喫茶店『Mute』へ
目次に戻る
前回に戻る
末尾へ
次回へ続く

沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 春だ、花見だ、沙希ちゃんだ(前編)

「わぁっ」
きらめき中央公園に一歩入って、あたしは思わず声をあげちゃった。
一面の桜、桜、桜。
いつも、この季節になると、きらめき中央公園は桜で一杯になっちゃうのよね。
「あいかわらず、ここの桜はすごいよなぁ」
隣で、主人くんもまわりを見回しながら言ったの。
「うん……」
あたしは、主人くんの顔を見上げた。
「……え? 何、虹野さん?」
「な、なんでもない、なんでもないよ」
あたし、慌てて俯いた。
「そう? あ、この辺りなんてよさそうじゃない」
主人くんは、腰に手を当てて、ぐるっと見回したの。
学年末試験も終わって、いよいよ明日から春休み。
そんな土曜日、サッカー部の練習が終わってから、田仲キャプテンがみんなを部室に集めたの。
「全員集まってるな?」
あたし達の顔を見回してから、おもむろにキャプテンは言ったの。
「とうとうきらめき市にも、桜の開花宣言が発表された」
「ってことは、もしかして、アレか? 田仲」
副キャプテンの坂出先輩が尋ねると、キャプテンは肯いた。
「そうだ、アレだ」
「アレってなんですか?」
主人くんが聞くと、2年の先輩のみんながにっと笑う。
「そうか、1年にはまだ話してなかったよなぁ」
「???」
顔を見合わせるあたし達1年生。
キャプテンはおほんと咳払いして、言ったの。
「いいか、よく聞けよ……」
「お花見?」
「そうだ。我がサッカー部では、毎年恒例となってる重要な行事のひとつだ」
昨日、練習が終わったところで、田仲キャプテンが部室にみんなを集めて言ったの。
あたしも初耳でびっくりしちゃった。だって、サッカー部がお花見なんて、ねぇ。
「マジっすか?」
森くんが聞き返すと、キャプテンは大きくうなずいた。
「そうだ。これなくして、サッカー部は1年を終われない、と言われる恒例行事なのだぞ」
そう答えると、キャプテンはくるっとあたし達1年生を見回して、言ったの。
「で、だ。これも恒例なのだが、1年生がまず下見に出かけてくる事になっているんだが……」
「あ、それだったら、あたし行って来ます。みんなには練習もあるだろうし」
あたしは手を挙げて言ったの。
「お、さすがマネージャー」
「さすが、嬉しいねぇ。俺達の時は、もう……くぅぅぅ〜」
「泣くな伊東。今はマネージャーがいてくれる。それでいいじゃないか」
「そうだよな、根岸! 今は虹野さんがいてくれるんだもんな!」
がしぃっと抱き合う伊東先輩と根岸先輩。あはは。
「おまえら見苦しい。ラグビー部に出向させるぞ」
そう言ってから、キャプテンはこっちに向き直ったの。
「マネージャーだけに行かせるっていうのも問題あるな。というわけで……」
きらっと眼鏡を光らせて、さっと両手を広げるキャプテン。
「第1回、マネージャーと一緒に花見の下見に行きたいぞ選手権大会! 出場したい者は手を挙げてみろっ!」
「はいっ!」
きゃん。もうびっくりしたなぁ。
「こら、根岸に伊東! お前ら2年だろうが!」
「しょんなぁ〜〜」
「さぁて、どうやって決めるかなぁ。よし、それじゃぁ……」
あたし、くすっと思い出し笑いしちゃった。
「どうしたの、虹野さん?」
「え? あ、ごめんなさい。主人くんが決まったときのこと、思い出しちゃって」
「ああ、あれね」
主人くん、苦笑して頭を掻いてる。
「ま、いいじゃないか。それより、この辺りかな?」
「そうね。……あ、でも明日、だよね。他の人に取られちゃわないかな?」
「うーん。ロープでも張っておいた方がいいかな?」
そう言って、主人くんは桜の幹を軽くコツンと叩いた。
「でも、実際に下に座ってみないと、どうか判らないよなぁ、こういうのは」
きた!
あたしは、肩から提げてたディバックを降ろしたの。
「そうくると思ってたから、ほら、お弁当作ってきたの」
