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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 葉澄ちゃんがやってきた(前編)


 ゴォーン
 耳を澄ますと、除夜の鐘の音が聞こえてくるの。
 あたしは、今年最後の日記をつけ終わると、うーんと一つ伸びをして、立ち上がった。ちらっと時計を見ると、午後11時25分。
 もうすぐ、新年よね。
「沙希、そろそろ年越し蕎麦の用意するから、降りてらっしゃい」
 1階からお母さんが呼ぶ声が聞こえた。
「はぁい」
 あたしは返事をすると、部屋の電気を消して、戸を閉めた。

 階段を降りたちょうどその時。
 ピンポォン
 急に玄関のチャイムが鳴ったの。
「あれ? 誰かしら? あ、いいよ。あたしが出るから」
 台所から顔を出したお母さんに言って、あたしは玄関に降りた。突っかけを履いて、ドアを開ける。
「はいはい、どなたですか……?」
 そこにいたのは、中学生くらいの女の子だったの。青い長い髪を一本の三つ編みにしてて、暖かそうなオーバーとマフラーをつけてる。
 その娘はあたしを見上げて、たずねたの。
「沙希お姉さま?」
「え? うん、そうだけ……」
 うなずきかけたあたしに、その娘はいきなり抱きついてきたの。
「お姉さまっ! 逢いたかったの!」
「きゃ!」
 いきなり抱きつかれて、あたしバランスを崩しちゃって、そのまま玄関の三和土に倒れ込んじゃったの。
「な、なに?」
「う〜ん。しあわせ」
 その娘、目を閉じてうっとりしてるみたい。ちょ、ちょっと何なの?
「あら?」
 お母さんの声に、あたしは顔を上げた。
 台所から出てきたお母さんが、手にお玉を持ったまま、あたし達を見おろしてた。
「葉澄?」
 お母さんが言うと、その娘はぴょんとはね起きたの。
「お久しぶり! お母さん」
「お母さんって? え? ええ?」
 ひたすら混乱するあたしをよそに、お母さんとその葉澄って呼ばれた娘は仲良く話をしてる。
「ホント、久しぶりねぇ。元気だった?」
「はい。お母さんも元気そうで。それにお姉さまも」
「まぁ、沙希はそう簡単にどうにかなるような娘には育ててないけどね。あ、そうそう。年越し蕎麦が出来てるよ。食べる?」
「はい。ちょうどおなかが空いてたんです」
 え? はすみ……。えっと、どこかで聞いたことあったよーな……。
 うーんうーん。
「沙希。玄関の鍵掛けておいてね」
 腕を組んで考え込んでたあたしは、お母さんに言われて、はっと我に返った。
「あ、うん」
 葉澄って娘は、もう靴を脱いで、家に上がってる。振り返ってあたしを手招きした。
「ほら、お姉さまも早く早く」
「あ、うん」
 あたしは玄関の鍵を閉めた。
 応接間に入ると、葉澄ちゃんがお父さんに挨拶してるところだったの。
「お久しぶりです、お父さん」
「お、葉澄か。よく来たな。まぁ、そんな所に突っ立ってないで、こたつに入れよ」
 『行く年来る年』を見てたお父さんは、葉澄ちゃんの声に振り返ると、笑って手招きしたの。
「はぁい」
 葉澄ちゃんはそのままこたつに入ると、あたしの方を見て手招きしたの。
「お姉さまも早くぅ」
「え? あ、あたしちょっとお母さんのお手伝いするから」
 あたしは、そのまま台所にかけ込んだ。
「お母さん!」
「あ、沙希、ちょうどよかったわ。器をもう一つ出してくれない?」
 葉澄ちゃんのことを訊こうとしたのに、お母さんに機先を制されちゃった。
