げてた。
ずっと……、ずっと……。
《続く》

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