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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんの虹色の青春 その


ザァーッ
雨は本降りになってきた。
あたしが座ってる階段にも、雨が打ちつけてくるけど、でも、なんだかそんなこと、どうでもいいような気がして。
べったり濡れた前髪から、水滴が滴り落ちてくるのも、なんだか自分の事じゃないみたいだった。
膝を抱えて、あたしはじっとしてた。
……寒い……。
どうして、こんなことしてるの?
もう、主人くんは来ないんだから。
……あれ?
あたしの頬を、雨じゃないものが流れ落ちていく。
その時、あたしは気がついたの。
あたし、主人くんのことが、好きだったんだ。
今まで、ひなちゃんや館林先生に何度も言われてたけど、全然実感出来なかった。
いつも、そばにいる。それが当たり前になっちゃってたから。
あたしは、膝に顔を埋めた。
でも、遅いよ。もう……。
こんなことになっちゃってから、判るなんて……。
あたしって……ばかだよね……。
ホントに……ばか……だよね……。
パシャパシャパシャ
水を跳ねさせながら、駆けてくる足音。
もしかして……。
あたしは、顔をあげた。
黒い傘が、近寄ってくる。
もしかして……、まさか……。
ううん。
未緒ちゃんに言ったよね。信じてるって。
パシャッ
石畳の上に出来た水たまりを踏みつけながら、駆け寄ってくる傘。
その傘の下から、あたしが本当に聞きたかった声が、聞こえた。
「虹野さん!」
あたしは、立ち上がると、ゆっくり言った。
「……やっと来たんだ……」
紙袋を抱えて、階段を降りてく。
「随分、待ったんだ……か……ら」
あ、れ……?
主人くんの顔が、ふわっと水に溶けるみたいに歪んでく……?
あたしの意識は、そこで途切れた。
「う、うん……」
目を開けた。見慣れた天井。あたしの部屋?
ベッドに寝てる。でも、あたし、神社にいたはずなのに?
「あ、気がついた?」
その声に、あたしはベッドサイドを見た。
主人くんがそこにいた。
「主人くん……。そっか、あたし、倒れちゃったんだ……」
納得してから、慌てて体を起こす。
「あたし……」
「ダメだよ、寝てないと」
そんなあたしの肩を押さえると、主人くんは静かに言った。
「う、うん……」
うなずいて体を倒すと、ずれちゃったタオルを、主人くんは脇の洗面器で洗って、額に乗せ直してくれた。
でも……、あたしが自分の部屋で寝てるってことは……、やっぱり主人くんが連れて帰ってくれたんだよね?
なんだか、すごく恥ずかしい……。
あたしは、毛布を口の上まで引っぱり上げて、小声で謝った。
「……ごめんね、迷惑かけて」
「そんな……。俺のせいだ……。俺が待たせるようなことしたから……」
主人くんは、そう呟くと、すごく辛そうな顔をする。
あたしは、首を振った。
「ううん。あたしが勝手に待ってただけだから……」
「でも……」
「いいの! 主人くん、悪くなんか……ゴホゴホッ」
言いかけて咳き込んじゃった。
「体の具合は、どう?」
心配そうに訊ねる主人くん。
「うん。……もう平気。ちゃんと寝たら、明日は試合に行けると思う」
「無理しない方がいいよ」
「ううん、大丈夫。明日の試合、休むわけにはいかないから……」
「熱はどうかな?」
そう言って、主人くんはあたしの額のタオルをどけて、ぺたっと手をつける。
あ、冷たくて気持ちいい……。やだ、あたしったら。
「あ、うん、平気……」
「そう……。よかった」
タオルを乗せ直しながら、ほっとしたように言う主人くん。
「ホントに……ありがとう……」
しばらく、あたし達は黙りこくっていた。
不意に、主人くんがあたしに訊ねる。
「留守電、聞かなかった?」
「主人くん、電話してくれてたんだ。……あたし、朝からいなかったから……」
「……」
「朝から……、買い物に出かけてたから……」
あ、そうだ! 紙袋!
「あ、あたし、紙袋……」
「あ、一緒に持ってた銀の紙袋? ちゃんとここにあるよ」
主人くんは、紙袋を持ち上げて見せた。
「よかったぁ……」
あたしは、ほっとした。これで、神社に置き忘れて無くなっちゃってた、なんてことになったら大変だったものね。
「この袋、何が入ってるの?」
あたしは、うなずいた。
「あなたに受け取って欲しいの」
「俺に?」
「……うん」
あたしがうなずくのを見て、主人くんは、リボンを解くと、箱を開けた。
その目が丸くなる。
「これ、ストライカーズマックス!? いったいどこで……?」
「隣町のスポーツショップまで行って、買ってきたの。ほら、主人くん、言ってたじゃない。ストライカーズマックスが欲しいって。だから、あちこち捜し回って調べたんだけど、きらめき市のスポーツショップには、どこにも置いてなくって、それで……」
「虹野さん、それで朝から……」
絶句する主人くん。やだ、なんだか恥ずかしいよ。
「あ、ほら、何度か電話かけたんだけど、ずっと留守電だったし……。あんまり神社から離れて、すれ違っちゃったら渡せないし……、明日は試合だし……、それに、その……」
「……」
「途中で雨降ってきたから、もう来ないだろうなぁって思ってたんだけど……。でも、もしかしたらって思って、それで……」
「虹野さん……」
なんだか、すごく優しい目で、主人くんはそう呟いた。
あたしの名前を……呼んでくれた。
「ねぇ……」
「ん?」
「練習、続けようね。きっとレギュラーに戻れるから……」
「ああ、わかったよ……」
主人くんは、静かに微笑んで、うなずいた。
「うん」
あたしもうなずき返す。
「ねぇ、虹野さん……。その……」
主人くんは、言いかけて、少しためらった。
「……なに?」
「このあいだからずっと聞きたかったことがあるんだけど……」
そう呟くと、あたしから視線をそらして、床を見ながら言葉を継ぐ。
「虹野さんが俺のこと応援してくれるのって、その……、俺ががんばってるから……っていうか、その……、だから……だから、単に気にかけてくれてただけなのかな……?」
あたしは、首を振った。
「そんなんじゃないよ。そんなんじゃ……」
「……じゃあ?」
主人くんは顔をあげて、あたしの目をじっと覗き込むように見つめた。
あたし、頭がぽーっとしてたけど、それでも一生懸命に言ったの。
「だって、あたしは……あなたのこと……」
「……」
好き。
そう言う代わりに、あたしは布団から手を出した。何も言わなくても、主人くんはその手を握ってくれた。ひんやりして、気持ちいい……。
「もう少しだけ……このまま、そばにいて、くれる?」
「……ああ」
主人くんは微笑んだ。
あたし、そのまま微睡みの中に落ちていった……。
《続く》

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