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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 葉澄ちゃんがやってきた(中編)


 チュンチュン
 雀のさえずる声が聞こえる……。
 眩しい光が、カーテンのすき間から漏れて来て、あたしのちょうど顔のところに当たってる。
 まだ眠いなぁ。
 寝返りを打って、とりあえず顔を動かそうとしたんだけど、半回転したところで、何かにコテンとぶつかっちゃった。
 くーくーくー
 寝息が聞こえる。
 え?
 あたしは、おそるおそる目を開けて、そこにあるものを見たの。
「むにゃ……。お姉さま……」
 幸せそうな顔で、眠りこける水色の髪の女の子の顔。
 葉澄ちゃん……。
「ひゃおうぅ!」
 次の瞬間、あたしは跳ね起きていた。その弾みでばぁっと掛け布団がまくれあがる。
 うひゃぁ!
 寝間着代わりに着てるトレーナーが、何故かめくれあがってた。慌ててがばっと降ろす。
 な、な、なんで?
 ひゃ。も、もしかしてぇ……。
 反射的に、下半身に掛かってる毛布をめくってみる。
 ……よかった。はいてたぁ。
 え? でももしかして、この感触は……。
 おそるおそる、手を伸ばしてみる。
 あ、あ、あ、ああああ〜〜〜っ!
 あたしはそのまま両手で頭を抱え込んだ。
「ふわ? あ、お姉さま、おはよぉ」
 葉澄ちゃんが目を覚まして、あたしの顔を覗き込んだ。
「どうしたんですか? 難しい顔しちゃって」
「……」
 あたし、無言でふらあっと立ちあがった。
「顔洗ってくる」
「あ、あたしも一緒に行きます!」
「……どうぞ」
 あたしは、がっくりとうなだれたまま、階段をとんとんと降りて行ったの。
 シャワー浴びたいけど、そうしたら葉澄ちゃんきっと「一緒に入りましょう」って言うだろうし。
 ひーん。あたし、どうしたらいいのよぉ。

