喫茶店『Mute』へ
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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話 沙希ちゃんのフォースデート
「さっきちゃん」
6時間目が終わって、あたしが帰ろうとしてたら、急に後ろから誰かがのしかかってきたの。ううん、こんな事するの一人しかいないよね。
「何するのよぉ、ひなちゃん!」
「今からかえんの?」
「うん。今日は部活休みの日だし」
「それじゃ、お茶して帰らない?」
ひなちゃんは嬉しそうに笑いながらあたしに言うの。
そうね。たまには、いいかな。
「いいわよ」
「超ラッキー! じゃ、早く行こうよぉ」
「ただし」
あたしは厳しい顔をして、ひなちゃんに言った。
「おごらないからね」
「ふーんだ。沙希のケチ」
「何言ってるのよぉ。こないだだっておごってあげたじゃないのぉ。忘れたとは言わせないからねっ!」
「ちぇーっ。ま、いっかぁ」
あたし達は行き付けの喫茶店『Mute』のドアを潜ったの。この店、学校からもそんなに離れてないし、マスターがひなちゃんの従兄だから、結構気楽に入れるのよ。それに、ケーキが美味しいしね。
「かっちゃん! おひさぁ」
「いらっしゃ……。なんだ、夕子か。おひさって、先週も来てたくせに」
「あー、そんなこと言っていいのかなぁ。折角沙希連れてきたのに。いーもん。沙希、あっちのロッ○リアに行こうか」
「あ、沙希ちゃん。いらっしゃい。ちょうど良かった。ベーニエ作ってみたんだけど、試食してみてくれるかな?」
マスターがあたしに気づいて笑いながら言った。
あたしはカウンター席に鞄を置いて、スツールに腰掛けた。
「こんにちわ。ベーニエって何ですか?」
「フランス語で揚げ菓子の意味。ま、言ってみればフルーツの天ぷらだけどね」
そう言いながら、マスターはお皿に乗せて出してくれた。うわぁ、甘い、いい香りがするね。
見た所、鶏の空揚げに見えなくもないけど、でも香りが全然違うよね。……あ。
「マスター、これお酒使ってます?」
「ああ。フルーツの味付けに、ね。で、こっちのドーナツ型してるのが、くり貫いたリンゴをスライスしたやつで、こっちのやつがオレンジなんだけど」
「それじゃ、頂きますね」
あたしは、フォークでまずリンゴを取って食べてみる。
「……どう?」
「おいしい。衣がふわっとしてて、……でも、ちょっと淡泊って言うか……。チョコレートソースなんかあうんじゃないかな?」
「なるほど、ソースをかける、か」
「うん。このままだと、油が気になるって気もするし……。でも、このリンゴはばっちりよ。この味は……」
あたしはリンゴをモグモグしながら考えてみた。あ、この味は、前にマスターが作ってくれたフルーツケーキに使ってあったよね。ええっと、あの味は……バルサミコじゃなくって……。あ!
「カルバドス! カルバドス使ってないかな?」
「さすが沙希ちゃん。カルバドスとシロップに一晩漬けておいたんだよ」
マスターは笑って言ったの。ふぅん、一晩置いておいたわけかぁ。この衣にも秘密がありそうだけど、そう簡単には教えてくれそうにないもんねぇ。頑張って聞き出しちゃおうっと。
あたしとマスターがそんな話をしてる間、ベーニエを食べてたひなちゃんは、話が終わるのを見計らって、不意に顔を上げてあたしに聞いたの。
「ところで、沙希ぃ」
「なに?」
あたしが紅茶を飲みながら聞き返したら、ひなちゃんとんでも無いことをいきなり言ったの。
「公くんとは何処までいったの?」
ブッ あたし、思わずむせちゃった。ゲホゲホやってたら、ひなちゃんが背中を叩いてくれた。
「ちょっと、大丈夫ぅ?」
「だ、大丈夫、だけど。それにしても、いきなり何言い出すのよぉ」
