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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんの緋の夏祭り


 トルルル、トルルル、トルルル
「あ〜ん、待って待ってぇ!」
 台所から菜箸片手に飛びだして、あたしは電話に駆け寄ったの。空いてる方の手で、受話器を取る。
「はい、虹野です」
「あ、虹野さんのお宅ですか? 私、主人ともうしますが、沙希さんは御在宅でしょうか?」
 ドキン!
 鼓動がはね上がっちゃう。
「あ、あたし、沙希です」
「なんだ、虹野さんかぁ。電話だと、おばさんと声の区別つかないからなぁ」
「え、えっと、何か用なの?」
 言ってから慌てるあたし。
「あ、その、別に迷惑とかそんなんじゃなくてね、えっと、ちょっとびっくりしちゃったから、その……」
「あのさ、日曜日、暇?」
「に、日曜日? うん、暇だよ」
「よかった。ほら、きらめき神宮で夏祭りがあるじゃない。よかったら、行かない?」
「うん、行くっ!」
 思わず即答しちゃった。
「それじゃ、そうだね、5時に大鳥居前で待ち合わせでいい?」
「うん、いいわよ」
「ありがと。それじゃ、その時に」
 チン
 電話が切れた。あたしは、受話器を胸に抱いてじーんとしてた。
 だって、夏祭りだもん。1年に1度しかないんだよ。それに、主人くんの方から誘ってくれるなんて……。
 あー、もうどうしよう?
「……お姉さま?」
「ひょ? あ、葉澄ちゃん」
 ハッと気付くと、葉澄ちゃんが怪訝そうにあたしの顔をのぞき込んでた。
「大丈夫ですかぁ?」
「あ、うん!」
 慌てて受話器を元に戻しながら、あたしはうなずいた。
「……何か良いことでもあったんですか?」
「ええっ!?」
「だって、にこにこしてますよぉ」
「そ、そっかな?」
 あたし、慌てて自分のほっぺたを引っ張ってみた。
 と。
 ピンポーン
 チャイムの音と同時に、玄関の外で声が聞こえた。
「虹野せんぱぁーい!」
「!?」
 あたしよりも先に反応したのは、葉澄ちゃんだった。土間に飛び降りると、ドアをガチャリと開ける。
「秋穂みのりっ!?」
「……どうしてあなたがでてくるのよぉ?」
 あたしはサンダルをつっかけて、二人の間に割って入った。
「ちょっとサッカー部のことで、ね。ほら、日頃お世話になってるから、たまにはごくろうさまってことで」
「そうなのよ。私は虹野先輩から直接お招き頂いたわ・け」
 みのりちゃんがにこにこしながら葉澄ちゃんに言う。
「お姉さまぁ、どうしてそんなことする必要があるんですかぁ?」
「それはね、虹野先輩の私への愛なのよ」
 胸に手を当ててうっとりするみのりちゃん。
「と、とにかく、あがって」
「はぁい、お邪魔しまぁす」
 にこにこしたまま、葉澄ちゃんの横をすり抜けて行こうとしたみのりちゃんがいきなり転んだ。
 ずでぇん
「きゃ!」
「あら、大丈夫ですかぁ?」
 しらっと言う葉澄ちゃん。
 みのりちゃん、憤然と跳ね起きると、葉澄ちゃんに食ってかかった。
「いきなり短い足出さないでよ!」
「なーんのことで……」
 言いかけた葉澄ちゃんの顔色が青くなる。あ、みのりちゃんが思いっ切り葉澄ちゃんの足を踏んでるんだ。
 なんて観察してる場合じゃないけど、どうしよう?
 二人は一触即発って感じで睨み合ってる。あーん、どうしてこの二人、こんなに仲が悪いのよぉぉ。
 と、そこに。
「あれぇ? みのりじゃない。何してるの?」
「え?」
 あたし達がそっちを見ると、3人の女の子がいたの。そのうち二人は見覚えある。
 オレンジ色のポニーテイルの活発そうな娘が、早乙女優美ちゃん。早乙女くんの妹さんなのよね。
 で、緑色のロングヘアの娘が、館林美鈴ちゃん。こちらは、館林先生の妹さん。
 二人とも、みのりちゃんと同じ1年生なのよね。もう一人の娘も、そうなのかな?