「へぇ、さすが虹野さん。用意がいいねぇ」
あたしはシートを広げて、桜の樹の下に敷くと、そのうえにお弁当を並べたの。
「どうぞ、主人くん」
「それじゃ、御邪魔しますっと」
靴を脱いで、シートにあがってくると、主人くんはあたしの向かいに腰を降ろしたの。
あたしは、バスケットの蓋を開けたの。よかった、潰れてなくて。
「今日はサンドイッチにしてみたの。よかったらどうぞ」
「ふぅん」
「あ、ごめんなさい。パン、嫌いだった?」
「いやいや、そうじゃなくて、手が込んでるねぇ」
そう言われると、嬉しいなぁ。
「うん。今日はちょっと早起きしちゃったから、冷蔵庫の中身、空にしちゃった」
ぺろっと舌を出して、あたしはポットも出す。
「こっちは紅茶。主人くん紅茶党だったよね?」
「ああ。コーヒーよりは紅茶が好きだよ」
ドキッ
不意に心臓が大きく鳴ったの。
え? え? どうして?
「……どうしたの、虹野さん?」
ちょっとぼうっとしてたのかな。主人くんがあたしの顔を覗き込む。
「顔、赤いみたいだけど……」
「そ、そ、そうかな?」
あたし、自分のほっぺたを両手で挟んでみた。確かにちょっと熱くなってる。きっと、紅茶飲んでたからよね?
「あ、ど、どうぞ」
紅茶をコップに注いで渡すと、あたしは自分でサンドイッチを無理矢理自分の口に押し込んでいたの。
ぐっ。
さ、サンドイッチが喉に詰まったぁ……。い、息がぁぁ……
「あ、虹野さん。そんなに慌てて食べるから。はい、紅茶」
公くんが自分で飲んでいた紅茶を渡してくれたの。あたし、ごくごくと紅茶を飲んで、ほうっと一息。
「あ、ありがとう……。あ……」
これってもしかして……、間接、キス?
や、やだぁ……。でも、ちょっとやじゃない……って、何考えてるのあたしはっ!?
「あの、虹野さん?」
「え? あ、えっと、それはそれとして、どうかな?」
あたし、何言ってるのか自分でもわかんなくなってたんだけど、主人くんは桜の樹を見上げて頷いたの。
「そうだね。地面に根っこなんかも出て無くて座りやすいし、花もよく見えるし、いい場所じゃないかな」
「そ、そうよね! うん、そうそう」
こくこくとうなずいて、あたしはほっと一息。なんとか誤魔化せたみたい。
「それじゃ、場所はここにするとして、と」
主人くん、リュックからロープを出すと、手際よく張りはじめたの。ぐるっと10メートル四方くらいの広さを囲って、最後に立て札を立てる。
『桜花鑑賞会有志』
「なぁに? その立て札」
「うん、先輩に渡されたんだ。これ使えって」
「へんなの」
まぁ、「きらめき高校サッカー部」って立てておくのは問題あるのかもしれないけど……。
「んで、これからどうする?」
立て札を立て終わると、主人くんは手をパンパンはたきながら、あたしに訊ねたの。
「え? これから?」
「うん。一応これで下見は終わりだからさ」
「そ、そうね」
あたしはバスケットをリュックにしまうと、シートも畳んで納める。
「それじゃ、帰りましょうか」
「あ、何か用事あるの?」
「ううん、別にはないんだけど……」
「それじゃ、お茶でも飲んで行こうか?」
主人くんは軽く言ったの。
ここで断るのも、ちょっと変かな。うん、お茶飲むだけだもんね。
「え? あ、うん、いいわよ」
あたしはうなずいたの。
「それでうちに来たのかい?」
コーヒーを入れながら、マスターが笑って言ったの。
あたし達は、『Mute』のカウンター席に並んで座ってた。
「そういえば、晴海先生にこの前聞いたんですけど、レッドテール……なんとかって魚が入ったって」
あたしが言うと、マスターは嬉しそうに目を細めたの。
「ああ、レッドテールキャットかい? そいつなら、ほら……」
それからあたしたちは、マスターと舞さんのお話を30分聞かされる羽目になっちゃったの。
この二人に熱帯魚の話を振ったあたしが、バカでした。とほほ。
《続く》

メニューに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く