喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんのばれんたいんらぷそでぃ(後編)


「夕子ちゃん? 今日はまだ来てないけど。どうしたの?」
 電話の向こうの舞お姉さんの声に、あたしは肩を落としたの。
 もしかしたらって思ったんだけど……。
「そうですか。あ、いえ、ありがとうございました」
 あたしは、一息ついて、公衆電話の受話器を置いた。
 ひなちゃん、『Mute』にもいない。どこに行っちゃったの?
 あと、行きそうなところは……。
 背中を壁につけて、考え込む。
 あ。
 ひとつ、思いついた。
 でも、もしそこにいたとしたら……。ひなちゃん、本気で落ち込んでるってことだよ……。
 あたしは、階段を駆け上がった。

 バタン
 あたしは、屋上のドアを開けた。
 ……やっぱり、ひなちゃんはここにいたんだ。
 フェンスによりかかって、ひなちゃんは、空を見上げてた。ドアが大きな音をたてたのに、こっちを見ようともしないの。
 黙って、あたしはひなちゃんのところに近寄っていった。
 何を話したらいいのか、どうすればいいのか、全然わかんない。
 でも、だけど、あたしは……。
 ひなちゃんは、大切な友だちだから……。
「沙希……」
 空を見上げたまま、ひなちゃんは小さな声でぽそっと言った。
「ひなちゃん、あたし……」
「ごめん、チョコ、無駄になっちゃった……」
 そう言うと、ひなちゃんはあたしに背を向けた。
「ちょっち、ほっといて……くれる?」
「ひなちゃん……。うん。あたし、『Mute』で待ってるから……」
 ひなちゃんは、答えてくれなかった。
 あたしは、そっとドアを閉めると、階段を降りていった。
 ……やっぱり、あたしじゃ、力にはなれないのかな?
「沙希」
 とぼとぼ階段を降りていたあたしは、声を掛けられて顔をあげたの。
「彩ちゃん……」
 彩ちゃんが、階段の下の踊り場から、あたしを見上げてた。
「館林先生から話は聞いたけど……、ドゥーユーファインド、夕子は見つかったの?」
「……うん、屋上にいたけど……。今は放っておいてくれって」
「そう……。で、沙希は放っておいた、と」
 腕を組んでうなずく彩ちゃん。
「で、沙希は、これからどうするの?」
「……早乙女くんに、話を聞こうと思うの」
 あたしは、階段を降りて、彩ちゃんと同じ踊り場に立った。
「早乙女くん、本当はひなちゃんのこと、どう思ってるのか」
「素直に言うとは、メイビー、多分思えないけれど」
 彩ちゃんは肩をすくめた。
「男友達の主人くんに言わなかったことを、沙希に言うとも思えないのよね。それに、彼って、意外と本音は漏らさないタイプじゃないかな」
「でも……」
「それに、彼は今、主人くんと話してるわよ」
「え?」
 そういえば、主人くんと早乙女くんは、二人とも保健室に運ばれてたよね。
 どうしよう。また喧嘩にならなきゃいいんだけど……。
 心配だから、行ってみようかな。
 そんなわけで、保健室の前まで来たんだけど……。何となく入り辛いな。
 どうしよう? ノックすれば大丈夫よね?
 あたしはすぅっと息を吸って、ノックしようと手を挙げたの。
 と。
 ガラガラガラッ
「ひゃっ!」
「あら、虹野さん。どうしたの?」
 いきなりドアが開いて、中から出てきた藤崎さんとぶつかりそうになっちゃった。でも、さすが藤崎さん。ひらりと身をかわしたの。
「ご、ごめんなさい。彩ちゃんに、みんなここにいるって聞いたから……」
「うん、まだここにいるけど。それより……」
 藤崎さん、ちらっと保健室の中を見てから、小さな声で聞いたの。
「朝日奈さんは?」
 あたしも小さな声で。
「屋上。一人にして欲しいって言ってたから……」
「そう……」
 今度はあたしから訊ねたの。
「藤崎さん、彩ちゃんがね、早乙女くんと主人くんが何か話してたって言ってたけど……」
「うん……、そうね、虹野さんも他人じゃないものね」
 そう呟くと、藤崎さんはあたしの背中をポンと叩いたの。
「とにかく、公くんと早乙女くんならもう大丈夫。今は落ちついてるし、館林先生も一緒だから、また殴り合いなんてことにはならないと思うわ」
「よかった」
 あたしは、ほっと一息ついて胸をなで下ろしたの。それから、藤崎さんの肩ごしに、保健室の中をのぞき込む。
 ホントだ。主人くんと早乙女くん、ベッドを椅子がわりに、向かい合って座って、何か話してる。
 とりあえず、さっきみたいに喧嘩腰じゃないみたいだし。