 あ、そうだ。
「あの、よかったら家に寄っていかない? ちょっとクッキー焼いたんだけど、多すぎるみたいで……」
「クッキーですかぁ? 優美、クッキー好きなんですよ」
 優美ちゃんが目を輝かせてうなずいた。
 美鈴ちゃんは、ちらっとみのりちゃんと葉澄ちゃんを見て、納得したみたいにうなずいた。もう一人の娘に訊ねる。
「あたしはいいけど、やっこちゃんはどうする?」
「うーん、どうせマックにでも行こうってところだったし、いいんじゃない?」
 その娘もうなずいた。あたしは、ドアを大きく開けた。
「どうぞ、いらっしゃい」

「お待たせしましたぁ。大したもの無いんだけど、どうぞ」
 あたしは、リビングルームの机の上に、クッキーを載せた大皿と、ジュースを置いた。
 美鈴ちゃんが、早速伸ばした優美ちゃんの手をペシンと叩く。
「その前に、自己紹介くらいするのが筋でしょうが。この食欲大魔人がぁ」
「ぶー。優美そんなんじゃないのにぃ」
「ほぉ、そう言うか? 入院してる間に喰っちゃ寝の生活を送って、増えた体重がモガッ
 言いかけた美鈴ちゃんの口にクッキーを詰め込む優美ちゃん。
 そういえば、5月頃だったかなぁ。優美ちゃん、バスケ部の対抗試合で足を折っちゃって、しばらく入院してたんだよね。
 早乙女くんがやたらとおたおたしてたの、覚えてるんだ。
「しょうがないなぁ、ユーミもみっちゃんも。んじゃ、あたしから」
 もう一人の女の子が、優美ちゃん達を見てから、あたしの方に向き直ったの。ぺこりと頭を下げる。
「どうも、初めまして……っても、お噂はかねがね。不本意ながらこの二人の同級生をしてます、八重美喜子と申します」
「初めまして。虹野沙希です」
 あたしもぺこっと頭を下げる。へぇ、八重美喜子ちゃんかぁ。
「で、こちらが早乙女優美と館林美鈴、って、虹野先輩はもう知ってますよね」
「うん。早乙女くんや館林さんはあたしと同級生だし、ね」
 うなずいてから、ちらっと横の方を見て、あたしはぎょっとしたの。
 みのりちゃんと葉澄ちゃんが静かだなって思ってたら、二人とも、クッキーを頬ばれるだけ頬ばって、リスみたいになってるんだもの。
「あ、二人とも! そんなことしなくても、クッキーはたっぷりあるってば」
「ふぉんふぁふ……うぐ」
 何か言いかけたみのりちゃんが、いきなり目を白黒させて胸を叩いたの。あーあ、喉に詰まらせちゃったんだね。
「はいはい、慌てないでね」
 あたしはみのりちゃんにジュースを渡すと、優美ちゃん達の方に向き直った。
「で、お味はどうかな?」
「美味しいですよ。ふんわりとしててそれでいてまったりとこくのある味。さすがは虹野先輩ですね」
 美鈴ちゃんがにこにこしてうなずく。よかった。
「ふーんだ。これくらい優美にだってできるもーん」
 ぷんと膨れて言う優美ちゃん。
「へぇ、優美ちゃんクッキー得意なの?」
「クッキーだけじゃないれす。優美、なんだって作れるんだもん」
 胸を張る優美ちゃん。そのままぴっとあたしを指さす。
「え?」
「だから、優美は負けないもがぁぁっ」
「おほほほほほ」
 美喜子ちゃんと美鈴ちゃんが両サイドから優美ちゃんを押さえ込んで口を押さえてる。何してるんだろ?
「し、失礼しましたぁぁーー」
「それじゃ、このお礼は後日改めて伺わせていただきますぅーー」
 そのまま、じたばたする優美ちゃんを抱えて、二人は出て行っちゃった。
 な、なんだったのかしら?
