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「あたし、沙希には隠しごとはしないつもり。だから……」
 きらめき神宮の方で、花火が揚がり始めた。その赤や黄色の光が、辺りを一瞬だけ照らす。
 ひなちゃんは、静かに言った。
「だから、言うね」
「ひなちゃん……?」
「あたし……」
 ドォン
 また、大きな花火が揚がった。
 その音にもかき消されない、ひなちゃんの言葉が、あたしの耳に飛び込んだ。

「あたし、主人くんが好きなの」

沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん第二次夏合宿 その


 8月の第3週は、毎年恒例になってる、全部活共同の夏合宿。今年は12日から。

 もちろん、あたし達サッカー部も参加してるの。

 今年もがんばるぞー……、といつもならいってるんだろうけど……。
 はふ。
「どうしたんですか、虹野先輩?」
「あ、みのりちゃん?」
 気がつくと、みのりちゃんが心配そうにあたしの顔を覗き込んでたの。
「なんだか疲れてるみたいですけど……」
「だ、大丈夫! ほら、元気元気!」
 慌ててガッツポーズをとってみせるあたし。
「なら、いいんですけど……」
「第一、まだ合宿初日じゃない。合宿明けには、近衛高校との対校試合だってあるんだし」
「そうですよね。みんなはりきってますし」
 そう言って、みのりちゃんはサッカーグラウンドを見渡したの。
 あたしも、そちらに視線を向ける。
「ほら、沢渡! ボーっとしてるんじゃない!」
「すみません!」
 元気のいい声が、グラウンド一杯に響いてる。
 あたしの視線は、いつの間にか主人くんを追っていたの。
「前田! パスが甘いぞ!」
「やかましい! やってるわい!」
 ……主人くん……。

「あたし、主人くんが好きなの」

「先輩?」
「あ、ごめんごめん。何?」
「……虹野先輩って、人の世話は焼きたがるくせに、自分のことはさせようとしないから……」
 不意に、みのりちゃんは真面目な口調で言ったの。
「……え?」
「あ、私、麦茶作らないと……」
 そう言って、立ち上がるみのりちゃん。
「みのりちゃん、いつもやってるから、たまにはあたしがやるわ」
 あたしはみのりちゃんの肩をポンと叩いたの。

