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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんの虹色の青春 その


初めて通された未緒ちゃんのお部屋は、思った通り大きな本棚に一杯の本があった。でも、綺麗に片づいてて、未緒ちゃんって几帳面なんだなって思わせるお部屋だった。
カチャ
ドアが開いて、未緒ちゃんが、お盆にマグカップを2つ乗せて、入ってきた。
黙って、そのうちの一つをあたしに渡す。
あたしも、黙って受け取ると、マグカップの中から立ちのぼるコーヒーの香りに身を委ねた。
しばらくして、未緒ちゃんが静かに言う。
「少しは、落ちつきましたか?」
「……うん、ありがとう」
毛布にくるまって、コーヒーの入ったマグカップを持ったまま、あたしはぺこっと頭を下げた。
未緒ちゃんは微笑むと、あたしの隣に腰掛けた。
そのまま、黙ってる。
「……聞かないの?」
「沙希さんが話したくないことなら、無理には聞きませんよ」
チッチッチッチッ
時計の秒針が、時を刻む音だけが、部屋に流れた。
あたしは、カーテンの隙間から、神社の裏手が見えるのに気がついた。立ち上がって、窓に近寄る。
もしかしたら……。
でも、やっぱり、主人くんはそこにはいなかった。
「……」
あたしは、そこでじっと立ち尽くしてた。
ひょいと木陰から主人くんが出てきて、練習を始めてくれる。そんな淡い期待を持って。
「ごめんね。遅くまで上がり込んじゃって」
「いいえ。また、いつでも寄っていってくださいね」
あたしは、手を振って見送ってくれる未緒ちゃんに頭を下げると、夜道をトボトボと歩きだした。
大分時間がたって、少しは落ちついてきた。
ホントにいろんな事があった日だな。
主人くん、急にどうしたんだろう? 昨日までは、いつも通りの主人くんだったのに……。
今日になって、いきなりよね。サッカー部辞めるとか、才能がないんだとか言いだしたの。
不意に、昼休みの時の藤崎さんの言葉が頭をよぎった。
『ちょっと、公くん、今日はナーバスになってるみたい。だから、虹野さん、公くんの言うことはあまり気にしない方がいいと思うな』
何か知ってたのかな? 藤崎さんは……。
うーん、気になる……。
あ、でも、きっと主人くん、明日になったらいつもの主人くんに戻ってるよね。
きっと、そうだよね。
それに、主人くんに渡すプレゼントだってあるんだもの。
新しいストライカーズマックス。明日、朝イチに隣町のスポーツショップまで取りに行かなくちゃ。
きっと、主人くん、喜んでくれるよね。
きっと……。
「すみませーん!」
5月3日、憲法記念日。
あたしは朝早くから電車に乗って、隣町のスポーツショップにやって来てた。
店員さんをつかまえて、訊ねる。
「はいはい、何でしょうか?」
「昨日電話でストライカーズマックスを予約した、虹野という者ですが……」
「あ、はいはい。ちょっと待ってくださいね。ええっと……」
店員さんは奥にはいると、シューズの箱を持って出てきたの。
「はい、これですね。お確かめください」
箱を開けてみる。黒いサッカーシューズ。間違いないわ。いつも主人くんの履いてるシューズと同じ。
「これ、これです。ありがとうございます!」
「さしずめ、恋人へのプレゼントってところかなぁ?」
「え? や、やだ、からかわないでくださいよぉ」
そんなんじゃないんだってばぁ。
店員さんは、そんなあたしを見て、さらに笑いながら言ったの。
「リボン、かけましょうか?」
「えっと……お願いします」
結局、リボンかけてもらっちゃった。
結局きらめき市に戻って来たのは、昼過ぎになっちゃった。
もう、主人くん神社で練習してるかな?
そう思って、駅からまっすぐ神社に行ってみた。
静まりかえった境内。
……主人くん、まだ来てないんだ。
一度、家に帰った方がいいかな?
ちょっと考え込んだけど。
でも、約束、したもんね。
きっと、来てくれるよね。
だから、あたしは、待ってる。
神社の前にある電話ボックスに入ると、テレホンカードを差し込む。
ツゥー
音を確かめてから、ボタンを押して、電話をかける。
トルルルル、トルルルル、ピッ
「はい、主人です」
「あ、主人くん? あたし……」
「ただいま留守にしています。ご用の方は、ピーッという発信音の後にメッセージを入れてください」
留守、かぁ。ちょっとため息。
ピィーッ
息を整えて、話しかける。
「もしもし! 虹野です!」
……なんて言えばいいんだろ? ちらっと時計を見る。
「えー、今お昼の1時です……」
あたしのバカバカ、そんなこと、どうでもいいんだってば。
あ、そうだ。昨日のこと謝らなくちゃ。
きっと、主人くん、あんな事言われて気分悪いよね。
「昨日はなんかごめんねー? きっと機嫌が悪かっただけだよね!
それなのにいろいろ言っちゃったりして、どうもごめんなさい。
あたし、主人くんがクラブ辞めるなんて、本気にしてないからね!」
えっと、どうしよう? あ、そうだ。ストライカーズマックス渡さなくちゃ。でも、なんて言えば……。
「えーっと、いつものところで待ってます。……ちゃんと来てね?
来てくれたら、ご褒美をあげます! じゃあね」
ガチャン
受話器をフックに戻して、はぁ、と、一つため息。
なんだか、すごく押し付けがましいような気がして。
お堂に腰掛けて、空を見上げる。
昨日から曇ってたけど、さらに段々雲行きが怪しくなってきてる。
降りそう、だね……、主人くん……。
……本当に、出かけてるの? それとも、電話、取ってくれないだけなの?
