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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんの虹色の青春 その


♪渡しはしないぞ 君の未来
守ってみせるぞ 君の幸せ〜
朝、鼻歌混じりに歌いながら、イカフライを揚げてると、葉澄ちゃんが欠伸をしながら台所に入ってきたの。
「ふわぁ、おはようございますぅ……、あふぅ」
「おはよう、葉澄ちゃん」
「……お姉さま、なんだか機嫌良さそうですねぇ。何かあったんですかぁ?」
「べっつにぃ。♪ふんふぅ〜ん」
「お姉さま、怪しさ爆発してますぅ〜」
隣町に、ストライカーズマックスを扱ってるスポーツショップがあるって、ひなちゃんが教えてくれたの。昨日のうちに電話して、ちゃんと25.5の在庫があるかも調べておいたし。
これで、バッチリだよね。うん。
あたしは、葉澄ちゃんに質問攻めにされながらも、ずぅっとにこにこしてお弁当を作ってたの。
きーんこーんかーんこーん
お昼休みのチャイムが鳴って、あたしはお弁当を抱えてA組に向かったの。
その途中の廊下でばったり未緒ちゃんに逢った。
「あ、未緒ちゃん」
「沙希さん、あの、ちょっといいですか?」
未緒ちゃん、ちょっと深刻そうな顔をしてる。どうしたんだろう?
「うん……、いいけど」
「あの、主人さんのことなんですけど……」
「主人くんの?」
「はい」
未緒ちゃんはうなずいた。
「毎晩練習するのはいいと思いますが、オーバーワーク気味ですから、気を付けた方がいいと思いますよ」
「え? どうして未緒ちゃんが知ってるの?」
あたしが驚いて訊ねると、未緒ちゃんはくすっと笑った。
「私の家って、あの神社の裏手に面してるんですよ。窓から、主人さんがボールを蹴ってるの、見えてますし」
「ええっ!?」
あたし、びっくり。そう言われれば、確かに未緒ちゃんの家の住所はあの近く、なのよね。
唖然としてるあたしにとどめを刺すように、未緒ちゃんは言葉を継いだ。
「最近は虹野さんが一緒にいらっしゃるようなので、ちょっと注意をと思いまして」
「み、未緒ちゃん、あたしが、その、知ってるの?」
あたふたしながら訊ねると、未緒ちゃんはにこっと笑ってうなずいた。
「ええ。それはもう」
あううぅぅ。誰も見てないと思ってたのにぃ。恥ずかしいよぉ。
真っ赤になって俯いてたあたしに、未緒ちゃんは急に真面目な口調で言った。
「先ほど、主人さんにお貸ししてた『サッカーの上達法』を返してもらったんですが、その時に「練習頑張ってくださいね」って言ったら、ひどく驚いてましたけれど、何か心当たりはありますか?」
「驚いてたの? うーん、別に心当たりはないけどなぁ……」
「そうですか? あ、その包み、お弁当ですか?」
「え? あっ、うん、そう」
またかぁっと赤くなったあたしに、未緒ちゃんはくすくす笑いながら言ったの。
「早く渡してあげた方がよろしいのではないですか? きっと、お腹を空かせてますよ」
「うん。主人くん、待ってるよね、きっと……って、未緒ちゃん! 誘導尋問はやめてってばぁ!」
ちょっと、遅れちゃったな。まだ、いてくれるかな?
おそるおそるA組をのぞき込んでみる。
……いない……。がっくり。
肩を落として、教室を見回すと、ちょうど教科書を片づけて立ち上がった藤崎さんとばちっと目が合っちゃった。
「あ、虹野さん! ちょっと……」
藤崎さんが手招きする。なんだろう?
あたしは、A組に入って、藤崎さんのところに駆け寄った。
「どうしたの? 藤崎さん」
「公くん……、きっと今日は、虹野さんのお弁当は食べたがらないと思う」
藤崎さん、すまなそうな顔をしながら、きっぱり言ったの。
え? どういうことなの?