 夏休みだから、廊下を歩いてても誰もいない。静かな学校の中、グラウンドで部活してるサッカー部や野球部の人の上げる声がかすかに聞こえてくるだけ。
 あれ? 
 そんな妙な静けさの中、家庭科室に近づいていくにつれて、変な音が聞こえだしたの。
 ガツッ、ガツッ
 何かを砕いてるような音。歩いていくと、どんどん大きくなってく。
 家庭科室の前に立つと、音は中から聞こえてくるのがわかったの。
 何かしら?
 あたしは、ドアを開けた。
「失礼します」
「え? あ、虹野さん」
「藤崎さん?」
 流しのところで、ボウルに入れた大きな氷を、手にしたアイスピックで砕いていた藤崎さんが顔をあげた。さっきの音、これだったんだ。
「何をしてるの?」
「かち割り作ってるの。ほら、演劇部って講堂で練習してるでしょう? あそこって熱がこもっちゃって、すごく熱いから」
 そう言いながら、氷をビニール袋に入れると、藤崎さんは顔をあげてあたしを見た。
「虹野さんは?」
「あ、麦茶作ろうと思って。ほら、みんな練習が終わったら喉が乾いてるでしょ?」
 そう言いながら、あたしはやかんに水を汲む。麦茶パックは……っと。
 藤崎さんは、別の氷を冷蔵庫から出しながら、不意に言ったの。
「そういえば、昨日朝日奈さんが公くんの家に来てたんだけど」
 ドサドサァッ
「きゃぁ!」
 棚から麦茶パックを出そうとしてたところに急に言われて、あたしパックを落としちゃった。箱から飛びだしたパックが床に散らばる。
「きゃぁきゃぁ、どうしよう?」
「あ、ごめんなさい。急に話しかけたから」
 慌てて藤崎さんもパックを拾うのを手伝ってくれたの。
「あ、ありがとう。……で?」
「……気になるんだ、やっぱり」
 はっと思ったけど後の祭り。
「あ、あのね、それはね、その……」
 藤崎さんは、慌ててパックを箱に詰め込むあたしを見て、クスッと笑った。むぅ〜。
「私もずっと公くんを監視してるわけじゃないから……。たまたま窓から外を見てたら、朝日奈さんが来てるのを見かけただけだし。でも、5分くらいで朝日奈さん帰って行っちゃったわよ」
 そう言うと、藤崎さんはあたしに麦茶パックを渡して立ち上がった。
「でも、朝日奈さんが来るなんて初めてだから、どうしたのかなって思ったの」
「……」
 屈んだまま、うつむくあたし。
「……あたし、主人くんとはそんな関係じゃないし……」
「なりたいとは思うけど?」
「うん……」
 うなずいてから、はっと気付くあたし。
「あ、そうじゃなくて!」
「真っ赤になっちゃって、もう。虹野さんが人気あるの、わかるなぁ」
 にこにこする藤崎さん。ほんとに意地悪なんだから、もう!
 と、不意に真面目な顔に戻ると、藤崎さんは顎に手を当てて考え込んだ。
「そういうことかぁ。虹野さんも辛い立場ねぇ」
「……」
 あたしは、やかんの中に麦茶パックを放り込むと、大型冷蔵庫の中に入れて、扉を閉めた。
 冷蔵庫の扉を背にして、呟く。
「あたし、どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃった」
「虹野さん」
 藤崎さんは、あたしの肩に手を置いた。
「二人のことに口出しするつもりはないけど……、でもね、虹野さん。公くんをあきらめようとか、朝日奈さんに譲ろうとか、そんなこと考えてないよね?」
「……え?」
「そうだったら、私、公くんに代わって虹野さんを叩いてあげるからね」
 そう言うと、藤崎さんはにこっと笑ったの。
「……藤崎さん……」
「あ、いけない。そろそろ戻らないと!」
 藤崎さんは時計を見上げると、ビニール袋を提げて、あたしに軽く頭を下げると、飛びだして行ったの。
 お昼ご飯を済ませて、午後は自由時間。
 とはいえ、あたし達女子部員は夕食の準備をしなくちゃいけないの。
 というわけで、今スーパーにお買物に来てるんだけど……。
「やっぱり、こうなっちゃうのね」
「去年の手際の良さを見せられちゃ、今年もやっぱり期待するしかないでしょ?」
 にこにこしながら、藤崎さん。
 十一夜さんが、うんうんとうなずく。
「占いでも、出てたんだよ。今日のあたしは、手伝ってくれる人が来るでしょうって」
「……まぁ、いいかぁ」
 少なくとも、忙しくしてれば、主人くんとひなちゃんのことは、考えなくても済むもん。
 そうと決まれば……。
「藤崎さん、演劇部の今日のメニューは」
「お任せするわ」
「未緒ちゃんは?」
「文芸部は決まっていませんよ」
「彩ちゃん、美術部は?」
「オフコース、何にも決めて無いわよ」
「……十一夜さん?」
「バスケ部も、何でもオッケイよ!」
「あの、古式さんは?」
「はい、テニス部も、何も決めておりませんよ」
 最後に目を細めてにっこり笑う古式さん。
 みんな、最初からそのつもりだったのねぇ?
 トントントントン
 人参を刻んでると、不意に後ろから声がした。
「にじのぉ! どういうことなのよ!」
「きゃ!」
 あやうく左手まで刻みそうになって、あたしは包丁を止めて振り返った。
「見晴ちゃん?」
 家庭科室の入り口で、見晴が腰に手を当てて立っていたの。もう一度叫びかけて、みんなの注目を浴びてることに気付いたみたい。おほんと咳払いして、あたしに駆け寄ってきた。
「ちょっと話があるんだけど」
「う、うん。ちょっと待って。藤崎さん、お願いできる?」
「これを刻めば良いのね?」
「違う違う! じゃがいもは刻んだら跡形もなくなっちゃうから、大まかにぶつ切りにすればいいの。刻むのはたまねぎ」
「あ、そっか。うん、わかったわ」
 こくんとうなずく藤崎さん。大丈夫かな? ま、藤崎さんだもの。大丈夫よね?
「で、見晴ちゃん、話って何なの?」
 中庭まで来て、あたしは訊ねた。
 前を歩いてた見晴がくるっと振り返る。あ、なんだか怒ってる。
「ひなのこと、噂で聞いたけど。本当?」
 ドキッ
「え?」
 とりあえずとぼけて見せると、見晴ちゃんはじろぉりとあたしの顔を見た。
「な、なに?」
「主人くん、さっきひなに呼びだされて、どこかに行ったの」
「えっ? だ、だって、合宿中なのよ」
「合宿中は校外に出てはいけない、なんて規則はないわ」
 見晴ちゃんは片手に生徒手帳をもってキッパリ言ったの。確かにそうなんだけど、でも……。
 あたしがうろたえてると、見晴ちゃんは腕を組んで考え込んだ。
「にじのだけが相手なら、何とかなるかとも思ってたけど、ひなは積極的だもんなぁ……、まずいよぉ〜」
「ま、まずいって、何が?」
「主人くんだって健康な男の子でしょ? もしひなに「あたしをあげる」なんて言われたら、そりゃ頭のねじの20本はまとめて吹っ飛んじゃうことだって有り得るでしょ?」
「ええっ!?」
 確かに、ひなちゃんは積極的だけど……。
「とにかく、行くわよ!」
 見晴ちゃんは、不意にあたしの手を掴んでかけだした。
「きゃ! み、見晴ちゃん? どこに?」
「決まってるでしょ! ひなと主人くんを追いかけるのよ!!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 そう言いながらも、あたしは見晴ちゃんと一緒に駆け出してたの。

《続く》

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