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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんの虹色の青春 その


 4月29日、みどりの日。
 あたしと主人くんは、きんきらきんの建物の前に来ていたの。
「……本当に、ここ?」
「うん……。多分」
 あたし達は顔を見合わせたの。

 ことの起こりは、昨日のお昼休み。
 あたしと主人くんは食堂でお昼ご飯を食べてたんだけど、そこに突然伊集院くんが現れたの。
「やぁ、諸君。今日も元気にしているかね? うん、結構結構。はっはっはっは」
「……何しに来たんだ、あの野郎は」
「まったくだぜ、消化に悪いったらありゃしねぇ。あ、その空揚げもらい」
「あ、好雄てめぇ、なにしやがる!」
「あん、もう喧嘩しないで! たくさんあるんだから!」
「ホントにヨッシーは意地汚いんだからぁ。と言いつつ卵焼きゲット!」
「朝日奈、てめぇ俺の狙ってた卵焼きになにしやがるんだ!!」
 ……この会話で、誰がいるかは見当つくと思うんだけど、念のために言っておくと、主人くんのほかに、ひなちゃんと早乙女くんも来て、3人であたしの作ったお弁当をつついているのだ。
 たくさん作ってきてよかった。
 何て思ってると、ざわめきが段々近づいてくるの。
「やぁ、庶民。こんなところでつつましく昼食かね。ご苦労なことだ」
「うっせぇなぁ。俺達は庶民の幸せを噛みしめてるところだ。邪魔するな」
 しっしっと言うみたいに手をひらひら振る主人くん。
 伊集院くんは、別に怒った風もなく笑って言ったの。
「まぁいい。今日はそんな庶民にいいものをやろうと思って来たのだ」
「なんだ? 現金なら俺にいたぁーっ!!」
 言いかけた早乙女くんの足を、ひなちゃんが思いきり踏みつけた。
「情けないことしないでよ、ヨッシー! 友人として超恥ずいんだからねっ!」
 漫才やってる二人をよそに、伊集院くんは机に1枚の紙片を乗せて、すっとこっちに滑らせたの。
「えっと、伊集院スポーツセンターペア入場券?」
「我が伊集院財閥が経営するスポーツセンターが、明日オープンなのだ。庶民もたまには豪華で華麗なスポーツの仕方というものを教えてやろうかとおもってね。はっはっはっはっ」
 ひとしきり高笑いすると、伊集院くんはくるっと踵を返して食堂から出ていったの。
「……何しに来たんだ、あいつは?」
「チケットを渡しに来た……のかな?」
 あたしと主人くんは、チケットをのぞき込みながら顔を見合わせたの。
 というわけで、来てみたんだけど……。
 メロンパンドームの近くに何か作ってるのは前から知ってたんだけど、なんだかきんきらきんの建物になってたから、怪しい新興宗教の道場か何かだって思って胆だけど、まさか伊集院くんとこのスポーツセンターとは思わなかったなぁ。あはは。
「虹野さん、入ってみるの?」
「う、うん。チケットもあるんだし、とりあえず入ってみましょう」
「うーん」
 腕を組んでうなる主人くん。気持ちは判るんだけどなぁ。
「あ、ほら、スポーツセンターだから、サッカー部のトレーニングに使えるかもしれないじゃない。その偵察ってことで、ね?」
 小首を傾げて主人くんの顔をのぞき込む。
「そうだね、虹野さんがそこまで言うなら」
 主人くん、こくっとうなずいたの。
 よかった。チケット無駄にならないで。……なんて言うと、ひなちゃんにまた「沙希は発想が主婦してるんだから」って言われるんだよねぇ。
 でも、あるものは使わなくちゃ。ね?
