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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん朝から襲われる


 夕御飯を食べてから、あたしは自分の部屋で勉強してたんだけど……。
 だめだぁ。全然進まないよぉ。
 あたしは、教科書を閉じて、ベッドにひっくり返ったの。
 天井を見つめて考える。
 とにかく、謝らなくちゃだめよね。
 よし。
 自分にかけ声を掛けて、体を起こすと、あたしは部屋から出たの。
 まずは主人くんに電話を掛けようとおもったんだけど……。
「あ、お姉さま……」
「葉澄ちゃん?」
 ドアを開けたら、ちょうど葉澄ちゃんが通りかかったところだったの。
 そうだ。葉澄ちゃんにも謝らなくちゃ。
「あの、葉澄ちゃん……」
「……」
 葉澄ちゃん、そのまま歩いていこうとしたの。あたし、慌ててその腕を掴んだ。
「ちょっと待って、葉澄ちゃん。聞いてほしい事があるの」
「……聞きたくありません」
 そう言って、葉澄ちゃんはあたしの腕を払いのけたの。
「葉澄ちゃん……」
「お姉さまは、その主人とかいう人とお付き合いなさっているんでしょう? あたし、馬に蹴られるような真似はしませんから」
「ちょ、ちょっと待ってよ! それは違うの! 昨日のは冗談で、本当は主人くんとは何でもないのよ!」
「……ホントに?」
 葉澄ちゃん、ジト目であたしを見る。
「ほ、本当よ」
「それじゃあ、今朝の午前5時28分から台所で作っていたお弁当は誰のためだったんですか?」
「な、なんで? 葉澄ちゃん、寝てたんじゃないの?」
「起きてました。お姉さま、とっても楽しそうにお弁当を作ってましたよねぇ」
「そ、そうだったの? あの、それはあたしの……」
「一人分にしては多かったですよね」
 ジト目のまま葉澄ちゃんが言う。
「えっと、それはその……、あ、そうそう、ひなちゃんがお弁当を欲しいって言ってたから、ついでに作って行ってあげようかなって……」
「本当ですか?」
「本当よ、うん」
 あたしが肯いてみせると、葉澄ちゃんは一転してにっこりと笑ったの。
「よかったぁ。それじゃ、お姉さまはあたしのものなんですね」
「へ?」
「嬉しい! 大好きです、お姉さま」
 葉澄ちゃん、あたしにぎゅっと抱きついてきたの。
「きゃ! 葉澄ちゃん、あの……」
「それじゃ! るんるーん」
 葉澄ちゃん、スキップしながら自分の部屋に帰って行ったの。
 あたし、ドッと疲れて思わずため息。はふぅ。
「あ、お姉さま!」
「え?」
 ドアからピョコンと顔を出して、葉澄ちゃんがあたしに訊ねたの。
「これからあたしお風呂に入るんですけど、一緒に入りませんか?」
「あ、あたし、ちょっと電話するところがあるから……」
「そうですか? それじゃ、電話が終わったら一緒に入りましょうよぉ」
「……好きにして」
「わーいわーい、お姉さまとおっふろ、おっふろ、嬉しいなったらるんるん」
 踊りながら部屋に入る葉澄ちゃん。
 あーん、誰か助けてぇぇ!

 トルルル、トルルル、トルッ
「はい、主人です」
 電話の向こうから主人くんの声が聞こえてきた。
「あ、虹野ですけど」
「虹野さん?」
「あのね、今日のことなんだけど……」
 そこまで言ってから、あたしちょっと言葉に詰まっちゃった。
 なんて言えばいいの? まさか、主人くんがあたしにエッチな事をするかもしれないと思ったから、なんて言えないし……。
 あたしが考え込んでたら、受話器の向こうから主人くんの声が聞こえてきたの。
「ごめん、虹野さん」
「え?」
「本当の事言って、俺、何で虹野さんが怒ってるかよくわからないんだけど……、でも、虹野さんを傷つけちゃったのは確かみたいだから……。ごめん、本当に」
「そうじゃないの!」
 あたし、慌てて言ったの。
「そうじゃなくて、あれは、ね、その……」
 あーん、どうしよう。
「えっと、あの、うん、とにかく、なんでもないのよ」
「虹野さん……」
 なんだか主人くん、納得してないって感じよね。そりゃそうだわ。
 でも、これ以上の説明もできないし……。
「とっ、とにかく、気にしないで。ね。あ、そうだ。明日もお弁当作って行ってあげるね」
「でも……」
「あ、ごめん。迷惑かな?」
「いや、そんなことはないけど……。虹野さんのほうこそ、いいの?」
「もちろんよ!」
「は?」
「あ、そうじゃなくて、と、とにかく、また明日ね!」
 あたしは電話を切って、はふっと大きく息をつく。
 ……お風呂でも入って、リラックスしようっと。
 チャプン
 熱い湯舟に、そろそろっと身を沈めて。
 あー。気持ちいい……。
 やっぱりお風呂は命の洗濯よねぇ。
 肩までお湯に浸かって、あたしは天井を見上げたの。
 ピチャン
「きゃ」
 天井から冷たい雫が落ちてきて、あたしの鼻先に当たったの。あたし、思わず小さな悲鳴を上げちゃった。
「んもう、冷たいなぁ」
 ばしゃばしゃとお湯で顔を洗って、それからふと考え込む。
 館林さんになんて言おう……。
 お昼に、先生に保健室で言われた言葉が、耳の中で響いてるような気がする。

『ずばり、虹野さんは主人くんの事をどう思っていらっしゃるのかな?  「主人くんはサッカー部の部員であたしはサッカー部のマネージャー」とかいう公式見解はこの際置いておいて、率直な意見を聞きたいな』

 率直な、意見、かぁ……。
 ……。
 どう、なのかな。
 あたしは、
 主人くんのことを、
 どう思ってるのかな?

