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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんの、ハッピーハッピーバースデー(後編)


「な、なにこれぇ!?」
 あたし、思わず声を上げちゃったの。
 だって、『Mute』のドアが、ドアがぁぁぁ。
 ペタンとその場に座りこむあたし。
 と、
 カランカラン
「おっそぉい! ……なにしてんの?」
 ドアが開いて、ひなちゃんが顔を出したの。
「ひ、ひなちゃん、なにこれ!」
「何って、ドア」
「ドアって……」
 あたしは、改めてドアを見上げた。
 いつもはマガホニーの木目を生かした、落ちついた雰囲気のドアだったのに、今日はパステルピンクの派手な色に塗られてて、おまけに大きな字でこう書いてあるの。

虹野沙希ちゃん
お誕生日会会場
 ちょっと下に、小さくつけ加えられてる。

 本日貸切 喫茶店Mute

 あたしの視線に気づいて、ひなちゃんはにまぁっと笑った。
「なかなかいいっしょ?」
「なかなかって、あの、それは……」
「ま、入りなさいよ。主役がいないと話にならないっしょ?」
 ひなちゃんはそう言って、あたしの腕を掴んで引っ張り起こしたの。

「こ、こんにちわぁ」
 おそるおそる、『Mute』の中に顔を出して見ると、もう店内は半分くらい人で埋まってたの。
「あら、主役が来たわね」
 カウンター席に座ってた館林先生が、にこにこしながら振り向いた。それから、おもむろに立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ始めますか?」
「あ、ちょっと待ってください」
 あたし、慌てて言ったの。
 だって、サッカー部のみんな、まだ来てない……。
「あ、そっか。ほら、先生、こしょこしょ……」
 ひなちゃんが、先生になにか耳打ちしてる。先生はにこっと笑ってあたしの方を見た。
「そういうことね。んじゃ、待ちましょうか」
 ……ひなちゃん、何を言ったんだろ? なんか気になるなぁ。
 カランカラン
「どぉもぉ~。まだ入れる?」
 10分ほどして、ドアが開いて前田くんが顔を出したの。
「あ、前田くん。ってことは、サッカー部のみんな?」
「そうだけど、あれ? どうしてオレ達が来るって知ってるの?」
「え? あ、それは、そのね……」
 部室の前で立ち聞きしてました、なんて言えなくて、あたしが狼狽えてると、前田くんいきなり後ろから突き飛ばされて、『Mute』の中に転がり込んじゃった。
「こら、後ろが塞がってるんだから、さっさと入らんかい!」
 そう言いながら、田仲キャプテンが入ってきたの。
「キャプテン、ひどいじゃないですかぁ」
「やかましい。お前の後ろに何人待ってると思ってるんだ?」
「そうだ、そんなことだから彼女が出来ないんだぞ、お前は」
「ああ~っ、お前そんなこと言えるって事は、彼女が出来たのかぁ!?」
 もうすごい騒ぎ。ああーん、どうしよう。
「こらこら、お前ら、店の前でさわぐんじゃない。それに今日はマネージャーの誕生日だろうが。お前らの方が目だってどうする?」
「え? あ、監督?」
 みんなの後ろから、賀茂監督が顔を出したの。
「俺も、入れてくれるかな?」
「あ、はい。どうぞ」
「それじゃ、ちょっくら御邪魔するかな。……おお、久しぶりだな、朝日奈」
 賀茂監督、カウンターの内側でコーヒーをいれてたマスターに話しかけたの。そういえば、マスターや舞さんもきらめき高校の卒業生だもんね。
「げ、鬼賀茂……じゃない。賀茂先生じゃないですか、おひさしぶりでございます、お元気でしたか? あは、あは、あははは」
 マスター、ちょっと変……。ああー、コーヒーこぼれてるよぉ!
「マスター、コーヒーこぼれてますよ」
「え? あ、ああっと!」
 慌ててコーヒーポットを持ち上げるマスターをよそにして、舞さんが賀茂監督に話しかけたの。
「賀茂先生、お久しぶりです」