 入ってすぐのところにある屋内図を見上げるあたし達。
「えっと、右手がバッティングセンター、左手がサッカー専用練習場で、奥に温水プールか」
「ふぅん。どっちから見に行ってみる?」
 あたしが訊ねると、主人くんは黙って左手の方を指した。
 そうよね。うん。
「しかし、どこを見ても金色だな。目が痛くなるぜ」
「ぼやかない、ぼやかない。ふぁいとぉ!」
 そう言いながら、あたし達はサッカー練習場に向かったの。
「いくぞ!」
「がんばれーっ!」
 あたしが手を振ると、主人くんは軽くステップを踏んでから、ボールを蹴ったの。
 バシィン
 ボールはゴールネットを揺らして、人工的な声が響く。
『ゴォーーーーーーーール!!』
 わぁぁあぁっ
 拍手つき。……なんだかカラオケみたい。
「なんだか調子狂うなぁ」
 主人くんも苦笑してる。
「でも、さすが伊集院とこだけのことはあるな。風向風速の調整もできるし、このサッカーシミュレーター、なかなかすごいぜ」
「そうだよね。これなら、練習に使えそうだね」
 そう言って、辺りを見回すあたし。確かに、見た目だけじゃなくて、しっかりとした造りになってるよ、ここ。
 お金をかける必要があるところにはちゃんとかけてあるってところが、すごいよね。
「でも、欠点は、きんきらきんで目がちかちかするってことか?」
「あは、そうかもね」
 キィッ
 ドアを開けて、フィールドから主人くんが戻ってきたの。
 あたしは、スポーツドリンクのポットとタオルを渡した。
「はい、ご苦労さま」
「サンキュ。ふー、一汗かいたな。んじゃ、次はバッティングセンターに行ってみようか」
「うん。そうだね」
 ふぅん。ここがバッティングセンターなんだ。
 あたし、初めて入ったなぁ。
 キョロキョロ見回すあたしを、主人くんが呼んだの。
「虹野さん!」
「え? なぁに?」
 駆け寄るあたしに、主人くんは悪戯っぽく笑いかける。
「ちょっと、虹野さんもやってみない?」
「え? あたし? あたし、運動はちょっと……。でも、たまには、いいかな?」
 そう言ったあたしに、主人くんはうなずいてバットを渡してくれたの。
 お、重い!
「こ、こんなに重いの? バットって?」
「粉砕バットはこんなもの。はい、頑張って」
 スポッとあたしの頭にヘルメットをかぶせて、主人くんは笑う。
「ちょ、ちょっと待って。あ、あの。どうすればいいの?」
「まず、バッターボックスに立って、構える」
「こ、こう?」
 テレビで見るみたいに、バットを構える。正面の機械が、あーん、なんだか怖いよぉ。
「もう少し腰を引いて、……そうそう。それじゃ、まず60キロから」
「え? も、もう!?」
 正面の機械がうなる。
 カタタタタタタ……、ドン
「きゃぁーーーーっ」
 ブン
 悲鳴を上げながら振ったバットは、物の見事に空を切って、その弾みにあたしは尻餅。ううーっ、恥ずかしいよぉ。
「もっとバットを短く持って、脇を締めて!」
「ひぃーん」
 カキィーン
「やったぁ! 打てた! 打てたよぉ、主人くん!」
「やったね、虹野さん」
 主人くんは、ぴっと親指を立ててくれた。
 ふぅ、それにしても何球打ったんだろ? やっぱり、あたしには向いてないなぁ。
「それじゃ、主人くんも、頑張ってね!」
「うん、それじゃ……」
 入ろうとした主人くんに、不意に声がかかったの。
「はーっはっはっはっは! やぁ、庶民!」
「げ、伊集院!?」
「伊集院くん?」
 あたし達が振り返ると、伊集院くんが黒い服の人と一緒に立ってこっちを見てたの。
「やはり来たな、主人。まぁ、歓迎してやろう」
「いらんわい」
 小声で毒づく主人くん。
 伊集院くんは聞こえないふりで、バッティングセンターを見回す。
「そうか、今からバッティングをしようというのだな? ちょうどいい。僕もこれからやろうと思っていたところだ。そうだ、君に僕の使う特別バッティングマシンを使わせてやろうじゃないか」
「いらんっちゅーに!」
「まぁ、そう遠慮するな」
 そう言いながら伊集院くんがパチンと指を鳴らすと、黒服の男の人たちが主人くんを引っ張って行っちゃった。……って、ちょ、ちょっとぉ!
