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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん2年生になる


「お姉さま、お姉さま!」
「うみゃぁぁぁ!!」
 いきなり耳にふっと息を吹きかけられて、あたしははね起きたの。
「ななななななな、なにっ!?」
「きゃぁ、起きた起きたぁ」
 手を打って喜んでるのは、やっぱり葉澄ちゃん。
 あたしはため息ついてベッドに起きあがったの。
「あのねぇ、葉澄ちゃん。そういう起こし方はやめてってば」
「そんなぁ。私、これだけが楽しみなのにぃ……」
 そ、そのうるうるは卑怯よぉ。
 それに、これだけが楽しみって、いったいどういうことなのよ?
 よぉし、今日はちょっとびしっと言わないと。
「葉澄ちゃん、あのね」
「なんですか、お姉さま」
 そのとたん、葉澄ちゃんうるうるしながらあたしの目の前に顔を近づけたの。
「きゃ」
 思わず反射的にのけ反ったあたし。
 あら、あららら。
 どっしぃぃん
 そのまま、あたしはベッドから落っこちてたの。

「あいたたたた」
「もう、沙希ったら。新学期そうそう何してるの」
 食卓で首を押さえてたら、お母さんに笑われちゃった。
「ベッドから転がり落ちるなんて」
「そんな事言ったって……」
 そう言いながら時計を見て、あたし慌てて立ち上がったの。
「いっけない! もうこんな時間だわ! それじゃ、行って来ます!!」
「あら、沙希、もうなの?」
「うん。部活でちょっと打ち合わせがあるの!」
 あたしはパンをくわえて立ち上がったの。
「ほれひゃ、ひっへひまふ(それじゃ、いってきます)」
「いってらっしゃい」
 お母さんの呆れたような声に見送られて、あたしは家を飛びだしてた。
 タッタッタッタッ
 通学路を走ってると、後ろから足音が聞こえてきたの。
 かと思うと、女の子が独り、あたしを追い抜いて、すごいスピードで走っていったの。
 わぁ、すごい。
 あら、あの制服、きらめき高校よね? それも新しい。新入生かなぁ?
 と
「おぉ〜い、優美、待てよぉぉ」
 なんだかへろへろな声が聞こえたの。あら、早乙女くん?
「あ、虹野さんじゃないか。新学期そうそう奇遇だねぇ」
 あたしが振り返ると、早乙女くんが走って来たの。
 早乙女くんとは、ひなちゃんの例の一件以来あまりしゃべらなかったなぁ。ほら、やっぱり話しづらいじゃない。
「おはよう、早乙女くん」
 とりあえず、変に見えないように笑顔、笑顔っと。えーと、それから何を話そうかな?
 そうだ。
「早乙女くん、さっきの娘知ってるの? なんだか呼んでたみたいだけど」
「ああ。そういえば虹野さんには会ったことなかったんだよな。あいつが俺の妹の優美なんだ」
「ふぅん」
 あたし、一瞬しか見なかったんだけど、そう言われれば似てるような気がするな。
 でも、すごいスピードだったなぁ。あたしが知ってる限り、あんなスピードで走れるのって、清川さんか藤崎さんくらいしか知らないのに。
「ふぅん」
「おっと、いけねぇ。んじゃ、また! 愛の伝道士早乙女好雄をお忘れなく! おーい、優美、待てってば! このぉ!!」
 そのまま走っていく早乙女くんを、あたし少し見送ってた。
 優美ちゃんかぁ。どんな娘なんだろ? 早乙女くんの妹だから、きっといい娘よね。
 あ、いっけない! こんな所で立ち止まってる場合じゃなかった。
 あたしは、また駆け出したの。
「……というわけで、これが勧誘のスローガンだ」
 グラウンドの隅にある、運動部の部室が並ぶ部室棟。その中に、あたし達サッカー部の部室もあるの。
 今日は朝からみんな集まって、新入生への部員勧誘の方針を決めてたの。
「去年、1年のがんばりで、結構サッカー部の知名度も上がった、とはいえ、まだまだな状況だ。現状は、部員は2年8人、1年9人の合計18人。というわけで、目標は新人8人だ! それから……」
 キャプテンはあたし達をぐるっと見回して、あたしを指したの。
「はい?」
「去年、虹野さんが来てくれた効果は絶大だった。それは皆も各自判ってることだろう? というわけで、引きつづきマネージャーも募集する。以上、解散!」
「ありがとうございました!」
「え? ええ?」
 あたしがキョトンとしてる間に、みんなさっと挨拶して散って行っちゃった。でも、あたし、去年、何かしたんだっけ?
「ほら、虹野さん! そろそろ始業式が始まるよ!」
「あ、うん」
 主人くんの声に、あたしはうなずいて、部室から出たの。
 今日、4月4日は、まず在校生の始業式があって、続いて新入生の入学式があるの。それから、新入生オリエンテーションがあって、勧誘合戦が始まるのよね。
「あ、沙希ぃ!」
 体育館に入ると、ひなちゃんが駆け寄ってきたの。あたしをひじでうりうりとつつく。
「残念だったねぇ。クラス替えなくって」
 そう、きらめき高校はクラス替えがなかったのよね。
 でも、残念って何よ?
