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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんの大晦日

クリスマスからあっという間に日が流れて、今日はもう大晦日なのよね。
まだ、明石先輩にはお返事してないの。
早く決めないと。
明石先輩はもうすぐ受験なんだし、もしあたしがぐずぐずしてたせいで先輩が受験を失敗しちゃったりしたら、あたしのせいよね。
だけど……。
んもう、どうしたらいいの、あたし?
「……き、沙希!」
「ひゃん! お、お母さん、なぁに?」
「なにじゃなくて、お鍋吹いてる!」
「え? あ、ああっ!!」
あたしは慌てて目の前のガスコンロの火を止めた。
そう、あたしは今、毎年恒例になってる大晦日のお節作りのお手伝いをしてたんだよね。
あ〜あ。黒豆、硬くなっちゃったかな?
はふぅ。
「どうしたの? さっきからぼぉーっとしてるけど」
お母さんがあたしの顔を覗き込んだ。
あたしはかぶりを振った。
「何でもないの。ごめんなさい、心配かけて」
「……まぁ、悩むのは構わないけど、ぼーっとしたままお料理するなんて、素材に失礼ってものよ」
「ご、ごめんなさい」
お母さんはくすっと笑うと、台所を見回したの。
「さてと、こっちは一段落ついた、と。沙希、もういいわよ」
「え? でも……」
「いいから」
そう言って、お母さんはあたしの背中をポンと叩いた。
「ごめんよ。あたしがゆっくりしてられれば、色々聞いてあげられるんだけど、この有り様だから」
そうなのよね。毎年の年末、あたしの家の台所は修羅場になっちゃうんだもの。
「うん、ありがとう……。あ、お母さん、ゴボウが焦げちゃうよ!」
「いっけない!」
慌ててコンロに駆け寄るお母さんに、あたしは心の中で「ありがとう」って言って、台所を出たの。
ごろん
自分の部屋に戻ってきたあたしは、ベッドに寝転がった。
天井に張ってある、大きなチームフラッグとビクトリーフラッグ。
それをぼうっと見ながら、ため息をひとつ。
あ〜、ダメダメ。こんなコトしてても、何も前進しないじゃない。
やっぱりひなちゃんに相談してみよう。うん、それがいいわよね。
起き上がると、階段を駆け降りて、玄関前にある電話の前に立つ。
受話器を取って、ボタンを押そうとして、ふと指がとまる。
……でも、なんだか……。
ううん、沙希。ひなちゃんに相談するくらいでためらってたら、明石先輩にお返事なんてできないわよ。
根性よっ!
あたしは意を決して電話番号を押した。
トルルルル、トルルルル、トルルルル、トルッ
「はい、主人です」
「へ?」
あたし、その場で硬直。
今の、主人くんの声? でも、どうして? ひなちゃんの家に主人くんがいるの? ううん、そんなわけないよね。第一ちゃんと「主人です」って言ってるもの。じゃ、あたし主人くんの家に電話掛けちゃったの?
「もしもし? もしもしっ?」
受話器の向こうから声が聞こえてきて、あたしはっと我に返った。
「ご、ごめんなさい。あの、あたし、虹野です」
「え? 虹野さん? どうかしたの?」
「えっと、あの、その……」
どうしよう。掛け間違えたって言うのもなんだか変だし……、って、本当に掛け間違えたのよね。何も変じゃないんだけど、でも……。
あっきゃぁ! 頭の中が真っ白になってるぅぅぅ〜!
あたしが黙っちゃったから、主人くんも困ったみたいで、電話の向こうで黙り込んでる。
な、なにかしゃべらなくちゃ。
「あ、あのね、そのぉ、暇ありますか?」
「暇? まぁ、今日は家でゴロゴロしてただけだし、このままぼけっとしててもおふくろにいいようにこき使われるのがオチだし。で、何かするの?」
「その、ちょっと、お茶でも飲まない?」
「うん、いいよ。どこで待ち合わせる?」
「それじゃ……」
ピッ
電話を切って、あたしははっと気がついた。
こ、これって、まるでデートの誘いみたいじゃないの。
やだ、あたしったら……。どうしよう?
服選ばなくっちゃ! あーん、髪もセットし直さないと。そうだ、このあいだひなちゃんといっしょに買ったイヤリング、どこに仕舞ったんだっけ?