「どうも、お邪魔しましたぁ。クッキー、美味しかったです」
 玄関でぺこりと頭を下げるみのりちゃん。
「ありがと。また、いつでも来てね」
「もう来なくてもいいわよぉ」
 こっちは葉澄ちゃん。
 みのりちゃんは、葉澄ちゃんは無視して、あたしににこっと笑いかけて、出ていこうとした。
 と、不意に振り返る。
「そういえば、虹野先輩。明日のお祭りは行くんですか?」
「え? あ、うん。そのつもりだけど……」
 あたしがそう言いかけた途端、二人がにゅっとあたしの前に顔を出したの。
「私と行きましょう!」
「何言ってるの!? 虹野先輩は、私と、お祭りに行くの!」
「違うもん! お姉さまは私と行くんだもの! ねぇ〜、お姉さま」
「あ、あの、ごめんなさい。そのね、あの、先約があるの」
 あたしがそう言うと、二人は同時にきっとあたしを睨んだ。
「どういうことなんですか?」
「虹野先輩が一緒に行くって、もしかして主人先輩じゃないでしょうね!?」
 ドキィ〜ッ
「そ、そ、そういうわけなんかじゃないののよ」
「あ、もしかして朝日奈先輩と行くんですか?」
 みのりちゃんがうんうんとうなずきながら言ったの。あたし、慌ててうなずく。
「そうそう、そうなのよみのりちゃん」
「あ、やっぱりそうなんですね」
 みのりちゃんはうなずくと、葉澄ちゃんの耳を引っ張って何か囁いてる。な、なんだろう? ちょっと気になるなぁ。
「それじゃ、今日は帰ります。お邪魔しましたぁ」
 囁き終わってから、みのりちゃんはもう一度ぺこりと頭を下げて、帰っていったの。
 あたしは葉澄ちゃんに聞いてみた。
「みのりちゃん、何を言ってたの?」
「秘密です。あ、そうだ。お風呂の掃除しなくっちゃ!」
 葉澄ちゃんは、ぱたぱたと家の中に駆け込んでいったの。どうしたのかな、二人とも。
 まぁ、いいかぁ。それよりも……っと。
 あたしは、台所に駆け込んだ。
「お母さん! 浴衣出してくれない?」
 翌日、8月の第一日曜日の夜は、毎年きらめき神宮で夏祭りがあるのよね。
 あたしは、大鳥居にもたれかかって、主人くんが来るのを待ってたの。
 赤に笹の葉をあしらった浴衣。主人くん、どう思うかな?
 あ!!
 主人くんが、人波をかきわけるようにこっちに向かってくる。
 あたしは手を振った。
「主人くん!」
「あ、虹野さん!」
 気がついてくれた主人くん、そのまま駆け寄ってくる……。あ!
 ドン
 いきなり後ろから突き飛ばされた主人くん、そのまま石畳につんのめりかけた。なんとか踏みとどまって振り返る。
「あ、ごめんなさい! それじゃ!!」
 タタタタッ
 ……今の、館林さん? あっという間に見えなくなっちゃったけど……。
「なんだよ、まったく。あの当たり屋2号、ここまで出張してきたのかぁ……」
「当たり屋2号?」
「ああ。さっきの変な髪型の娘のことさ。学校の廊下でよくぶつかられるんだけど、名前知らないから、そう呼んでるんだけどね」
「ふぅん。だけど、2号ってことは、1号もいるの?」
「まぁ、うん。本人に言わないで欲しいんだけどね。朝日奈さんのこと」
「ひなちゃん? プッ」
 あたし、吹き出しちゃった。確かに、ひなちゃんってば、よく廊下を爆走してるもんね。あの勢いでぶつかられたら、確かに当たり屋って呼びたくもなるわ。
 くすくす笑ってたあたし、主人くんが黙ってるのに気がついた。
「ど、どうしたの?」
「あ、うん。今日は浴衣なんだね、って思って……」
「え? あ、うん。せっかくお祭りだから、って思ったから……。ど、どうかな?」
 あたし、袖を持って、おそるおそる訊ねてみた。
 主人くん、こくっとうなずいた。
「うん、よく似合ってるよ」
「よかったぁ」
 あたしは、ほっとした。なんだか、その途端に、すごく嬉しくなっちゃって。
「ね、主人くん、行こ!」
 主人くんの手を取って、あたしは人波の中に紛れ込んでいった。
「お、射的かぁ」
 参道に並んでる夜店を見て歩いてると、不意に主人くんが射的屋さんの前で立ち止まったの。
「主人くん、やってみる?」
「そうだね。あんまり自信ないけどなぁ」
 なんて言ってるけど、主人くん、目が輝いてるんだもん。なかなか自信あるんじゃない?