「明けましておめでとうございます!」
 居間でみんなが挨拶して、あたしの家は新年が明けるの。
 テーブルの上には、おせち料理やお雑煮が所狭しと並べられてる。
「それじゃ、いただくとするかな」
 お父さんが、お屠蘇を飲み干して機嫌良く言う。
 あたしの隣に座った葉澄ちゃんが、小皿に山盛りに栗きんとんを取って、あたしに渡したの。
「はい、お姉さま。どうぞ」
「あ、えっと、うん」
 あたし、ちょっと引きつってた。そんなに栗きんとんばっかり食べられないよぉ。
「え? なんですか?」
 あたしの顔を覗き込む葉澄ちゃん。
 ぼっ
 目が合ったとたん、あたしの顔が火を噴くみたいに真っ赤になっちゃったのが自分でもわかったの。
「あ、うん、えっと、そのね、あ、そうだそうだ。あたし年賀状見てくる!」
「あ、それならあたしが行きます!」
 そう言って、葉澄ちゃんは立ち上がると、すててっと居間から出て行った。あたし、大きくため息。
「本当に仲がいいのね」
「そうだなぁ」
 頷きあうお父さんとお母さん。ひぃーん、違うのよぉ!
「あ、そうそう。沙希、昨日言いかけてたことなんだけど」
 不意にお母さんが真面目な顔で言ったの。
 そういえば、昨日の晩、お母さんが何か言いかけてたっけ。
「何?」
「ええ。色々事情があってね、うちで葉澄を預かることになったのよ」
「ええーっ!?」
 あたし、思わず立ち上がっちゃった。だって、ねぇ。
 ど、どうしよう。昨日みたいなことが毎日あったりしたら、それこそ……。
「あ、お母さん、あたし、ちょっとひなちゃんと約束してたんだ。行ってくるね!」
「え? あ、沙希、ちょっと、お雑煮はもういいの?」
 お母さんの声を背中に聞きながら、あたしは階段を駆け上がった。そして、ハンガーにひっかけてあったGジャンを羽織りながら、はたと気づく。
 出かけるところを葉澄ちゃんに見つかったら、あの娘きっと着いてくるって言うに違いないわ。
 葉澄ちゃんが一緒じゃ相談もできないわ。よぉーし。
 あたしは、まだ使ってない新しいスニーカーを机の下から出すと、窓を開けた。
 カラカラカラ
 サッシを明けると、冷たい空気が流れ込んでくる。
「よぉし、沙希、行くわよ」
 小さい声で言うと、あたしはスニーカーを履いて、窓枠に手をかけた。
「いたたた。でも、なんとか見つからなかったよね」
 家から少し離れたところで、あたしは腰をさすりながら後ろを振り返ってた。
 誰もいないみたい。
 よし、それじゃ行こうかな。
 あたしが歩きだそうとしたとき。
 プップー
 クラクションの音が聞こえて、あたしはそっちのほうを見たの。
 あ。あの緑の車、もしかして、館林先生?
 と思ったら、窓が開いて、先生が顔を出した。
「やっほー、虹野さん。どうしたの? 正月そうそう腰をさすりながら歩いてるなんて。あ、もしかして昨日の晩に色々とあったのかな?」
「え?」
 ボムっと音を立てて顔が真っ赤になっちゃう。
 先生はそんなあたしの顔を見てにんまり笑ったの。
「そうかぁ、虹野さんも大人になったのね。で、お相手は主人くん?」
「ど、どーしてそうなるんですかっ!!」
 キキーッ
 先生は『Mute』の駐車場に車を止めたの。
「先生、『Mute』は今日お休みなんじゃないですか?」
「甘いわねぇ、沙希ちゃんは」
 車から降りながら先生は笑ったの。
「マスターの趣味は熱帯魚。熱帯魚は毎日世話しないとだめ。だから、休みの日でも、マスターは毎日ここに来てるのだ。ほらほら、沙希ちゃんも堕ちな……、じゃない、降りなさい」
「あ、はい」
 あたしが助手席から降りると、先生は車に鍵を掛けると、『Mute』のドアを押したの。
 カランカラン
 あ、本当に開いた。
 先生はそのまま中に入ると、声を掛けたの。
「やっほー。舞、来てやったぞぉ」
 え? でも、マスターはともかく、どうして舞さんが?
「誰かと思えば晴海じゃないの。あら、沙希ちゃんも。いらっしゃい。今年もよろしくね」
「あ、明けましておめでとうございます」
 あたし、慌ててぺこりと頭を下げた。それから顔を上げて訊ねる。
「でも、どうして舞さんがいるんですか?」
「これこれ、沙希ちゃん。それは聞くだけ野暮って……」
 と言いかけて、先生は慌てて振り返ったの。
「わかった、わかったからそれはしまいなさいって!」
「そう?」
 そう言って、舞さんはハリセンをひょいっとカウンターの中に隠した。胸に手を当てて大きく息をつく先生。
「ったく、あんたのはシャレになってないんだから」
 なんだかよくわかんないけど、とにかく聞いたらいけないことなのはわかったの。
「はい、沙希ちゃんはいつものキリマンブレンド。ごめんね、コーヒーしか出せなくて」
 舞お姉さんが、あたしの前にコーヒーを出してくれた。
「ありがとう」
 お礼を言って、コーヒーを一口飲んだ時、いきなり先生が訊ねたの。
「で、大人になった感想は?」
 ゲホゲホゲホッ
 コーヒーが気管に入って、あたし思い切りむせちゃった。
「せっ、先生!」
「こら、晴海。沙希ちゃんはあなたと違ってナイーブなんだから、そんな事聞いちゃダメよ」
 舞お姉さんが横からカウンターに頬杖をついて言ったんだけど、先生は毅然としてきり返した。
「舞、今のあたしは、きらめき高校の保健教諭としての職務中なの。部外者は口を挟まないように」
「そう? ならあたしはオブザーバーとして監視してあげるわね」
 舞お姉さん、頬杖を突いたまま言った。先生は向きなおった。
「別にあたしは不純異性交遊がどうたらとか、千葉県条例がどうたらとか、そんなことは言わないけどね。でもね、沙希ちゃん、やっぱり何かあったときに泣くのは女の方なんだから、それなりの対抗手段をね……」
「ち、違います! あたしは……」
 あたし、そこまで言いかけて、恥ずかしくなってうつむいたの。
「あたしは、……まだです」
「そっか、Bまでだったのかぁ。で、どう? 主人くんはテクニシャンだったの? あ、でもテクニシャンなら、最後までいってるかな。やっぱり向こうもビギナーだったわけね」
 先生、一人で納得してうんうんって肯いてる。あーん、違うよぉ。だいたいそれに、どうして主人くんが出てくるのよぉ。
「あの、先生……」
 こうなったら、全部しゃべっちゃうしかないよね。うん。
 あたしは、決心して先生に向きなおったの。
「へぇ、沙希ちゃんは百合の方に行ったのかぁ。こりゃまた意外だったわ」
 あたしが話し終わると、先生はぽりぽりと頭を掻いて、メモ帳を取りだした。
「よりによって、女の子かぁ。これは大穴よね」
「は〜る〜み〜」
 横から舞お姉さんがじろぉっと先生を見たの。先生はえへんと咳払いすると、あたしに言ったの。
「わかったわ。それじゃその娘に逢わせてくれる?」
「え? あ、はい。それじゃ、ここに連れてきます」
 あたしは肯いて立ち上がったの。
「ただいまぁ」
 あたしが玄関を開けると、中でどたどたって音がした。かと思うと、葉澄ちゃんが飛びだしてきた。
「沙希お姉さまぁ! 葉澄寂しかったですぅ!」
「きゃん!」
 そのままあたしに抱きついてすりすりする葉澄ちゃん。あ、気持ちいい……。
 じゃなくて!
 えっと、でもどうやって誘いだしたらいいのかな?
 そうだ、散歩ってことで。
「葉澄ちゃん、ちょっとあたしと散歩に行かない? いい喫茶店があるの」
「はい!」
 満面の笑みを浮かべる葉澄ちゃんに、あたしは心の中で謝ってた。
 ごめんね、ごめんね葉澄ちゃん。

《続く》

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