「そりゃ、主人くんと同じクラスになれなかったんだものね」
 うきゅーーー! 何よそれはぁ!!
 うーん。前だったら、こういうとき「ひなちゃんこそ残念だったよねぇ、早乙女くんと同じクラスになれなくて」って返せたんだけど、今は出来ないしぃ。
 さてはそれを見越してかぁ?
 あたしがかぁーっと赤くなってると、ひなちゃんあたしの頭をポンポン叩く。
「まぁまぁ、照れない照れない」
「照れてるわけじゃないもん」
 あたしがぷぅーっと膨れてると、後ろから声が聞こえたの。
「ハァイ、お二人さん。相変わらず仲好しさんね」
「彩子?」
「彩ちゃん?」
 二人が同時に振り返ると、彩ちゃんは「ハァイ」と手を振ってこっちに来たの。
「アロングタイム、ひさしぶりぃ」
「彩子じゃん! 元気してた? 春休み中、絵を描いてたってマジ?」
「イエ〜ス。なかなか有意義なバケーションだったわよぉ」
 彩ちゃんとひなちゃんとおしゃべりしてたら、前の方で生徒達が並び始めたの。
「あ、そろそろ始まるよ。二人ともクラスに戻った方がいいんじゃない?」
「オッケイ。それじゃグッバァイ!」
「そだね。新学期早々なんか言われるのもやだしね。んじゃ、沙希、またねぇ!」
 二人がそれぞれのクラスに走っていくのを見て、あたしもE組に走っていったの。
 取りあえず、校長先生の話が終わったら、あとは新しい教師陣の発表、つまり新担任の発表を残すのみ。
 クラスが変わらないってことは、この新担任で今年1年が決まっちゃうってわけで、みんな一喜一憂って感じで大変なの。人気ある先生の時は歓声が上がるし、人気ない先生の時はこっそりブーイングが出たりしてるし。
 で、3年の発表が終わって、いよいよあたし達2年生。
 教頭先生が、名簿を3年のものから2年のものに取り替えて、咳払い一つしてからマイクに向かって言ったの。
「それでは、引きつづき2年生の担任を発表します。
 A組、高塚先生、B組、白野先生、C組、本渡先生、D組、巻田先生……」
 いよいよE組だぁ。
 あたしだけじゃなくて、E組のみんなが壇上の教頭先生を見上げてる。
 教頭先生が、一瞬あたし達の方を見た。そして名前を読み上げる。
「E組、……先生、F組、大西先生、G組、山喝先生、F組、南原先生、G組、一別先生、H組、大浦先生、I組、賀茂先生。以上です」
 一瞬静かになって、あたし達は顔を見合わせてたの。
 今、何て言ったの? 教頭先生。
 みんな、聞き取れなかったみたい。怪訝そうな顔してる。
 でも、聞き返すわけにもいかなかったし、それにどうせすぐわかることだしね。
 だけど、あの時の教頭先生、なんだか妙な顔してたなぁ……。
 始業式が終わってから、入学式が始まるまでの1時間の間に、最初のホームルームの時間があるの。
 あたし達のクラスは、なんだかすごい緊張状態。みんな席についてびしっとしてるの。
 それでいて、ひそひそ声は教室中を満たしてる。
 と。
 ガラッとドアが開いて、女の人が入ってきたの。……って、え? ええっ?
 ざわっとざわめきが広がる。あたしは、唖然。
 だって、そんな、まさか……。ど、どうして?
 その人は、そのままつかつかっと壇上にあがると、チョークを取って、名前を黒板に書いた。そして、あたし達の方に向き直る。
「これから1年、この2年E組の担任をやります、館林晴海です。みんな、晴海ちゃんって呼んでね!」
「わぁーーっ」
 その途端、クラスのみんなが歓声を上げたの。
「先生、お帰りなさい!」
「なんや、気を持たせてからに」
「……お前、どこのうまれだ?」
「ほんとに、このまま帰ってこないんじゃないかって心配したんですよ」
「まぁまぁ」
 そう言って、先生はにこっと笑ったの。
「いろいろあって、大変だったのよ」
「でも、先生何を教えるんですか?」
 熟洋君が尋ねると、先生は腕を組んだの。
「そうね、何でもいけるけど、取りあえずは国語担当って事になってるみたいよ」
「国語?」
 みんな、意外そうな顔してる。あたしも、先生が国語できるって知らなかったし。
「さて、と。それじゃ取りあえず自己紹介……っていうのもバカみたいよねぇ。みんな知ってるんだし……」
 先生はちょっと考えてたけど、不意にうんと肯いたの。
「それじゃ、まずは先生がお話をしましょうか」
「何の話ですか?」
 間髪よく入った声に、先生はくすっと笑うと、机に手を突いたの。
「それじゃ、M12とキャトルミューティレーションについて」
 入学式が終わって、在校生が退場するときに、主人くんに声を掛けられたの。
「虹野さん、どうしたの?」
「え?」
「顔色悪いみたいだけど」
「そ、そうかな?」
 あたし、慌てて笑顔を浮かべたんだけど、引きつった顔になっちゃったみたい。
 主人くん、ますます怪訝そうな顔。