「ん? おお、上岡か。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「先生こそ、お元気そうで。先生の御活躍は、晴海からよく伺っておりますわ」
 にっこり笑う舞さん。うーん、何て言うか、流石って感じよねぇ。
 なんて思いながら、舞さんと監督の会話を聞いてたら、いきなり後ろから頭をぽかっと叩かれたの。
「痛っ。な、なによぉ?」
 振り返ってみると、ひなちゃんが腰に手を当ててたの。
「こら、沙希。そろそろ始めちゃうけど、いいの?」
「え? 何を?」
「この娘はまぁ、しらばっくれちゃってもう!」
 ぐ~~り、ぐ~~り
「痛い痛い痛い、いやぁんやめてぇ、こめかみをげんこつでぐりぐりやるのはぁぁぁ!」
「んもう。じゃ、始めるよ」
 ひなちゃん、そう言って立ち上がったの。あたしはこめかみおさえてしゃがみ込む。
 うぇぇん、痛いよぉぉ。
 パンパン
「静まれ、皆の衆!」
 ひなちゃんが手を叩いて叫ぶと、ガヤガヤしてた店内が静かになったの。
 タイミング良く、舞さんと、それにエプロンかけた娘が、シャンパングラスをみんなに配って歩く。……あ、誰かと思ったら、藤崎さんじゃないの? 手伝ってくれてたんだ。後でお礼言わなくちゃ。
 シャンパングラスが行き渡ったところで、ひなちゃんはえへんと咳払いすると、自分のシャンパングラスを右手に持って、さっと手を広げた。
「今日はあたしのために集まってくれてありがとう!」
 しぃ~~~ん
「……お約束のぼけなんだから、誰かつっこんでよぉ(泣)」
「まぁ、そうだったんですか? わたくし、てっきり、本日は夕子さんのお祝いだったのかと、思ってしまいました」
 にっこり笑う古式さん。
「……はぁ。まぁ、いいけどね。んじゃ本題! 今日は、そこにいる虹野沙希が、16歳の誕生日をめでたく迎えることができました! それを記念して、みんなに集まってもらったってわけ!」
「うぉぉぉぉ」パチパチパチパチ
 歓声と拍手を、ひなちゃんは左手を振って鎮めて、言ったの。
「んじゃ、まずは乾杯からいってみよっか! 沙希の誕生日を祝して、かんぱーい!!」
「かんぱーい!!」
 カチャカチャ
 グラスの触れあう音。
 あたしも、自分のグラスをひなちゃんのグラスと合わせてから、くいっと飲み干した。
 パチパチパチパチパチ
「おめでとう!」
「おめでとう、虹野さん!」
「コングラッチュレーションズ、沙希!」
「おめでとうございますぅ」
 みんなが、グラスを置いて、拍手してくれたの。
「あ、ありがとう、みんな。……ぐすっ」
「ほらほら、今日の主賓が泣かないの」
「だ、だってぇ……」
 本当に嬉しかったんだもん。みんな、ありがとう。
 いつの間にか、司会はひなちゃんから早乙女くんにバトンタッチしてる。でも、早乙女くん、なんだか手慣れてるって感じ、するよね?
「それじゃ次は、虹野沙希さんご本人によるイベント! 誕生日といえば、これでしょう。バースデーケーキのロウソク一気消しです! それでは、バースデーケーキ、入場!!」
 早乙女くんがそう言ってさっと手を振ると、音楽と一緒にマスターがケーキを持ってきたの。うわぁ、大きなデコレーションケーキ!
 ちゃんと可愛いロウソクも立ってるの。あ、このロウソク、お人形になってるんだ。
「それじゃ、ロウソクへの点火は、この方にお願いしましょう。虹野さんの大親友、寄り道クイーン朝日奈夕子おげっ!」
「人に変な称号付けるんじゃない!」
 ひなちゃんは、早乙女くんの頭を後ろからどついてから、ケーキのところにやって来たの。
「んじゃ、ちゃちゃっとやっちゃおうかな?」
 そう言って、ひなちゃんはマスターから借りたライターで、ちょいちょいとロウソクに火を付けたの。
「オッケー。んじゃ、沙希。ふーっとやったんさい」
「うん。それじゃ、せぇのぉ……」
 ふぅーーーーーーーーーーーーーーーっ
 ワァーッ
「パチパチパチパチ」
 よかった、全部消えて。こういうとき残っちゃうと、気まずいんだよね。
