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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃん病院を駆ける

「虹野」
クリップボード片手に練習を見てたら、不意に賀茂監督があたしに声を掛けたの。
「はい、なんですか?」
「今日、時間はいいか?」
「練習終わってからですか? はい、いいですけど」
あたしが答えると、監督は肯いた。
「よし、それじゃちょっと一緒に来てくれないか?」
「どこへ行くんですか?」
「きらめき中央病院。ちょっと森の見舞いにな」
あ。
1年生キーパーの森くん、11月にダンプにはねられて大怪我して、ずっと入院してたんだ……。
あたし、そんなことすっかり忘れちゃってた……。マネージャー失格よね、これじゃ……。
「はい、行きます」
「よし。まぁ、森も俺よりマネージャーが見舞に行ったほうが喜ぶだろうしな」
「そんなことないですよぉ。あ、そうだ。みんなも一緒に行けば森くんも喜ぶんじゃないですか?」
「おいおい、俺の車はバスじゃねぇぞ。まぁ連れて行くにしても2、3人だな」
監督は苦笑したの。それから、不意に声を張り上げる。
「おい、そこ! 遊んでるんじゃねぇぞ!」
「はい!」
「はいじゃないだろうが、まったく」
ぶつぶつ言ってから監督はあたしの方に向きなおったの。
「それじゃ、誰を連れて行くかは虹野に任せるぞ」
「え? あ、はい」
あたし、反射的に肯いちゃったの。
「というわけで、先着順3名様なんだけど……」
練習が終わった後、部室で着替え終わったみんなの前であたしは説明したの。
「まぁ、俺は行かないといけないだろうなぁ」
田仲先輩、じゃない、田仲キャプテンが苦笑して言ったの。
田仲キャプテンは、明石先輩の指命で決まった2年生の新しいキャプテンなの。
「あと、今日暇な奴いるか?」
キャプテンは部屋を見回したの。それから、一つうなずいて言ったの。
「主人、前田、お前ら来い」
「はぁい」
「まぁ、キャプテンのご指命なら断れないなぁ」
主人くんと前田くんはうなずきあってる。
「んじゃ、今日は解散」
「お疲れさまでしたぁ!」
「じゃ、主人と前田、それからマネージャーは5分後に駐車場に集合」
そう言って、キャプテンは鞄を持って、さっさと部室を出ていったの。
「あれ? 一緒に行けばいいのに」
前田くん、首をかしげてる。
「キャプテンにはキャプテンの用事があるのよ。ほら、あたし達も行かなくちゃ」
あたしは、ぽんと前田くんの肩を叩いた。
賀茂監督の車は普通のカローラだったの。なんだか館林先生の印象が強くって、先生の車っていうと変わったのって思ってたから、ちょっと意外。
助手席にあたし、後ろにキャプテンと主人くん、前田くんがすし詰めになってる。ちょっとかわいそうだな。帰りは代わってあげようっと。
「でも、確かそろそろ退院ですよね、森は」
一番右に座ってるキャプテンが、監督に尋ねたの。
「ああ。なんでもこのあいだ検査して、その結果で決まるらしいがな」
ハンドルを切りながら、監督はうなずいた。
「早く退院できればいいですね」
「そうだな……」
あたしの言葉に、キャプテンは相づちをうった。
821号室。うん、ここに間違いないわね。
トントン
あたしが代表してノックする。
「おじゃましまぁす」
ドアを開けると、
「きゃ」
「あれ? みんなじゃないすか。どしたんすか?」
あたしもびっくり。前田くんと主人くんもびっくり。監督は平然として声をかけてる。
「今日から新学期だからな。キャプテンとマネージャーと、あとおまけ2人を連れてきたぞ」
あたし、ベッドから半身起こして笑ってる森くんよりも、そのベッドの脇の椅子に座ってる娘の方を見てた。主人くんと前田くんも同じ。
だって、その娘は、あたしも知ってる娘だったけど、どうしても森くんとは結びつかなかったから。
その娘は、あたし達と森くんを交互に見てたけど、不意に立ち上がった。
「あ、あの、今日は失礼します」
「あ、ちょっと……」
森くんが声を掛けて、その娘は振り返った。
「あ、はい、なんでしょう?」
「えっと……」
あは、珍しいもの見ちゃった。森くんが照れたみたいに頭掻いてる。
「また、動物の話でも、しに来てくれると嬉しいっす」
「えっと、あの、……はい」
それだけ言うと、その娘は真っ赤になって部屋から出ていっちゃった。
パタン
ドアの閉まる小さな音がして、主人くんがおそるおそる訊ねたの。
「もしかして、俺達、超お邪魔ってやつ?」
「いや、そういうわけじゃないっすよ。なははは」
森くん、困ったみたいに引きつった笑いを浮かべてる。
よし。
「あたし、ちょっと行ってくるね!」
このまま気まずくなっちゃったら、森くんにもあの娘にも悪いもんね。
「あ、マネージャー、ちょっと……」
「主人くん、鞄持っててくれる? じゃ!」
あたしは主人くんに鞄を預けて、病室から飛びだした。
「こら! 廊下を走っちゃだめ!」
「ごめんなさぁい」
看護婦さんに謝りながら、あたしは階段まで走ったの。でもいない。
よぉし。
ちょっとはしたないけど、2段飛ばしで階段を駆け降りる。
8階から一気に駆け下りて、病院ロビーに飛び出す。
待合室のみんなが、ばたばた駆け下りてきたあたしをビックリしたみたいに見てるけど、それどころじゃないもんね。
ぐるっと待合室を見回してみるけど……。いない。
もう帰っちゃったのかな?