「伊集院くん、ちょっと……」
「さぁ、虹野くん。僕たちは彼の活躍を貴賓席で見物させてもらおうじゃないか。はっはっはっは」
 笑いながら歩いていく伊集院くん。仕方なく、あたしもその後に着いていったの。
「痛たた」
 主人くんが身じろぎして、うすく目を開けたの。
「あ、気がついた?」
 あたしはほっとして呼びかけた。
「ああ……。痛てて」
「あ、だめよ、無理しちゃ。大丈夫?」
「これだから庶民は。たかだか180キロのカーブをよけられんとは」
 上から伊集院くんが居丈高に言う。
「あんなのよけられるか! いたたた」
「ダメだってば! 大声出すと響くんだから」
「ふん。興がさめたな。それじゃ、僕はこれで失礼する」
 そう言って、伊集院くんは医務室から出ていったの。
 主人くんは半身を起こしてぶつぶつ言う。
「あのやろぉ、まったくなんだってんだ?」
 あたし、思わずくすっと笑ったの。
「でも、随分心配してたよ、伊集院くん」
「マジ?」
「うん」
 主人くんがボールに当たって倒れたとき、伊集院くんったら、真っ青になって、あたしよりも早くグラウンドに走っていくんだもの。その後、主人くんが意識を失ってる間に精密検査までしてくれたし。
 それにしても、あの時の伊集院くん、ちょっといつもと雰囲気が違ったような……。気のせいかな?
 あたしが考え込んでると、主人くんはベッドから起きあがったの。
「あ、大丈夫?」
「ああ。なんとか」
 そう言って、頭のこぶを撫でる主人くん。
「つぅー、あのヤロー、今に見てろよぉ」
 伊集院くん、まさか主人くんのことを……? ま、まさかね。男同士なんだし……。
「虹野さん?」
「は、はいっ!?」
 あたし、主人くんの声にはっと我に返ったの。主人くんがあたしの顔をのぞき込んでる。
「どうしたの?」
「なんでもないよ、あは、あはははっ」
「それじゃ、サッカーも野球も一通りやったから……」
 あたし達はエントランスに戻って、屋内図を見上げてた。
 主人くんはぴっと指さす。
「あとは温水プールだな」
「プールかぁ。うん、いいかもね」
「よし、行こう!」
 というわけで、一番奥にある温水プールの方にあたし達は行ったんだけど……。
「申しわけありませんが、ただいまレイ様が使用しておられますので、一般の方の御入場はお断り申し上げております」
「げ! 目つきの嫌な男!」
 プールの入り口のところにいた黒い服の男の人をみて、主人くんがのけぞったの。
 あ、そういえば、伊集院くんのクリスマスパーティーの時に、入り口にいた人だわ。
「今は入れないんですか?」
 あたしが聞くと、その人はうなずいたの。
「そうでございます」
「に、虹野さん、い、行かないか?」
「え?」
「ほら、この人もダメだって言ってるし……」
 主人くん、声が震えてるよ。どうしたの?