「それって……」
「うん。公くんと早乙女くんが話をしてるのを聞くともなく聞いてたんだけど……」
藤崎さんは、気遣わしげに主人くんの席の方をちらっと見ると、あたしに視線を戻したの。
「ちょっと、公くん、今日はナーバスになってるみたい。だから、虹野さん、公くんの言うことはあまり気にしない方がいいと思うな」
「……うん」
結局、しばらくA組で待ってたんだけど、公くんは戻ってこなかったの。早乙女くんも戻ってこなかったから、食堂でお昼を食べて、どこかに遊びに行っちゃったんだと思うけど……。
あたしは、予鈴が鳴ったから仕方なくE組に戻ったんだけど……。
5時間目が始まったとき、何げなく外を見ると、黒い雲が広がりはじめてた。
何となく、嫌な感じがするなぁ……。
放課後になって、あたしはとりあえず部室に向かったの。
A組に行こうかとも思ったんだけど、主人くんに逢っても、何を言っていいのかわかんなくて……。
階段を駆け下りてると、向こうから走ってくるみのりちゃんに気がついた。
「あっ、虹野先輩! 昨日はどうも、でした」
そう言って、えへへと笑うみのりちゃん。なんだかこっちの重苦しさまで吹っ飛ばしてくれるみたい。
「それで、ミサンガはどうなりました?」
「うん、毎晩練習してるんだけど……」
あたしは、壁によりかかって、机の上に散らばってる残骸を思い出した。はふぅ、ため息。
「なかなか上手くならないのよねぇ。……才能、ないのかなぁ、やっぱり」
カタン
その時、物音がして、あたし達は階段の上を見上げた。
手すりに手をかけて、階段を降りかけた姿勢のまま、あたし達をじっと見てるのは、主人くんだった。
一瞬の間をおいて、みのりちゃんがポンと手を打った。
「あ、そうだ。私、忘れ物しちゃった。ちょっと取ってきますね!」
「あ、うん……」
みのりちゃんはそのままパタパタと階段を駆け下りて行っちゃった。
後に残されたのは、あたしと主人くん。
「あ、あの……」
あたしが口を開きかけたとき、主人くんは無言で階段を駆け下りた。
「え?」
そのまま、あたしを無視するように、階段を駆け下りていく主人くん。
あたしの胸に、その時、小さなとまどいが生まれてた。
部活の練習の時間になっても、そのとまどいは消えなかった。
あたしは、この前買ってきた備品をロッカーに入れたり出したりしながら、考え込んでた。
「先輩、虹野先輩!!」
「きゃぁ!! ご、ごめんなさい! 何?」
「んもう、何してるんですか?」
腰に手を当ててみのりちゃんが怒ってる。あ、あれ?
あたしは、ハッと気付いて慌てた。包帯が机の上一杯に広がってたの。
「もしかして、あたしがやってた?」
「そうです。んもう、どうしちゃったんですか?」
一転、心配そうな顔であたしをのぞき込むみのりちゃん。
あたしは、包帯を巻き直しながら、微笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫、何でもないから」
「何でもないって……。それならいいんですけど……」
その時、不意にバタンと部室のドアが開いたの。
「え?」
そこにいたのは、主人くんだったの。でも、いつもの主人くんとは違う……。
そのまま、主人くんは、あたし達に一言も言わないで更衣室に入っていったの。
どうしたんだろう? まだ練習終わってないのに……。
しばらくして、制服に着替えた主人くんが、鞄を手にして出てきた。かと思うと、そのまま部室を出て行っちゃった。……って、ちょっと待って! どうして帰っちゃうの?
