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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんの虹色の青春 その


館林晴海の愛車3代目
ミニクーパー1.3iの在りし日の勇姿

この撮影から3日後に全損(笑)
 いつもと同じ放課後、いつもと同じサッカー部の練習。
 いつもと違うのは、主人くんがフィールドの中にいないってこと。
 はふ。
 いけない、いけない。あたしはサッカー部のマネージャーなんだよね。
「虹野先輩!」
「え? な、なに、みのりちゃん?」
 あたしが聞き返すと、みのりちゃんは腰に手を当ててぷぅっと膨れた。
「最近変ですよ、先輩。なんだかいつもぼぉっとしてるし」
「そ、そうかな?」
「そうです!」
 キッパリ言うみのりちゃん。う〜ん、みのりちゃんってハッキリ言うのよねぇ。
「そんなことないと……思うんだけど」
「あります! 私が思うに、きっと家庭環境が悪いせいなんですよ、きっと」
「家庭環境?」
 思わず目が点になるあたしをよそに、みのりちゃんはぐっと拳を握りしめて盛り上がってる。
「そうよ、あのバカ中学生が、きっと夜討ち朝駆けで虹野先輩を苦しめてるんですね!」
「ちょ、ちょっとみのりちゃん、葉澄ちゃんはそんなんじゃ……」
「いいえっ、虹野先輩!」
「は、はい」
 思わず背筋を伸ばしちゃったあたしに、みのりちゃんはぴっと指を突きつけたの。
「虹野先輩がそんな風に誰にでも優しいから、変なのがいろいろとのさばるんですよ! そりゃ、そういうところも私は尊敬してますけど、でも締めるところは締めなくちゃダメです」
「へ、変なの?」
「そうですよ。虹野先輩って、1年でも人気高いんですから」
「そ、そんなことないよぉ」
「あのですねぇ……」
 みのりちゃんは、額を押さえてため息ついた。
「虹野先輩は、もっと自分の立場をわきまえてくださいよね」
「自分の立場って……、そんな事言われても……」
「まぁ、いいです。それより、洗濯しましょう、洗濯!」
「え? あ、うん、そうだね」
 あたし、ちらっとボール拾いをしてる主人くんを見てから、みのりちゃんの後に続いて、部室に駆けて行ったの。