あたしが向き直ると、ひなちゃんはにぃっと笑ったの。
「沙希、顔が赤いぞ」
「こ、これはぁ、ベーニエにお酒が入ってたからよぉ」
「おうおう、照れおって。うい奴よのぉ」
もう、人をすぐにからかうんだからぁ。
あたしはカウンターの方に向き直って、紅茶に口を付けた。
「何でもないもん」
「ほほー? そんなこと言いながら、随分仲良さそうにお見受けしましたけどぉ」
「そ、それはぁ、同じサッカー部のキャプテンとマネージャーだし……」
「ふーん。同じ部のキャプテンとマネージャーって何回もデートするほど仲がいいのかねぇ」
ひなちゃんは頬杖ついて、上目遣いにあたしの方を見た。
あたしは首を振った。
「何回も、何てしてないよぉ」
「またまたぁ。きらめき高校に入学して早1年と2カ月でしょうが。何回デートしたことやら」
「えっとね……去年のゴールデンウィークに2回と、夏休みに早乙女くんと藤崎さんと一緒にダブルデートしたときと……3回だよ」
こないだのゴールデンウィーク前のは、デートとは言えないし……ねぇ。
「へ?」
ひなちゃん、びっくりしたみたいにあたしを見てる。
「3回? リアリー、ホントに?」
「ひなちゃん、彩ちゃんの口調が移ってるよ」
「んなこと、どーでもいいっしょ? それよかさぁ、マジに3回なの? それも去年の夏休み以来デートして無いって本当なの?」
あたしの肩をがしっと掴んで、ひなちゃんは訊ねた。
「う、うん。そうよ」
「とすると、沙希と公くん、もう8カ月以上もデートしてないの? マジポンに?」
「そ、そうなの、かな?」
あたし、指折って数えてみた。確かにそうなるよね。
ひなちゃんは腕組みした。
「そりゃ、おかしーよ」
「そ、そう?」
「そーよ。沙希はおかしいと思わなかったの?」
「だ、だって、あたしと公くんはそんな関係じゃないし……」
あたしが小声で呟くと、ひなちゃんはぺしんと額を打った。
「全く、まだそんなこと言ってるしぃ」
「だってぇ……」
ひなちゃん、そこまで言う?
「あー、もう泣かないの。ホントに沙希ちゃんってば純情なんだから、お姉さん嬉しくなっちゃう」
「あによぉ。誕生日、3カ月しか違わないのにぃ」
あたしが上目遣いに睨むと、ひなちゃんはどんと胸を叩いた。
「よし、あたしに任せよ。何で沙希とデートしないのか、ばっちり聞いてあげっからさぁ」
「そんなことしなくたって……」
「そのかわり、今度おごってね。んじゃ、まったねぇ!」
そう言うと、ひなちゃんは立ち上がって店から飛び出して行っちゃった。
「んもう、ひなちゃんってば」
あたしは鼻をぐすぐす言わせながら、思わず微笑んでたの。
マスターの言葉を聞くまで。
「あの、沙希ちゃん」
「ん。何ですか?」
「……あのぉ、悪いんだけど、夕子の飲んだコーヒーの代金が……」
「……ひなちゃん……」
翌朝。あたしとひなちゃんの間で熾烈なコーヒー代をめぐる闘いがあったあとで、ひなちゃんはあたしに言った。
「とにかく、あたしが公くんに聞いてみっから、沙希は隠れて聞いててね」
「ちょ、ちょっとぉ」
「んじゃ、行ってくんね」
そう言うと、ひなちゃんは廊下に飛び出していった。
あーん、もう。素早いんだからぁ。
あたしは慌ててその後を追っかけた。
あたしが公くんのクラスについたときには、もうひなちゃんは公くんと何か話してた。あたしは慌てて柱に陰に隠れて、首だけ出してそっちを見る。
そんなあたしを見つけて、ひなちゃんはさりげなくウィンクして見せると、公くんに言った。
「ところで、主人くん。あんたって、全然デートしてないんですって? 沙希に聞いたわよぉ」
「え? してるよ。毎日」
……は?
あたし、目を丸くしちゃった。
してるって? デートしてるって?
だ、だって、あたしはしてないよぉ。
……ってことは、他の娘とデートしてるの? それも、毎日?
……う、嘘でしょ?