「あ、うん」
 しょうがないから、食器棚からお鉢を取りだす。
「でね、お母さん……」
「あ、そうそう。三つ葉は何処だったかしら?」
「三つ葉は確か冷蔵庫の扉の裏に……、三つ葉……」
 その時、あたしの脳裏に一瞬の光景が浮かびあがってた。
 見渡す限りのれんげ畑。
 あたしは、花輪を編んでた。そのあたしの前に、四つ葉のクローバーが差し出される。
『うわぁ、四つ葉だぁ』
『一生懸命探したんですよ。お姉さまのために』
 随分探しまわったんだろうなぁ。手や顔もクローバーの草の汁や土で、緑や茶色になってる。
『ありがとう』
 あたしは、その四つ葉を受け取って、花輪に編み込んだ。そして、その娘にかけてあげる。
『はい。あげる』
『ほんと? わぁい、嬉しい! ありがとう、お姉さま!』
 あたしに飛びついてきた、その顔は……。
 思い出したぁ……。
 虹野葉澄。あたしの従妹で、年はあたしよりも二つ下。
 昔あたしが田舎に住んでた頃は、毎日一緒に遊んでたんだよね。
 葉澄ちゃんのご両親、つまりあたしのお父さんの弟とその奥さん、事故で亡くなっちゃって、ちょうどその頃あたしのお父さんも転勤が決まって、結局そのまま、お別れになっちゃったんだよね。
 最後のお別れの時、あたし達の乗った車をずっと走って追いかけてきたんだよね、葉澄ちゃん。
 たしかあの時、あたしが9歳だったから、葉澄ちゃんは7歳かぁ。そうすると大体7年前ってことになるんだ。
「お・ね・え・さ・ま」
 ぴとっ
「わきゃぁ!」
 不意に背中をつつーっとなぞられて、あたしは思わず悲鳴を上げて硬直しちゃった。
「ま。お姉さまって背中が弱いんですね。¢(..)m...メモメモ」
 ポケットからメモを出して書き込んでる葉澄ちゃんに、あたしは訊ねたの。
「でも、いつ来ることになってたの?」
「え? ずっと前から言ってたじゃないですか。大晦日に行きますって」
「は? あれ、ちょっと待ってよ。いつ決まったの?」
「えっと、冬休みに入った頃かな?」
 ……それってずっと前とは言わないわよねぇ。
 あ、そういえば冬休みに入った頃、お母さんが何か言ってたような……。あたし、明石先輩のことで悩んでたから、上の空で聞き流しちゃったんだ……。
「お姉さまぁ……」
「え? あ、うん、そうだったね」
「おーい、沙希、葉澄、年越し蕎麦の用意が出来たぞ!」
 お父さんが居間から呼ぶ声が聞こえる。
「ほら、お姉さま! お父さんが呼んでるよぉ」
「う、うん」
 あたしは、葉澄ちゃんに手を引っ張られながら、居間に戻ったの。
 年越し蕎麦を食べ終わったら、雑談しながらその時を待つの。
 プッ、プッ、プッ、ポーン
「新年明けましておめでとう!」
 時計の針が12時を回ったところで、みんなで声を揃えて御挨拶。
「それじゃ、沙希も葉澄ももう寝なさい。明日は9時起床よ」
「はあーい」
 あたしはふわぁと欠伸してから立ち上がった。
「お風呂入ってあったまってから寝るね」
 ちゃぷん。
 『日本の名湯シリーズ 登別カルルスのお湯』を入れて、じっくりと身体を沈める。
 くぅ〜〜〜っ。
 熱いお湯が、冷えた身体に染み渡るぅ。
 日本人って、いいよねぇ。
 なんて、ひなちゃんに言ったら「おバンくさぁ」って莫迦にされちゃいそうだけど、でも気持ちいいものは気持ちいいんだもんね。
 と。脱衣場に誰か入ってきた。
「お姉さま、お湯加減はどうですか?」
 葉澄ちゃん?
「うん。ちょうどいいけど」
「そうですかぁ?」
 ごそごそ、シュルシュル
 え?