あたしは、慌ててその後を追いかけて部室を出たんだけど、もう主人くんの姿は見えなくなってたの。
「主人先輩、どうしたんでしょう?」
あたしの後ろから、みのりちゃんが心配そうに言う。
あたしは首を振った。
「わからない……。でも……」
「でも?」
あたしは、その後の言葉をみのりちゃんに言えなかった。
いつもの主人くんじゃないって言葉を。
何があったのかは、部活が終わってから前田くんや江藤くん達が教えてくれた。
「いやぁ、俺達もびっくりしたぜ」
「ほんとほんと。主人のやつ、練習が始まってからも、なんだかぼけぇーーっとしててさぁ、とうとう監督に怒られたんだ」
「監督に?」
「ああ。「何をぼーっとしてる? そんなんじゃ、いつまでたってもレギュラーには戻れないぞ」ってさ。そしたら、あいつ何て言ったと思う?」
「……」
予想は出来た。でも、考えたくなかった。主人くんが、そんなこと、言う筈なんてない。
でも、前田くんは、言ったの。
「「俺、才能ないですから」ってさ。たまたま俺、近くにいたんだけど、ちょっと度肝をぬかれたぜ」
「……それで?」
あたしの声はかすれてた。
江藤くんが言葉を引き継ぐ。
「監督もさすがに怒ったみたいでさ、「そんな腑抜けたヤツは、出て行け」って言ったんだ。そしたら、主人のやつ「判りました。出ていきます」ってそのままスタスタって戻って行っちまいやがった」
「どうしちまったってんだよ、あいつは。もうすぐ末賀高校戦だっていうのに」
服部くんが頭を掻きむしる。
「あの、やっぱり、俺のせいなんでしょうか?」
沢渡くんがおろおろしながら訊ねる。
あたしは首を振った。
「ううん。沢渡くんのせいじゃない。主人くん自身の問題よ」
「虹野先輩……、これ、使ってください」
みのりちゃんがハンカチを出す。そこで初めて、あたしは自分が涙を流してるのに気付いた。
「ご、ごめんなさい。あたし、目にゴミ……が……」
「虹野先輩……」
田仲キャプテンが咳払いして言ったの。
「とにかく、今日はこれで解散だ。5日はみんな、特にレギュラーは遅れないように」
「はいっ」
みんなうなずいたんだけど、何となくいつもの覇気が無かった。
あたしは、お堂にもたれかかって、主人くんを待ってた。
来るよね。きっと来るよね。
自分に言い聞かせるように、何度も繰り返しながら。
そして……。
たったったったったっ
駆け足の音が聞こえた。
主人くん……。
「虹野さん……」
「主人くん、今日はちょっとびっくりしちゃった。でも、気分が悪かっただけだよね?」
「あのさ……」
「あ、今日はちょっとお弁当は豪華だよ。お昼にも持ってきてたんだけど、渡せなかったから、作りなおしちゃったんだ」
「虹野さん。俺、サッカー部辞めるよ」
お弁当を開けようとしてた、あたしの手が、一瞬止まる。
「……冗談、だよね?」
声が震える。
「もう、ここにも来ないよ」
「……」
「俺、サッカーの才能なんて無いんだ。それに気がつくまで、1年以上もかかって……、ざまないよ」
「……」
「それだけを言いにきたんだ。それじゃ……」
くるっときびすを返す主人くん。
あたしは、その瞬間、叫んでいた。
「約束、したじゃない! 絶対諦めないって! レギュラーに戻れるまで、がんばるって!!」
「……」
立ち止まる主人くん。
あたしの頬を涙が流れ落ちる。
どうしてだろう? 悔しかったの。
主人くんに駆け寄ると、あたしは、主人くんの右手を取った。
「ね、もう一度、指切りしよう」
「虹野さん……」
「練習、続けるって、約束して。ね?」
主人くんの答えは、ない。でも、あたしは、強引に主人くんの指と、自分の指を絡ませた。
「指切りげんまん、うそついたら……ヒック、針千本、飲〜ます、ヒック 指、切った」
「……」
主人くん、何も言ってくれない。
本当に、辞めちゃうの? そんなこと、ないよね。
「明日も、来るよね? 絶対、来るよね!」
「……」
「あたし、待ってる。ずっと、待ってるから!!」
あたしは、そう叫ぶと、駆け出した。
このまま、主人くんの前にいたら、大声で泣きだしちゃいそうだったから。
そんな泣き顔だけは、主人くんに見せたくなかったから。
「……虹野さん」
神社を出たところで、呼び止められた。
そこにいたのは、カーディガンを羽織った未緒ちゃんだった。
「未緒ちゃん……、あたし……、わぁーっ!」
あたし、その時何も考えられなくて、そのまま未緒ちゃんに抱きついて泣きだしてた……。
《続く》

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