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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん3学期も大忙し


 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……
 アラームの音が鳴ってる。
 ううん……。もう、ちょっと……。
「おはようございますぅ、お姉さまぁ」
「ひゃおん!」
 耳をぺろっとなめられて、あたしは飛び起きた。慌てて耳を押さえてきょろきょろ。
「な、は、葉澄ちゃん!」
「あは。起きた起きた」
 ベッドの上、あたしの枕元で座り込んで、手を打って喜ぶ葉澄ちゃん。あたしはため息をついた。
「あのねぇ。起こしてくれるのは嬉しいんだけど、変な起こし方しないでよ」
「でも、いいんですか?」
 そう言って、葉澄ちゃんは壁の時計を指さす。
 午前8時。
「ああーっ! どうしてぇ!?」
「お姉さまが起こしても起きないからじゃないですかぁ。キスしても起きないし、(検閲)を(削除)しても起きないし、どうしようかと思いましたぁ」
 にこにこしながらとんでもない事をいう葉澄ちゃん。固まるあたし。
「……葉澄ちゃん、本当に、その、しちゃったの?」
「嘘でぇす」
 ズッテェン
 そのままベッドからあたし、転がり落ちちゃった。ひぃーん。顔から落ちたよぉ。
「おねぇさま、大丈夫ですか?」
「ふぁい」
 ベッドの上から心配そうに覗き込む葉澄ちゃんに、あたしは鼻をさすりながら返事したの。
 悪い娘じゃないのよ、葉澄ちゃんは。うん。きっとそう。
「お姉さま、時間……」
「ひょぉ!」
 慌ててパジャマ代わりのトレーナーを脱ごうとして、あたしははっと気づいてベッドを見る。
 葉澄ちゃんが、みるからに「わくわく7」って感じで両手を握ってあたしをじっと見てる。
「あの、葉澄ちゃん。その、ね」
「なんですか、お姉さま」
「その、あのね、ちょっとあたし今から着替えるから、外に出ててもらいたいなぁ〜、なんてちょっとだけ思っちゃったりなんかしちゃったりして」
 葉澄ちゃん、とたんに両手を合わせてうるうる。
(お姉さま、あたしのこと嫌いなんですかぁ?)
「まずいわ。ここで追いだされちゃ、あたしの『沙希お姉さまの白い肌と小さめだけど形の良い胸の膨らみをかぶりつきで鑑賞する大作戦』が水の泡だわ。ここは、ひとつ泣き落としに出れば、人のいい沙希お姉さまのことだもの、あたしを追い出したりはできないわ。よし、あたしって頭い〜」
「……葉澄ちゃん、考えてる事と喋ってる事が逆」
「え? あ、やだなぁ、お姉さまってばぁ。このこの。それじゃ、外で待ってますからねぇ〜。……ちぇ」
 葉澄ちゃんはしぶしぶ出ていったの。あたしはふぅとため息を……。ああーっ! そんな暇ないのよぉっ!!