 脱衣場の方から音が聞こえる。かと思うと、
 ガチャリ
 いきなりドアが開いて、葉澄ちゃんが入ってきたの。
「お姉さま! お背中お流ししますぅ!」
「きゃ! は、葉澄ちゃん!?」
 カチャ
 葉澄ちゃんは後ろ手でドアを閉めると、にへらぁと笑った。
「お姉さま、綺麗……」
「へ?」
「なんでもないですぅ。さぁさぁ上がってきてくださいっ」
「あ、うん」
 あたしはタオルで前を隠しながら、湯舟のなかから立ち上がったの。
「さ、さ、座ってください」
「うん」
 葉澄ちゃんに促されるまま、あたしは洗い場のマットの上に座ったの。
 葉澄ちゃんは石鹸を泡立てながら、言ったの。
「昔はよく一緒にこうやってお風呂に入りましたよねぇ」
「そ、そうね」
 だって、あの時ってまだ小学生だったし……。
「それじゃ、背中からいきますよ」
 しゃかしゃかしゃか
 背中をタオルで洗ってくれる葉澄ちゃん。あ、なんか気持ちいいなぁ……。
「あ、手が滑った」
 むに
「みぎゃぁ! はっ、葉澄ちゃん!!」
「くすくす、冗談ですよ、お姉さまぁ」
 だってぇ……。いきなりなんて、その、ああん。
「はっ、葉澄ちゃん、そこはぁ!」
「綺麗にしておかないと駄目ですよ、お姉さま」
「や、やぁん」
「ふぅぅ」
「すっかりのぼせちゃいましたね、お姉さま」
 あたしと葉澄ちゃんは並んでお風呂を出てきたの。
 あたしは、廊下で葉澄ちゃんに向きなおったの。
「葉澄ちゃん。あのね、もうお風呂は……」
「あ、上がったのね」
 お母さんがぱたぱたと歩いてきた。
「葉澄ちゃんのお布団、沙希の部屋に敷いておいたから」
「ええーっ!?」
 あたし、思わず声を上げてた。
「そんなぁ……」
「え? どうしたの?」
「……お姉さま、あたしと寝るの嫌なんですか?」
 葉澄ちゃんがウルウルしながらあたしをじっと見詰める。う゛。
「わ、わかったわよぉ」
「やったぁ! だからお姉さまだ〜い好きぃ!!」
 葉澄ちゃんはあたしの腕をぎゅっと抱きしめた。お母さん、そんなあたし達をにこにこして見ている。
「本当に、仲がいいわねぇ。そうそう、明日……」
「え?」
 あたしが聞き返すと、お母さんはにこっと笑って首を振った。
「やっぱりヒ・ミ・ツ。お休み」
「はぁい!」
「……はい」
 仕方なく、あたしは階段をとんとんと上っていった。葉澄ちゃんはぴったりとくっついて上がってくる。
「これがお姉さまの秘密の園なんですねぇ!」
「ちょ、ちょっとぉ!」
「わぁ〜い!」
 あたしが止める間もなく、葉澄ちゃんは床に敷いてあったお布団にダイビングしてた。
「わぁー、ふっかふかぁ!」
 うんうん。お客さん用の羽根布団だもんねぇ。
 あたしは時計を見た。午前1時。
「それじゃ、もう寝ようか」
「そうですね。それじゃお休みなさぁい」
 葉澄ちゃんはさっさとお布団にもぐり込んでいたの。
 あたしはため息を一つ吐いて、ベッドにもぐり込んで、豆電球だけ付けてから目を閉じた。
 はぁはぁはぁ
 首筋に息が吹きかかって、あたしはくすぐったくて目をあけた。
「な、なに?」
「お姉さま……」
 きょん。
 あたし、とっさに状況がよく分かんなくて目を丸くしてた。
 え? 葉澄ちゃんなの?
「はす……」
「好きです。お姉さま……」
 ……。
 あたし、また真っ白になってた。
 そんなあたしに覆いかぶさるように、葉澄ちゃんは身を乗り出しながら、にっこりと笑った。
「あたしのものになってください……」
 こりゃ、ほんまもんや……。
 何故か関西弁でつぶやくあたしだったの。

《がんばれにじの By 晴海姉ぇ》

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