 ……わかんない。

 ジャブン

 あたしは、湯舟の中に頭まで沈んだ。

 プクプクプク

 ……わかんない。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!! 沙希お姉さまぁ! はやまっちゃだめですぅ!!」
 葉澄ちゃんの悲鳴がお湯の中まで聞こえて、あたしはびっくりして顔を上げたの。
「は、葉澄ちゃん?」
 洗い場とのドアのところから、素っ裸の葉澄ちゃんがあたしの方に駆け寄ってきた。
「お姉さま、そんなのだめです!!」
 葉澄ちゃんはそのまま湯舟に駆け寄ると、あたしの顔をぎゅっと抱きしめたの。
 むぎゅ。
「お姉さま、そんなに辛かったんですね。もう心配しなくても大丈夫です。このあたしがお姉さまをお守りしますから、だからそんな一人で先走るようなことしないでください!」
 じたばた。
 は、葉澄ちゃん、ちょっと手を緩めてよ。息ができない……。
 あ、もうだめかも……。
 チュンチュン
 雀の囀りで目が覚める。
「う、うん……」
 そっと寝返りを打って、小さくあくび。
 今日もいい天気みたい……。でも、ちょっと寒いな。
 もうちょっとだけ……。
 バンッ
「お姉さま! おはようございますっ!!」
 いきなりドアが開いて、葉澄ちゃんが飛び込んできた。
「ほらほら、朝ですよ! ♪あたーらしいあさ〜」
「歌わなくてもいいから、もうちょっと寝かせて……」
「そんなのだめですよ。ほらほら起きて!」
 そう言いかけてから、くすっと笑う葉澄ちゃん。
「あ、そうかぁ。寝ててもらってもいいなぁ」
「わぁ、目が覚めたわ。うん、とっても気持ちのいい朝よね!」
 あたし、慌てて飛び起きた。
「そうですよね。それじゃ、朝御飯にしましょうね!」
 にこにこ笑う葉澄ちゃん。はふ。その元気、少し分けて欲しいよぉ。
「にじの!」
「へ?」
 学校に行く途中。
 不意に呼び止められて、あたしは振り返ったの。
「……」
 目をぱちくり。
 だって、そこには、目付きの悪いコアラの着ぐるみが立ってたんだもの。
「こ、こあら?」
「にじのぉぉぉぉ」
 きゃぁぁ! こあらが追いかけてくるぅ!
 あたし、慌てて逃げだしたの。
「あれ? 虹野さんじゃないか」
 必死になって走ってたら、その足音で気がついたのか、前を歩いてた女生徒が振り返って、あたし達を見たの。
「き、きよ、かわ、さん。じゃ」
 あたしはその脇を走り抜けた。
「なにやってんの?」
 ひゃ。
 清川さん、あっさりとあたしと並んで走りながら訊ねた。すごぉい、あたしが必死になって息を切らせてるのに。
 そういえば、毎朝50キロ走ってるって、服部くんが言ってたな。あ、服部くんって、清川さんの幼なじみのサッカー部員なの。なんて、説明はどうでもいいか。
 あたしは黙って(息が切れてしゃべれなかったの)後ろを指した。清川さんは10秒ほど後ろを見てからあたしに聞き返す。
「知り合い?」
 ブンブン
 あたし、思いっ切り首を振る。清川さん、肯くと、その場で急に立ち止まった。
「先に行きなよ、虹野さん。ここはあたしが引き受けた」
 で、でも……。
「大丈夫。それに、虹野さんには借りがあるしね」
 あたしが言いたい事が伝わったのか、清川さんは笑って答えると、こあらの着ぐるみの方に向きなおった。
「さぁ、来やがれ、変態野郎!」
 ズドドドドド
 こあらが突進してくる。清川さん、危ない、よけて!
「どっせぇい!」
 ガシィッ
 す、すごぉい! 清川さん、あっさりと突進してくるこあらを止めちゃったんだもの。
 そのまま、軽く投げ飛ばす。
「こあらぁぁぁあ」
 悲鳴?をあげて、こあらは道ばたに倒れちゃった。
 清川さんはあたしにぴっとVサインをしてみせると、そのこあらに近寄って行ったの。
「さぁて、誰が入ってるのかな?」
「き、清川さん、危ないよ」
「大丈夫、大丈夫。さて、と」
 清川さん、こあらの頭を掴んでぐいっと引っ張ったの。
 すぽん。
 そんな感じで頭が抜けたの。そして、その中には……。
「た、館林さん!?」

《続く》

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