あたし、嫌われちゃったのかな……?
そう考えてると、なんだかいてもたってもいられなくなってきて、あたしはもう一度、電話ボックスの方に駆け出してた。
「もしも〜し、虹野でぇす! なにをしてるんだよ〜。げんき、だ、せ、よ〜。
あはっ。ホントに用事でいないんだね。……ふぅ。……でも、今日中に渡したいからなぁ……。
えっと、家に帰ってきたらでいいですから、いつものところに来て下さい。待ってます。
元気出してね。じゃ!」
カチャン
ピピーッ、ピピーッ、ピピーッ
戻ってきたテレホンカードを抜いて、あたしは電話ボックスの中にうずくまった。
……なにしてるんだろ、あたし……。
こんな電話したって、主人くんが来るはずないじゃない。
でも……。
どこかで、信じてる。来てくれるって。
だから……。
ちらっと腕時計を見る。
3時、過ぎちゃった……。
辺りはどんどん暗くなってくる。
雨、降りそうだな。
「……沙希さん?」
お堂の階段に腰掛けてたあたし、弾かれたように立ち上がった。
「あっ……」
「……未緒、ちゃん」
自転車に乗った未緒ちゃんが、そこにいたの。
「そうですか……。主人さんを待って……」
「……バカだよね、あたしも。来るはず無いのに……」
あたしは、ぎゅっと紙袋を抱きしめて、呟いた。
「そう思うんなら、帰ればいいじゃないですか」
「……え?」
未緒ちゃんは、じっとあたしを見つめて、くり返した。
「本当に沙希さんが、主人さんが来るはず無いと思っているのなら、帰ればいいじゃないですか」
「……」
あたしが黙ってると、未緒ちゃんはふっと表情を和らげた。
「ごめんなさい。でも、沙希さん。沙希さんは、主人さんを信じているんでしょう? 信じているから、ここで待っているんでしょう?」
「……うん」
「だったら……」
そう言って、未緒ちゃんは微笑んだ。
あたしも、なんとか笑顔を作ることが出来た。
「うん、ありがとう、未緒ちゃん」
と、未緒ちゃんは時計を見て立ち上がった。
「ごめんなさい。ずっと一緒にいてあげられればいいんだけど、私、これから塾があるので……」
「あ、ううん。未緒ちゃんこそ、ありがとう」
「それじゃ。……心配しないでも、大丈夫ですよ。主人さん、きっと来てくれます」
「……うん。あたし、信じる」
あたしがそう言うと、未緒ちゃんは笑顔でうなずいた。
「それじゃ!」
「ありがとう!」
あたしは、手を振って未緒ちゃんを見送ると、またお堂の階段に座りこんだ。
もう、どれくらいたったのかな?
ちらっと時計を見てみる。……午後3時半。
なんだか、すごく時間が進むのが遅い、そんな感じがする。
……未緒ちゃんには、ああ言ったけど、でも……。
あたしは、立ち上がった。
もう一度、もう一度だけ、電話しよう。
あたしの思い、考えてること、全部聞いてもらって、主人くんに決めてもらおう。
来てくれるのか、来てくれないのか。
「もしもし、虹野です。留守電、聞いてもらえてますか?
もしあたしが、何か機嫌を損ねるような事をしてたら、あやまります。ごめんなさい。
でも、どうしても、今日渡したいものがあるので、……もしよかったら、いつもの神社に来て下さい。
あのっ、今回のことは、本当に残念だったと思うけど……、絶対、またチャンスがくると思います。
こんなにがんばっているのに……。ううん、がんばってるだけじゃないわ。
夜練見てても、あたしはシロウトだけど、本当に上手くなってるのがわかります。
あなたは根性だけじゃない。絶対にサッカーの才能があります。
他の誰が信じなくても、あたしは、そう信じてます。
……だから、サッカー、これからもがんばってください。
それで、……もし、よかったら……、あたしを、国立競技場に連れていってください。
……。
……それじゃ、待ってます。なんどもメッセージ残してすいません。もう電話しません。
ちょっとの時間でもいいですから、神社に来てくれるとうれしいです。
じゃっ……。
がんばれ」
カチャッ
あたしは、受話器を置いた。そして、電話ボックスから出る。
信じてる……。信じてる……よ。
カサッ
微かな音がして、あたしははっと顔をあげた。
「主人くん!?」
ニャ〜オ
違った……。
一匹の子猫が、階段に前脚をかけて、あたしを見上げてた。
「子猫かぁ……。おいで」
手を出すと、子猫は階段をとてとてっと駆け上がってくると、あたしに身をすり寄せて、ミャァと鳴いた。
可愛いな。
「よしよし。一人なの?」
ミャァ
あたしが喉の下をくすぐってあげると、子猫は目を閉じて喉をゴロゴロとならした。
あはっ。喜んでるのかな?
「寂しくなんて、ないもんね。ねぇ?」
ミャァオ
あたしが話しかけると、子猫は目を閉じたまま一声鳴いた。なんだか、あたしの言うこと、判ってるみたい。
と、
ニャァ
別の猫の鳴き声が聞こえたの。あたしが顔をあげると、境内の石畳の上に、別の猫がいた。
ミャァ
「あっ」
子猫は、あたしの手をするっとすり抜けると、その猫の方に駆け寄っていった。
2匹の猫は、そのまま走って行っちゃった。
「……行っちゃった……」
あたし、一人に戻っちゃったな。
もとのように、階段に座って、紙袋を抱えた。その時……。
ポツッ
石畳の上に、黒い染みが一つ、二つ……。
とうとう、雨、降ってきちゃった。
もう、来ない、のかな?
主人くん……。
《続く》

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