あたしが、柱の影で呆然としてると、ひなちゃんの怒鳴り声が聞こえた。
「さいってぇ!!」
「は?」
「何でもないわよっ! あーっ、もう、超むかつくぅ。あんたがそんなナンパだとは思わなかったわ。それじゃ、戎谷やヨッシーのほうがまだマシよっ。さよならっ!」
ひなちゃんはまくしたてると、ずかずかとこっちに歩いてきた。そしてあたしの首根っこを掴む。
「沙希、行くよっ!」
「う、うん」
「さ、沙希ちゃん!?」
公くんの声が聞こえたけど、あたし、ひなちゃんに続いて歩いていった。なんだか、何にも考えられなくって……。
「ったく。あいつがあんなナンパになってるなんて思わなかったわぁ。かっちゃん! ストロベリーパフェお代わりっ!」
学校が終わって、あたしとひなちゃんはまた「Mute」に来てたの。
ひなちゃんはひたすらぷんぷん怒ってるし、あたしはあたしで沈んじゃってるから、マスターは心配そうにあたし達を交互に見てたんだけど、何にも訊ねようとはしなかった。
と。
カランカラン ドアについているカウベルが鳴って、誰かが入ってきたの。
「ハァイ、エブリバディ!」
「あ、彩子!」
ひなちゃんは、ドアの方を見てスツールから飛び降りた。
「ひっさしぶりぃ。元気してた?」
「オフコース、もちろんよ。やっと、展覧会に出す絵が完成したから、ちょっと一段落ってところね。……ところで、ホワット・ハップン? なにかあったの?」
彩ちゃんは店内を見回して訊ねた。ひなちゃんが我が意を得たりとばかりに袖を引っ張る。
「話したげるから、こっち来て座りぃ」
ひなちゃんから話を聞いて、彩ちゃんは頷いた。
「なるほどねぇ。それで夕子が怒って沙希は沈んでるわけだ」
「ひどい奴っしょ?」
ひなちゃんが言うと、彩ちゃんは首を振った。
「一概にそうとは言えないけどね」
「へ?」
「沙希と付き合いながら、他の娘とも遊んでいたって言うんなら、ひどい奴だけどね。そうじゃないんでしょ?」
「う……まぁ、そうだけどさぁ。でも、誰が見たって沙希と公くんは付き合ってるように見えるっしょ?」
「……うーん。あたしには、仲のいい友達って見えるけどね」
彩ちゃんはあっさりと言った。
あたしは呟いた。
「仲のいい……友達かぁ」
「こらこら、彩子。ますます沙希を落ち込ませてどうするのよ!」
ひなちゃんが彩ちゃんの首を絞めた。慌てて彩ちゃんはひなちゃんの腕を掴む。
「ロープロープ!! でも、公くん、はっきり沙希が好きって言ったわけじゃないでしょ? 沙希だってそうだしね」
「うーん、そう言われればそうなんだけどねぇ」
ひなちゃんは腕を組んでうーんと唸ってたけど、不意にあちしの肩を叩いた。
「沙希、こうなったら、もう一度公くんとデートしなよ」
「え?」
「そんで、公くんの本音を聞いちゃいな。うん、それがいーや」
「ちょ、ちょっと……」
「それとも、沙希は公くんとデートしたくないのかなぁ?」
ひなちゃんがあたしに視線を向ける。
あたしはぼそっと答えた。
「……そりゃ、したくないってわけじゃ……」
「よし、決まりね!」
ひなちゃんはポンと手を打った。
翌朝。あたしが下駄箱で靴をはきかえてると、後ろから声が聞こえたの。
「あ、虹野さん! いたいた、探したよ」
「え? あ、早乙女くん。おはよう」
早乙女くんはあたしに訊ねた。
「昨日、主人となにかあったの?」
「え……」
あたしの顔を見て、早乙女くんは頷いた。
「やっぱりな。なんか主人が落ち込んでると思ったら、やっぱ虹野さんとなにかあったのか」
「ちょ、ちょっと待って。主人くんが落ち込んでるって?」
「ああ。なんか朝日奈になんか言われたらしいんだけどな。それだけで落ち込むあいつじゃないからさ、これは何かあったなと思ってたけど、やっぱそうか。チェックだチェック」
「あ、あの……」
「んじゃ。愛の伝道師早乙女好雄をお忘れなく!」
それだけ言うと、早乙女くん走って行っちゃった。
公くん、ひなちゃんにひどいこと言われてたもんね。それで落ち込んだんだわ、きっと。
でも、元はと言えば、あたしのせいなのよね。
謝らなくちゃ。
お昼休み。
あたしは公くんの教室に行った。
ちょうど、教室から出ようとしてた公くんが、あたしの顔を見て、びっくりしたみたいに立ち止まった。
「主人くん、今からお昼なの?」
「う、うん。食堂に行こうと思って……」
「あたしも、一緒に行っていいかな?」
「いいけど……」
「よかった。それじゃ、ちょっと待っててね。お弁当取ってくるから」
あたしは教室に駆け戻った。
「で、話って? 部活のことか何か?」
公くんはカレーライスを食べながらあたしに聞いた。
うーん。公くん、いつもこんなの食べてるのかなぁ。栄養バランス、あんまり良くないと思うんだけど。せめて生野菜のサラダをつけた方がいいと思うな。
「虹野さん?」
「え? あ、ああ、違うの。あの……その……」
あたしは慌てちゃった。謝らないといけないんだけど、何て言えばいいの?