 トントン
 ノックして、部室のドアを開けると、……やっぱり、いたんだ。
「あ、虹野さん、どうしたの?」
 主人くんは、今日もベンチに座ってボールを磨いてた。
「ううん。主人くんがいるかなって思って」
 あたし、ベンチに腰を下ろしたの。
「主人くん。ずっと前から、やってたんでしょ? ボール磨き」
「いや、最近はちょっと暇だからやってるだけだって」
「嘘ばっかり。マネージャーの目は誤魔化せないよ」
 あたしは微笑んだ。
「気にはなってたのよ。練習が終わって汚れてるはずのボールが、いつも綺麗になってるから。でも、まさか主人くんが磨いてるとは思わなかった。……ごめんね」
 あたしはぺこりと頭を下げた。
「え?」
 手を止めて、あたしを見る主人くん。
「だって、本当はマネージャーがやらないといけない仕事なのに……」
「ああ、そういうこと? いいんだよ。俺が好きでやってることだし。それに、これって結構、力要るからね」
 そう言いながら、ボールをキュッキュッと雑巾で拭く主人くん。
「でも……」
「まぁ、練習しないでこんなことばっかりしてるから、レギュラー落ちするんだろうけどね」
 主人くんは、笑ったの。
「そんな……、そんなことないよ。あたしは……」
 言いかけたとき、不意にドアがバタンと開いたの。
「虹野先輩、帰りましょう!」
「み、みのりちゃん!?」
 あたし、びっくりして腰を上げた。だって、みのりちゃんはとっくに帰った筈じゃなかったの?
「どうして?」
「さぁさぁ早く! あ、それじゃ主人先輩、私達はお先に失礼します」
「あ、うん……」
「ちょ、ちょっと……」
 あたしを半ば押し出すようにして、みのりちゃんは部室のドアをバタンと閉めたの。
「みのりちゃん、あのね……」
「さっきも言ったじゃないですか、虹野先輩! もっと自分の立場をわきまえてくださいって!」
 みのりちゃんは、鞄を抱きかかえて、あたしにぐいっと迫る。
 なんだか本気で怒ってるみたい。
「わ、わかった。うん、これから気をつけるから」
「わかってくれればいいんです」
 みのりちゃん、一転笑顔になると、あたしの手を引っ張った。
「それじゃ、先輩! 今日も『Mute』に行くんでしょ? お付き合いしまぁす」
 あたし、ちょっとため息ひとつ。だって……。
「虹野先輩は、葉澄ちゃんのものじゃないって、何度言えばいいのよぉ!」
「違うもん! お姉さまは私のだもん!」
「ふぅ〜〜〜〜」
「むぅ〜〜〜〜」
 ……こうなるのよねぇ。
 あたしは、葉澄ちゃんとみのりちゃんに挟まれて、深々とため息をついた。
「沙希ちゃんも、何かと大変ねぇ」
「あ、先生」
 あたし、二人の間からそっと抜けだして、先生の座ってるボックス席に移動したの。
「ごくろうさま。はい、コーヒー」
 舞お姉さんが笑いながら、あたしのコーヒーをそっと運んでくれた。やっぱり、よく気がつくのよねぇ。あたしも見習いたいな。
 感謝しながら、コーヒーを口に運びかけたとき、不意に先生が言ったの。
「で、主人くんは相変わらず?」
「ええ、まぁ……。って、どうしてあたしに聞くんですか?」
「そりゃ、主人くんを一番よく知ってるでしょ?」
「え? い、一番だなんて、そんな……」
 あたしは、テーブルに指でのの字を書きながら、答えたの。
「でも、こないだは一緒に遊園地でデートしたんでしょ?」
「デートだなんて……、あの時は早乙女くんや未緒ちゃんもいたし……。え?」
 あたし、がばっと顔をあげた。
「どうして先生が知ってるんですか? あ、もしかして……」
 そういえば、先週、館林先生が早乙女くんに電話してたのよね。
 あたしの顔を見て、先生はにこっと笑ったの。
「あたり。私がダブルデートの仕掛人。いやぁ、あの後見晴に色々と言われてもう大変だったわぁ」
「見晴ちゃんに?」
「そ。なんでも、遊園地まで様子を見に行ったみたいよ」
 うわぁ。悪いことしちゃったなぁ。
「ま、沙希ちゃんが見晴に遠慮することないんだけどね。で、主人くんは少しは明るくなったかな?」
「まぁ、少しは……」
「そっか。ならよし。さて、それじゃ私は、あっちを納めに行って来ますか」
 先生は、まだ唸り声をあげながら睨み合ってるみのりちゃんと葉澄ちゃんの方を見て、立ち上がったの。
「お姉さま! いい加減にあんな女とは別れてください!」
「葉澄ちゃん、あたしとみのりちゃんはそんな仲じゃないんだってば」
 帰り道、あたしと葉澄ちゃんは並んで夜道を歩いてた。
 あ!
 あたしは不意に立ち止まった。
 そういえば、明日だったよね。スポーツ用品店の特売日。
「どうしたんですか、お姉さま?」
「あ、ううん。クラブのことでちょっとね」
 帰ったら、十一夜さんに電話しておかなくちゃ。お互いに予算が厳しいから、つらいのよねぇ。だから、こういう特売日は逃せないのよ。うん。
 というわけで、今日は急いで行かないといけないのに、こういう日に限って主人くんに逢えないのよねぇ。
 賀茂監督には伝えたんだけど……。困ったなぁ。
 昼休み、A組をのぞき込んで困ってたあたしに、後ろから未緒ちゃんが声をかけてきたの。
「あら、沙希さん。どうしたんですか?」
「あ、未緒ちゃん。実はね……」
 未緒ちゃんに訳を話すと、未緒ちゃんは軽くうなずいたの。
「そうですか。なら、私から主人さんに伝えておいてもいいですよ」
「ほんと? ありがとう、未緒ちゃん。それじゃ、今日のサッカー部はやめておくって、伝えておいてくれる?」
「はい、わかりました。沙希さんも頑張ってくださいね」
「うん。それじゃ、このお礼は近いうちに。『Mute』でシフォンケーキでもごちそうするね」
 あたしは、未緒ちゃんの手を握ってぶんぶんと振ったの。
 キーンコーンカーンコーン
 放課後の鐘が鳴ると同時に、あたしは席を立って、G組に向かってダッシュ。