 2分の新記録で着替えてドアを開けると、葉澄ちゃんがキラキラした目で叫んだ。
「お姉さまのセーラー服姿! あたし、これでご飯3杯はいけますぅ!」
「はいはい。それじゃ、行ってきます!」
 まだ転入手続が済んでないから学校には遅く行く葉澄ちゃんを置いて、あたしは鞄を持って階段を駆け降りる。
「行ってらっしゃい、お姉さまぁ! 愛してるわよぉ!」
 ズンガラガッシャァン
 あたしは足を滑らせて、派手に階段を転げ落ちた。
 あー、痛たた。朝からひどい目にあったわ。もう。
 でも、今日からいよいよ3学期。
 学校のみんなと会うのも久しぶりなのよね。うーん、なんだか楽しみだなぁ。
 あ、そういえばひなちゃんとも、クリスマス以来逢ってないし。早乙女くんとの仲は進展したのかな? なんちゃって。あはは。
「ハァイ、沙希。久しぶりぃ」
 学校の門をくぐったところで、あたしは声を掛けられて振り返ったの。
「彩ちゃん! やだ、ほんとに久しぶりよね」
「まぁ、あたしもちょっと年末年始はbusy、忙しかったしね。それにしても、なんだか大変だったみたいじゃない? 噂に聞いたわよ」
 彩ちゃんはにこっと笑ってウィンクしたの。相変わらずのすごい髪型、変わってなくてなんだかほっとする。
「まぁ、いろいろありました、はい」
 あたしはうんうんと肯いてみせたの。
「そうなんだ。また後で聞かせてね。それじゃ、Good-bye,so long」
 そう言い残して、彩ちゃんパタパタって走って行ったの。
「あらあら」
「おー、新学期早々燃えとるのぉ」
 それを見送ってたあたしの後ろから、聞き慣れた声。
 あたしは振り返ってひなちゃんに声を掛けたの。
「あ、ひなちゃん、おはよう」
「おひさ」
 ひなちゃん、笑って答えると、彩ちゃんの後ろ姿を見送った。
「彩子ってば、なんでもライバルを見つけたとか言ってたよ」
「ライバルって、絵の?」
「うん。ほら、年末の絵画コンクールに、彩子絵を出して、なんだっけ、賞もらったっしょ?」
「確か、佳作だったかな? すごいよね、彩ちゃん。あ、その御祝いしてあげなくちゃ」
「まぁ、それは沙希にまかせるわ。んで、その授賞式の時に、別の高校の人と喧嘩したんだってさ」
「ええ? 彩ちゃんが?」
「そ。まぁ、彩子のことだから、芸術についてどうたらこうたらってことらしいんだけどね。んで、決着をつけるんだーって燃えてたよ」
「そうなんだ。すごいなぁ。よぉし、あたしも応援してあげなくちゃ!」
 お昼休みの食堂。
「アハハ〜。そんなんじゃないってば」
 彩ちゃんは紙パックの牛乳を飲みながら笑ったの。
「ただ、いい絵を描くのよ、彼女。あれを落選させてるんだから、お偉いさんも見る目がないわ」
「ふぅん」
 あたしは、ハムサンドをぱくっと食べながら肯いた。
「凄くpureでvividな感性の持ち主なのよ。なんていうかな、あたしの感性にぴっと来るものがあるの。とってもgreatとってもhappyな感じなのよね」
 あーん、誰か解説してよぉ。
 隣でコーラを飲んでたひなちゃんも同じ気分だったみたい。強引に話を変える。
「ところで、沙希ってそろそろ誕生日だよね?」
「え? あ、うん。そうだけど」
「really、ほんとに?」
「嘘言ってどうするのよ。13日があたしの誕生日」
 そう言ってから、あたしはしまったと思ったけど後の祭り。
 ひなちゃんと彩ちゃんは顔を見合わせてにんまり。
「これは、お祝いしなければなりませんねぇ」
「そうですねぇ。具体的なところで、『Mute』の貸し切りというのはどうでしょうか?」
「いい案ですねぇ、朝日奈さん」
 あーん、もう。お祭り好きなんだから、二人とも!
 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが鳴って、今日の授業はお終い。さぁて、3学期最初の部活ね。頑張らなくっちゃ。
 あたしは立ち上がって、鞄を取ると、E組を出た。
 ちょうど、廊下の向こうから主人くんが歩いてくるのが見えたの。
「あ、主人くん。今から部室に行くの?」
「ああ。そうそう、虹野さんのお誕生会、俺も行ってもいい?」
「お誕生会?」
 あたし、目をぱちくり。
 主人くんは肯いたの。
「うん。好雄に聞いたんだけど、なんでも『Mute』を貸し切りにしてやるんだとか言ってたよ」
 ひ、ひなちゃんだ……。
「ごめんなさい。あたしはよく知らないの。ひなちゃんの方が詳しいと思うな」
「そっか。それもそうだね。虹野さんは祝われる側なんだし」
 主人くんは苦笑した。それから、不意に訊ねたの。
「そういえば、先輩とのことは……」
「え?」
「あ、いや、ごめん。なんでもないよ」
 あ、気を遣ってくれてるのかな?
 あたしはくすっと笑ったの。
「おことわりしました」
「そうなの?」
「うん。あたし、まだ恋とかそういうの考えてないし。それに明石先輩なら、あたしなんかよりももっといい人が見つかると思うの」
 あたしはそれから腕時計を見て、主人くんの背中をポンと叩いた。
「ほら、もう行かないと、遅れちゃうわよ」
「あ、そうだね。うん。よーし、今日も頑張るかぁ!」
「その意気、その意気。ファイト!」
 主人くんはそのままたたっと部室の方に走っていったの。
 あたしは、窓から空を見上げた。
 本当はね、ちょっとは考えてるんだ。すてきな恋、してみたいなって。
 でも、そんな相手もいないし……。
 って、どうしてここで主人くんの顔が出てくるのよぉ。
 あたしは慌ててぱたぱたと両手を振って、ぺちぺちと自分の顔を叩いた。
 そうよ。第一あたしなんかに思われたりしたら、主人くんだって迷惑するわよね。
 でも……。
 あたしは、もう一度空を見上げた。空は真っ青に澄んでる。
 その空に、あたしは心の中でそっと訊ねた。

 好きとか嫌いとかって、どういうことなの?

 ドシン
「きゃ!」
 ぼーっと窓から空を見上げてたら、いきなり横からぶつかられちゃった。
 ドシャァ
 向こうの人の抱えてた鞄が床に落ちた弾みに開いて、中身が廊下に飛び散っちゃったの。
「だ、大丈夫?」
「あ、はい。す、すみません」
「あれ? えっと、美樹原さん?」
 あたし、慌てて身を起こそうとしてる美樹原さんを引っぱり起こした。
「ごめんね。あ、手伝うわ」
「すみません」
 あたしは、床に落ちちゃった教科書やノートを拾い集めて、美樹原さんに手渡した。
「本当に、ごめんね。はい」
「すみません。私こそ、急いでたから……。そ、それじゃ、これで」
 美樹原さんは、鞄のふたを閉めると、ぺこりと頭を下げてまた走っていったの。
 あたしはそれを見送ってから、ふと腕時計を見て慌てちゃった。
「ああー! もう部活始まっちゃってる!!」
 美樹原さんと逆方向に駆けだそうとしたあたしの足が何かを蹴っ飛ばした。それは廊下をすーっと滑って、壁に当たって停まったの。
「? 何かしら?」
 あたしはそっちに駆け寄ると、それを拾い上げたの。
 わぁ。小さなオルゴールだぁ。
 小さいけどしっかりした造りの木の箱。複雑な模様が彫られたその箱を開けると、可愛い音色が流れだす。
 ……あ、いけない。急いでるんだったわ!
 あたしは、あたふたとオルゴールをポケットに突っ込むと、また駆けだした。

「すみません、遅れました!」
 あたしはグラウンドに駆け寄りながら大声で叫んだの。
「遅いぞ」
「ごめんなさい」
 賀茂監督にもう一度頭を下げて、あたしは整列してるみんなを見回した。
 みんなの顔を見るのもひさしぶりね。
 みんな元気そう。うんうん。
「よし、それじゃ練習を始めるぞ」
「よろしくお願いします!」

《続く》

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