「それじゃ、ケーキの裁断はマスターにお委せするとして、その間に、メインイベント! プレゼント贈呈だぁぁ!!」
 叫ぶ早乙女くん。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
「はいはい、順番にね、順番に。並んで並んで。最後尾はこっちだよ」
 早乙女くん、なんだか随分手際良い並べ方ね。やったことあるのかな?
 ま、いいけど。
「はい、マネージャー。誕生日おめでとう。サッカー部のみんなで買ったんだぜ」
 最後に田仲キャプテンが、小さな箱を渡してくれたの。
「急だったから、手に入れるのがやっとで、ラッピングまで手が回らなかったけど」
「いえ、ありがとうございます。開けてみてもいいですか?」
「どうぞ」
 あたしは、箱を開けてみた。わぁ、可愛いマグカップ。
「ありがとう、みんな……」
「日頃お世話になってるからね。これくらいは何でもないって」
 笑うキャプテン。うなずくサッカー部のみんな。
 ありがとう。本当に……。
 あれ?
 あたしはキョロキョロと店内を見回した。
「主人くんは?」
「主人のやつなら、ちょっと行くところがあるとか言ってたぜ」
「ああ。遅れていくからって、なぁ」
 前田くんと江藤くんが顔を見合わせる。
「そう……」
「おやおや、がっかりしたの?」
 ひなちゃんがあたしの頭をぐりぐりする。
「そ、そんなことないよ。みんな来てくれたんだし、それに主人くんだって主人くんの用事があるだろうし」
「でも、虹野さんの誕生日を放り出すなんて。あとで叱ってやらなくちゃ」
 藤崎さんがぷんぷんして腕を組んでる。
「ふ、藤崎さん、そんなことしなくても……」
「ううん。犬と主人くんは、悪いことをしたらすぐに叱らないとわかんないのよ」
 きっぱり言う藤崎さん。……なんだか、すごいな。
 と、
 カランカラン
 不意に『Mute』の入り口のカウベルが鳴った。
 主人くん!?
 振り返ったあたしに、誰かが飛びついてきた。
「ああーん、お姉さまの意地悪ぅ! どうしてあたしを呼んでくれなかったんですかぁ!?」
「は、葉澄ちゃん?」
 そう、あたしの首根っこにかじりついてるのは、葉澄ちゃんだったの。
「ど、どうしてここに?」
「晴海お姉さまが呼んでくれたんですぅ」
「館林先生が?」
 振り返ると、館林先生がVサインを出してた。もう。
「あたしを呼んでくれないなんて、やっぱりお姉さまはあたしのこと、嫌いなんですねぇ」
 あたし、慌てて答える。
「そ、そうじゃなくて、今日は、ね」
「やっぱり、やっぱり嫌いになっちゃったんだ。うわぁ~~ん」
「ちょ、ちょっと葉澄ちゃん落ちついて」
 葉澄ちゃん、あたしにかじり付いたままで泣きだしちゃったの。ああーん、どうしよう?
「まぁまぁ、葉澄ちゃん。こっちにケーキあるわよ」
 館林先生がそう言うと、葉澄ちゃんけろっと泣きやんで、そっちに行っちゃった。
「わぁい、ケーキケーキ!」
「……はふぅ」
 ため息ついてから、みんながじぃっとあたしの方を見てるのに、はっと気づいたの。
「あ、ええっと、その……」
 ど、どう説明しよう?
「もう8時かぁ。んじゃ、そろそろお開きにしよっか?」
 壁にかかってる時計を見上げて、ひなちゃんが言ったの。
「そうね。明日も学校だし」
「あう、藤崎さん、それは言わないでぇ」
 かくっとカウンターに突っ伏して呻くと、ひなちゃんはがばっと顔をあげた。
「んじゃ、最後に沙希から一言」
「え? ええ?」
「何狼狽えてんだかぁ。ほら、さっさと言え」
 んもう、ひなちゃんったら。急なんだから。
「えっと、今日は本当にありがとう。明日からもよろしくお願いします」
 ぱちぱちぱち
「んじゃ、今日は終わり!」
「お疲れ様でしたぁ!」
「……ふぅ」
「どうしたんですかぁ、お姉さま。疲れたんですかぁ?」
 葉澄ちゃんがあたしの顔をのぞき込む。
 あたしは首を振った。
「ううん、大丈夫」
「そう? ならいいんですけど……」
 主人くん、とうとう来なかったな。
 しょうがないよ。用事あったんだから。
 でも……。