「弾は6発だよ〜。がんばりなぁ〜」
 なんだか力の抜けそうな射的屋さん。そう言いながら、弾と銃を主人くんに渡したの。
「こういうのは、こうやって、と」
 主人くん、銃を構えた。
 ポン
 最後の一発が、一番上の段に乗っていた人形に当たった。人形は、ふらっとよろけて、そのままこてんと下に落ちた。
「兄ちゃん、やるねぇ。全段命中だよ〜」
 そう言いながら、射的屋の人が、人形を紙袋に詰めて主人くんに渡す。
 主人くんは、そのままその紙袋をあたしにポンと渡す。
「え?」
「あげるよ、それ」
「でも、悪いわ」
「俺が持ってても仕方ないじゃない。虹野さんがいらないなら、いいけど……」
「……もらっちゃっていいの?」
「もらって欲しいんだ」
「……嬉しい。ありがとう」
 あたしは、人形の入った紙袋に顔を埋めた。
「お休みなさい」
「お休み」
 あたし達は、十字路で左右に別れたの。
「ごめん、虹野さん。俺が夜練なかったら、一緒に花火大会見られたのに……」
「いいのいいの。それよりも、また差入れ持って行くね」
「虹野さんがいいなら。でも無理しないでよ。マネージャーに倒れられたら、俺の責任だからね」
 そう言って笑うと、主人くんは片手を上げて、たたっと走って行ったの。
 主人くん、がんばれ!
 あたし、心の中でそう呟いて、家に帰ろうと振り返ったの。
「朝日奈さんじゃなかったんですかぁ?」
「きゃぁっ! み、みのりちゃん!?」
 そこには、みのりちゃんが浴衣の袖をまくり上げて、腕を組んでいたの。
「な、な、なんの話?」
「ずっと、見てたんですから、いまさら言い逃れは、出来ませんよ」
 みのりちゃん、顔怖いよぉ。
「あ、あの、あのね、これには、そのぉ……」
「やっぱり、あの男、お姉さまにまとわり付いていたんですね!」
 後ろから声がして、あたしは慌てて振り向いた。
 こっちもみのりちゃんに負けず劣らず怖い顔をした葉澄ちゃん。
 絶体絶命のピンチ!
 と。
 チリンチリン
 自転車のベルの音がして、赤い自転車があたし達の前に止まったの。
 それに乗っていたのは……。
「ひなちゃん?」
「沙希、ちょっといい? 話、あるんだ」
 助かった、って思ったのも一瞬だった。ひなちゃん、始めて見るような真面目な顔をしてたの。
「朝日奈先輩?」
「夕子さん、あの、ちょっと……」
 口を挟もうとした二人、ひなちゃんの顔を見て黙っちゃう。
 ひなちゃんはあたしに視線を向けた。
「後ろ、乗って」
「う、うん……」
 あたしはうなずくと、ひなちゃんの自転車の後ろに、横座りに座ったの。
 きらめき川を見おろす土手の上で、ひなちゃんは自転車を止めたの。
 河川敷の遊歩道は、サッカー部もランニングに使ってるから、あたしもよく知ってるけど、こんなに暗くなってから来たのは初めて。
 川の流れる音だけが、静かに辺りを満たしてる。
 あたしは、荷台から降りると、ひなちゃんに訊ねたの。
「話って?」
「あのさ……。あたし、沙希は親友だって思ってる……」
 ひなちゃんはぼそっと言った。
「何? そんなこと、当たり前じゃないの」
「ありがと。だからね、あたし、沙希には隠しごとはしないつもり。だから……」
 そう言うと、ひなちゃんはあたしの方をじっと見つめた。
 ドォン
 きらめき神宮の方で、花火が揚がり始めた。その赤や黄色の光が、辺りを一瞬だけ照らす。
 ひなちゃんは、静かに言った。
「だから、言うね」
「ひなちゃん……?」
「あたし……」
 ドォン
 また、大きな花火が揚がった。
 その音にもかき消されない、ひなちゃんの言葉が、あたしの耳に飛び込んだ。
「あたし、主人くんが好きなの」

《続く》

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