慌てて2階のあたしの部屋に駆け上がろうとしたあたし、階段で思いっきり弁慶の泣き所をぶつけちゃった。
ガヅン
……ひんひん。
‘12/30、31 1/1、2、3はお休みです。喫茶『Mute』店主’
「あうぅ……」
『Mute』のドアに貼られた張り紙の前で、あたしと主人くんは立ち尽くしてた。
「まぁ、年末だし仕方ないか」
主人くんはそう言って頭を掻くと、あたしに言ったの。
「それじゃ、テリヤでも行く? あそこなら開いてると思うし」
「……そうね、それじゃ、そうしましょう」
あたしはうなずいた。
「お待たせ」
結局あたし達はロッ○リアに来たの。新しいシェーキも最近出てないから、大丈夫よね?
あたしは、トレイをテーブルに置くと、主人くんの正面に腰を下ろして店内を見回したの。
「結構混んでるよね」
「ほかに開いてる店があまりないからね。だけど、本当にいいの? おごってもらって」
「あたしが無理に誘ったんだから、今日はあたしのおごりよ。遠慮なく食べてね」
そう言って、あたしはフライドポテトをつまんだ。
そうだ、主人くんなら明石先輩のことあたしよりよく知ってるよね? ちょっと聞いてみようかな。
「主人くん、明石先輩のこと、どう思う?」
「え?」
主人くん、びっくりしたみたいに目を丸くした。そしてあたしに聞き返してきたの。
「もしかして、虹野さんに告白した先輩って明石キャプテンなの?」
「ええーっっ!?」
あたし、思わず立ち上がってた。椅子は固定されてたから倒れなかったけど、普通の椅子なら盛大にひっくり返ってたと思う。
「どうして!?」
「ごめん」
主人くん、パンと手を合わせた。
「聞くつもりはなかったんだけど……」
「あ、クリスマスのときの……」
あたしが先生に相談したとき、主人くんと早乙女くんも『Mute』にいたんだもんね。
「それにしても、そっか、明石先輩かぁ」
「うん。ずっといっしょにサッカー部で頑張ってきたから、明石先輩のことは、よく知ってるつもりなんだけど」
「そういうことなら、好雄の方が詳しいんじゃないかな? あ、でもあいつ、男の事は良く知らないかなぁ」
そう言って苦笑すると、主人くんは頭の後ろで手を組んだ。
「まぁ、一言で言っちゃえば、いい先輩だよね。俺達後輩にも色々教えてくれたし。特に俺なんて、高校に入ってからサッカー始めたみたいなもんだから、明石先輩には世話になったよ」
そうよね。あたし、覚えてるもの。5月とか6月とか、よく部の練習が終わった後も、主人くんと明石先輩の二人でグラウンドに残ってたもの。
「それに、俺、あの人がほかの人の悪口を言ったのを聞いたことないんだ」
そう言って、主人くんはコーヒーを一口飲んでまずそうに眉を顰めたの。
「主人くん、『Mute』とくらべちゃ可哀相よ」
「まぁ、わかってるけどね」
主人くんは苦笑した。
あ、そうだ。
「ねぇ、明石先輩って卒業したらどうするのかな?」
「……そういえば、聞いてないなぁ。まぁ、多分体育系のどこかの大学だと思うんだけど」
答えてから、主人くんはハンバーガーの包み紙をくしゃっと丸めた。そして、あたしに訊ねる。
「で、虹野さん、明石先輩と付き合うの?」
「……わかんない」
あたしはかぶりを振った。
主人くんは、窓の外に目をむけてぼそっとつぶやいた。
「わかんない、か。詩織もそう言ってたな」
「藤崎さんも?」
あたしの声に、主人くん、初めて自分が口に出してたことに気がついたみたい。慌てて手を振って「なんでもない」って。
でも、それこそ藤崎さんなら告白されるのにも慣れちゃってるんだろうなぁ。はふ。
あ〜ん、もうどうしたらいいのよぉぉ!
……あれ?
そういえば、前にも一度、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃったことがあったような……。
ちょっと待ってよ。むーん。
そうだ、思い出したわ!
ちょうど夏休みの直前くらいのとき、戎谷くんにデートに誘われて、すっごく悩んだことがあったのよね。
で、結局あの時は、戎谷くんのお誘いは断ったんだよね。
うん。あの時、ひなちゃんがこう言ったんだよね。
『沙希、お義理でデートされたって、うれしくも何ともないのよ』
そっかぁ、そうよね。うん。
あたしは立ち上がった。
「虹野さん?」
「主人くん、もう一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
「なんだい?」
あらかたテーブルの上を片づけちゃった主人くんも、立ち上がりながら聞き返した。
あたしは、右手を差し出した。
「来年も、よろしくね!」
《続く》

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