「そういえば、E組のひと、みんな顔色悪いみたいだけど、大丈夫なのかい?」
「え。ええ、多分」
 あたしは苦笑して、ちらっと館林先生の方を見たの。
 主人くんもあたしの視線を追って、苦笑したの。
「なんとなく納得。で、これから勧誘始めるけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫、大丈夫」
 あたしはガッツポーズを作って見せたの。
「なんと言っても、今年1年を占う大事な新人さんだもん。頑張らなくちゃ!」
「そんな沙希にグッドニュースなんだけど」
「ふわぁ!」
 びっくりしたなぁ、もう。いきなり後ろからはやめてよ、もう。
 振り向くと、ひなちゃんが笑ってた。
「グッドニュースって?」
「うん、今年の1年なんだけどさ、沢渡っていうやつが結構サッカー出来るらしいよ。中学の時に、全国大会に出たとかでさ」
「へぇ、そりゃすごいヤツだなぁ」
 主人くんが感心して腕を組んでる。
「ひなちゃん、その沢渡くんって何組なの?」
「えっと、確かA組だったって聞いたけど……、あ、沙希?」
「ちょっと見てくるね!」
 あたし、廊下を駆けだした。
「結局、そいつは見つからなかったのか?」
「はい」
 あたしは、キャプテンに報告してたの。
「なんでも、俺は部活に入らないぞって、ホームルームが終わった途端走って帰っちゃったみたいです」
「まるで服部みたいなやつ」
「るせーぞ」
 服部君、前田君の脇腹を軽く肘で打つと、腕を組んだの。
「うーん、ちょっと難しいか?」
「で、そいつのポジションとかは?」
 江藤君が聞いたの。あたしは首をひねった。
「そこまでは聞いてないんだけど……」
「センターフォワード。ちょうど、公と同じポジションだよ」
 その声に、みんな窓の方を見たの。
「よっ」
「早乙女?」
 早乙女くんが窓から部室を覗き込んでたの。
 主人くんが尋ねる。
「お前は沢渡ってヤツのこと、知ってるのか?」
「ああ。優美からちらっと聞いたことあってな。それで、ここからは極秘情報があるんだけどよ」
「極秘情報?」
「そそ。まぁ、近う寄れや」
 そう言うと、早乙女くんは手招きしたの。
「そいつな、実はよ……」
「何はともあれ、明日だな」
 早乙女くんの話を聞き終わってから、田仲キャプテンは言ったの。
「そっか。んじゃ、俺も帰るか。いやぁ、今年の新入生もなかなか粒選りの娘がそろってて、チェックのしがいがあるってもんだぜ」
 そう言って、早乙女くんは窓から離れて歩いて行っちゃった。ほんとに、もう。懲りないんだから。
「とりあえず、今日は解散」
「お疲れ様でしたぁ!」
 あたしは、立ち上がって、ドアを開けたの。そしたら、何人かの1年生が部室の前にいたの。
「あら、サッカー部に何かご用?」
「あ、はい。その、俺達サッカー部に入りたいなって……」
「そうなんだ! よく来てくれたわね。あ、あたしマネージャーの2年の虹野沙希よ。取りあえず入って入って」
 あたしは振り向いて声をかけたの。
「キャプテン、入部希望者です!」
「で、きょうだけで3人か。まぁまぁってところじゃないのかい?」
 『Mute』でコーヒーを飲みながらマスターに報告したら、マスターは笑って言ってくれたの。
「そうよね。うん。でも、びっくりしたなぁ、館林先生には」
「ごめんね。本人に口止めされてたのよ」
 舞さんが、すまなさそうに謝ってくれる。あたし、慌てて手を振ったの。
「いいえ、そんなこと。でも、舞さんは知ってたんですか?」
「うん。晴海もしばらく迷ってたみたいだけど、結局残ることにしたみたいね」
「迷ってた? 残るって?」
「うーん、言ってもいいのかな? 晴海には内緒よ」
 そう言ってから、舞お姉さんは、あたしの隣に腰を下ろしたの。
「晴海ね、実はああ見えて結構やり手のカウンセラーとして、その筋じゃ有名なのよ。で、ある大企業からヘッドハンティングされてね。保健の先生を辞めることになったのも、それが原因の一つみたいなの。その企業から圧力がかかったとか……」
「そうだったんですか?」
 あたし、びっくりしちゃった。だって、そんなこと、本当にあるんだ……。
 舞お姉さんは微笑んで話を続けたの。
「でも、きらめき高校、ううん、伊集院財閥としても晴海は失いたくなかったってわけで、教師のポストを開けて晴海を誘ったわけ。で、晴海は最終的に残ることにしたわけね」
「そうだったんですか。先生も大変だったんですね」
「ま、あの人はああいう性格だから、そんなに悩んじゃいないと思うけど」
 そう言って、舞お姉さんはクスッと笑ったの。
 こうして、きらめき高校の2年目は始まったの。
 どんな1年になるのかな? 楽しみ、楽しみ。

《続く》

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