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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん第二次夏合宿 その


「あら?」
 夏合宿2日目。
 午前の練習時間。
 あたしは、ふと、サッカーグラウンドをフェンス越しにのぞき込んでる人影に気がついたの。
 今日は私服だけど、この前も練習を見てた娘だわ。えっと、確か早乙女くんによると……谷巣さん、だったかな?
 あたしは、そちらに駆け寄って行ったの。

「谷巣さん?」
「え?」
 谷巣さんは、あたしが呼びかけると、こっちに視線を向けたの。
「ごめんなさい。私、サッカー部のマネージャーをしてる虹野沙希なんだけど」
「あ、ご、ごめんなさい」
 そういうと、谷巣さんはまた、走って行っちゃった。
「あ……」
 あ、あたしがいじめてるわけじゃ……ないよね?
 でも、どうして逃げちゃうんだろう?
 みのりちゃんにも聞いてみたけど、「そんな娘いましたっけ? ごめんなさい、私は知らないです」って言ってたし……。
 優美ちゃんや美鈴ちゃんなら、知ってるかな? 今度会ったときに聞いてみようっと。
 ……それにしても、何の用なんだろう? やっぱり、誰か気になる人でもいるのかな?
 ピィッ
「集合!」
 笛を吹いて叫ぶみのりちゃん。うん、どんどんマネージャーらしくなってきたよね。
 集まってきたみんなを前に、主人くんが声を上げる。
「よし、午前中の練習はここまで、午後は2時から、視聴覚室で対近衛高校戦のミーティングだ。レギュラー以外は強制はしないから、参加したい者だけ参加してくれ。それじゃ、解散!」
「お疲れさまでした!!」
 みんな一礼して、さっと更衣室の方に走っていく。
「あ、虹野さん。近衛高校の資料、まとめておいてくれた?」
 不意に主人くんに声をかけられて、あたしは慌てて考えた。
 えっと、近衛高校の資料……あっ!
「ご、ごめんなさい。まだ……」
「あれ? 虹野さんにしては珍しいじゃない。いつもは3日前には用意してるのに」
 あたし、すっかり忘れてた。近衛高校戦は今週末なのに……。
「ごめんなさい……」
 頭を下げるあたしに、主人くんの方が慌てちゃったみたい。
「あ、いや。別にそんなに急いでるわけじゃないし、今日のはまだミーティングって言ってもあれだし、と、とにかく、一通り揃えて置いてくれれば……」
「近衛高校の資料なら、私が用意してあります。あんまり虹野先輩をいじめないでください、キャ・プ・テ・ン・さん」
 みのりちゃんが後ろから声をかけてくれたの。
「あ、みのりちゃん。そっか、みのりちゃんが用意してくれたか」
「私だってマネージャーなんですからね。なんでもかんでも虹野先輩に押しつけないでくださいよ。そりゃ、虹野先輩に較べれば便りにはならないかもしれないけど……」
「うん」
 思わずって感じでうなずいた主人くんをじろぉっと睨むみのりちゃん。
「なんですってぇ?」
「あ、いや、なんでも。そうそう、俺も着替えないと。じゃあね、虹野さん、みのりちゃん」
 そう言って、更衣室の方に駆け出した主人くん。
「べぇ〜〜〜だ」
 その後ろ姿に思いっ切りあかんべぇをしてるみのりちゃん。
 あたしはみのりちゃんに頭を下げた。
「ごめんね、みのりちゃん」
「そんな、虹野先輩。主人先輩にも言ったけど、私だってマネージャーなんですよ」
 クリップボードを抱えて、みのりちゃんは恥ずかしそうに笑ったの。それから、心配そうにあたしの顔をのぞき込む。
「それにしても、本当に大丈夫ですか? 昨日にもまして調子悪そうですよ」
「え? あ、うん、大丈夫大丈夫。さて、と。あたし達もお昼ご飯にしましょうか?」
「はいっ!」
 にっこり笑うみのりちゃん。
 あたし達は食堂で、伊集院家専属シェフの作ったランチを食べてたの。