あたしはがっくり肩を落として、くるっと振り返った。
チン
向こうにあるエレベーターがちょうど停まって、ドアが開いた。
その中から、あの娘が出てきたの。あたしを見て、びっくりしたみたいに立ち止まる。
そ、そうよね。エレベーター使って降りてきても、悪くはないもんね。
最初からエレベーターということを思い付かなかったお莫迦な自分の頭を呪いながら、あたしは駆け寄った。
「美樹原さん、ちょっといいかな?」
「え? あ、はい」
美樹原さんは、ちょっとおどおどしながらも、うなずいてくれた。
病院ってほとんど来たことないから知らなかったけど、立派な喫茶室まであるのね。しかも、病院だからとってもヘルシー。その分、ちょっと高いけどね。
美樹原さん、じっと縮こまっちゃってる。やっぱり無理に誘ったからかな。
「あの、ごめんね。無理矢理誘っちゃって」
「あ、いえ……」
それだけ言って、また黙っちゃった。
あーん、どうしよう。こういう時、ひなちゃんや彩ちゃんが羨ましいよぉ。
えっと、落ちつくのよ、虹野沙希。まずはお友達から始めましょう……。じゃなくて、えっと、そうそう、まずは知ってることの確認からよね。
美樹原さん。藤崎さんのお友達で、お昼休みによく屋上や中庭で一緒にランチしてたよね。確か、動物が好きって聞いたな。すっごく大人しい娘って印象があるのよね。
で、どうしてその美樹原さんが、森くんの病室にいたんだろう?
森くんはあたし達きらめき高校サッカー部のゴールキーパー。学年もあたし達と同じ。ってことは美樹原さんとも同じよね。すっごいレゲエファッションの人で、あたしも最初は恐い人だと思っちゃった。
サッカー部の最初の練習試合のとき、正キーパーで今は引退しちゃった富山先輩が怪我しちゃって出られなくなったのよね。そのときに、早乙女くんが探しだして来てくれたのが、森くんだったの。
第一印象っていうのかな、ぱっと見にはちょっと怖い感じだけど、本当は気さくでとってもいい人なのよね。練習も凄く熱心で、よく主人くんとPKの練習してるのを見たわ。
……ダメだわぁ。どうしても、森くんと美樹原さんの接点がないのよねぇ。
藤崎さん以外に、美樹原さんと仲がいいのは……。あーん、こういうときひなちゃんがいてくれればなぁ。
よぉし、こうなったら直接聞いてみるしか……。
「メグ? ロビーにいないと思ったら、ここにいたんだ……」
身を乗り出して聞いてみようと思ったあたしを停めたのは、後ろから聞こえたその声だったの。
「藤崎さん?」
「あら、虹野さん。お久しぶり。その後、公くんとはうまくいってる?」
そう聞きながら、藤崎さんは美樹原さんの隣に腰を下ろしたの。
「な、なんでもないのよ、あたしと主人くんは」
「そう? うふ。ま、そういう事にしておきましょう」
くすくす笑いながら言うと、藤崎さんは美樹原さんの方に訊ねた。
「待った? ごめんね。部活がちょっと長引いちゃって」
そういえば、藤崎さんは演劇部なのよね。
「いえ……」
言葉少なにうなずく美樹原さん。
そうだ、藤崎さんなら知ってるかもしれないな。あ、でも美樹原さんが目の前にいるのに、藤崎さんに「美樹原さんと森くんの事について知ってる?」なんて訊ねるのも変だし……。うーん。
あたしが悩んでると、不意に藤崎さんが立ち上がった。
「そうそう、虹野さんに聞きたい事があったの。あ、メグ、ちょっと待っててね。えっと、虹野さん、サッカー部の運営のね……。あ、ここじゃまずいわよね。そうだ、こっちに来てくれないかな?」
そう言うと、藤崎さんはあたしの手を引っ張った。
「サッカー部の?」
「ほら、壁に耳あり障子に目ありって言うでしょう?」
「あ、はい」
あたしはうなずくと、藤崎さんの後に着いていったの。
あたしたちは、お手洗いに入ったの。
「さて、と」
藤崎さんはくるっと振り向いた。
「メグと森くんのことでしょ?」
「え? あれ? でも、サッカー部の……」
あたしがとまどってると、藤崎さんはくすっと笑った。
「方便よ、方便」
そっかぁ。さすが演劇部ね。
あたしが感心してると、藤崎さんは鏡に視線を向けた。あたしと藤崎さんが並んで写ってる。
……。
「森くんが事故にあったの、メグのせいなの」
あたしが黙ってると、藤崎さんは静かに言った。
「えもがはう」
「静かに」
思わず叫びかけたあたしの口を素速く塞いで、藤崎さんは言葉を継いだ。
「ちょっと違うわね。メグにも責任がある、って言った方がいいかしら」
「もげもげむりまんへてはるひ」
「うん。事情を説明しないとわかんないわよね」
そう言って、藤崎さんは説明を始めたの。
でも、その前にその手をどけてほしいんだけどな。
「……かくかくしかじか、というわけよ」
「なるほど、そうだったんだ……。じゃなくて、それじゃわかんないわよ」
あたし、言い返しながら、心の中ではちょっと愕然としてた。
藤崎さんって……、すごくお茶目だったんだ……。
《続く》

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