「虹野さん」
 藤崎さんの声で、ハッと我に返るあたし。
「あ、そのね、別に覗いてるってわけじゃなくて」
「そうじゃないわよ」
 くすっと笑うと、藤崎さんは真面目な顔に戻ったの。
「公くん、大人しそうに見えるけど、結構瞬間湯沸かし器みたいに沸騰しちゃうところあるから、注意してね」
「そうなんだ……。え? どうしてあたしに?」
 聞き返すと、藤崎さんは悪戯っぽく微笑んだ。
「今日は私も出て行っちゃったけど、これからは公くんが暴れたら、虹野さんに任せようと思って」
「え? ええっ? ちょ、ちょっとそれって何?」
 あたし、かぁっと赤くなっちゃった。
「あたしと主人くんは、その、マネージャーと部員なんだし……」
「そんな事言ってると、大変よ。公くん、今日結構チョコレートもらってたみたいだし」
「それ、本当?」
 藤崎さん、こくんとうなずいてから、あたしの肩をポンと叩いた。
「心配ご無用。みんな義理チョコみたいだったから」
 あたし、ほっと一息ついてから、慌てて手を振る。
「あ、でもあたしは関係ないんだけど」
「ふぅーん」
 ああ〜ん、藤崎さんって意外と意地悪だぁ。しくしく。
 ……そうじゃなくて!
「それより、藤崎さんはどう思う? ひなちゃんと早乙女くんのこと」
 我ながら、ちょっと強引かなとも思うけど。
 藤崎さんは、廊下の壁にもたれた。
「私よりも、虹野さんの方が二人のことはよく知ってるでしょう?」
「そうかもしれないけど……」
 あたしが口ごもってると、藤崎さんは時計を見て、体を起こしたの。
「大変! もうこんな時間じゃない。それじゃ、私、部活に戻らなくちゃならないから」
「う、うん。ありがとう」
 藤崎さんは、そのまま廊下を走って行っちゃった。あたしは、それを見送ってから、もう一度保健室をのぞき込む。
 二人とも、真面目な顔で何か話してる。
 邪魔しちゃ、いけないよね。
 あたしは、そっと保健室のドアを閉めた。
 チッチッチッチッ
 時計の音だけが、時を刻む。
 外はすっかり暗くなっちゃった。
 『Mute』にいるお客は、あたし独り。
 あたしの前のコーヒーも、すっかり冷めちゃった。
「沙希ちゃん、お代わり、入れる?」
 舞お姉さんが聞いてくれたけど、あたしは首を振った。
 ……ひなちゃん、やっぱり来ないのかなぁ……。
「何かあったの?」
 舞お姉さんは、あたしの前の席に腰を下ろしたの。
「うん……」
 ちょっと迷ったけど、あたしは結局、今日のことを舞お姉さんに話したの。
「そうなの……」  舞お姉さんは、小さくうなずいた。
「やっぱり、ひなちゃん、来てくれないかな?」
 あたしは、冷めたコーヒーをジッと見つめて、呟いた。
「でも、どうして、早乙女くん、ひなちゃんのチョコ、受け取らなかったのかな……?」
「それは……わからないわ」
 そう言うと、舞お姉さんはあたしをじっと見た。
「でも……」
 カランカラン
 その時、『Mute』のドアについているカウベルが鳴ったの。あたしは、顔をあげてそっちを見た。
「ひなちゃん!」
「ごめんごめん。電車がモロ混みで、遅れちゃった」
 ひなちゃんは、ぺろっと舌を出して笑った。
 あたしは、席を立つと、駆け寄った。
「電車って何よぉ! もう、心配したんだぞ」
「ごめんってば」
 ひなちゃんはそう言うと、時計を見た。
「でも、こんな時間だし、あたしもう帰るね」
「え?」
 あたしがきょとんとしてるうちに、ひなちゃんはくるっと振り向くと、そのまま『Mute』を出ていく。
「あ、ちょっと待ってよ! 舞お姉さん、ごめんなさい! ここに置いておくね!」
 あたしは、財布から500円玉を出してテーブルに置くと、慌てて鞄を掴んで、ひなちゃんを追いかけた。
『Mute』を出たところで追いついて、声をかける。
「ひなちゃんってば!」
「あれからね、ヨッシーと話したんだ」
 不意にひなちゃんが言った。
「早乙女くんと?」
「あたし、やっぱちょっち誤解してたみたい。もう超ダサだよね」
「誤解って?」
「ん。ヨッシーにはっきり言われたんだ。あたしのこと、そういう風には見てないんだって」
「えっ?」
「んじゃ!」
 そう言うと、ひなちゃんは駆け出した。
「ひ、ひなちゃん?」
 あたしは、2、3歩追い掛けかけて、立ち止まった。
 ひなちゃんの姿は、夜の闇の中に消えていった……。

《続く》

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く