 伊集院くんが「たまには諸君にも、ぼくの食べている優雅なブレックファーストとランチを味わってもらおうじゃないか。はっはっはっは」って言って、夏合宿の時だけ、朝食と昼食は伊集院くんのところのコックさんが作ってくれることになったの。本当に美味しくて、さすがは本場のシェフって伊集院くんが言うだけのことはあるな、って感じなの。
 いつもなら、レシピを盗むんだ、なんて頑張ってみるんだろうけど、今はちょっとそんな気になれなくって……。
「このスパゲッティ、美味しいですねぇ、虹野先輩!」
 口一杯にバジリコを頬ばりながら、みのりちゃんが言う。
「そうね……」
 あたしは、フォークをくるっと回して、パスタを巻きつけると、口に運んだ。
「あら、虹野さんに秋穂さん。今お昼なの?」
 あたし達は顔を上げた。
 プレートにスパゲティを乗せて、高橋先生が立っていたの。
「高橋先生、こんにちわ!」
 みのりちゃんが元気よく挨拶する。あたしもペコリと頭を下げた。
「こんにちわ。ご一緒してもいいかしら?」
「はい、どうぞ」
「それじゃ、失礼するわね」
 高橋先生は、あたしの隣に腰を下ろしたの。
「虹野さん、昨日隣の高校で食中毒が出たんですって」
「食中毒ですか?」
「ええ。まだ原因ははっきりしていないんだけど、なんでも豚肉が危ないっていう話よ。虹野さん、夕食の総指揮取ってるっていう話だから、一応耳に入れておこうと思って」
「あ、はい。ありがとうございます」
 しばらく高橋先生は食中毒についていろいろ話をしてくれたの。
 でも、あまりスパゲティを食べながら話すことじゃないわよね。
 やがて、高橋先生は時計を見て立ち上がったの。
「あら、もうこんな時間だわ。それじゃ、私は保健室にいるから、何かあったらすぐにいらっしゃいね」
「あ、はい。ありがとうございました」
 あたしはぺこりと頭を下げる。みのりちゃんも慌ててあたしに倣って頭を下げたの。
 高橋先生はにこっと笑うと、そのまま食堂を出ていったの。
 あたしは立ち上がった。
「さて、と。それじゃ、みのりちゃんの用意してくれた資料、ちょっとチェックしてもいいかな?」
「はい。よろしくお願いします!」
 みのりちゃんはピョンと飛び上がってうなずいたの。
 図書室でみのりちゃんの用意した資料に目を通してたら、不意に後ろから小さな声が聞こえたの。
「にじのぉ」
「え?」
 振り返ると、本棚の影に、見覚えのある輪っかの髪型が見えた。
「あ、みのりちゃん。ちょっとごめんね」
「え? どうしたんですか?」
「うん、ちょっと友達がいたから。ここ、チェックしておいてね」
「はぁい」
 うなずいてマーカーでチェックを始めたみのりちゃんを置いて、あたしは本棚の影に駆け寄ったの。
「見晴ちゃん?」
「あ、にじの。昨日はごめんね」
 パンと手を合わせる見晴ちゃん。
「とっさに良い案が思いつかなくて……」
「もういいけど……」
「でも、ひながにじのと仲が良いのを忘れてたのは失点だったなぁ」
 そう呟くと、見晴ちゃんは腕を組んだ。
「今日もひなはきっと主人くんを誘いに来るだろうし」
「あの、見晴ちゃん。もうやめない?」
「え?」
 目を丸くすると、見晴ちゃんはあたしの肩をつかんでかっくんかっくんゆさぶり始めた。
「に〜じ〜の〜! 何を考えてるのよあんたはぁ! ほっとけば主人くんをひなにとられちゃうんだよぉ! それでもい〜のぉ〜?」
「あっ、あのっ、みはっ……」
「だ〜か〜ら〜!」
「あのぉ、図書室では静かにしてもらえませんか?」
 静かな声がして、あたしはやっと見晴ちゃんから解放されたの。
「ご、ごめんなさい……。あ、未緒ちゃん?」
「ごめんなさい」
 見晴ちゃんもばつが悪そうな顔をして頭を下げてる。どうも見晴ちゃん、未緒ちゃんには同じ部活ってこともあるのか、弱いみたいなの。
 未緒ちゃんは見晴ちゃんにぴっと指を突きつけた。