「ああ。そうそう、虹野さんのお誕生会、俺も行ってもいい?」

 そう言ってたじゃない。
 ……。
「……さま、お姉さま!」
「え? ああ、なぁに、葉澄ちゃん」
 あたしが振り返ると、葉澄ちゃんはぷっと膨れた。
「聞いてなかったんですか?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事してたから……」
「んもう。今日のお姉さま、ちょっと変ですよ」
「そ、そうかな?」
 そう言ったとき。
「虹野さん!」
 後ろから声が聞こえて、あたしの足が止まった。
 この声は……、でも、違ってたら……、振り向いて、そこにいなかったら……。
「ごめん、パーティーに間に合わなくて」
 間違いない!
「主人くん……」
 あたしは、ゆっくりと振り返った。
 そこに、主人くんがいた。はぁはぁと白い息を切らして。
「いいの。用事があったんだもんね」
「実は……、これを捜してたんだ。なかなか無くてさ」
 そう言って、主人くんは、鞄から紙袋を出した。
「これ、プレゼント」
「う、うん。ありがとう。でも……これを捜してたって……。開けてみてもいい?」
 主人くんがうなずくのを見て、あたしは袋を開けてみた。
 中からは、古い本が一冊。
 こ、これ!
 あたしは、その表紙を街灯の明かりで読んでみた。
『秘密のレシピ』
「こ、これ……」
 ずっと前に絶版になっちゃった、フランスの五つ星レストランのシェフの書いたレシピ集じゃない! その筋じゃ幻のレシピ集って言われてるっていう……。
「虹野さんがこれ捜してるって、前に好雄にきいたんだ。で、今日あちこち捜し回って、古本屋でやっと見つけたんだ。でも、捜してる間にパーティー終わっちゃって……。ごめん」
「……ううん、いいの。ありがと……や、やだ」
 涙が出て来ちゃった。
 あたしは、ハンカチで涙を拭くと、笑顔を浮かべた。
「本当に嬉しい……」
「虹野さん……」
「うぉっほっぉぉぉん!」
 盛大な咳払いに、あたしははっと我に返った。
「あ、葉澄ちゃん」
「お姉さま、もう帰りましょうよ。冷えちゃいますよ」
「そ、それじゃ虹野さん。また明日ね」
 そう言うと、主人くんはさっと走って行っちゃった。
「うん。明日、ね」
 あたしは、『秘密のレシピ』を胸に抱きかかえて、言った。声が届いたかどうか、わかんなかったけど。
 でも……、よかった。
「ほら、お姉さま! さっさと帰りましょうよ!」
 プンと膨れたまま、葉澄ちゃんが言った。あたしは、うなずいた。
「そうね。帰りましょう!」


「お姉さま、急に機嫌良くなってないですか?」
「そ、そんなことないわよっ♪」

《続く》

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