「あ、虹野さん! こっちこっち!」
 G組の入り口で手を振る十一夜さんのところに駆け寄ると、あたしは取りあえず一息。
「ごめんごめん。じゃ、行こうか」
「うん。色々買わないといけないもんね」
「ただいまぁ」
 色々と買っちゃったな。でも、やっぱりサッカーの専門店に行かないとない物もあったし……。今度の休みにデパートに行こうかな。
 そんなことを考えながら、紙袋を抱えて玄関をくぐったあたしに、奥から出てきた葉澄ちゃんが言ったの。
「お姉さま、何か学校であったんですか?」
「え? 別に何もないけど……」
「でも、電話が何本もかかってきましたよぉ」
 と、葉澄ちゃんが言い終わらないうちに、電話が鳴りだしたの。
 トルルル、トルルル、トルルル
「あ、私出ます!」
 そう言って、葉澄ちゃんが受話器を取る。あたしは取りあえず葉澄ちゃんに任せて、紙袋を土間に置くと、靴を脱いだ。
「え? どなたですか? 藤崎さん? あ、はい。今帰ってきたところですけど……。あ、はい。お姉さま、藤崎さん、ていう人からですよ」
「藤崎さん?」
 何の用かしら。まさか、主人くんになにかあったの?
 あたしは、慌てて受話器を受け取ったの。
「はい、虹野です!」
「あ、虹野さん? 藤崎ですけど。ごめんなさい、急に電話して」
「それはいいんだけど、主人くんに何かあったの?」
「え? ううん、なにもないけど。それより、虹野さん、サッカー部辞めるっていうのは本当なの?」
「……は?」
 あたし、その瞬間頭の中が真っ白。
 な、なに? 何なのそれは?
「もしもし、虹野さん?」
 受話器の向こうから藤崎さんの声が聞こえて、あたしははっと我に返ったの。
「あ、ごめんなさい。嘘よ、嘘。あたしサッカー部辞めるなんて、考えたこともないわっ!」
「そうよね。ごめんなさい。そういう噂が流れてたから、公くんの保護者としては、気になっちゃって」
「噂?」
「うん。もうすごかったわよ。一部の運動部では虹野さんの獲得競争が始まったとも言うし。でも、単なる噂なのよね。それだけ確認したかったから」
「あたし、サッカー部を辞めるつもりなんてないわ。うん」
「そうよね。ごめんなさい」
 藤崎さんに謝ってもらうのも、なんだか変な気分。
 でも、どうしてそんな噂が……?
 よぉし。
「やっぱ、その噂のことね」
 藤崎さんからの電話を切ると、あたしはひなちゃんに電話したの。やっぱり噂といえばひなちゃんでしょ?
 思った通り、ひなちゃんはその噂のこと知ってるみたいだし。
「知ってるの?」
「そそ。今日の放課後のトップニュースだもの。『運動部のアイドル虹野沙希、サッカー部を退部』ってね」
「なんで? ねぇ、どうしてよぉ?」
「まぁまぁ、押さえて押さえて。どうやらヨッシーのせいらしいよ」
「早乙女くん?」
 あたしは聞き返したの。
「そ。沙希、未緒りんに「今日サッカー部休むって伝えてくれ」って伝言したっしょ?」
「うん、したけど……」
「んで、未緒たんが主人くんに伝えようとしたんだけど、最初主人くんが見つからなかったんで、ヨッシーに伝言したんよ。それが、あのバカが聞き間違ってね」
 そう言って、ひなちゃんおかしそうに笑ったの。
「ヨッシー曰く、「虹野さんがサッカー部やめるらしいぜ」ってさぁ。それが主人くんに流れただけならまだしも、優美っぺもヨッシーから聞いてさぁ」
「優美ちゃん? 早乙女くんの妹さんの?」
「そ。優美っぺは優美っぺで、これでライバルが減ったぁってんで喜んで友達に話して、1年の間でばっと噂が広がったんよ」
「1年生の間?」
「そ。沙希って結構年下にも好かれるタイプだしね、1年にファンが多いんよ。知らなかった?」
「うーん」
 あたし、苦笑。
「ま、1年の男子はみんな門番を突破できずに玉砕してるらしいけどね」
「門番?」
「そ。あの、1年の秋穂って娘。あの娘が「虹野先輩に言い寄る男は、許さないんだから!」って公言してんのよ。で、今の所1年男子はその娘にびびって、沙希には手を出せないでいるって訳」
「あは、あはは」
「でも、沙希がサッカー部辞めるとなると、秋穂って娘とは関係なくなるって訳で、1年男子が色めき立つ訳よ。んで、その後噂は1年から2年、3年へと……」
「もうわかったわよぉ。でもね、あたしはサッカー部辞めるつもりなんてないんだから」
 そう言ったところで、あたし、とんでも無いことに気がついたの。
「ちょ、ちょっと待って! それじゃ、早乙女くん、主人くんに、あたしがサッカー部辞めるって伝えたの!?」
「うん。んで、主人くんと秋穂って娘は、哀しみの余り、校内をさまよってたって話よぉ」
 大変! 急いで誤解を解かなくちゃ!
「チョイ待ち!」
 電話を切ろうとしたあたしに気づいたのか、電話の向こうでひなちゃんが叫んだ。
「何?」
「誤解は解けたんだってば。主人くん、直接未緒っぺに確かめたんだって」
「……よかったぁ」
 あたし、へなへなとその場にしゃがみ込んじゃった。誤解されたままだったらどうしようと思っちゃったよぉ。
「ま、しばらく噂は流れると思うけど、主人くんは判ったみたいだからよかったっしょ?」
「うん……。あ、ちょっと待って! 何で主人くんなのよ!」
「それじゃ聞くけどさぁ、なんで部活を休むって主人くんに伝えようとしたわけ? 他の部員でもよかったっしょ?」
 あう……。
 そう言われると、そうなんだけど……。
 あたしが絶句してると、ひなちゃんは電話の向こうで笑ったの。
「ま、青春だねぇ、沙希も」
 あーん、悔しいけど、何も言い返せないよぉ。
 ま、とにかく、これからはちゃんと直接言ってから行くようにしようっと。

《続く》

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