「館林さん、昨日の提出課題、まだ出ていませんよ。これは忠告なんですけど、早めに出した方がいいと思います」
「う、うん。わかった」
 見晴ちゃんはうなずくと、あたしに「それじゃ」と手を振って、歩いていったの。
 あたしは一息つくと、未緒ちゃんに頭を下げた。
「騒いじゃって、本当にごめんね」
「いえ、判っていただければ。それより、何かあったんですか? 昨日から館林さんも心ここにあらずっていう感じでしたし、虹野さんも、夕食の準備を途中で放り出していくなんてらしくないですし……」
「う、うん……」
 そうだ、未緒ちゃんなら相談に乗ってくれるかな?
「未緒ちゃん、相談したいことがあるんだけど……。乗ってくれるかな?」
「私でよろしければ。あ、でもここでは人に聞かれてしまうかもしれませんね……。後で時間と場所を改めて、では、ダメでしょうか?」
「ううん。あ、でも今日は2時からうちのミーティングだから……」
「そうですか。その後では夕食の準備もありますしね……。それじゃ、夕食後はどうですか?」
「うん。それなら大丈夫だと思う」
「では、夕食後に……そうですね、屋上ではどうですか? 風があれば涼しいですし」
 未緒ちゃんはそう言うと、ちらっと時計を見た。
「あ、もうそろそろ時間ではありませんか?」
「え?」
 言われて時計を見ると、あと5分。
「きゃぁ! 未緒ちゃん、ありがとう! みのりちゃん、チェック終わったぁ?」
「はぁい、終わりましたぁ」
 ガチャン
 夕食が終わってから、あたしは屋上に上がってきた。
 夕方になって、少し涼しい風が吹いてる。
 浅黄色の夕焼けが辺りを染めてる。
 そんな中、手すりにもたれて街を見ていた未緒ちゃんが振り返った。
「ごめんなさい、遅れちゃって」
「いいえ、私も今来たところですから」
 そう言うと、未緒ちゃんは向き直った。風に乱される髪を左手で押さえながら、あたしに訊ねる。
「それで、相談っていうのは何でしょうか?」
「うん……」
 あたしは少しためらった。
 でも、未緒ちゃん、あたしの無理を聞いて、わざわざここに来てくれたんだもん。
「実は……、ね」
 あたしの話を聴き終わると、未緒ちゃんは段々暗くなってきた空を見上げた。
「そうだったんですか。朝日奈さんが……」
「うん。今日は来なかったみたいだけど……」
 あたしはグラウンドを見おろした。
 合宿中は、夜の練習はしないことになってるから、ライトもついてないのよね。だから、真っ暗。
「……私の言えることは、藤崎さんと同じですよ」
「え?」

「二人のことに口出しするつもりはないけど……、でもね、虹野さん。公くんをあきらめようとか、朝日奈さんに譲ろうとか、そんなこと考えてないよね?」
「……え?」
「そうだったら、私、公くんに代わって虹野さんを叩いてあげるからね」

「私の想像に過ぎないんですが……」
 未緒ちゃんはそう断ってから、ずれてた眼鏡を直した。そして、あたしをじっと見つめる。
「どうして、朝日奈さんがわざわざ虹野さんに告白したと思います? 別にわざわざ虹野さんに断る理由なんて何も無いはずなのに」
「……」
 あたしは首を振った。
 未緒ちゃんは、静かに言った。
「朝日奈さんは、虹野さんに堂々と闘って欲しいんだと思います」
「……闘う?」
「ええ。だからこそ、わざわざ虹野さんに宣戦布告したんだと思います」
 ……ひなちゃん……。
 あたしは、ひなちゃんの家のある方を見つめた。
「……未緒ちゃん……」
「はい?」
「……ごめんなさい。ちょっと一人で考えたいの」
「……そうですか。それでは、お先に」
 未緒ちゃんは静かに屋上から降りていった。
 あたしは、風に髪をなぶられながら、もの思いに沈んでた……。

《続く》

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