 と、その人が主人くんの腕を掴んだの。
「ひょぉぇぇぇ! な、何を!?」
「逞しい……。ああ、この肉体に目がくらんで、私はもう何も考えられません……」
「ぎゃぁぁぁ!」
 主人くん、必死の形相で腕をもぎ離すと、一目散に走って行っちゃった。
「ちょ、ちょっと待って!」
「お、お待ちください! ああっ、でも私はここから離れられぬ身、お戻りくださいませぇぇ」
「誰が戻るかぁぁ!」
「待ってってばぁ!!」
「本当にびっくりしたね」
「思い出させないでくれよぉ」
 夜、あたし達はお堂に並んで腰掛けて、お弁当を食べながらお昼の話をしてたの。
 主人くん、思い出したくもないって顔であたしに言った。
「思い出すと消化が悪くなるから、言わないで」
「うん、ごめんね」
 あたしは笑いながら答えたの。
「そういえばさ……」
「え?」
 主人くんは、エビフライをつまみながら言ったの。
「みのりちゃんのことなんだけど……」
「みのりちゃん? ……気になるの?」
 どうして、そう言ったのか、自分でもよくわかんなかったけど。
 主人くんは手を振った。
「いや、そうじゃないけど。最近、彼女の態度が変わってきたような気がしてさ。虹野さんが何か言ったのかなって思って」
「変わってきた?」
「うん。前は俺の顔見ると憎まれ口叩いてたんだけど、なんか最近素直になっちゃって。そうなると、逆になんだかおかしくってさ」
「素直? 前から素直ないい娘だったけど……」
「それは虹野さん相手の時だけだったんだけどねぇ……。ま、虹野さんに心当たり無いって言うんなら、それでいいや。それじゃ、練習の続きをするかぁ!」
「うん、がんばってね!!」
 あたしは、主人くんの背中をポンと叩いたの。
「そのことですか? なんだ、こんな時間に電話かけてくるから、何かと思いました」
 家に帰ってからみのりちゃんに電話して聞いてみると、受話器の向こうでみのりちゃんは恥ずかしそうに笑ったの。
「虹野先輩には怒られちゃうかな。私、主人先輩に八つ当たりしてたんです」
「主人くんに?」
「はい。主人先輩、あまり怒りそうにないからって……。でも、この前見ちゃったんです。主人先輩が、一人でボール磨きしてるところ」
 そっかぁ、最近あたし、ミサンガ編んだり、練習の差入れ作ったりするのが忙しくて、毎日部活が終わるとまっすぐ帰ってたけど、主人くん、ボール磨きも続けてたんだ……。
 あたしがじぃーんとしてると、みのりちゃんが言葉を継いだ。
「虹野先輩は知ってますか? 主人先輩がそうやってボール磨いてるのは、そうやって媚びを売ってるんだ、そうやってレギュラーの座を取り戻そうとしてるんだっていう噂」
「そんな噂があるの?」
「ええ。私、だから、主人先輩がボール磨きしてるのを見て、ああ、噂は本当だったんだなって思ったんです」
 あたしは、「そんなの違う」って言おうとしたんだけど、その前にみのりちゃんが言葉を続けたから、とりあえず話を聞くことにしたの。
「でね、直接主人先輩に聞いてみたんです。……バカですよね、私も」
「え?」
「普通、面と向かってそんなこと言われたら、怒りますよね。でも、主人先輩は怒りませんでした。どうしてやってるのかって聞いたら、主人先輩、何て言ったと思います?」
「……何て言ったの?」
「「さぁ、なんでだろうな」って、それだけ……」
「……」
「でも、その時、わかったような気がしました。虹野先輩が主人先輩に入れ込んでる訳が」
「え? ちょ、ちょっと待って! あたし、別に特別に入れ込んでるってわけじゃ……、えっと、その、ね」
 あたしがあたふたしてると、みのりちゃんはくすっと笑ったの。
「そんなわけで、不肖秋穂みのり、主人先輩のことは一応認めてあげます。あ、でも虹野先輩の彼氏として、ではないですからね。そこのところは間違えないでくださいね」
「かっ、彼氏って!? ちょ、ちょっとみのりちゃん!」
 声が裏返っちゃった。それを聞いて、みのりちゃんはひとしきりくすくす笑うと、話を切り替えたの。
「そういえば、先輩、ミサンガは順調ですか?」
「あう……。あ、あのね、明日またちょっと、教えてくれないかな?」
「はい、いいですよ」
 嬉しそうに答えるみのりちゃん。
 あたしは、机の上に散らばってるミサンガのなりそこないを思い出して、ため息。はふぅ……。
 末賀高校との対抗戦まで、あと6日……。

《続く》

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