と、耳元でぼそっと声が聞こえたの。反射的に繰り返す。
「今度の日曜日、暇?」
「え? ああ……」
「それじゃ水族館に行かない?」
「水族館? いいけど、それって、もしかしてデートの誘い、なの?」
「はっ!?」
あたし、はっと気づいて振り向いた。
あたしの後ろに、ひなちゃんが屈んでた。あたしと視線が合うと、Vサインをして、小声で囁いた。
「どう? 上手くいったっしょ?」
「ひなちゃん!? どーして?」
「どうかしたの? 虹野さん」
公くんのいるテーブルの向こう側からは、ひなちゃん見えないみたい。あたしは慌てて誤魔化した。
「何でもないってば。よかったぁ、断られなくて」
「断るわけ無いって。それじゃ、10時に水族館前で」
そう言うと、公くんは笑ったの。
よかったな。仲直りできたみたい。
日曜日。あたしと公くんは水族館の順路を歩いてた。
「さっきのオサカナ、大きかったねぇ」
「え? ああ、ブリね」
「ふぅん、あれがブリなんだぁ。あたし、魚の姿じゃ見たこと無いから……。スーパーで売ってる切り身だったら見たことあるんだけどな」
「あはは。虹野さんらしいよね」
そんなことを話しながら、二人並んで歩いてる。
恋人同士みたい。
不意にそんな事を考えちゃって……、あたし、その途端に公くんが隣にいるんだって事を意識しちゃって。
「どうしたの? 虹野さん」
「え?」
「顔、赤いけど……」
「何でもないわ。あ! ほら、タコさん!」
「あ、ホント。うわぁ、変な泳ぎ方してるなぁ」
公くんは水槽にぺたっとひっついて、タコが泳いでるのを見てる。
あたしは、そっと一息ついた。心臓が、どきどきしてる。
……あたし、本当に公くんが好きなのかなぁ?
自問自答してみる。でも、わかんない。
だって、こんな気持ちになったの、初めてなんだもの。
あ、でも、公くんには……。
毎日デートしてる娘が、いるのよね。
「虹野さん? 虹野さん!?」
「え?」
はっと我に返ると、公くんがあたしの肩を揺すってた。
思わぬ近くに公くんの顔があって、あたりは薄暗くって。
「こっ、公くん!?」
「何?」
「あっ、あの……」
あたしは、水槽の方に視線を向けた。大きなハタがあたしの視界を遮るように泳いでいく。
それを見送ってから、あたしは思い切って訊ねてみたの。
「公くん、こないだひなちゃんに言ってたよね。毎日デートしてるって」
「そ、それは……」
公くんは、頭をぽりぽりと掻いた。
……やっぱり、そうなんだ……。
公くん、好きな人がいるんだね。
ごめんね、公くん。今まで、あたし……公くんを……。
「虹野さん、君のこと、なんだけど」
「……え?」
あたし、突然名前呼ばれて、びっくりして公くんの顔を見た。
公くん、赤くなって言葉を続けた。
「虹野さんとは、毎日学校で会ってるよね。俺にとっては、それが毎日デートしてるようなもんだったんだ」
「……それって……」
あたしが聞き返すと、公くんはあたしに背中を向けた。顔真っ赤にして……照れちゃってるんだ。
あたしも、公くんのこと言えないけど……。
「さ、先に行こうか」
公くんがそう言うと、歩き出す。あたしは、公くんの服の裾を握って、その後からとことこと歩いていった。
目を上げると、公くんの背中がある。……こんなに広かったんだ、公くんの背中って……。
あたしは、公くんの背中を見ながら、水族館の中を歩き続けてた。
月曜日の朝。
あたしが鞄から教科書を出してると、ひなちゃんがやってきた。
「沙希、昨日はどうだった……って、その顔見ればわかるか」
「そ、そうかなぁ」
あたしは両手で頬をはさんだ。
ひなちゃんは肩をすくめた。
「はいはい。幸せそうでなによりよ」
「あの、ひなちゃん……」
あたしは、ひなちゃんに言った。
「何?」
「……ありがとね」
「どういたしまして」
ひなちゃんは笑った。
「沙希って、なんだか放っておけないんだもの」
《続く》

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